Act.4 これが男のエゴって奴か?...2

 里久の運転で、隣に咲弥子を乗せてビルを出た。咲弥子には、どこへ行くのかは教えていない。どうせ拒否するに決まってるからな。
「これを返しておくぜ」
「なによ? あっ!」
 預ったスマートフォンをスーツの内ポケットから出すと、咲弥子は驚いた顔をしている。なんだ、忘れてたのか? あんだけ目ぇひん剥いて抗議してたくせに。
「冬樹に調べさせたが、チップに細工はされてなかったから、普通に使っていいぜ」
「ホントにそんな細工なんて、出来るもんなの?」
 咲弥子の口調がいつものに戻った。オフィスから出れば関係ねぇってことか。ようやく咲弥子と話してる気分になれるぜ。
 不審気な表情を隠しもしねぇで、咲弥子は俺からスマフォを受け取ると、そのままバッグに入れた。普通は起動させて自分の物か確かめるだろうが、それをしないのは俺を信用してるってことか。
「冬樹の話じゃ、出来ないこともねぇが相当の知識と技術がねぇと無理らしいな。まぁ、念のためだ」
「あっ、それじゃ、あたしもこれ返す」
 そう言って取り出したのは、俺の携帯だ。そういや、こいつに貸してたんだよな。
「中身は見てないから。っていうか、触ってもいないし」
「ああ、らしいな。電源も入らねぇ」
「え!? あっ、ごめん」
 咄嗟に出たらしい謝罪の言葉には、俺も面食らったぜ。この3日の間に随分丸くなったな。
「お前が謝るこたねぇだろ。仕事用のがあるから困ることはねぇし、帰ってから充電すりゃいい。それより問題だったのは、あの盗聴器だな」
 咲弥子のお気に入りだとか言う、ホワイトライオンのぬいぐるみから出てきた盗聴器は、冬樹が売ってる店まで突き止めた。指紋もいくつか出たようだが、比較対照がないから特定することは出来ねぇとかぬかすんで、警察庁のネットワークに入って調べろと言ってある。
 時間が掛かると零していたが、念のためだ。指紋は前科がねぇと記録もされねぇ。『椿』の関係者に前科者がいるか分からねぇし、そういう奴を雇うとも思えねぇ。この線は多分もうないだろうな。それらを隠すことなく伝えると、溜め息をついて俺から視線を逸らした。
「ママのことは、もう言わないでよ。これ以上なにも知りたくないから」
 そういう咲弥子の気持ちは分からないでもねぇが、これだけは伝えなきゃいけねぇだろ。
「なら一つだけ言っておくぞ。お前のアパートは『椿』の黒服たちが見張ってる。あそこには帰れねぇから、覚えておけ」
「…………」
 回りくどく言っても逆に傷付けるだけだろう。単刀直入に言ってやると、息を呑んで俺を見た。その表情から泣くかと思ったが、咲弥子は「そう」と言っただけでまた俺から顔を逸らしちまった。
 いや、今のは泣くのを堪えていたんだな。こいつを抱きしめてやりたいと思ったが、そうすると絶対に泣いちまう。これから爺さんと会うのに、涙目はまずいだろう。咲弥子はすぐに瞼が腫れる。
「ママは、なんであたしをそんなに、専属ホステスにしたかったのかな」
 か細い声だ。俺に問い掛けているというよりは、ただの呟きだな。口を挟まずに黙って聞いてやろうと思っていたが、予想に反して咲弥子の呟きはそれで終わった。
「それで、どこに行くの? っていうか、あたしが付いて行っていいわけ?」
「お前が必要だから、連れて行くんだ。その前に、小夜になってもらうがな」
 咲弥子が怪訝な顔で俺を見てきたところで、タイミングよく最初の目的地に着いた。
 普段なら店の前に車を停めるのに、里久はビルの地下に入っていく。理由を訊くと、「誰が見ているか分かりませんから」だと。
「春樹か?」
「いえ、洋行から言われました。あと伝言です。藤野さんと一緒にいても他意はないのでご心配無用、とのことです」
「…………」
「なにそれ?」
「なんでもねぇよ、行くぞ」
 里久の野郎、咲弥子の前で要らんこと言うな。
 咲弥子を連れて上に上がる。地下から行くのは初めてだな。いつもは表玄関からエレベーターに乗る。
「何なの? ここ」
「ついて来りゃ分かるさ」
「そりゃ分かるだろうけどさ」
 俺の横でぶつくさ言ってやがる。それは無視してサロンがある2階へ向かった。1階は一般客用の店舗になっている。
 エレベーターを降りると目の前がカウンターだ。俺が来たことで緊張してるのか、強張った顔で頭を下げる受付嬢の前を通り過ぎたところで、いきなり腕を引っ張られた。
「ちょっとちょっと!」
「なんだ、いきなり」
「ここ、ここっ」
 咲弥子がカウンターにあるロゴを指差して、金魚みてぇに口をパクパクさせてやがる。それから一旦唾を飲み込んで、意外なことを口にした。
「KAORIってまさか、ミラノコレクションにも出たことある女性デザイナー、東海林香緒里のブティック!?」
「なんだ、知ってんのか」
「当たり前でしょ、日本女性の憧れよ! 美人だし、世界で認められてる人なんだから。なんであんたがこんなトコに用があるのよ!?」
 咲弥子が姉貴を知っているとは、意外だな。こいつが普段着ているのは、姉貴が作る服とは無縁だろ。ホステス向きのドレスとも違う。
「用があるのはお前だ」
「あたしがなんでっ」
「隆広」
 前方から姉貴の声が聞こえて、俺は溜め息をついた。自動ドアをくぐってサロンに入るはずが、こんなところでご対面かよ。
「珍しいわね、女性連れで来るなんて」
「騒がせちまって悪かったな。こいつがうるせぇから」
 いつもならここで文句が出るはずなのに、何故か大人しい。咲弥子を見ると、顔の前で両手を組み合わせて「本物だぁ」と呟いている。面白くねぇな。
「女性にこいつなんて言ったら、失礼よ。とにかく入りなさい」
 俺らを先導する姉貴を見て驚いたぜ。首と腰までガラ空きの背中だ。ラメの入った藍色の生地は、姉貴の白い肌とのコントラストで浮き立つな。自分のサロンでこんなドレスを着ているのは初めて見た。
「誰か来るのか?」
「いいえ、もう帰った後よ。野添さんから連絡があったから、早々に切り上げたの。感謝してね」
 洋行の奴、いちいちやることが完璧だぜ。それにしても、俺が感謝するような奴ね。要するに、咲弥子を見られたらマズイ相手か。確かに今の段階じゃ、誰に見られてもマズイだろうが。姉貴に先回りされるってのは、シャクに障るぜ。
 俺たちが通されたのは、姉貴のアトリエだった。俺のオフィス、会長室と秘書室をブチ抜いたくらいの広さがある。一昨日、新作発表のパーティーをしたばっかで、もう別のデザインを始めているのか。
 咲弥子はしきりに部屋中を見回している。目をキラキラさせやがって、女って本当に瞳が輝くんだよな。こんな女子っぽい一面があるとは、意外だったぜ。
 打ち合わせ用の丸いテーブルを指差して言う。ミラノで買ってきたと自慢していた。
「適当に座って」
「もしかしてここって、香緒里さんのアトリエですか?」
 さんだと!? 俺だって初めから「あんた」とか「こいつ」とか呼び捨てだったぞ。この差は一体なんだ! いや、落ち着け。
 姉貴のチーフアシスタントが、コーヒーを淹れて来た。姉貴の好みで、かなりいい豆を使っている。香りも俺好みで、春樹がいない移動中に立ち寄ることもある。
「ええ、そうよ。隆広は喫茶店代わりに使っているけど」
「香緒里さんのアトリエを喫茶店代わりに使うなんて、信じらんない。天下の東海林グループ会長のくせに、さもしいことしないでよ」
「俺はここの出資者だぜ。好きに使って構わねぇだろ」
 俺専用のマグカップまであるんだ。高級な陶器を使わねぇのは、製作に夢中になってカップを落とすことがあるらしい。その度に揃えるのも面倒なんだと。
「え、出資者……」
「だからって、コーヒーを飲みにだけ来るなんて。そう言うなら、せめて売上げや顧客リストの確認でもしていったら?」
「面倒臭ぇ。普段の仕事がそれだぜ。それに姉貴のやることに口は出さねぇよ」
「あ、姉貴!?」
 素っ頓狂な声が咲弥子の口から飛び出した。見ると、顎が外れるくらい大口開けて、俺と姉貴を見比べている。
「お前さっき、東海林香緒里って言ったじゃねぇか」
「言ったけど、まさかあんたと同じ東海林だなんて、思わないわよ!」
 俺に向かって指差して怒鳴る。相変わらず失礼なことをするな。姉貴に向ける目は、180度違うってのに。
「あの、さっき出資者っておっしゃっていましたけど、もしかして最初にブティックを立ち上げた時からのですか?」
「ええそうよ、よく知ってるわね」
「だって香緒里さんのファンですから! 2年前に本を出版されたでしょ? あたしのバイブルです」
「まぁ、嬉しいわ、ありがとう。KAORIは隆広の100%出資なの。売り出し始めてから、色んな人が手を挙げてくれたけど、私は隆広以外から出資を受ける気はないの。まだ駆け出しで、売れるかどうかも分からない状態だったのに、お金を出してくれたのは隆広一人だったのよ」
 咲弥子が姉貴のファンだなんて初耳だぞ。冬樹はそんなこと言ってなかった。
「お前が姉貴のファンってどういうことだ、咲弥子」
「言ったまんまよ。あんたが知らなくて当然じゃない。あたし誰にも話してないもん」
 そういう意味じゃねぇが、冬樹に過去を調べさせたなんて言ったら、やっと少し丸くなったのが前以上に頑なになっちまう。くそっ。
「隆広が女性に言い負かさせるなんて、珍しいわね」
 姉貴の視線が顔に突き刺さるのを感じたが、無言でそっぽを向いてコーヒーを飲んだら、察してくれたらしい。
「それで、今日はどういう用件? まさか女性連れでコーヒーを飲みに来た訳じゃないでしょ?」
「洋行は言ってなかったのかよ」
「聞いたのは、あなたが来るっていうことだけよ。もしかして、彼女に服をプレゼントしたいの?」
「えっ!? もういらないわよ!」
 咲弥子、もうってなんだよ。小夜用のドレスは数に入らねぇだろ。
「そういうんじゃねぇよ。これから爺さんとこに行くから、服を一式フルコーディネイトで揃えてくれ」
「それなら、お安い御用よ。私はこの娘、気に入ったわ」」
「え、本当ですか?」
「ええ。隆広と対等に話す女の子なんて、初めて見たもの。それに私のファンだなんて、嬉しいじゃない。メイクアップアーティストもいるわよ、メイクもする?」
「いや、それは小夜に任せる」
「あら、小夜って……」
 姉貴が目を丸くして、咲弥子を見た。ちっ、姉貴んとこにも噂は流れたのかよ。どうせいずれ分かっちまうが。
 咲弥子は胡散臭そうな視線を俺にくれている。ふん、意味が分かったか。
「あんた何考えてんの?」
「お前が小夜の顔で姉貴の服を着りゃ、爺さんを納得させられるだけの材料が揃うんだよ」
「えっ、お爺さん?」
「詳しいことは、後で説明する。姉貴、頼む」
「任せて頂戴。こういうの大好きよ。さぁ咲弥子さん、奥に行きましょうか」
 憧れの対象から誘われるってのは、相当の威力があるんだな。あんなに納得し難そうだった咲弥子が、素直に姉貴に付いて行く。
 その後ろ姿を眺めて、溜め息が漏れた。
 立原真奈美の真実を見せたその日の夜、俺のマンションに連れてけって言われた時は、俺の女になる気になったのかと思ったが。春樹には結婚する気はないって言ってるらしい。洋行は、「庶民の女性が上流階級に嫁ぐのは、相当の覚悟が要りますよ」と言っている。
 そりゃ分からなくはねぇが、『椿』のホステスとして政財界のお偉方と付き合ってきたんだ。その辺の庶民の女とは違うと思うぜ。
 あいつを結婚する気にさせるには、どうすればいいんだ?
 温んだコーヒーを飲み干していると、姉貴が奥から出てきた。
「咲弥子さんはスタイルいいわね。一点物のツーピースを着せてみたら、直しの必要はなかったわ。モデルでもないのに珍しいわよ」
「ふん、俺が贈ったドレスも着こなすからな」
「あら、随分ご執心なのね」
「からかうなよ。もう分かってんだろ」
 姉貴は深い笑みを浮かべて、新しいコーヒーを持ってくるよう内線でアシスタントに命じた。
「小夜って言ってたわね。彼女、あなたが指名したっていう『椿』のホステス?」
「ああ。今は違うがな」
「あら、じゃあの噂は本当なのね」
「噂?」
 なんのことだ? 冬樹から報告は来てねぇぞ。
 姉貴は、新しく来たコーヒーをゆっくりと一口飲んで、おもむろに口を開いた。殊更そうしたのは、俺をイラ付かせるためだろう。そんな誘いに乗るか。辛抱強く待っていると、姉貴は溜め息をついて口を開いた。
「その噂はね、東海林家の王子様にお姫様抱っこされて『椿』を退場したっていうものよ」
「ああ、それは事実だぜ。王子様って歳でもねぇがな」
「あら、事実だなんて、ちょっと驚いたわ。本気なのね、彼女のこと」
「当然だろ」
「あなたが本気になった女の子が、あんなに元気な娘だなんてね。お爺様が知ったら卒倒するかもよ?」
 元気な娘ね。言い換えればそうか。だが、小夜の顔で行けば爺さんは納得せざるを得ないだろう。高嶺美菜以上の美貌の小夜を見れば。
 そう言ってやると、姉貴は怪訝な顔をした。小夜の顔までは知らねぇのか。こりゃ、咲弥子が出て来た時が見物だぜ。
 それから10分程で、咲弥子が戻ってきた。俺の言った通り、小夜のメイクをしているな。陶器のような肌にグラデーションの効いたアイメイク。髪も小夜の時と同じアップにしてる。
 着ている服は、確かに姉貴が作った一点物だ。作った本人はスーツだと言ってるが、俺から見たらドレスだぜ。上着がボレロにしか見えねぇ。淡いピンク色の生地で、スカートはスリットの入ったフレア。それが下に向かって濃い色に変わっていく。咲弥子に似合っているぜ。
 紅く濡れた唇に、思い切りむしゃぶりつきたくなった。姉貴のアトリエじゃなかったら、押し倒してるかもな。そんな衝動が俺の中で駆け巡った。
 どうしたよ、俺。そんなに咲弥子に惚れてんのか。やっぱり調子狂っちまうな。
 姉貴は、変身した咲弥子を見て唖然とし、ようやく出せた声は意味のあるもんじゃなかった。
「あら、まぁ」
「言ったろ」
「なにが言ったろ、よ? これでいいの?」
「ああ、完璧だぜ」
 俺の言葉に納得してねぇのか、咲弥子は自分の姿を下から眺め上げて、姉貴を見た。
「あの、香緒里さん。本当にこの服着させて頂いていいのでしょうか?」
「あ、え、ええ。勿論よ。なんだか咲弥子さんに着せるために、作ったように見えるわね」
「そ、それは……身に余る光栄です」
 面白くねぇな。なんで姉貴には、こうも無防備に「身に余る光栄」なんて言葉がスルッと出てくるんだか。俺なんてどれくらい、それに充当することをしてやったよ?
 まぁいいか。こいつに真顔でそんな言葉を吐かれたら、悪いもんでも食ったのかと思っちまう。その口調に慣れちまった俺も俺だが。
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