Act.4 これが男のエゴって奴か?...6

「んなことより冬樹、とっとと高嶺の不正経理の実態を見せやがれ」
「へいへい」
 気のない声で返しながら、冬樹がキーボードを叩く。ったく、余計なことを言うんじゃねぇよ。また咲弥子が煩くなるじゃねぇか。
 だが意外にも大人しい。隣にいる咲弥子を見ると、やけに真剣な顔付きで考え込んでいるようだ。まぁ、冬樹の言うように逃がすつもりはねぇから、このまま大人しく俺の傍にいてくれるならそれでいいが。
 正面のモニターを2分割して、見た目は同じ帳簿表が2つ映し出された。
「同じ画面に出したっすけど、元はそれぞれ全く別の階層に保存されていたっすから。しかも右側のは、指紋認識のゲートをくぐらないと入れない場所にあったっすよ」
「どうやって入った?」
「意外と簡単だったっすよ。登録してある指紋が同じ階層にあったんで、高嶺会長のをちょっと拝借したんす」
 それでよくセキュリティに引っ掛からねぇもんだな。これでバレるようなら、そもそも冬樹を使っちゃいねぇが。
「つか、同じファイルに登録した指紋を保存しておくなんて、俺からしたら穴だらけっすよ。で、左のが公式に発表している業績表っす」
「んなの見りゃ分かる」
「え!?」
 隣から咲弥子の素っ頓狂な声が上がった。耳が痛ぇぞ。
「なんで見れば分かるのよ?」
「総合利益の額が丸っきり違う。不正経理していたってことは通常、本来の利益より水増ししていたってことだろ。自ずと額の低い方が本物ってことだ」
「……むっ、確かに」
 今更気付くなよ……っつっても、こんなもん見慣れてなけりゃ分からねぇか。
 身を乗り出して画面を見る咲弥子は放っとく。今の内によく覚えておいてもらわねぇとな。
「で、いつからだって?」
 冬樹がキーボードを叩いて、正面の横にある小さいモニターに映し出されたのは、過去25年の高嶺建設の帳簿だった。冬樹の操作で、ざっと25年分を流し見していく。
「お前、よくここまで遡ったな」
「不正が行われていない年まで遡ったんす。俺も驚いたっすよ。こんなに長くやってるとは思っていなかったっす」
「25年前か、高嶺建設が大手に名乗りを挙げた頃だな」
「よく知ってるっすね?」
 真顔で訊くなよ。そんなに驚くことか?
「俺が知ってちゃ悪いか?」
「そういうことじゃないっすよ。25年前っつったら、隆広様はまだ5歳じゃないっすか!」
「ええ!?」
 ……なんでそこで咲弥子まで、仰天したような顔になるんだよ?
「5歳ぃ!? あんたでもそんな歳の時があったんだ!」
「なんだその驚き方は。俺だってガキの頃はあった! つか、子供時代を経験してねぇ人間なんていねぇだろ」
「それはそうだけど。なんか、生意気で憎たらしそう」
 いかにも憎々しげな顔で言いやがって。まぁ、あの頃は確かに生意気なガキだったが。その頃から東海林グループはトップ企業だったし、望んで手に入らなかったものはなかったからな。
「ふん、言ってろ。しかしこうなると、高嶺建設が業界大手に躍り出られたのは、この不正経理のお陰ってことになるな」
「そうっすね、かなり根深い粉飾決算っすよ。つか、ここ近年は完全に黒字なのにやってるっすからね。この業績なら、必要ないっすよ?」
「そりゃこの不正の歴史を見ていきゃ、自ずと分かるだろ」
「そうっすかね?」
 ざっと見ただけだから何とも言えねぇが、ここ数年は額がかなり縮小されている。最も粉飾決算の多かった時期は15年前、一気に最大手に登りつめた頃だ。
「冬樹、25年前の帳簿を見せろ」
「ういっす」
 冬樹の指がデスクの上を滑り、正面のモニターに不正経理の始まった25年前の表がスライドされてきた。本来の帳簿と照らし合わせさせて、その差額を計算する。
「ふん、この頃は単純に赤字分を、穴埋めするための不正に留まっているな」
「あら、ホント。えっと、つまり赤字を出したくなくて、魔が差してやっちゃったってこと?」
「まぁ好意的に見れば、そういう見方も出来るだろうが。25年前か……冬樹、これより前の帳簿はねぇのか?」
「あったっすよ。見るっすか?」
 別に詳細を見る必要はねぇ。ほしい情報は、赤字がどれだけあったかだ。
「ああ、それならざっと見たっす。3〜4年は赤字が続いていたっすよ」
「じゃあ、やっぱり潰れるのを回避するための不正ってこと?」
「それ以外考えられねぇだろ」
「でもさぁ、建設会社でしょ? 公共事業とかで、わんさか仕事があるように思えるんだけど」
 それが一般人の考えだろうな。冬樹を見ると、俺の思考を読み取ったらしい。
「ところが、公共事業に入札出来る企業ってのは、ある程度決まってるんすよ。今は大分変わってるっすけど、この頃はそれこそ大手が持ち回りでやってたんす」
「うわ、それって弱小企業はお呼びじゃないってこと? お役所って無慈悲だね」
「まぁ、信用イコール会社の規模ってことで言えば、しょうがないんじゃないっすか? 昔は特に」
「そういうもの? ところで、こいつは何でさっきから黙り込んでいるのよ?」
 咲弥子が俺を指差して言う。毎度のことだが、無礼だぞ。咲弥子だから許してるが。
 俺は今考え中、余計なことに思考を奪われたくねぇから、冬樹で答えられることは任せることにした。
「でもさぁ、こういうことを国税局が見逃すと思う?」
「かなり巧妙に帳簿を細工してるっすからね。俺らは二重帳簿を見付けたっすからこうして分かったっすけど、公開されてるものだけじゃ多分不正は見抜けないっすよ」
「なんか、真面目に働くのがバカバカしくなってくるね、こういうの見ちゃうと」
「多分、高嶺建設の社員はこれのこと知らないっすよ。指紋認証に登録されていたのは、会長と社長、それに会計監査の3人分でしたから」
「うわぁ、それって社員に対する背任じゃない」
「だから、これが世に出たら」
「とんでもないことになるんじゃないの?」
「っすね」
「で、こいつはいつまで考え込んでいるわけ? 木偶の坊ってこういうのを言ったりして」
「うるせぇ、誰が木偶の坊だ!」
「聞こえてるなんて反則!」
 ふん、考え事をしていても、耳は通じてる。冬樹、笑ってんじゃねぇよ。
「一応訊いておくが、これは繋ぎっ放しじゃねぇな?」
「この二重帳簿と登録されていた指紋を全部こっちに落として、すぐにトンズラしたっすよ。高嶺のサーバーには、侵入もダウンロードも痕跡は残してねぇっす。抜かりはねぇっすよ」
 まぁ、こいつがそんなボケをかますことはしねぇわな。冬樹にこの二重帳簿のプリントアウトを命じて、俺は秘書室に戻った。咲弥子に冬樹を手伝うように言うと、何故か喜んでいた。そのあからさまな様が気に入らねぇな。だが、洋行と一緒にするよりは、俺の心はまだ穏やかだ。
 秘書室に戻ると、春樹は自分の椅子に文字通り縛り上げられていた。つかこの格好、かなり腕が痛いだろ。背中で捻り上げられて、顔が青褪めてるぜ。
「里久、俺は縛り付けとけっつったぞ。普通に縛ってやれ」
「隆広様……私には、このような屈辱を受ける謂れはありません」
 声も弱々しいな。里久に視線を向けると、渋々な様子で春樹を縛っている縄を解いた。
「そのまま、普通に縛ってやれよ」
「はい」
「なっ!? 里久、止めなさい! 隆広様!」
 里久、そんな嬉々として縛るほど、春樹に対する恨みが溜まってたのか。春樹は春樹で、さっきといい、懲りるってことを知らねぇ奴だな。
「春樹」
「なんですか?」
「お前の親父、爺さんの秘書だってな」
「…………」
 黙りこくって視線を逸らす。顔色を変えねぇところを見ると、いつバレても構わなかったってことか。
 逆に里久の方が、驚愕で目を見開いた直後、怖ろしい形相で春樹を睨み下ろす。顔が綺麗な分、こういう鬼のような形相ってのが妙に絵になるっつうか、マジで怖いんだよな。直人も似たようなもんだが。
「隆広様、春樹の父親がお祖父様の秘書って、本当ですか?」
 まるで自分は無関係とばかりに自分のデスクにいた洋行も、それは看過出来ねぇのか傍にやってきた。春樹を見つめる目には、はっきりと軽蔑の色が見える。
「嘘言ってもしょうがねぇだろ。冬樹が調べた。春樹を雇ったのは俺のミスだな」
「隆広様のせいでは……。むしろ春樹が黙っていたことに、俺は怒りを感じますね」
「訊かれませんでしたから、話す必要はないと思っていました。隆広様の秘書になったのは、私の意思です」
 春樹と洋行が睨み合う。こいつらがこうして火花を散らすのは珍しいな。
「ここで仕入れた情報を、親父にリークしていたのか?」
 俺の質問は心外だったのか、春樹の表情が更に不本意なものに変わる。
「そんなことはしていません。父がご隠居の秘書をしていても、私とは関係ありません」
「だが、高嶺建設と手を組ませようとはしただろ。親父から厳命されていたのか?」
「……それは、認めます。ですが、父から言われずとも私自身、東海林グループは高嶺建設と手を組むべきだと思っていました」
 きっぱりと、俺の目を見て言い切る。その言葉に嘘はねぇようだな。春樹は口は悪いが有能ではある。仕事振りも真面目ではあったが、こいつの代わりがいねぇって訳じゃねぇ。
「高嶺建設と手を組むことはあり得ねぇ。それは分かるな」
「仕方がありません。まさか不正経理を行っていたとは、知りませんでしたから。それに知られたからには、隆広様はそれを有効に使われるのでしょう」
 ふん、分かってるじゃねぇか。だがその表情、自分もその一端を担う気でいるな。ったく、ホントに懲りねぇ奴だ。
「冬樹が今、証拠をプリントアウトしている。それが終わったら、俺は咲弥子を連れて高嶺会長に会いに行く。洋行、お前はここに残って春樹の仕事を引き継げ」
「隆広様!? それはどういうことです!?」
 やっと血相を変えたな。縛った椅子ごと動こうとして、里久に押さえつけられる。首根っこを掴んだだけで青褪めるって、どんだけ力が強いんだよ。
「爺さんといつ繋がるか分からねぇお前を、俺が使い続けると思うか? 親父ともしばらくは連絡を絶ってもらうぞ。邪魔されたくねぇ」
「なにをされるおつもりです!?」
「お前がさっき言ったじゃねぇか。高嶺の不正経理を有効利用するんだよ。だが、お前はいらねぇ」
「…………」
 ここまではっきり言わねぇと分からねぇのか。こいつの場合死ぬまでこの性格は直りそうにねぇな。
「隆広、プリントアウトが終わったよ。意外とまとまっちゃって、ちょっと拍子抜け」
 悔しげに唇を噛む春樹の視線が、ちょうど秘書室に戻ってきた咲弥子に向かう。ふん、ホステスは信用ならねぇとか言ってたが、あれは父親春彦の刷り込みか。
 爺さんの身辺にも、愛人の座を狙うホステスはかなりの数いた。確かに気に入った女にはパトロンとして付き合っていたようだが、それだけの関係だ。婆ちゃん一筋の爺さんが、金や名声目当てのホステスなんかに靡く訳がねぇだろ。だが佐藤春彦にはそれが分からなかったんだな。爺さんの秘書のくせに、目が節穴だぜ。
 その息子が春樹だから、カエルの子はカエルって奴か。咲弥子への執拗な蔑みも当然だな。
 春樹の視線を受けて、咲弥子の足が止まる。これ以上要らん蔑みを受ける必要はねぇ。俺は春樹と咲弥子の間に入り、立ち尽くしていた咲弥子からそれを受け取った。彼女のホッとする様子が見て取れる。春樹め、絶対にもうここには入れさせん。
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