Act.4 これが男のエゴって奴か?...9

 ジジイの嗚咽なんて聞くもんじゃねぇな。耳が腐る。
「したくもねぇが、今のあんたになら言うことはあるぜ」
「なんだね?」
「国税局に告発すると脅されたからって、そう簡単に認めるなよ。どうせ証拠は簡単には見付からねぇんだろ。だったら白を切り通せばいい」
 ジジイの泣き顔ってのも、見るもんじゃねぇな。目が腐る。
 爺さんはしばらく呆けた顔でいたが、すぐに顔を真っ赤にしてわなわなと震えた。怒り心頭ってやつか。
「なっ、う、嘘だったと言うのか!?」
「嘘じゃねぇ、高嶺建設の不正経理の証拠は持っている。俺が言いたいのは、あんたの気概さ。どうせなら大物ぶりを見せてほしかったね」
「わしをバカにするか!」
「されたくなけりゃ、灰皿を投げ付けるなんて醜態は晒すなよ。大体、査察が入ったって証拠が見付からなけりゃ、お咎め無しだぜ。もっと鷹揚に構えてりゃ、俺に動揺を与えることだって出来たかもしれねぇのに」
「くっ……」
 悔恨か慙愧か、爺さんの表情からはどっちも読めるな。ふん、俺が動揺なんかするかよ。
「里久、冬樹に国税局に告発するよう連絡しろ」
「分かりました」
「ま、待ってくれ!」
 里久が携帯を操作したのとほぼ同時に、爺さんから慌てた声が掛かった。
「告発はやめてくれんか。高嶺が潰れてしまう、頼む。この通りじゃ」
 驚いたね、若造の俺に土下座までするとは。ふん、自分のプライドよりも会社が大事ってか。でなけりゃ不正経理なんかしねぇわな。だが、俺がほしい言葉はこんなんじゃねぇ。
「いいぜ。ただし条件がある」
「な、なんだね?」
「俺とあの娘の結婚なんて、バカな夢を見るのはやめろ。それを約束するなら、考えてやってもいい」
 俺がこう言うのは予想していただろうが、ジジイは絶望的な顔を見せた。この期に及んでも、俺とあのバカ娘の婚姻を企んでいるのかよ。
「しかしそれでは……」
「婚姻で事業を拡大させようなんて、時代錯誤も甚だしいぜ。やりたけりゃ、自分の力でやれよ。まぁ、先ずは高嶺建設の建て直しだろうが」
「ま、待て! まさか告発するつもりか!? 条件はっ」
「すぐにイエスと言えないなら、元々その気はねぇだろ」
 里久に視線を向けると、既に携帯を耳に当てていた。すぐに冬樹と繋がったらしい。口調は淡々としているが、ジジイを見る里久の目は失望に彩られていた。俺だって同じ気分だぜ。せっかく逃げ道を用意してやったのに、自分から潰しやがって。
 後は冬樹がどういうタイミングで国税局に連絡するかだな。まぁ、あいつに任せるが。
「き、君には慈悲というものがないのか!」
「あるに決まってんだろ。70も過ぎたジジイに土下座されて、気分いいわけねぇ」
「ならば、この老人の望みを叶えてもよいではないか!」
 ったく、ウチの爺さんに続いてこのジジイの願いまで聞かなきゃいけねぇ義理は、俺にはねぇぜ。
「なんで俺が、あんたの望みを叶えなきゃいけねぇんだよ。考えてやってもいいと言った俺の条件を飲まなかったのはそっちだぜ。自分で潰しておいてよく言う。あんたにとって大事なのは会社だろ」
「美菜もわしにとっては大事な孫娘だ!」
 だから、俺はあのバカ娘と結婚するべきだって言うのか? 冗談じゃねぇぜ。
「あんたの大事な孫娘がどうなろうが、高嶺建設が潰れようと俺には関係ねぇ。自動的にウチの建設会社が二位に上がるだけのことだ」
「わしの会社はどうなる!」
「それこそ、俺の知ったこっちゃねぇな。何も知らない社員にとっちゃ大迷惑だろうが、俺がどうこうする問題じゃねぇだろ。あんたらがやるべきことだ。こんなこと、若造の俺に言わせんなよ」
 何で俺がこんなジジイに説教しなきゃいけねぇんだ、普通は逆だろ。爺さんは、床に両手両膝を付いたまま、項垂れている。
「隆広様」
 里久の声に振り向くと、応接間のドアが開いていて、咲弥子が遠慮がちに顔を出していた。
「さっき凄い音がしましたけど、どうしたんですか?」
「ああ、ジジイが里久に灰皿を投げ付けた」
「…………」
 咲弥子は唖然と爺さんを見た。その目に同情の色はねぇ。つか、呆れてるだろ。
「そっちはどうだった?」
「簡単に訊いて来ますね。新人類と会話するなんて、金輪際したくないですよ」
 辟易した顔でそう言い、廊下から高嶺美菜を呼び寄せた。綺麗な顔に不貞腐れた表情を貼り付けちゃいるが、傲慢さは少し薄れたか。驚いたな。
「お前、どういう魔法を使ったんだよ?」
「ちょっと話をしただけです。最初は全然話が通じなくて困りましたけど」
 肩を怒らせながら俺の傍に来ると、ぷいっと窓の方に顔を向けた。かなり苦労したようだな。
「ふん。それで、諦めさせられたのか?」
 俺の問いに、咲弥子は肩をすくめて応えた。それから、高嶺美菜に視線を向ける。
「お嬢様、高嶺会長に言うことがあるのでしょう。もう分かっていることなんですから、ちゃんと自分の口から言った方がいいですよ」
「なんだ、そのお嬢様ってのは?」
「そう呼べって言われたので」
 しょうがねぇバカ娘だな。
 高嶺美菜は、爺さんが膝を付いている姿を目にして、どうしていいか分からねぇって顔をしている。自分の爺さんのこんな姿は、初めて見るだろ。
 大事な孫娘が傍にいることに気付いたか、爺さんが顔を上げると高嶺美菜も床に膝をついた。
 咲弥子が俺に耳打ちしてくる。自分の男遊びが原因で妊娠したことを、正直に爺さんに話すことを約束したんだそうだ。
「それ以上のことは、今は無理です。っていうか、あのお嬢様には一生無理のような気がしますけど」
 まぁそれを認めさせられりゃ、あのバカ娘には十分だろう。
 か細い声で何を話しているのか聞き取れねぇが、時折唇を噛んでいるのが見える。ふん、最初から本当ことを話してりゃ、そんな思いをしないで済んだものを。爺さんも孫もバカな奴だぜ。
 これ以上見ている必要もねぇだろ。里久と咲弥子に声を掛けて、応接間を出た。
「黙って出てきちゃって、いいんですか? っていうか、あれでいいんですか、会長」
「……その会長ってのやめろよ」
「だって、東海林グループ会長でしょ」
「お前から言われると、調子狂う」
 思わず言っちまったら、咲弥子の奴、ニヤニヤ笑いやがった。
「へぇ、じゃあ、これからずっと会長って呼んであげる」
 くそ、後で覚えてろ。今夜は絶対に泣かせてやる。
「っていうかさぁ、もしこのまま秘書やることになったら、どうしたって会長って呼ぶでしょ」
 高嶺の屋敷を出たところで、咲弥子がいつもの口調で言ってきた。
「なんだよ、急に真顔になりやがって。俺の秘書はやりたくねぇんじゃなかったのか?」
「なによ、あんたはあたしにやらせたいんでしょ!?」
「前からそう言ってんだろ。で、気が変わったのは何故だ?」
 車に乗り込むと、咲弥子は俺から目を逸らして窓の外を見た。里久は黙って運転している。
「別に気が変わった訳じゃないけど。冬樹はあんたに目を付けられたら逃げられないって言うし、仕事としては確かにやりがいあるし。さっきみたいに面倒な仕事を押し付けられることはあるみたいだけど、普通じゃ経験できないことだよね」
「俺はもっと面倒な仕事をしてんだよ」
「それは分かるわよ! 洋行さんから色々教えてもらったから」
 一体なにを教えたんだ、洋行の奴。聞いても、どうせ咲弥子は答えねぇだろうが。
「あたしみたいのが秘書になったら、東海林の名前に傷が付くと思ってたけど、あのお嬢様にはあんまり関係なかったみたいだし。っていうか、人を何だと思ってんのかしらね。自分があんたを好きっていうんじゃなくて、東海林隆広が自分を好きになるべきだ、なんて真顔で言っちゃうんだから。あんなに自分中心で地球が回っている人、初めて見たよ」
「あれは規格外だ。あんなバカ娘、そうそうはいねぇぜ」
 そこまで阿呆だとは思わなかったがな。
「あの子、まともに恋愛とかしたことないんじゃないかな。あたしが言うのも何だけどさ」
「あいつのことはもういいだろ、聞きたくもねぇよ。それより何度も言ってんじゃねぇか、お前が俺の秘書になろうが俺と結婚しようが、傷が付くほど東海林は脆くねぇって」
「うん……香緒里さんも、あんまりあたしのお里とか、気にしなさそうだったのは分かったよ。それに仕事しなきゃ生きていけないし、ママから離れたから就職も出来ると思うけど、どうしてもママの顔が脳裏をよぎって、就活で面接するのがちょっと怖い」
 そう口にしながら、自分の肩を抱くように体を震わせる。泣くかと思ったが、そこまでは気持ちは崩れてねぇようだ。
「まぁ、あんたの秘書っていうのは、ちょっとだけ引っ掛かるって言えば引っ掛かるけど、そんなに変な仕事はなさそうだし」
 俺に言うっつうより、自分に言い聞かせてるみてぇだな。先ずはこいつが俺の秘書になってくれりゃ、その経緯は気にしねぇよ。
感想・誤字報告を兼ねた拍手ボタン ←感想や誤字報告などありましたら、こちらをご利用下さい。