Act.3 裏切られた想い...3

 痛い足を引きずらないように注意してフロアに出たあたしに、意地悪お姉様方はちょっと驚いた顔をしていた。
 ママが指名が入るまで控え室で休ませてくれた。その間ずっと氷を当てていたから、足首の腫れが少し引いて何とか靴をはくことが出来た。痛みは殆ど変わらなくてちょっと足元がぐらつくから、転ばないように気を付けないと。
 さすがにさっきあれだけ痛めつけたからか、お姉様方も足を引っ掛けるなんてセコイ真似はしてこなくてホッとしたよ。
 ご指名してくれたお客さんは、いつもの社長さんだった。よかった、少しは気が楽だもん。
 社長さんは、あたしが隣りに座る前から唖然と口を開けていた。この前の桜色のドレスの時だって、こんな顔はしてなかった。それだけこのチャイナドレスは目立つってことだよね。全くもう、あの俺様御曹司め!
「こんばんは、社長さん」
「小夜ちゃん、今夜は一段と綺麗だね」
 おお、さすが還暦を越えたオジサマだ。目立つドレス姿も、言葉を変えればそういうことか。言うことが大人だよ。あいつに見習わせたいわ!
「ありがとうございます」
「あの東海林隆広が小夜のバックについたという噂は、本当らしいね」
 まさか、いきなりそういう話題になるとは思わなかったよ。どう返したらいいか、咄嗟に迷って曖昧に笑うしか出来なかった。
 社長さんに水割りを作って差し上げることで、なんとか誤魔化した。
「小夜ちゃんはそういうプレゼントは、受け取らないと思っていたよ」
 いや、受け取らさせられたんです。反論したいけど、それによってこの会話の展開やら、この社長さんのあたしや隆広の見方が変わるとしたら、簡単に受け答え出来なかった。
 といって、黙っている訳にもいかないんだけど、どうやって話を逸らしたらいいのか。
 くそぉ、こんなプレゼント、欲しくてもらった訳じゃないわい! 心の中であいつを罵倒するしか方法がない。しかも、足が更に痛くなってきたよ、どうしよう。
 あたしが黙っちゃったのを怪訝に思ったのか、社長さんが顔を覗き込んできた。
「小夜ちゃん?」
「あ、すみません。ちょっと考え事をしてしまって」
 ニッコリ笑って社長さんにお詫びした。社長さんがこの笑顔に騙されてくれたとは思わないけど、何も言わずに話題を変えてくれた。やっぱり対応が大人だ。
 あたしは生まれた時から父親の顔を知らないから、お父さんがいたらこんな感じかなぁと思うことはある。別に、お客さんの中にお父さんがいたらいい、なんて思ったことはないけどさ。逆にちょっと複雑な気分になるしね。
 それからはいつもの話題になって、ホッとしつつ楽しく過ごせた。ホステスが楽しく過ごしちゃいけないのかもしれないけど、あたしのお客さんてみんな変に言い寄ってきたりしないんだよね。
 お姉様方はお客さんからしつこくアフターに誘われたり、足や腕を触られているから、あたしに対する嫌がらせって隆広に気に入られたってことだけじゃないのかも。
 なんかもう、今まで目に付かなかった色んなことが見えるようになっちゃって、ここで働くのが嫌になっちゃうじゃない! やっぱり隆広がここに来たのが、そもそもの原因じゃないか。あいつめ、やっぱり疫病神だ!
 それに、さっき吉永里久が後から隆広が来るなんて言ってたけど、全然来ないじゃん! 10時を回って社長さんも帰っちゃったし。まぁ、お陰で控え室で少し休ませてもらえてるけど。
 お姉様方はみんなフロアに出払ってるから、一人なのがホッとする。右足首には氷を入れたビニール袋を巻いている。社長さんのお相手をしている間に、かなり痛んできたから、この冷たさが気持ちいいよ。
 明日は病院に行かないと。これじゃあ履歴書を出しにも行けないよ。鏡の前で頬杖ついて溜め息をついていたら、ママが顔を出した。珍しいな、普段はフロアに出っ放しだし、休む時はママ専用の控え室があるのに。
「小夜ちゃん、ちょっといいかしら?」
「あ、はい」
 ママがあたしの隣の椅子に座った。今日は百合をあしらったオーガンジーの漆黒のドレス姿。黒百合ってのも、ママに似合ってカッコイイよね。銀座の高級クラブのママは、大抵着物を着るからウチのママはちょっと珍しい人みたい。アップにした髪には、煌くダイヤモンドのフレンチコーム。熟女の魅力ムンムンで素敵だなぁ。このママがあたしを裏切ってるなんて、思いたくない。やっぱりあれは嘘だよ。
「小夜ちゃん、なかなか就職が決まらないでしょ」
 ドキッとした。いつもの会話でも就職の話は出てくるけど、今日はなんだか雰囲気が違う。
「あ、はい……」
「どうかしら、卒業してもしばらくこの仕事を続けてみない? ホステスをしていてOLになった人も、過去にはいるのよ。もしかしたら小夜ちゃんを気に入って、雇って下さるお客様もいらっしゃるかもしれないわ」
「それは……考えたことがなかった訳じゃないですけど」
「今は不況でしょ。この業界も年々厳しくなっているわ。まして昼間の仕事なんて、派遣にもなれるか分からない状況よ。社員なんて本当に大変。だから、もう少しこの仕事を続けてみるのも、一つの選択だと思うのよ。昔はホステスなんて、『椿』のような高級クラブでも白い目で見られる時代だったけど、今はそんなことはないわ。一つの職業として認められているのだから」
 そんな話をされると何も言えなくなっちゃう。不況なのは分かっているし、正社員が難しいのも分かっているけど、あたしはこのバイトを仕事にしたくはない。自分でも不思議なくらいその想いが強くて、どうしても嫌だ。
「ママ、どうして今日そんな話をするんですか?」
「小夜ちゃんがこうして休んでいるなんて、滅多にないでしょ。だからよ」
「あの……訊きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「もちろんよ、何かしら?」
 笑顔で快諾してくれるママに、こんなことを訊くのは本当は嫌だったけど、やっぱり確かめなきゃいけない。こんなチャンスは、もう巡ってこないかもしれないし。
「ママがあたしの就職を妨害しているって、訊いたんですけど……嘘ですよね?」
「まぁ、私が小夜ちゃんの希望を阻むわけがないじゃない。一体誰から聞いたの? そんな話」
「東海林隆広です」
 間髪入れずに答えたら、一瞬だけママの口元が引きつるのが見えた。それはほんの一瞬で、すぐに戸惑うような微笑みを浮かべた。あたしには普通の反応だと思ったけど、よく判断は出来なかった。
「何故、彼がそんな話をするのかしら? 小夜ちゃんを指名したのは彼よ。それはつまり、東海林グループの会長が『椿』のお客様になったということ。それなのに小夜ちゃんの就職のことを、彼がどうしてそんなに気にするのかしら?」
「分かりません。あたしのことを秘書にしたいと思っているみたいですけど」
「あら、そんなことをしたら、もう小夜ちゃんとはここでお酒が飲めないのよ?」
 気のせいかな、ママの顔がだんだん強張っているように見える。まさか、本当にあたしを専属のホステスにしようと思っていたとか?
 あたしは何故か、気持ちがどんどん落ち着いてきていて、物凄く冷静に今の状況を感じていた。
「彼はお酒は一人で飲むのが好きみたいですよ」
「なら、何故この前ここに来て、あなたを指名したのかしら?」
「さぁ、あたしにもはっきりしたことは教えてくれませんでした」
「…………」
 ママは黙って思案顔でうつむいた。何を考えているんだろう?
 あたしも黙ってママの言葉を待った。すぐに「そんなことあるわけないじゃない」って笑ってくれなかったことで、あいつの言ったことが本当だったんだと分かってしまった。哀しかったけど、不思議と泣きたい気持ちはなかった。ただ、ああやっぱりあたしの想いは裏切られてたんだなぁって、妙に冷静に思ったんだよね。
 しばらく待って、ママが顔を上げた。溜め息をついて、あたしをじっと見つめてくる。
「小夜ちゃん、小夜ちゃんをここでクビにしたらどうする?」
「え!? そ、それは困ります」
「そうよね。今の話は聞かなかったことにしてあげるから、東海林隆広が言ったことは全部忘れなさい。私が小夜ちゃんの就職を妨害しているなんて、デタラメな話は」
「本当に、出鱈目なんですか?」
「あら、小夜ちゃんは私と東海林隆広、どちらを信じるの? もちろん私よね?」
「…………」
 こんなママは初めて見る。物凄く冷たく突き放されているように感じるのは、気のせいじゃないよね。あたしは驚愕と戸惑いで、声が出せなかった。
「小夜ちゃん、どうなのかしら?」
「あたしは……ママのこと信じたいです。でも、だったらどうして、さっき最初に訊いた時に、そんなの嘘だって笑い飛ばしてくれなかったんですか?」
「娘のように可愛がっていた小夜ちゃんの口から、信じられない問いを聞かされたからよ。驚いちゃったわ、裏切られたかと思ったもの」
 ドキッとした。あたしが考えたことと同じだ。ママから見たら、あたしが裏切っているように感じるのか。本当にママはあたしの就職を妨害していないの? もう訳がわかんなくなってきた。
 ママに見据えられて、あたしは体と気持ちが縮まる思いだった。どうしよう、どうしたらいいんだろう。
 その時、控え室のドアがノックされて、黒服の統括が顔を出した。正直ホッとしたよ。
「ママ、よろしいですか? 東海林隆広様がご来店されました」
「あら、よかったわね小夜ちゃん。大事なお客様が来て下さったわよ」
 あたしは来てほしくなかったよ。なんでこんな状況の時に来ちゃうのさ! まぁ、この状況から逃れられたのはよかったけど。
 温んだ氷を外してヒールをはき、ママに背中を押されるようにして控え室を出た。
「じゃあ、頑張ってね小夜ちゃん。東海林隆広は、『椿』にとって大切なお客様なのよ」
「……はい」
 沈んだ気分で返事をして、統括に案内されるままVIPルームに入った。
 その中では、この前と同じ様に東海林隆広が広いソファに座って、ふんぞり返っていた。うわぁ、この前よりももっと存在感のある服で来ちゃって。なんだろ、どこか行ってたのかね。まぁ、あたしにゃ関係ないけどさ。
「よお、似合うじゃねぇか。そのチャイナドレス」
「どうも」
 もう笑顔でこいつを迎えるなんて、出来ないよ。VIPルームでよかった。フロアだったら、無理矢理に笑顔を作らなきゃいけなかったもん。
 いつも以上に愛想のない隣に腰を下ろしたあたしを見て、隆広は何故か溜め息をついて、更に舌打ちまでした。
「なによ、失礼ね!」
「そりゃこっちのセリフだ。お前、それが客を迎えたホステスの顔かよ」
「いいでしょ、嘘吐きのあんた相手には、これで十分よ!」
「ああ? どういうこった。お前っ」
 煙草を取り出していた手を止めて、あたしを睨むように見た。
「まさか、あの女にお前の就職を妨害してることを、バカ正直に訊いたんじゃねぇだろうな?」
「なによ、いいじゃない! あたしにとっては重大なことなんだから!」
 プイッと横を向いて言い放ってやったら、盛大な溜め息が聞こえた。チラッと見てみたら、額に手を当てて首を横に振っていた。まるで頭を抱えたように見える。思わずクスッと笑っちゃった。
「笑い事じゃねぇぞ。ったく、先走ってなきゃいいと思っていれば、早速やりやがって」
「あんたにとってはそうかもしれないけどね! 昨日からずっと、あんたに言われたことを考えて、悶々としていたんだから。こんなモヤモヤした気持ちを抱えたまんまで、ママと一緒に働けるわけないじゃない!」
「もっと早く来るつもりだったんだよ。厄介な女に捉まって、遅くなっちまったんだ」
「へぇ女! だったらその女と一緒にいればよかったじゃない」
 本気でムカついた。あたしのことをほしいとか言っておきながら、他の女と付き合ってんじゃないの。こんな奴の言うこと信じたあたしがバカだった! ママ、ごめんなさい!
 心の中でママに謝っていたら、隆広があたしを見た。なに、なんでそんなに睨まれなきゃいけないのよ。
「な、なによ?」
「俺はお前がいいっつったろ。お前以外の女はいらねぇんだよ。何回言ったら分かるんだ?」
「だって、女と一緒だったんでしょ。来るのも遅かったし、その女とよろしくやってたんじゃないの!?」
 やだ、なんでこんなこと言うんだろ。別に、こいつが誰といたってあたしには関係ないじゃん! 隆広が意地悪く突っ込んでくるよ。
 そう思っていたのに、機嫌悪そうに自分で煙草に火を点けている。
「ったく、憶測で人を追及すんじゃねぇよ」
「な、なによ。あんたが言わせたんじゃない」
「俺はお前がほしいって前から言ってるぞ。それをなんで、他の女となんて思うんだよ」
「だって……」
 くそぉ、なんであたしが言葉に詰まらなきゃいけないのよ!
「じゃあ、なんで遅くなったのか言いなさいよ!」
「妹にパーティーのエスコートを無理矢理やらされて、その現場で見合い未遂女が待ち構えていたんだよ。その女がマンションに送れと脅迫してきたんで、送ってやった。お嬢様のくせに俺を部屋に誘いやがったから、化けの皮を剥がして来たのさ。納得したか」
 忌々しそうに煙草を噛んで話す感じでは、言い訳っぽくは聞こえなかった。っていうか、このあたしの立場、まるで彼氏の浮気を問い詰める彼女じゃないの。冗談じゃないわ!
 言い繕ってる感じゃないのは、ちょっとホッとしたけどさ。じゃない! なにホッとしてんのよ!
「その見合い未遂女ってなによ?」
「爺さんが進めようとしていた見合いだ。お前と会う前なら承知してただろうが、ばっさり断ってやった」
「なによ、それ。あたしなんか放っぽって、お見合いすればいいじゃない」
「お前以外ほしくねぇのに、見合いなんかしたって意味ねぇだろ」
「…………」
 冗談かと思った。でも目がマジだ。お見合いって言ったら結婚相手ってことでしょ。それをあたしがいるから断ったってことは……はははっ、まさかねぇ。うん、やっぱり冗談だよ。こいつはマジな顔して嘘が言える奴なんだから。
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