Act.4 これが男のエゴって奴か?...5

 冬樹は、やけに真剣な顔でモニターに向かってキーを叩いていた。俺たちが入ったことにも気付かないほど、集中しているらしい。
 咲弥子はといえば、しばらくは俺の腕の中で大人しく抱かれていたが、すぐにいつもの気力を取り戻して、さっさと離れちまった。ったく、少しは素直になるかと思えば。まぁ、こうでなきゃ咲弥子じゃねぇよな。
「冬樹」
「あっ、いたんすか」
 忙しくキーを叩く手を止めて、俺たちに振り向く。いたんすか、じゃねぇだろ。
「お前の言う通り帰ってきたぞ。高嶺建設不正経理の詳細を見せろ」
「それはそれで重大事っすけど、先ずはこっちを見てもらえるっすか?」
 そう言って、プリントアウトしたらしい一枚の用紙を俺によこした。大抵はモニターを見るので済ませるから、わざわざ印刷するってのは滅多にねぇ。受け取って見ると、何故か春樹の身上書だった。今更何だってんだ?
「これがなんだ?」
「父親の名前っすよ。佐藤春彦。どっかで聞いたことないっすか?」
「つったって、そんな名前はどこにでも」
 一つ閃いたことがあった。確かにその名前は身近に聞いたことがある。マジかよ?
「爺さんの秘書だった奴か」
「今でも秘書っすよ。まぁ、康三郎氏が引退してるっすから、大した仕事はないっすけどね。俺も驚いたっす。春樹を雇う時に調べなかったんすか?」
「履歴書は見たさ。だが、佐藤春彦なんてどこにでもある名前だろ。第一、お前が佐藤冬樹で奴が佐藤春樹なのに、一切血縁じゃねぇんだぞ。まさか父親が爺さんの秘書とは思わねぇよ。まぁ、これであいつが高嶺建設とパイプを持ちたがってた理由が分かったがな」
「康三郎氏も高嶺建設と手を組みたがっていたっすからね。親父さんから、それを言い含められていた可能性はあるっすよ」
 俺としたことが、ミスっちまったな。それと分かっていたら、春樹を雇ったりしなかったぜ。履歴書には親父の職業を会社員と書いてやがった。あいつ、確信犯だな。
「春樹も、殊更それを隠していたんすね。俺も今回のことがなかったら、調べようなんて思わなかったっすよ。で、春樹はどうするんすか?」
「しょうがねぇだろ。爺さんと繋がっていると分かっていて、奴を使い続けるのは危険だ」
「っすよね」
 とはいえ、爺さんがこのことを知っていたとは思えねぇ。おそらくは佐藤春彦の独断だろう。だったら、春樹を辞めさせることで奴の父親への牽制にもなる。春樹をクビにしたところで、こっちにも問題はねぇ。洋行と里久がいるし、今は咲弥子もいるからな。
 冬樹も俺と同じことを考えたらしい。二人同時に視線を向けられて、咲弥子は怪訝な顔で首を傾げた。
「なによ?」
「そうっすね。藤野さんがいるから問題ないっすか」
「ちょっと!? どういうことよ、それ!」
「お前を正式に秘書として雇うっつってんだよ」
「…………」
 咲弥子は大口を開けて声も出ねぇらしい。立原真奈美から距離を置いていれば、他に就職の道もあるだろうが、今更こいつを手放す気はねぇよ。
「東海林グループ会長の秘書だぞ。喜べ」
「ちょっ、勝手に話を進めないでよ! あたしの意思はどうなるのよ?」
「だったら、真っ当な職に就きてぇとか言いながら俺の秘書は嫌だとぬかす、納得出来る理由を言ってみろよ」
「そ、それは……」
 言葉に詰まりながら、頭ん中じゃ忙しく理屈を捏ね回してんだろ。目が泳いでるぞ。
「10秒以内に言え」
「早っ!」
「文句言ってる間に考えろよ」
 どうせ大した理由じゃねぇんだ。わざとらしく腕時計を見ながら秒読みすると、やけに真剣な顔で黙っちまった。
「時間切れだ。とっとと言え」
「う……あ、あんたのとこであたしなんかが働いたら、色んなところから突っ込まれるんじゃないの? あたしはそれで」
 その接続詞で続きの言葉が分かった。
「もういい。二度も聞くのは面倒臭ぇ」
「な、なによ! 二度もって、まだ何にも聞いてないじゃない!」
「ふん、どうせ東海林の名前に傷が付くのが嫌だとか、さっきと同じことをぬかすんだろ」
「だって、ホントにそう思ってるんだもん」
 口を尖らせて上目遣いに呟く姿は中々可愛いが、そういう余計なことは考える必要ねぇって言ってんだろ。
 冬樹は分厚い眼鏡のブリッジを上げながら、やけに感心したような目で咲弥子を見た。
「藤野さんて、何だかんだ言いつつ隆広様のことを考えてるんすね」
「ちょっと、どうしてそういうことになるのよ!?」
「え? だって、そうじゃなかったら、別に東海林がどうなろうと藤野さんには関係ないじゃないっすか」
「あ、あたしが気にしてるのは、東海林グループで働いている人たちであって、こいつのことじゃないわよ!」
 俺に向かって人差し指を突き刺して冬樹に食って掛かるとは、俺を何だと思ってんだよ。
「だから何度も言ってんだろ。お前を秘書に雇おうがお前と結婚しようが、東海林の名前にはかすり傷も付かねぇよ」
「むぅ……あんたはそうでも、あたしにはそういうこと言う人もいるかもしれないじゃない」
「そんなこと気にすんな。俺が守ってやるよ」
「そんな簡単に言うけどさぁ」
 呆れた顔で言うな。俺は本気だぞ。
「隆広様は簡単には言ってないっすよ。俺、こんなことを話す隆広様は初めて見たっす。つか、オフィスに女性を連れてくることすら、なかったんすから。あん時は天変地異でも起きるんじゃないかと、心配になったっすけどね」
「あの時って……」
 そう言葉にした直後、咲弥子は顔を真っ赤にして頭を抱えた。
「あ、あんたがここに連れてきて、ドレスを押し付けた夜!? ぎゃーっ、そんなこと覚えてないでよ!」
「いやでも、あんなこと俺が秘書になって以来、初めてのことっすからね。忘れられる訳ないっすよ。あだっ」
 余計なことを言うな。冬樹の頭を小突いて黙らせる。大して痛くもなかっただろうに、頭をさすりながら俺に恨めしげな視線をくれやがった。本気で拳を振り上げてやると、慌ててモニターに向き直る。
「とにかく、さっきの理由じゃ俺は納得出来ねぇ。だから、お前は俺の秘書をやれ」
「やだっ!」
「このくらいしねぇと、お前は傍にいねぇだろ。俺は咲弥子を手放す気はねぇよ」
「…………」
 ムッとした顔を隠しもしねぇで、咲弥子はそっぽを向いた。しょうがねぇな、素直にしてやるか。
「ちょ、ちょっと、何するつもりよ?」
 俺が近付くとその分咲弥子が後退さる。冬樹の部屋は狭いから、すぐ角に追い詰めた。逃げ道を塞ぐように顔の両側に手を付くと、その下から逃れようとする。悪足掻きすんな。左手で咲弥子の顎を押さえ、そのまま顔を近付けた。
「ちょっ、やだっ」
 拒む咲弥子の声を吸い込んで、キスで唇を塞いでやる。しばらくは胸に手を当てて押し退けようとしていたが、そんな非力で俺を引っぺがせるか。引き結んでいた歯を舌で舐めると、それも止んだ。すかさず舌を入れ、咲弥子も絡めてくる。こうなると簡単に落ちるな。
 背後から冬樹の呆れた視線が突き刺さってきたが、こいつは里久のように煩くは言わねぇだろ。咲弥子の背中を壁に押し付け、深くディープにキスを楽しんだ。右手でスカートの上からむっちりした尻を撫でると、咲弥子の体は面白ぇくらいに反応して、俺の首に抱き付いてきた。
 唇を解放し、今度は最大の弱点を責めてやる。付けているイヤリングを避けて舌で耳たぶを濡らすと、咲弥子は小さな声を上げて俺の肩口に額を押し付けた。首に抱き付いていたはずの両手は、俺の肩の位置まで降りてきた。そこにしがみついて、小刻みに体を震わせている。耳の中に息を吹き掛けると、必死に抑えた声で喘ぐ。冬樹がいなけりゃ、もっと声を上げるんだろうが。首筋に熱い吐息が掛かって、俺の方も抑えが効きそうにねぇ。そろそろ潮時か。
 名残り惜しく特別な思いを込めて、耳の穴へ息を一吹きすると、ついに抑え切れなくなったのか、咲弥子は色っぽい声を上げてその場にへたり込んだ。
「お前、簡単に落ち過ぎだぞ」
「ばっ! いきなり、こんなことされたら、当然でしょ。このエロ御曹司!」
「ぶふっ」
 負け惜しみにしか聞こえねぇ、息も絶え絶えの咲弥子の言葉に冬樹が噴いた。上司を笑うとは、いい度胸だ。冬樹を睨み付けると、体を震わせて笑いを堪えてやがる。
「冬樹、お前今月の給料なしだ」
「そういうのを横暴って言うんすよ。まぁ本気にしてないっすけど」
 たまには本気に取って慌ててみろよ、つまんねぇ奴だな。こんな会話は、こいつとじゃ日常茶飯事だが。
「でも、藤野さんて本当に面白いっすね。隆広様相手にこんな悪態つける女性は、貴重な存在っすよ」
「全然嬉しくないんだけど!」
「ふん、あんないい声出してたくせに、よく言うぜ」
「うるさいわね! そもそも、あんたがやらなかったら、絶対に出さないわよ! こういうことが起きるから、あんたの秘書になりたくないんじゃないの!」
 なんだ、咲弥子が引っ掛かってたのは、そこかよ。
「それならそうと早く言えよ。もっと愉しませてやるぜ」
「愉しむのはあんたでしょ! もう! 今度勤務中にこんなことしたら、出てってやる!」
「ふん、ってことはやらなけりゃ、俺の秘書になるってことだな?」
 迂闊なことを口にした咲弥子が悪い。今更血相を変えたって遅いぜ。
「なっ!? 誰もそんなこと言ってないじゃない!」
「藤野さん、諦めた方がいいっすよ。隆広様に目を付けられたら、そうそう逃げ出せないっすから。俺がそうだったし」
「そうだったか?」
 俺の秘書の中じゃ、一番の古株だ。つか、こいつは俺が会長職をやらされる前からいただろうが。
 首を捻りつつ冬樹を見ると、肩をすくめて呆れたように「忘れたんすか?」と言いやがった。
「まぁ、俺が迂闊だったんすけどね。高校ん時、休み時間についパソコンでハッキング出来ることを言っちまって。クラスの誰も信じなかったのに、隆広様だけが信じたんすよ」
 そういや、そんなこともあったか。
「信じてくれたのは嬉しかったっすけど、目の前で証明しろとか言って家にまで付いてくるから、海東物産にアクセスして機密文書を目の前で見せたんすよ。そうしたら、やたらと付きまとわれるようになっちまって」
「ストーカーみてぇに言うな。そんなにしつこくはなかったはずだぞ」
「しつこかったっすよ。俺が行く大学も言ってなかったのに、何の因果か入学したらそこにいるし」
「そりゃ偶然だ。驚いたのはこっちだぜ。だが、大学で授業やゼミにくっ付いてきたのは、お前の方だろ」
「違うっすよ。俺が行くところに隆広様がいるんすよ」
「要するに、似た者同士ってことでしょ。あんたとあんたの秘書たちって、みんなそうじゃない」
 頼んでもいねぇのに、咲弥子が妙にまとめやがった。里久と洋行と春樹と冬樹が似てるって、どういうこった?
「あたしから見たら、みんな類友! 自覚しなさいよね」
 そんなことを言われるとは心外だが、冬樹はこれまでに見たことねぇ渋面を作っていた。
「なんだ冬樹、その顔は」
「俺は結構まともだと思ってたんすけど……」
「そう? まともなのは洋行さんじゃないの?」
 なんで洋行だけ「さん付け」なんだよ。追及すると「だって、一番デキル人だもん」と言いやがった。白けること言うな。確かにあいつは出来る秘書になったが。
「まぁいいっすよ、洋行が春樹並みに有能になったのは事実っすから。俺は大学を卒業してMITに留学したんすよ。で、そこも卒業間近になってドクターコースに行くか就職するか迷っている時に、突然隆広様がアメリカにいる俺んところにやってきて、迷ってんなら俺の秘書になれって言ったんす。俺は留学するなんて過去に一言も言わなかったし、進路に迷ってることも誰にも言ったことないんすよ。それなのになんであんなドンピシャなタイミングでやってきたんすか?」
 要らんこと蒸し返すなよ、説明するのは面倒臭ぇじゃねぇか。別に特別なことは何もしなかったが、簡単に言えば東海林の情報網を使ったってだけだ。それを言うと「じゃあ俺は必要ないじゃないっすか」とか言い出すのは目に見えてるからな。こいつがいなきゃ、俺が何を調べるのか実家に筒抜けになっちまうだろ。それじゃ意味ねぇんだよ。
 俺が何も言わなくても、結局は実家のセキュリティに入って爺さんの動向を探る辺り、自分の役割をしっかり理解してるじゃねぇか。
 俺が黙っているとそれ以上の追及は諦めたらしい。
「まぁ、今更訊いてもしょうがないっすけどね。答えを渋っていたら、欲しい物があるなら揃えてやるから俺のところに来いって言うんで。つい言っちゃったんすよ、欲しかったスパコンを。そうしたら本当に買っちゃったんす、この人。3億円もするのに」
「さんおくぅ? バッカみたい」
 お前が言ったんだろうが、買ってくれって。それが何で、呆れた顔で指差されて言われなきゃいけねぇんだよ。納得出来ねぇな。
「でしょ? そうしたら、お前が買えっつったから買ってやったんだ、これでいいだろ、さっさと俺んとこに来い、とか言って。嫌ならスパコン捨てるって言うんすよ。そんなの勿体無いし、せっかく好きに使えるっすからね。でまぁ、今はこういうことになっているんすけど。だから隆広様に目を付けられた時点で、人生諦めた方が気が楽っすよ」
 ったく、黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって。
「お前、絶対に買う訳ねぇと思って言いやがったのか。スパコンのこと」
「そりゃそうっすよ。俺一人雇うために、そこまで金出すなんて思うわけないじゃないっすか。しかも3億円もの金を一括でその上、ポケットマネーで支払うなんて、絶対普通の感覚じゃないっすよ」
「ポケットマネーって……それってつまり、お小遣いってこと? あんた、そんなにもらってんの?」
 目ん玉ひん剥いて言うな。つか、言ってることが激しく間違ってるぞ。
「阿呆、いい大人が小遣いなんかもらうか! 俺個人の金だよ。東海林からはビタ一文出させちゃいねぇ。だから何の問題もねぇだろ」
「問題あり過ぎ。東海林グループって、どんだけお金持ちなのよ?」
「金持ちのどこに問題があるんだ?」
「はぁ、もういいわ。要するに、信じらんないくらいお金持ちってことよね」
 なんか馬鹿にされたように聞こえるぞ。
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