Act.4 これが男のエゴって奴か?...4

「いや、お前を信じていない訳ではないが。しかしだな、こういうデリケートなことを、女性である美菜さんが虚言する必要がどこにあるのだ?」
 押し黙った末に、爺さんはそんなことを口にした。
 男遊びを実家に知られたくないからだろ。それと馬鹿だからだ。蝶よ花よと甘やかされて育っても、例えば妹の多香子だってあそこまで馬鹿じゃねぇ。
 それを言葉を飾らずに言ってやると、爺さんは渋い表情を見せた。爺さんの思惑に気を遣っていたら、俺は何にも出来ねぇよ。
「とにかく高嶺会長が美菜さんの言葉を信じている以上、俺の方から真実を話すしかないでしょう。俺はここにいる咲弥子と結婚するんですから」
 言った直後、右から殺気を感じた。予感がして右足を密かに後ろに下げると、咲弥子のピンヒールが俺の右足のあった場所を踏み付けた。
 爺さんの目がこっちに向いている以上、咲弥子は笑顔でいるしかねぇ。だからって、こういう暴力に訴えるなよ。おっかねぇな。
「高嶺会長からは、婚約を取り付けたいと言われておる」
「血も繋がっていない子供のために、俺に結婚しろって言うんですか? 随分と横暴ですね。大体本人に産む気はないんですよ?」
「それは高嶺会長は許さんだろう」
「分かりませんね。どうして爺様は高嶺に対して、そんなに下手なんですか? まさか、俺の知らないところで手を組んでいるんじゃないでしょうね?」
「…………」
 また無言かよ。しかも苦々しい顔しやがって。当てずっぽうで言ってみたが、まさか本当にそんな密約でもしてたのか? たかが建設業界最大手ってだけの高嶺家と。
 俺が呆れて物も言えないでいると、ジャケットの胸ポケットにある携帯が振動した。取り出してみると、冬樹から電話の着信だ。状況が分かっていて電話してくるということは、何かあったな。
「ちょっと失礼しますよ」
 爺さんに振動する携帯を見せてから、通話ボタンを入れた。
 いつもは冷静な冬樹の声が、少し興奮している。理由はすぐに分かった。こんなことを爺さんのいる前で電話で話すのは極めて珍しいが、高嶺に関わることならそれも有りか。
 しかしまぁ、内容を聞いて驚いたね。これが世間に知られたら、高嶺ブッ潰れるぞ。倒産までいかなくても、ブランドに傷が付くのは免れねぇな。
 通話を切って爺さんを見る。どう切り出すか考えていると、爺さんの方が先に口を開いた。
「緊急の仕事でも入ったか」
「ええ、まぁそんなところです。高嶺美菜さんの件は俺の方で対処します。高嶺会長には、事を荒立てずに話をしますので、爺様は口を出さないでくれますか?」
 事を荒立てるどころか、高嶺の命運を握るようなもんだが、それをここで話す必要はねぇわな。爺さんに余計な口は出されたくねぇし、下手すりゃ高嶺の爺さんにリークし兼ねない。そんなバカなことをするとは思えねぇが、事は慎重に進めねぇとな。
 俺が表現を改めたことに、爺さんは少し目を丸くした。いきなり俺の態度が軟化すれば当たり前か。
「お前がその気ならわしも口は出さんようにするが、どう話をするつもりだ?」
「美菜さんと結婚する気はありませんから、それははっきり伝えますよ。妊娠の真相については、彼女が傷付かないように配慮します。それでいいでしょう?」
「仕方あるまいな。東海林家の当主をお前にしたのはわしだ。グループはお前の指示に従う。わしもそれに異存はない。だが、もしお前が高嶺会長や美菜さんのプライドを傷付けるような真似をしたら、わしが許さんぞ」
「承知しています。その時は、爺様に会長職を返上しますよ」
「そこまでしろとは言わんが、その覚悟でいるならお前を信じよう」
「ありがとうございます」
 殊勝に頭を下げて見せてから、咲弥子を伴って書斎を出た。
「お祖父さんの前だと、態度が全然違うじゃない」
 扉を閉めた途端、咲弥子が胡散臭そうな目でそう言って来た。そんなの当然だろ。爺さんが一言「廃嫡する」と言えば、俺なんか消し飛んじまう。若輩者だって自覚はあるさ。
 この俺が珍しく素直に言ってやると、咲弥子の奴、大げさに驚きやがった。俺をどんな人間だと思ってんだ!
「それで、この後どうするの?」
「冬樹に連絡だ。もっと詳細を知りたい」
「なにが?」
 ああそうか。咲弥子もさっきの電話が冬樹からだってことは、知らないんだよな。車の中で話すことを約束して、玄関に向かう。
 そこで真嶋翁が待ち構えていた。つうと語弊があるな。真嶋翁が待機している場所は、大抵玄関の傍だ。
「隆広様、お帰りでございますか」
「ああ、用事が出来た」
「そうでございますか」
 慇懃に礼をした真嶋翁の目が、咲弥子に向けられた。気配で咲弥子が緊張したのが分かった。紳士で優男な外見だが、意外に厳しい面もある。伊達に東海林家の執事を40年務めてきた訳じゃねぇ。小夜の顔は知らないだろうが、おそらく咲弥子が元ホステスだってことは見抜いただろう。
「そちらのお嬢様は?」
「俺の結婚相手」
 言った瞬間、背中をグリグリ押された。痛いっつうより、凝りがほぐれて気持ちいいぞ。
「大旦那様はご存知なのでしょうか?」
「ああ、さっき紹介した。その内正式に発表するさ」
 何か言いたそうな咲弥子の肩を抱いて外に出ると、上着を脱いだ里久が車の傍で腕立て伏せをしていた。まさか本当に待ち時間で筋トレしていたとは、驚きだぜ。
 咲弥子も唖然としているらしい。里久が腕を曲げた状態でこっちを見た。スゲェな、その体勢でよく静止出来るぜ。俺もそれなりに筋トレはするが、そんな真似は出来ねぇ。しかも脱いだ上着は地面に丸めてある。秘書たちには、結構いいブランドのスーツを着せてるんだぜ。勿体ねぇことしやがる。
 慌てて立ち上がった里久は気まずい表情をしていたが、こいつがやると憂いのある顔に見えるから不思議だぜ。美形だけに出来る業だな。
「隆広様、帰られるんですか?」
「行き先は、冬樹に連絡してからだ。その前に大まかに説明しなきゃなんねぇな」
「当たり前でしょ。急に黙ったまんま電話を持って突っ立っちゃってさあ」
「しょうがねぇだろ。口に出せる内容じゃねぇんだよ」
 こんなところでしゃべっていたら、爺さんに漏れちまう。さっさと車に乗り込んで、冬樹に電話を掛けながら咲弥子と里久に説明してやった。
「高嶺建設が不正経理してやがったんだよ。冬樹、車に移動した。詳しく話せ」
「ちょっと、それで終わり?」
 文句を言う咲弥子の頭を押さえて、里久に車を出すように指示した。停まったままというのも、真嶋翁に不審に思われちまうからな。
『それなんすけどね、一度こっちに戻ってきてもらえるっすか?』
「なんだ。まさかフェイクでした、なんてオチじゃねぇだろうな?」
『違うっすよ。叩けば埃が出るっつうじゃないすか。さっきより深部まで探ったら、かなり根が深いことが分かったんすよ。高嶺の粉飾決算は』
「ふん、電話じゃ無理か」
『そうっすね。不用意にメール送信も出来ないっすから』
「春樹には教えたのか?」
『俺から言ったんじゃないすけどね。隆広様に電話したのを勘付かれたらしくて、何を話したのか言えって煩いから、調べた結果を見せたっすよ。俺のハッキングの腕は春樹も知ってるっすからね。証拠を見せられて青褪めてたっすよ』
 そりゃそうだろう。理由は分からねぇが、やたらと高嶺と通じたがっていたからな。
「今もう戻ってる最中だ。20分もすりゃ着くだろ。春樹が勝手なことしねぇように見張ってろよ」
『俺がっすかぁ? 面倒臭いっすよ』
「いいからやれ。それとお前のハッキング、高嶺に知られるなよ」
『それは完璧っすよ。別ルートで地球を7回りして入ってるっすから。隆広様がくれたスパコンのお陰っす』
 珍しくお世辞なんか言いやがって。なんか企んでるんじゃねぇだろうな?
 そう指摘してやると、『たまには素直に受け取ってほしいっすね。滅多に俺は褒めないんすから』なんて返してきやがった。いつも思うことだが、俺の秘書たちは上司を上司と思ってねぇな。
「ちょっと、痛いんだけど」
 携帯をたたんで上着にしまうと、横から恨めしげな声がした。そういや、咲弥子の頭を押さえたまんまだったな。
「悪かったな」
「ちっとも悪かった、なんて思ってないでしょ。その棒読みなセリフ」
 そうでもないんだがな。俺が素直に「悪かった」なんて言葉を言うのは、咲弥子くらいだぞ。
 乱れた髪を整えてから、咲弥子は口を尖らせた。そういう顔をすると、一気に幼くなるな。新たな発見だ。
「あんたと結婚する気はないって言ってんのに、どうしてお祖父さんの前で言うのよ! さっきの執事さんにだって」
「お前がどう思おうと、俺はお前と結婚したいんだよ。大体、俺の求婚を断る女はお前くらいだぞ」
「だから、そのお坊ちゃま精神を改めなさいってば。あたしの意思はどうなるのよ?」
「俺と結婚したくねぇっていう、お前の意思が分からねぇよ」
「だから、それはさっき言ったでしょ!」
 車窓に顔を向けて、それきり黙っちまった。それで俺の意思が変わると思ったのか? 俺だってさっき言ったじゃねぇか。小夜と結婚したところで、東海林の名前にゃ傷は付かねぇって。意外に頑固で石頭だな。こいつの意思を曲げさせて結婚する気にさせるには、どうしたらいいのかね。
 特に名案も浮かばないまま、海東物産のビルに着いちまった。

 

 オフィスに上がって秘書室に直行すると、春樹が待ち構えていた。
「なんだ? 春樹」
「高嶺建設の不正経理について、冬樹に調べさせたのは何故ですか?」
「着いて早々、いきなりそれかよ? 他に言うことがあるんじゃねぇのか?」
 ドアを開けた途端にこいつの仏頂面を拝まなきゃいけないとは、これはなんの罰ゲームだ?
「…………私の勇み足でした」
「なにがだ?」
 プライドの高いこいつに皆まで言わせるのは、相当堪えるだろう。だが、今後もこいつに俺の秘書を務められるかどうか、見極めなきゃならねぇ。
「高嶺建設との繋がりを持とうとしました。今後の東海林グループを考えれば、業界最大手の高嶺家とのパイプは必須だと思ったのです。そこにご隠居から見合いの話が来ましたから、このチャンスを逃すべきではないと判断しました」
 無言で睨み合った後で、やっと重い口を開いた。これだけを言うために、目を瞑って深呼吸しないと覚悟出来ねぇとは、しょうがねぇ奴だな。
「お前は、秘書の役割を何だと思っている?」
「は?」
「訊いてんだよ、答えろ」
「は、はい。私は隆広様の右腕として、隆広様の仕事を助け、スケジュールの管理をし、業務が滞りなく進むよう計ることと考えていますが」
 戸惑う理由が分からねぇが、まぁ概ね俺の考えと一緒だな。一つを除けば。
「俺は春樹を俺の右腕とした覚えはねぇぞ」
「ですが、隆広様は私を一番有能な秘書と見られていたのでは」
「まぁな、そう思ってた。だがお前は、それより少しだけ増長していたんだな。そうでなかったら、俺の右腕と考えることもねぇだろうし、東海林がどこと手を組むべきかなんて、考えることもなかったはずだ。違うか?」
「…………ですが、私は隆広様と東海林グループのためを思って」
 血の気が引いた顔ってのは、そうそう見られるもんじゃねぇと思うが、俺は何回か見たことがある。春樹の顔は、過去に見た中でダントツの引き方だった。こんなに一気に青褪めたら、貧血を起こすんじゃねぇか?
 とはいえ、この期に及んでも口答えするってのは、こいつにしか出来ねぇだろうな。
「考えるのも、それを俺に進言するのは構わねぇよ。だが、俺に無断で画策したり、俺の命令なしにお前が自分から動く必要はねぇ」
「確かに、そうですが」
「俺の命令だけ聞いてろ、なんて言わねぇよ。そんなことお前たちに言った事もねぇしな」
「…………」
 ようやく黙ったか。さて、どうするかな。
 入口で言い合っていてもしょうがねぇから、無言の春樹を押し退けて冬樹の部屋に向かう。だが、咲弥子が付いてこねぇ。舌打ちしつつ振り向くと、春樹が右手を振り挙げていた。その先にいるのは、立ち尽くした咲弥子。
 冗談じゃねぇ、こいつに張り倒させてたまるか。だが距離があり過ぎる。間に合わねぇと思っていたが、春樹の右手は咲弥子に届く寸前で、手首を掴まれていた。咲弥子が掴んだんなら、そらまた驚きだが、寸前で止めたのは里久だった。
 駐車するのに遅れて来たのが幸いしたな。しかし、こいつが咲弥子を助けるとはね。
 咲弥子は相変わらず立ち尽くしている。勝気なこいつにしちゃ、珍しい光景だな。咲弥子の細腕を掴むと、ようやく俺を見た。小夜の綺麗な顔が無惨なほど引きつっていた。春樹め、鬼の形相で殴り掛かりやがったな。
 腕の中に咲弥子の体を包み込んで、背中を抱きしめてやると、小刻みに体を震わせて俺に抱き付いてきた。いつもこうやって、素直だといいんだがな。
「は、離しなさい。里久」
「藤野咲弥子を殴るのは構わない」
 構え、里久! つか、それなら何で春樹を止めるんだよ?
 疑問はすぐに解けた。
「でも、あんたが殴るのは許さない」
 そういや、こいつも春樹には恨みがあったな。大して力を入れちゃいねぇようだが、春樹は顔を歪めて膝を付いた。
「里久、離してやれ。こいつの細腕じゃ、折れちまうぞ」
「僕は折ってしまいたいです」
「阿呆、暴力は止めとけ。後が面倒臭ぇ。それより、そいつを椅子にでも縛り付けておけよ。俺は冬樹と話がある」
「分かりました、縛り上げておきます。どうぞ行って下さい」
 日本語が間違ってるぞ。まぁいいか。少し手荒に扱われれば、春樹も懲りるだろう。
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