Act.3 裏切られた想い...2

 お店の前に車を停めないでって言ったのに! 吉永里久は、やっぱり隆広と同類だった!
「どうしてもっと、前か先で停まってくれないのよ!」
「ちゃんとあんたを送り届けるように、命令されているからな。いくら銀座でもそんな格好でいれば、何が起こるか分からないだろ」
 だからってさぁ、ホントにこんなお店の真ん前なんて。しかも、こんな美形にエスコートされて車を降りるところを、同僚のお姉様方に見られちゃった。うう、あの目が怖いよ。
 やだなぁ。最近ホントに風当たりがきつくて、あたしなんか眼中になかったはずの、売上げナンバー1のお姉様にまで睨まれるようになっちゃったし。
 今までは、何となくママが守ってくれてるところもあったのに。もしかして、本当にあたしを専属のホステスにしようと思っているのかな。だから、そういうことも自分で処理出来るようにしろってことなの?
「ねぇ、あんたさぁ、ママのこと何か聞いてる?」
「あんたの就職を妨害してるって話なら、知ってるぞ。あんたを『椿』のホステスとして買ってるってことだろ。いいことなんじゃないか?」
「あたしは、何だか裏切られた気分。お母さんみたいに思っていたのに」
 あいつの秘書にこんな弱気なとこを見せちゃったよ。しまったなぁって、地味に落ち込んでいたら妙に実感のこもった言葉が返ってきた。
「僕は血が繋がっていても、親だと思ったことは一度もなかった。他人なら尚更じゃないのか」
「なにそれ、どういうこと?」
 この前の隆広の言葉からは、あたしの中のママを汚された感じがしたけど、こいつの言葉は違う響きに聞こえた。変なの。
 吉永里久は、どうしてだか失敗したっていう表情で、ちょっと横を向いた。やっぱりこいつ、綺麗な顔してるなぁ。隆広はイケメンだけど、こいつは美形だね。こんな男が存在してるってのが不思議なくらいだよ。
「僕は実の親からネグレクトされて、施設でも虐待されてホームレスってたところを、隆広様に拾われたんだよ。あんたも施設育ちで自分は不幸って思ってるかもしれないけど、僕に言わせればあんたは恵まれてる」
「あたしは別に自分が不幸だなんて思ってないよ。でも、隆広よりはあんたから聞いた方が、なんかずっと信用出来るね。ママは、やっぱりあたしを就職させたくないんだ」
「だから、昨日から隆広様がそう言ってたろ。信用しろよ」
 そう言われて、分かったと言うのも何だか癪だ。黙って吉永里久を見上げていたら、溜め息をつかれたけど。
「後から隆広様が来る。こんなに一人の女に執心してるあの人は、初めて見たよ。秘書になるなら、僕は心からって訳じゃないけど、歓迎はする」
「や、別に秘書になるなんて言ってないし、決めてもないし」
「真っ当な職業に就きたいんなら、一番の近道じゃないか」
「そりゃ、そうだけどさ」
 そんなこと、言われなくたって分かってるわい! でも……。
「ママが、本当にあたしを本物のホステスにしたいんなら、辞めないといけないよね」
「そもそも、就職する時には辞めるじゃないか」
「分かってるわよ! それとこれとは違うの、気持ちが!」
 全くもう、こういうところは隆広と同じだ! 男ってみんなこうなの? 昔の彼氏の言動を思い出そうとして、やめた。あんまいい思い出ないもん。
 それよりも、こいつと隆広の言ってることが真実なのかどうか、ちゃんとママに確かめなくちゃ。
 背後から吉永里久の視線と、周囲から同僚たちの視線に晒されながら、お店に入る。ふかふかの絨毯に、フロントの棚からは生花のいい香りがした。白薔薇はママの好きな花だよね。
 黒服のボーイたちが準備をしてる中、真っ直ぐにフロアを突っ切って、控え室に向かった。途中、フロアの奥にいるママが見えたけど、心の準備もしてないし、どうやって確かめるかも考えてない。今日はとにかく、ママが本当はどう思っているのかを、ちゃんと見極めることにしよう。
「ちょっと、小夜」
 控え室に入ったところで、早速お姉様方に呼び止められた。とってもご機嫌斜めな声。無視したかったのに、見事にぐるりと周りを囲まれちゃった。これじゃあ逃げることも出来ない。
「なんでしょうか?」
「今日はまた、随分と豪華な衣装じゃない。あのイケメンの会長さんからもらったの?」
「それしかありませんから」
 隆広がここに来てから、こうして絡まれるのはこれで2回目。この前は、あいつが来た日の翌日だった。みんな行動が早いよ。あんまり口答えするのもよくない気がするけど、気取ってるだの偉そうだのと誹られるよりはマシだった。
「しかも凄い美形に送ってもらっちゃって。いいわねぇ、どうやってあんなセレブと知り合ったのかしら?」
「たまたまバーで会っただけです」
 タイムマシンがあって過去が変えられるなら、あいつと出会う前にひとっ飛びしていきたいよ。本当に。
「いったっ!」
「素敵なイヤリングね。あたしに頂戴よ」
 いきなり耳をむしり取られるような勢いで、イヤリングを取られた。これがピアスだったらと思うと、ゾッとしたよ。
「いいわね、あたしにも片方頂戴。こんなの欲しかったのよねぇ」
 さっきよりも強く、ルビーのイヤリングをむしり取られる。欲しいならあげるから、さっさと解放してよ。隆広ってさぁ、こういうホステスの内情、全然分かってないよね。あたしがこんな着けてたら、こうなるってちょっと考えれば分かることなのに。まぁ、着けてきたあたしも悪いのかもしれないけどさ。
 痛む耳を押さえて、ずっとうつむいていた。目を合わせたら、それこそ生意気だの何だのって、うるさく罵倒されるからね。これで辞めていったホステスも、たくさん見てきたし。
「じゃあ、あたしたちはこの簪をもらうわ」
 だったら、そっと抜いてくれればいいのに。ついでに綺麗にお団子にした髪を、グシャグシャにしていく。全くもう、どうしてこんな陰険なことしか出来ないんだろ、女って。
 万が一のことを考えて、バッグの中にブラシと赤いリボンは持ってきている。お店が開くまでには、直せるだろうなと思っていたら、今度は抱えるように持っていたバッグが奪われた。
「あっ、ちょっ!」
「まぁ、ガーレットのバッグなんか持っちゃって。あんたにはこんな白くて綺麗でお高いバッグは似合わないわよ」
 床に中身をばら撒かれて、いくつものピンヒールが白いバッグを踏ん付けて行く。今時、小学生だってやらないよ、こんなイジメ。
 高級バッグを足蹴に出来て満足したのか、お姉様たちは笑いながら解散していった。やっと解放されたよ。煌びやかなホステスのこういう裏の顔を、お店のお客さんたちに見せてあげたいよね。
 お財布やら携帯やらメイクポーチやら、散らばった中身をバッグの中にしまった。あたしと同じバイトのホステスたちが、遠巻きに見ているのが分かる。同情するような視線だけど、絶対にあたしに声を掛けたりしない。そんなことしたら、明日からは自分が絡まれるからね。
 足蹴にされたバッグを手にした時は、ちょっとだけ惨めに感じた。あたしが足蹴にされたような、そんな気分になって。隆広がくれたものだけど、バッグに罪はないもんね。ふん、負けるもんか。
 奥の化粧台に向かおうと足を踏み出したところで、4つの手に背中を思いっ切り押された。
「いだっ!」
 しまったと思った時には、バランスを崩して無様にうつ伏せで落ちていた。肘と膝を床に打ち付けちゃって、しばらくの間しびれて動けなかったよ。
「あらあら、大丈夫? 着慣れないドレスには、気を付けなくちゃ」
「……っ」
 いい大人がさぁ、つまんないことするよね。やれやれ、と思って立ち上がろうとしたら、足首に激痛が走った。それこそ、うずくまっちゃうくらいの痛さ。ヤバイよ、これ。まともに歩けないかもしれない。
 どうにも立てなくて、腫れ上がった右の足首をずっと押さえてうずくまっていたら、軽く肩を叩かれた。また意地悪なお姉様か、とシンデレラな気分で顔を上げると、あたしと同じバイトの子だった。
「あの、大丈夫? これ……」
「あ、ありがと」
 冷たいおしぼりを持って来てくれていた。それを広げて、熱を持ってる足首に当てた。うう、気持ちいいというより痛いよ。涙が出てきそう。
「あの、ごめんね。何にも出来なくて」
「あはは、いいよそんなの。それより早く離れた方がいいよ。あんたも目を付けられたら、ヤバイでしょ」
 その子のサッと青褪めた顔を見て、さっきのはよっぽど酷いものに映ったんだと、他人事のように思っちゃった。
 さてと、ずっとこのままでいる訳にもいかないよね。髪も直さなきゃいけないし。痛いけど、我慢して何とか立ち上がった。
 うう、とてもまともに歩けない。とりあえずヒールを脱いで、裸足でびっこを引きながら近くの化粧台に辿り着いた。どうしよう、これじゃあヒールをはけないよ。うーん、ペディキュアしてるし、裸足でも変じゃないかな。お店の絨毯はフカフカでとっても柔らかいし。
 ちょっと温んだおしぼりを、足首に巻いたままで椅子に座って、乱れた髪をほどいてお団子を作り直す。さっき格闘したお陰でコツを掴んだからか、すぐに綺麗に直せた。取られた簪の代わりに紅いリボンで括ると、さっきよりもぐっと中国娘っぽくなった。
 問題はやっぱり足だね。こんなに腫れ上がってたらヒールなんてはけないし、とてもじゃないけど痛くて歩けないし、やっぱり素足でいるか。変に思われるかもしれないけど、まぁ、そこまで見る人もいないでしょ。これだけ衣装がゴージャスだから、そっちに視線が行くもんね。
「小夜ちゃん」
 うおっ、ママがあたしの背後から近付いてくる。あたしは振り向くことが出来ず、鏡越しにママと目を合わせた。やっぱりちょっと気まずいな。
 ママは心配そうにあたしを見てる。こうしていると、隆広や吉永里久の言うことは、やっぱり嘘だったんじゃないかって、思っちゃう。そうだよ、あれが真実だって決まった訳じゃない。
「もうじき開店よ。出られる?」
「あ、はい」
「そんな足でヒールがはけるの?」
「えっと、今日は裸足で。紅いペディキュアしてるので、そんなに変じゃないかなって思うので。歩くのは、まぁ何とか」
「そう、頼もしいわね。それじゃ、今日はヘルプには付かなくてもいいから、ご指名のお客様だけお相手して差し上げて。それまではここで休んでいていいわ」
「はい、ありがとうございます」
 一昨日まで何ともなかったママとの会話なのに、今は心臓が口から飛び出そうなほど緊張してる。耳元で心臓が鳴ってるみたい。
 ママが残っていたホステスたちを促してフロアに出て行く。一人残された控え室で、鏡の中のあたしを見つめていると、ちょっとだけ目に涙が浮かんだ。すぐにティッシュで拭き取る。
「ホステスはお金と生活のため、でも一生の仕事にはしたくない。あたしはOLになりたい。だから、ママとはちゃんと話さなきゃいけない。もしそれでママに嫌われたとしても、あたしは耐えられる?」
 鏡の中のあたしは、現実のあたしと同じ様に首を傾げて、同じ言葉を発していた。答えなんか、あるはずないよね。あたしが決めるしかないんだもん。
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