Act.4 これが男のエゴって奴か?...10

 オフィスに戻る前に爺さんに会うことにした。国税局に高嶺の不正経理を告発すれば、いずれは爺さんの耳にも入る。その前に俺から言っておいた方が、後々面倒がなさそうだ。
 俺が舞い戻ってきたことに真嶋翁は驚いた顔をしている。一日の内に二度も実家を訪れるなんてことは、未だかつてなかったからな。動揺を見せたのは一瞬だけで、すぐにいつも通り爺さんのいるところへ案内するのは、さすがだな。
 爺さんは書斎にいた。俺と咲弥子を見て、やっぱり驚いた顔をしてやがる。
「隆広、どうした?」
「高嶺会長に会ってきました。婚約の話はつつがなくお断りしましたので」
「うむ……」
 残念そうな顔だ。あんな高嶺のどこが良かったのか、俺にはさっぱり分からねぇぜ。
「それと、今後高嶺家は没落の一途を辿っていくでしょうから、先にご報告しておきます」
「なに!? お前、なにをしたんだ!?」
「俺は何もしていませんよ。ただ、高嶺の不正を国税局に告発させただけです」
「不正だと!? 一体どういうことだ!?」
 えらい勢いで食い付いてきた。まぁ、爺さんの情報網にも引っ掛からなかったんだから、それも当然か。俺だって冬樹が調べなかったら、とても見抜けなかったぜ。
 その冬樹のハッキングのことは端折って、高嶺の25年に及ぶ不正経理、粉飾決算のことを懇切丁寧に説明してやる。俺の話を聞きながら変化していく爺さんの表情は、見物だったな。
 最初は半信半疑で不審げな顔付きだったのが、俺の話に統合性が見え始めると真顔になって、最後にプリントアウトした二重帳簿の証拠を見せたら、落胆の色を隠さずに失意に落ち込んだ。
「お前、こんなものをどこで見付けたのだ?」
「そんなことはどうでもいいでしょう。とにかく、高嶺建設は下手をすれば倒産しますから、二度と高嶺と手を組もうなんて考えないで下さい」
「…………あの高嶺が大きくなった背景に、こんなものがあったとはな」
 溜め息交じりに呟いた爺さんの手から、証拠の紙をそっと取り上げる。
「これは重要な証拠書類なので、俺の方で保管しておきます。近い内に高嶺建設には査察が入るでしょうから、こっちに飛び火するような繋がりは切っておいて下さいよ」
「そんな繋がりなど、ありはせん」
 ふん、どうだかな。あのバカ娘との婚約を異様に積極的だったことを考えると、とても信用出来ねぇぜ。一応、冬樹に調べさせておくか。あいつのことだから、もうとっくにやっているかもしれねぇが。
 爺さんが溜め息を漏らしながら、俺に視線を向けた。妙に気になる目だな。
「お前は本当に融通の利かん奴だな」
「いきなり何です?」
「まさか、どこも公明正大、清廉潔白に企業経営しているなどと、思っとるんじゃなかろうな?」
 それを、そんな不審気な目で訊く方が、俺はどうかしていると思うけどな。
「ある程度の不正はやるべきだってことですか?」
「そうは言っておらん。だが、上を目指すには多少の不正も止む得ないこともある、ということだ」
「つまり、高嶺のことは目を瞑れと言いたい訳ですか」
「お前のことだ、それはもう手遅れだろう。わしが言いたいのは、誰もがお前のような考えでいる訳ではないということだ」
 ふん。爺さんには、俺が清廉潔白に東海林を動かしているとでも、思っているのかね。まぁ、あんな不正はしねぇし、する必要もねぇが。
「俺だってそれなりのことはしていますよ。まぁ、高嶺のような不正は言語道断ですが」
「そう言い切ることが、清廉潔白だと言うんだ」
「俺は俺の下で働く社員たちや、東海林グループを日本のトップ企業と思っている人々を裏切ることはしません。それは公明正大とかじゃなく、俺の立場なら当然のことでしょう」
 そこでどうして、唖然とした顔で見られなきゃいけねぇんだよ。気に入らねぇな。横からは、咲弥子の感嘆したような変な息遣いが聞こえるし。俺を何だと思ってんだ。
「全くお前は、まだまだ青いな」
「そうですか?」
「東海林の歴史を知らん訳ではあるまい」
「そりゃまぁ、曾曾爺様の頃はそれなりのことはしていたでしょう。そういう時代でしたでしょうし」
「分かっているなら」
「でも今は違うんです。俺の元では、そんな必要はありません。それで潰れるなら、東海林なんてその程度の家なんですよ」
「…………」
 つったって、冬樹にハッキングさせるくらいの情報収集はやっているからな。それを不正と言われりゃ、返す言葉はねぇぜ。爺様の前じゃ言わねぇが。
 咲弥子の何か言いたそうな視線が、横から突き刺さってくる。どうせ冬樹のことだろうから、無視してやった。
「隆広……」
「ご心配なく。潰れてもいい、なんてことは思っていません。それこそ、日本経済が混乱しますから。グループを潰すような不手際はしませんし、不祥事は起こさせませんよ。俺が現役でいる内は」
 安心させてやろうと笑顔でにこやかに言ってやったのに、爺さんから出たのは溜め息だった。
「お前がそうでも、周囲はそう思わんぞ」
「爺様もでしょう」
 見透かしたように言うと、しばらく口を閉ざして俺を凝視した。年を取っても、こういう時の眼光は中々鋭いもんだ。居心地悪いぜ。
「さっきも言ったが、お前を会長にしたのはわしだ。今更お前をどうこうしようなどとは思わん。だが、全ての人間がお前のように出来るとは考えんことだ」
「そんなに難しいことはしてないつもりですけどね」
「それが一番難しいのだ。まぁいい、お前の考えは分かった。高嶺とは公式には何の繋がりもない。単にわしと高嶺会長の個人的な付き合いだけだ。心配は要らん」
「それを聞いて安心しました。俺はもう戻りますよ」
 爺さんが頷いたのを見て、咲弥子を連れて実家を出た。
 里久は、今度もまた車の傍で腕立て伏せをやっていた。こいつ、筋トレ以外することねぇのかよ。訊いてみると、「さっきのでストレスが溜まったので」だと。高嶺の爺さんの態度に、イラついていたからな。それで筋トレって選択は、こいつらしいとでも言うべきなのか。
 オフィスに戻る途中、隣に座る咲弥子が胡乱気な視線を向けてきた。
「あのさぁ、あんたってお爺さんと仲悪いの?」
「別に悪かねぇよ。なんでそんなことを訊くんだ?」
「だって、ちょっと微妙な空気だったじゃない。あたしの想像する家族とは、ちょっと雰囲気が違ってた」
「ふん、まぁ普通の家族と同じって訳にゃいかねぇだろうな」
 言ってから、咲弥子が天涯孤独なのを思い出した。あの立原真奈美でも母親と慕うくらいだ。家族愛ってのに飢えてるのか?
 咲弥子の頭に手を置いて、俺の肩に引き寄せた。絶対抵抗してくると思ったのに、やけに素直に体を寄せてくる。あまり抵抗されるのも嫌だが、こう素直なのも拍子抜けするぜ。勝手だな、俺も。つか、抵抗してくれた方が扱いやすいな。
「お前、随分素直じゃねぇか。どうしたよ?」
「別に素直になってる訳じゃないし。ただ、あんたも色々大変なんだなぁって思って。ちゃんと人の上に立つ立場って考えてるんだ」
「当然だろ。やりたくてやってる仕事じゃねぇが、手は抜かねぇよ」
「でも、あんたが清廉潔白ねぇ。そういう風に思われてるんだ」
 肩を揺らしてくつくつ笑いやがる。頭に置いていた手でコツッと叩くと、いきなり引き剥がされた。
「ああっ! やっぱあんたに素直になるってダメ! 気持ち悪い!」
「ふん、言ってくれんじゃねぇか。こっちだって、お前が素直だと扱いにくい」
「むっ、だったら一生素直になんかなってやらないわよ」
「へぇ、ってことは、一生俺と付き合っていく気なんだな」
 揚げ足を取ってやると、ぐっと言葉を詰まらせて俺から顔を背けた。なにやらブツブツ文句を言っている。
「言葉の綾じゃないの、それを本気で返すなんて最低」
 ふん、んなこと分かっていて言ったに決まってんだろ。言うと煩ぇから黙っておくか。
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