Act.3 裏切られた想い...1

 昨日は散々だった。隆広と出会ったあのバーで迷惑を掛けちゃったと思って、お詫びに飲みに行ったらそこで元凶と会っちゃうし。
 その上、あたしが就職出来ない理由を聞かせてくれるっていう話につられて、あいつのオフィスについてっちゃって。そこでお店で着るドレスを押し付けられて、あいつの秘書がいるのに誘いに乗っちゃって、キスとペッティングに酔っちゃったりしたのよね。
 ああ……思い出しても腹が立つ!
 しかも、就職したかったらお店をやめろなんて、アホか! ママがあたしの就職を、妨害する訳ないじゃない。いい加減なことを言って、あたしを秘書にしたいんだ。なんて野郎よ! 絶対に信じないんだから!
 でも……帰りに部屋まで送ってきた吉永里久の言葉が、ずっと頭に残ってる。
「隆広様は信頼のおける方です。単にあなたがほしいだけではなく、あなたのことを一番に考えて下さっているのだと、僕は思います。たとえ女性が相手でも、黙って殴られる方でもありません。それだけあなたに本気だということを、忘れないで下さい」
 あんな綺麗な顔した男、初めて間近で見たよ。ああいう人に真顔で語られたら、つい信じちゃいそうになる。
 ホントに昨日はビックリしたな。あいつがまさか、あたしの平手打ちを避けずにひっ叩かれるなんてさ。思いっ切り殴っちゃったよ。なんか悪いことしちゃったな。
 いやいや、あたしがそう思うことを見越して、わざと殴られたのかも。……そんなこと思い付くような奴じゃないか。プライド高いしね。
 ママが、いちいち次はどこの会社に受けるのか訊いてきたのは、あたしのことを本当に親身に考えてくれているんだと信じてた。でも、高級クラブのママがバイトホステスにそこまで心を砕くのは、よくよく考えればちょっとおかしいのかも、とは思う。もしかしたら、本当にあたしを就職させたくないのかも。……いやいや、あいつの言葉を信じちゃダメ!
 今日だってこれからバイトだよ。ちゃんと行かなきゃ、お給料はもらえないんだから。あいつの話を信じちゃいないけど、ママに会ったらどんな顔をしたらいいか分からない。いつも通りに振る舞える自信がなかった。
 ベッドの上で、壁に寄り掛かって膝を抱えた。
 昼間、都心からちょっと外れた、でも郊外ってほどでもない場所にある、小さな印刷会社に履歴書を出しに行った。もう職種とかそんなの関係なしに、小さい会社に片っ端から行ってみることにした。元々、そんなに大きな会社に入ろうなんて思ってもいなかったし。
 履歴書を出すだけなのに、何故かそのまま面接みたいになっちゃって。その会社には一人だけっていう、優しそうな中年の部長さんが相手だったから、感触はいいかなって思ったのに。その場で断られてしまった。
 今までは郵送か電話で断られていたから訊けなかったけど、こんなチャンスはないと思って、どうしてあたしは駄目なのか訊いてみた。優しいというか気弱そうな部長さんの表情が、とっても恐縮って感じの顔になって、「君を雇うことは出来ないんだ」って言われちゃった。
 これが相手が隆広だったら、もっと強く突っ込んで訊けたけど、あのおじさんの顔を見ていたら、あたしが何か悪いことしてるみたいに思えてきて、何にも言えなくなっちゃったんだよね。なんかもう、本格的に落ち込む。
 まさか、本当にママが裏で手を回してるの? そんなこと信じたくないし、信じられないけど。履歴書を出しに行った先で、初対面の部長さんにあんな風に言われたら、嫌でも勘繰っちゃうよ。
 ふと顔を上げると、昨夜吉永里久が丁寧にハンガーに掛けていった、3着のドレスが目に入った。タンスに掛けてある、このアパートには似つかわしくないゴージャスなドレス。貧相な部屋の中で、そこだけ異彩を放っていた。
 もしこのままどこにも就職出来なかったら……。
 奨学金の返済は、多分卒業までには終わると思うけど、生活するのにお金は必要だもん。このままホステスを続けることになるのかな。でも、もし本当にママがあたしを就職させたくないって思っているなら……それを知っていて続けるなんて、出来ないよ。
 そうしたら、もう隆広の秘書になるしか道がなさそう。東海林グループ会長の秘書なんて、確実にお給料はいいだろうし、あたしなんか普通じゃ絶対に雇ってもらえないところだけど。隆広のっていうのがどうしても引っ掛かる。
 男ばっかりってのは、まぁ百歩譲っていいとしても、隆広は絶対やらしくちょっかい出してくるよ。あたしもセックスは嫌いじゃないから、きっと流されて受け入れちゃう。あいつ上手いもんね。
 ハッ! なに考えてんのよ、これじゃ欲求不満な女じゃないの! 膝を抱えたまま、頭をブンブン振って、変な考えを追い出す。
 はぁ、あいつと出会う前に戻りたいよ。なんであの時あのバーで会っちゃったのさ。っていうか、いくら就職が決まんないからって、泥酔して男を誘うなんて、普段のあたしじゃ絶対しないのに!
 気が付くと、いつの間にかバイトに行く時間が迫っていた。このまま悶々としていてもしょうがない。お金を稼ぎに行かなきゃ。
 沈んだ気持ちでシャワーを浴びて、バスローブのままドレスの前に立った。この3着の中から着ていけって? 嫌だけどしょうがないよね。
 あいつがお店に来て以来、あたしをヘルプに付かせるお客さんが増えた。指名はさすがにバイトなんで、あんまり増えないようにママがしてくれてる。その気の遣いようは、他のバイトのホステスから睨まれちゃうくらい。もしかして、あたしが大学を卒業するまで待ってるのかな。大学を卒業出来ても、就職が決まっていなかったら……まさかママは、それを狙っているとか? ダメだ、悪い方向にばっかり考えが行っちゃってる。あいつのせいだ。
 でも、隆広があたしの客になったって、噂が流れているっていう話は本当だと思う。あたしを指名しようとするお客さんが増えたし、お店の中で妙に注目を浴びてる感じになることが多くなった。それも興味津々な、お世辞にも気分がいいとはいえない視線。
 それにこの前、お客さんから哂われているような気がして、落ち着かない時があった。あの時は、自前のスーツを着てたんだよね。ちょっと派手な蛍光色のツーピースで、見るからにお水な女のスーツ。あの笑いが何なのか、ずっと分からなくて嫌だったけど、昨日隆広の話を聞いて納得した。あたしの、あいつの言うところの安物の服を笑ったんだよね、きっと。それが、あたしを通して隆広を笑ったんだとしたら、由々しき問題だわ。
 あたしのせいで、東海林グループの評価や株価が下がったなんて、言われたくないもの。だから、この無駄に豪華なドレスを、着なきゃいけないんだ。はぁ。
 ガックリ肩を落として、3着のドレスを見た。薔薇のオーガンジーのドレスと豪華刺繍のチャイナドレスとシックなイブニングドレス。抵抗なく着られるのはチャイナドレスかなぁ。刺繍は派手だけど、胸元はかっちりガードされてるし、裾を捌く必要なさそう。
 アクセサリーのイヤリングは、中華風の飾りにくっついてるこのキラキラした石、多分ルビーだよね。そこらの宝飾店で見るちっちゃいのなんかじゃなくて、結構大粒な紅い石。それがこんなたくさん付いててさぁ、耳が重たくなるんじゃないの? っていうか、絶対落っことしちゃうじゃん!
 下着まで揃えてあるよ。どこまで周到な奴なんだ!
 着てみるとサイズはピッタリ。腰周りはキツくもなければダブついてもいない。丈も長過ぎず短過ぎず。こうやって今まで女を落として来たんだな。あいつに惚れていてこんなプレゼントされたら、女ならもう有頂天だよね。あたしは迷惑だけど。
 今日は髪型もドレスに合わせるのがいいかな。髪飾りが一緒に入ってたもんね。中華風というと、お団子を2つ作って頭の左右に乗せるやつか。初めての髪型だよ、上手く出来るかな。

 
 

 鏡の前で髪と格闘すること15分。何とか、形になったよ。いわゆる中国娘みたいな髪型。それに、ドレスにくっ付いていた髪飾りを付けた。イヤリングに合わせたのか、ルビーがついた簪。紅い石を繋いでるこの鎖は、プラチナだよね。ホントに無駄にお金が掛かってるよ。
 赤地のチャイナドレスに施されてる、豪華な金糸の刺繍は鳳凰。ハンガーに掛かってる時は、あまりよく分からなかった柄が、着てみると浮き上がるように見えてくる。こう、翼を広げたようなデザインで、メチャクチャ目立つんですけど。しかも長袖でロングだから、全身赤と金だらけ。
 鏡の前に立つと、なんちゅう存在感だろうね。どうしよう、こんなの着て行ったら、今までの比でなく半端なく嫌がらせされるよ。しかも靴がこれまた、高いヒールでさぁ。中国服なら布みたいな靴じゃないのか! ってツッコミしたくなる。
 こんなんだったら、薔薇のオーガンジーかイブニングドレスの方が、まだよかった! なんちゅうもんを贈り付けるんだ、あいつは!
 いやいや、あいつがいないところで、一人文句を言っててもしょうがない。
 うん、無駄なことしてても時間が勿体無いや。早く出ないと、タクシーを掴まえられなくなる。今までは電車で通ってたけど、こんな派手派手なドレス着て電車に乗る勇気は、あたしにゃないよ。
 こんなドレス着ちゃったら、安物の鞄は持てないね。ちょっと考えてから、隆広がくれた白いバッグを持っていくことにした。赤と金のドレスには色が合わないかもしれないけど、このドレスのお値段に見合う鞄といったらこれしかない。
 でも、持ってみると別に変じゃなかった。赤と金の服の中に白い鞄が、とても馴染んで見える。これで行くか。
 準備を整えて、玄関で靴をはいたところで、ドアの外から呼び鈴が鳴った。
 このタイミングで? こんなチャイナドレス着ているのを見られちゃうなんて、やだな。このアパートには不釣合いだよ。
 迷っていると、また鳴った。しょうがない、笑われてもいいや、と覚悟を決めてドアを開けた。
 なんでこいつがここにいるんだろう? 唖然と口を開けて、そいつを見上げちゃったよ。
「こんばんは、藤野咲弥子、さん。隆広様の命令で、『椿』まで送りに来ました」
「はぁ、どうもご苦労様です。っていうか、タクシーを掴まえるからいいよ?」
「そういう訳にはいきません。そんなチャイナドレスで街中を歩いたら、どこぞのコスプレーヤーかと思われますよ」
 それは隆広のせいでしょ! 言わない代わりに吉永里久を睨んでやった。全然効果なかったけど。
「それで絡まれたらどうするんですか? 大人しく送られた方がいいと思いますが?」
「…………分かったよ、一緒に行けばいいんでしょ。でも、お店の目の前に車を停めるなんてこと、しないでよ!」
「……分かりました」
 ホントに分かってんのかな。妙な間があったよ? どうもあいつの秘書って、あいつと同類のような気がするんだよね。
 玄関を出てドアに鍵を掛けたら、先に歩くよう促された。レディファーストを気取ってるのかと思っていたら、「素っ転ばれて巻き込まれるのはご免です」だって。なんて失礼な奴だ!
 こんなところで素っ転んでいたら、お店で歩くなんて出来ないよ。階段だって軽やかに降りてやるわい。そう意気込んでいたのに。
「エレベーターはこっちですよ」
「分かってるよ!」
 くそぉ、なんでこう人の出鼻を挫くのさ! プリプリしながら狭いエレベーターに二人で乗ったら、呆れた目で見下ろされた。
「なによ?」
「もっと愛想よく笑えばいいのに。せっかく美人に化けてるんだから」
「化け……せめて、美人になってるって言ってよ」
「化粧の威力って凄いんだな」
「それって嫌味? あんたは素でも綺麗だからいいだろうけどね、そんな人間そんなにゴロゴロいないよ」
 こいつが女装でもしてお店に出たら、それこそジェラスの嵐だろうね。男だって思われないんじゃない? それくらい綺麗だもん。多分メイクなんか必要ないよ。
 心の中でそう言ってやっていたら、溜め息をつかれた。読心術でも会得してんのかと慌てちゃったよ。口から出てきたのは、別のことでちょっと安心した。
「隆広様の前でも、いつもそんななのか?」
「なによ文句ある?」
「いや、よく隆広様が許してるなと思って。それだけあんたに」
「だああぁ! 言うな!!」
 どうせ、それだけあたしに惚れてるとか、言うつもりだったんでしょ! 聞きたくないから、大声で遮ってやった。
 昨日と随分態度が違うじゃん。昨日はあなたとか言ってたのに、今日はあんた呼ばわりかい。まぁ、敬語なんか使われるよりマシだけどさ。こいつの方があたしより年上でしょ。
 古いエレベーターが、ガッタンと音を立てて1階に着いた。アパートの前に停まっている見るからに高級車は、こいつが乗ってきたやつだよね。吉永里久が、当たり前のようにドアを開けてくれる。
 ああもう、一生こういうことに慣れたくはないわ。
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