Act.4 これが男のエゴって奴か?...3

 実家に向かう車内で、咲弥子にこれから実家に向かうことを話した。
 予想通り「嫌だ!」とかぬかしているが、ここまで来て引き返すことなんか出来ねぇだろ。高嶺美菜が先日『椿』で話した見合い未遂女であることを明かすと、「それでこの前、あんなこと言ったわけ」と返してきた。
「あんなことって何だ?」
「あたしが事情を知ってるって、春樹に話してたでしょ。あんな言い方したら誤解されるじゃない。勝手にあたしを巻き込まないでよね」
「春樹に誤解されてんのか?」
「誤解っていうか、あんたがあたしに何でも話してるって思われてるよ、絶対」
 あいつは石頭だからな。俺が言っても聞かねぇから、咲弥子が話すと更に信用しねぇだろ。ったく、困った奴だぜ。
「あいつが言うことは想像出来るが、気にすんなよ」
「あの酷薄そうな目で見られなければね」
 酷薄ねぇ。咲弥子の春樹の第一印象は最悪だったろうから無理はねぇな。あいつも、それを隠しもしねぇ。やっぱペナルティを科すべきか?
「それより、さっき香緒里さんのアトリエで、爺さんに会うとか何とか言ってなかった? あれ、どういうことよ?」
「さっき話したろ。高嶺美菜絡みだよ」
「全然分かんないんだけど?」
 だろうな。これで分かっちまったら、逆に怖ぇぜ。
 俺は爺さんの電話からの展開を懇切丁寧に説明してやった。説明の最中に口を挟まれたら面倒なんで、時間稼ぎも兼ねて長ったらしく説明し終えたところで、ちょうど実家に着いた。
 咲弥子は胡乱気な目で俺を睨み付けてやがる。
「あんたなに考えてんのよ。だから、あたしを巻き込まないでって言ってんでしょ!」
「何度も言ってんだろうが、俺は咲弥子以外の女はいらねぇんだよ。それを爺さんに分からせるには、お前を連れて行くのが一番手っ取り早い」
 更に抗議しようとしたのか、咲弥子が口を開いたところで、里久がドアを開けた。いいタイミングだぜ。
「ほら、とっとと降りろ」
「あんたなんかと出会わなきゃよかった」
 俺に聞こえねぇと思ったのか、車を降りながら、とんでもねぇことを呟きやがった。抱いてやると素直になるくせに、ひねくれた女だ。そういう咲弥子に惚れた俺も俺だが。
 降りた目の前が屋敷の扉っつう場所で、咲弥子は首を直角に曲げて見上げていた。大方そびえ立つ屋敷に、大口開けて呆けてんだろ。
「おい、ボケてんなよ。これから爺さんに会うんだからな。小夜の顔で行け」
「小夜の顔って、あんたホステスと結婚するなんて言った訳? その、お祖父さんに」
「ああ、言ったぞ」
「…………」
 唖然と俺を見上げてくるのは、どういう理由だ?
「あんたって……あのさぁ」
「つべこべ言うな。さっさと行くぞ」
「だから待てっての!」
 肩を抱こうとした腕を振り払われた。ったく、なんで素直に従えねぇんだ。
「お前」
「あんたは東海林グループの会長でしょ!?」
 鼻先に人差し指が突き付けられて、さすがに驚いた。俺に対してこんなことをする奴は、咲弥子だけだぞ。つか、姉貴の服着て小夜の顔でこういう格好すると、迫力あるな。これからはいつも小夜の化粧をさせるか。
「だから何だ?」
「自覚があるんならさ、あたしみたいな女と結婚しようとしたら、何が起こるかくらい想像つくでしょ? 少しは考えなさいよ」
「ふん、そんなもんは無視しときゃいい。お前に何かしようとしたら、そいつらには相応の報復をしてやるよ」
 その程度のことは想定済みだ。ったく、変なことに気を回しやがって。俺が何もしない訳ねぇだろうが。
 ところが、咲弥子は俺の話を聞くと、両手を空に向けて肩を竦めた。おまけに溜め息をつきながら、首を振ってやがる。なんだ、その小バカにした態度は!
「あのさぁ、そういうことじゃなくて」
「お前は引っ掛かってのは、そういうことだろうが」
「違うわよ! あんた、自分がどれだけの人間の上に立ってるか、ちゃんと分かってんの!?」
 なんで咲弥子から爺さんみてぇな小言を聞かなきゃいけねぇんだよ。これは、爺さんに会う前に、きっちり話を付けなきゃいけねぇな。
「お前に言われるまでもねぇ。なんだ、いきなり」
「あたしが言ってんのは、あたしなんかがあんたに関わって、東海林グループの評判が落ちたり、株価が下がったりするのが嫌だってことよ。あんたの下で、たくさんの人が働いてんでしょ? それこそ何十万人と。そんな人たちが、全部とは言わないけど、遠回りでも影響を受けたりするのが嫌なの!」
 一息に言ったからか、咲弥子は頬を紅潮させて俺から顔を逸らした。腕を組んで顔をしかめてんのは、言ったことを後悔しているらしい。
 だが、驚いたな。今まで付き合ってきた女たちからは、一言も聞いたことねぇ言葉だぜ。やっぱりこいつは他の女と違うな。
「分かったでしょ? あたしはあんたと結婚なんか考えてないんだから、あんたのお祖父さんに会っても無駄よ」
 それでどうしてそういう結論に辿り着くのか、不思議だがな。
「いいや、分からねぇな」
「はあ!? あんた、あたしの話、聞いてなかったの?」
「お前に心配されるほど、東海林は脆くねぇよ。つか、そんなことで足元をすくわれる俺だと思ってんのか?」
「…………」
 そこでなんで絶句するのか分からねぇな。その後、横を向いて負け惜しみのようにか細い声で吐き捨てたセリフには、俺も呆れたが。
「この俺様御曹司め。何様よ」
 阿呆、バッチリ聞こえてるぞ。ここで隆広様だ、なんつったらドン引きだよな。俺だって御免だぜ。
「まぁ、そこまでお前に心配されるのは、悪い気はしねぇぜ」
「その取って付けたようなセリフが、ムカつくのよ。あたしは、本気で言ってんだからね!」
 ふん、俺相手にそういうことを本気で言う人間は、爺さんくらいだぜ。こいつ、やっぱり面白ぇ女だな。

 

 車を停めてくると言う里久を、そんなに時間は掛からねぇと言ってその場に残し、俺は玄関のノックを叩いた。
 すぐに扉が開いたことに、咲弥子は目を丸くしていた。真嶋翁は俺が女連れであることに驚いたようだが、余計なことは言わずに爺さんの元へ案内した。天気の良い昼間はテラスに出ていることが多いと聞いていたが、今日は珍しく書斎にいた。和装で書斎ってのも、爺さんの歳になると合うもんだな。
 呼び出しから2時間近く経っていたが、予想通り爺さんは大して機嫌を悪くしちゃいなかった。それどころか先日以上に、春爛漫なオーラがダダ漏れになっていた。こりゃ、高嶺会長の話を本気にしちまっているな。ったく、傍迷惑なお嬢様だぜ。
 孫の俺から見ても恥ずかしいくらい浮かれていた爺さんは、俺の後ろにいる咲弥子を見ると、ボケた面を晒した。小夜の顔はとっくに知っていただろうが、写真と実物じゃインパクトは雲泥の差だよな。
 写真でも十分に美女なんだが、実際に目にすると言葉も出ねぇ程の美しさだ。はっきり言って高嶺美菜より美人だぜ。
 真嶋翁が控え目に声を掛けたことで、爺さんはようやく正気付いた。そういや、真嶋翁は咲弥子を見ても反応がなかったな。……いや、息を呑んだ瞬間はあったか。
 さっきまで文句を垂れていた咲弥子は、ここまで来ると気持ちは切り換えたらしい。しっかりと『椿』で見せる『小夜』の顔になって微笑んでいた。普通の女じゃ、こうはいかねぇ。
「仕事を中断してきましたので、話は手短に願いますよ、爺様」
「う、うむ。しかし、随分と時間が掛かったのではないか?」
「この後の予定をキャンセルして来ましたので。爺様からの至急の呼び出しですから、何事にも優先させますよ」
「うむ、その心掛けは結構だ。話というのはだな」
 そこで爺さんは口を噤んじまった。さっさと言えばいいのに、俺に探るような視線を向けている。もしかして真砂子さんの一件で、試されてんのか?
 だが、ここで俺から言っちまったら、さすがにヤバイだろ。セキュリティーにハッキングなんて発想はなくても、実家にスパイを送り込んでいると思われたら厄介だ。つか、そんな事実はねぇしそんな必要もねぇ。
「なんですか? 爺様」
「うむ、いや。そうだな、知っとるはずはないか」
 うつむいて、ボソボソと独り言を呟く。それから顔を上げると、咲弥子と俺を交互に見て言った。
「そこのお嬢さん、藤野咲弥子さんかな」
「は、はい?」
 名前を呼ばれたくらいで驚くなよ。調べりゃ分かることなんだから。それにしても「お嬢さん」と呼ぶとは、ちょっと驚きだぜ。小夜の顔効果が早速出たか。
「少し席を外してくれんかね。真嶋、頼む」
「承知致しました」
 勝手に真嶋翁に頼むなよ。咲弥子はどうするべきか、困惑したような目で俺を見る。勝手に咲弥子を外させてたまるか。
「その必要はありませんよ、爺様」
「しかしな、隆広」
「どのようなお話をされても問題はありません。必要なら、俺が判断します」
 咲弥子の肩を抱いて引き寄せ、それをこれ見よがしに爺さんに見せ付けた。爺さんは渋い顔で溜め息をつく。真嶋翁には一人で下がらせ、俺にはうんざりした視線をくれた。
「全くお前は、融通の利かん奴だ。そこの女性は『椿』のホステスだな。お前が結婚したいと言っていた」
「ええ、そうですよ。よく名前をご存知でしたね」
「ふん、馬鹿にするな。引退はしたが、わしの情報網はお前のそれにも引けを取らん」
 自慢したい気持ちは分かるが、歳を考えろよ。人脈の広さで言ったら、爺さんの方が遥かに上なんだから。それでも、冬樹のハッキングには勝てねぇが。
「そうですね、爺様と比べれば俺はまだ若輩者ですから。でも咲弥子はもう『椿』のホステスじゃありませんよ。今は俺の秘書です」
「秘書になってまだ二日ではないか。既成事実を作るのは結構だが、もっと地ならしを済ませてから連れてくるべきだったな」
 あの高嶺美菜がバカな真似しなけりゃ、そうするつもりだったさ。だが、咲弥子が秘書を始めて二日って、よく知ってるな。オフィスにいりゃ、爺さんの耳に入るのは防ぎようがねぇか。
 それより、なんでさっさと本題に入らねぇんだ? しょうがねぇ、こっちから振ってやるか。
「ところで、仕事中の俺を呼び付けた理由を、早く話して下さいますか?」
「分かっておる。だがその前に、わしはお前に聞きたいことがある」
「へぇ、いったい何です?」
「お前、高嶺美菜さんと既に付き合っておったのか?」
 スゲェな爺さん、こんな直球で訊いて来るとは思わなかったぜ。なるほど、咲弥子を外させようとしたのは、爺さんなりに咲弥子に気を遣ったのか。
 気を遣われた咲弥子がどういう表情でいるのか、俺の位置からは見えなかった。だが、先に事情を説明しておいて良かったぜ。爺さんの前で、まさかこういう展開になるとは、予想していなかったからな。
「そんな訳ないでしょう。どうしてそういう話が出てくるんですか?」
「今朝、高嶺建設の会長から連絡があった。孫娘の美菜さん、お前と見合いするはずだったお嬢さんが、お前の子供を身ごもっていると告げたそうだ。全く、そういう仲なら何故最初から言わん。それに、わざわざ見合いを断る必要もなかろう」
 どうしてこんな、俺より40年は長生きしているいい歳をしたジジイ共が、孫娘とか若い女の言うことを鵜呑みにするのかね。
「俺がその身ごもった子供の父親のはずがないでしょう。高嶺美菜さんとお会いしたのは、3日前が最初ですよ。多香子にエスコートさせられて、モデルのパーティーに行った時です。彼女のマンションに送りはしましたが、それだけですよ」
「本当か?」
「疑われる方が心外ですね。第一、俺は付き合う時は一人の女性とだけです。それは爺様も知っているでしょう」
「だが、以前に付き合っていた女性と別れてから、一ヶ月の空白期間があるだろう。その間ということも考えられる」
 ちっ、そういうのを屁理屈って言うんだろうが。こうやって、事実でないことも真実のように語られていくんだな。高嶺美菜が本当のことを言ってりゃ、こんな面倒臭ぇことにはならなかったのに。
「言っておきますが爺様、高嶺美奈は男遊びをしていて妊娠したんですよ。そして俺をその子供の父親にするために、見合いの相手に選んだんです。まぁ、産む気はないようですがね。俺と婚約した後、中絶する予定だったそうですから」
 それこそ真実ってやつを言ってやったのに、爺さんは眉をしかめて唖然と俺を見ている。この目は信じてねぇな。
「慎ましやかで清楚なお嬢さんだと聞いているぞ。そんな美菜さんを侮辱するとは、何事だ!」
「これが真実ですからね。俺も彼女についてそういう噂は聞いていましたが、実態は真逆だったってことですよ。納得出来ないというのなら、その腹の中の子供とDNA鑑定をしましょうか。そんなことにでもなったら、恥をかくのは高嶺美菜さんですが」
 爺さんは口を真一文字に引き結んで、怒り心頭って様子だったが、俺がDNA鑑定を持ち出したことで、少しは落ち着きを取り戻したらしい。俺に恨めしそうな視線をくれる。
「お前は、そこまで言うか」
「爺様は高嶺美菜と俺と、どちらを信用するんですか? 会ったこともない彼女の言うことを信じるというなら、俺にも考えがありますよ」
「なにをする気だ?」
「俺は3日前高嶺美菜に会った時に、彼女に言ったんですよ、高嶺会長に真実を話すようにね。その結果がこれです。彼女が自分で言えないなら、俺が高嶺会長にお話しますよ」
 冗談でもシャレでもない。俺が本気だと分かったのか、爺さんは慌てた様子で椅子から立ち上がった。
「それはやってはいかん。話ならわしがする」
「ですが、爺様は俺の話を本気で信じてはいないでしょう」
「…………」
 ここで押し黙らないでほしかったぜ。信じてねぇって言ってるようなもんじゃねぇか。
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