Act.11  これがあたしの生きる道 ...9

 さすがに今度は「一緒に入る」とは言わず、長湯に気を付けるように言って出て行った。
 昨日はお風呂で襲われちゃって、ろくに見れなかった景色を楽しみつつ、ゆったりとお湯に浸かってお風呂を堪能した。本当はもっと長く浸かっていたかったのだけど、左の足首が疼くように痛くなってきたので、泣く泣くお湯から上がる。
 ホカホカ温かい内にタオルで体を拭き、バスローブを着た。用意されていたのは、これしかなかったから。
 洗った髪をドライヤーで乾かし、リビングへと向かう。暖炉の熱で、廊下もそんなに寒くない。
 愁介は例のソファーで、あの分厚い本を読んでいた。私が来たことに気付くと手招きしてくる。さすがにもう変なことはされないよね、と思って行くと彼の隣りに腰を下ろすように指示された。大人しく座ると、問答無用で左足を引っ張り上げられた。慌ててバスローブの裾を押さえる。
 何をされるのか戦々恐々していると、彼が取り出したのは救急箱。私の左足を自分の膝の上に置いて、ちょうど足首の関節部分に右手を置いた。
「冷たっ!」
「ふん、軽い捻挫ってところか。風呂で温まったにしちゃ、あまり腫れてねぇな。スノーブーツが足首を固定してたのが、利いたようだな」
「愁介、冷たいんですけど」
「だが、気持ちいいだろ」
「それは、まぁ」
 触られていると、ジンジンと疼くような痛みがぶり返して来た。
「湿布して包帯を巻いとく。今日はもう大人しくしてろ」
「そうします」
 救急箱から出した白い湿布剤を貼られ、薄く包帯を巻かれた。グルグル巻きにされたらどうしよう!? と思っていたけど、これなら靴下を履いても邪魔にならない。
 二階に上がるにも、そんなに苦労することなく、寝室で服に着替えた。何故かベッドの上に、ハイネックのセーターとジーパンが置いてある。どう見てもサイズは私用。愁介が出してくれたのかな。
 下着をつけ、セーターとジーパンを身に着けて、足には薄手の靴下。
 暇になりそうなので、愁介が私のために用意してくれた部屋に入って、本棚を眺めた。ドイツ語のハードカバーがあったので、それを持って階下に戻る。歩き回っても痛みはそんなにない。これなら、明日の会社はヒールでも行けそうかな。

 
 

 リビングに行くと、愁介はやっぱりあの本を読んでいた。
 邪魔をしないように向かいのソファーに座り、持ってきた本をパラパラとめくった。本当に適当に持ってきたので、中身は初めて見る。なんと、古いドイツ語で書かれていた。ドイツ語は読み書き会話、何でもござれだけど、古ドイツ語はさすがに分からない。
 仕方なく、ソファーに寝そべって本を読んでいる愁介を眺めることにした。
 随分と真剣な顔で読んでいる。総帥としての執務中の彼は何度か見たことがあるけど、それと同じ雰囲気が感じられた。
「なにを、真剣に読んでいるんですか?」
 いけないと思いつつも、興味にひかれてつい声を掛けてしまった。無視されるかな、と思っていると、予想に反して彼は上体を起こして答えてくれた。
「エインズワースの昔の記録だ」
「え? それって」
「伝記みたいなもんだな。今読んでいるのは三代目の時代だ」
 栞を挟み、パタンと閉じた分厚い本を片手で持ち上げて、表紙を見せてくれた。やっぱりAinsworthの文字が刻まれている。
「でも、どうして」
「あと数年で引退するだろ。だが、後継者を見付けねぇと辞められねぇ。それを探す前に、歴代の記録を読んでおこうと思ったんだよ。今までは、そんな時間もなかったからな」
「でもそれって、結局仕事をしてるのと同じじゃないですか?」
「執務とは違うからな。別に後継者を見付けるのに、エインズワースの記録を読む必要はねぇ。これが俺がやりたくてやってんだ。ただ、本部にいるとその時間は作れない」
 そう言って、また読み始める。エイズワースってそんなに古い組織なの? 興味が湧いたけど、今はさすがに訊ける雰囲気じゃない。
「話、していてもいいですか?」
「ああ、構わねぇよ」
 そう言いつつも、視線は本から離さない。
「その本って、結構貴重なものじゃないですか? 日本のこんな別荘に無造作に置いてあって、いいんですか?」
「本物じゃねぇからな。これは写しってやつだ。本物はイギリスのエインズワースの城にある」
「あ、そうですよね」
 なんだかちょっとホッとしちゃった。もしドロボウさんが入ったりしたら、大変なことだものね。
「ちなみに、クリスやレオンは、愁介がその本を読んでいることは」
「話しちゃいねぇが、知ってんだろ。特にレオンは勘付いてるはずだ。ただ、何のために読んでるかは、知らねぇだろうが」
「……楽しいですか?」
「たまに胸糞悪くなる」
 え、どういうこと!?
「結構あくどいこともやってたみてぇだぜ。そこまでやらなきゃ、エインズワースがここまで来ることはなかっただろうがな。昔は経済倫理とかなかっただろ」
「はぁ、そうですね」
 えー、すっごい古いお家柄とか!?
「ま、今でもそんなに変わらねぇが」
 え!? ど、どういうこと!?
「あの、愁介?」
「うん?」
 本から目を離した愁介が、私の顔を見て苦笑した。自分でも、顔から血の気が引いてるのは感じてた。
「ああ、今のは聞かなかったことにしてもいいぜ。つうか、聞かなかったことにしろ。響子はその方がいいようだな」
「う、え、えと、はい。そうします」
 しどろもどろに言うと、愁介はまた苦笑いを浮かべて、読書に没頭し始めた。
 うん、今の言葉は聞かなかったことにしよう。自分にそう言い聞かせて、私はリビングを出て自分の部屋に行った。
「うわぁ、すごいこと聞いちゃった。いやいや、聞かなかったことにしようと決めたんだから、忘れなきゃ」
 なんだか、すごいクリスマスになっちゃったなぁ。

 
 

 それから二時間ほど、自分の部屋でDVDを見て時間を潰した。
 私のために用意してくれた映画のDVDは、ブルーレイも含めて見たことのない作品が揃えてあった。お陰で退屈することはなさそうけど、愁介と二人で来たのに一人で映画を見るというのもねぇ。
 窓の外を見ると、少し陽が翳ってきたような感じ。そろそろ夕方といってもいい時刻かな。
 階下に降りてみると、愁介はまだあの本を読んでる。大分読み進んだみたいで、残りページも少なめ。私はそうっと近付いて、彼の傍に腰を下ろした。
「愁介、そろそろ現実世界に戻ってきてほしいんですけど」
「うん? ああ、放っといて悪かったな」
 大して未練もなさそうにあっさりと本を閉じ、彼は私の肩を抱くようにして寄り添った。
「何かしたいことはあるか?」
「特別なにかってことはないですけど、私は愁介と一緒にまったりしたいです」
「まったりか。俺には何をすればいいのか、さっぱりだぜ」
「うーん、そうですね。お茶を飲みながら、時々おしゃべりしたりとか」
「そういうことでいいのか?」
「普段は慌しく会って、一緒にいられても一晩とかじゃないですか。私たちにとっては、すごく贅沢な時間だと思いませんか?」
「そういうもんか」
「私は、そうしたいです」
「じゃ、コーヒーを淹れてくれ」
「はい」
 私が先にキッチンへと立ち、愁介は読み残した分を終えてから、ダイニングテーブルにやってきた。
 ちょうどコーヒーメーカーで出来上がったところで、愁介にはブラック、私はミルク入り。テーブルの角を囲むように座って、色々話をした。話というより、日々の報告みたいな感じだけど、今までにはない愁介との時間で、私にはとても素敵な時間だった。
 それは彼も同じだったみたいで、帰りの車の中で新鮮な時間を過ごしたと言っていた。
 明日の朝に東京に着くと、彼も私もそのまま仕事に行くことになってしまうので、陽が沈む前に別荘を後にすることにした。私のマンションに泊まれば、休める上に愁介は色々楽しめていい、なんて言っていたけど。
 夜ご飯は雪絵の手作り料理。久しぶりの愁介の訪問に、雪絵はとても感激して、腕によりを掛けて夕食を作ってくれた。東京に着いたのは10時近くだったから、夕食と言うより夜食ね。別荘を出る前に連絡したので、到着すると豪華なクリスマス料理が待っていた。昨夜の食事よりも、ずっとクリスマスらしい夕食が食べられた。やっぱり雪絵ってすごいなぁ。

 
 

 食事を終えて片付けを始めた雪絵が、こそっと私に耳打ちした。
「響子様。愁介にあのことはお訊きになられたのですか?」
「あっ! すっかり忘れていたわ」
 愁介に会ったら絶対に訊こうと思っていたのに、この二日間思い出すこともなかった。雪絵に感謝だわ。
 リビングで夜景を見ながらくつろいでいる愁介の元に行く。なんだかんだ言っても、こういう場所の方が彼は好みみたい。ずっとあの別荘に住みたいとは、思っていないみたいだし。
「あの、一つ訊きたいことがあったんですけど」
「なんだ?」
 ソファーにいる彼の隣りに座ったら、当然のように押し倒された。
「こ、こういう体勢では訊きにくいんですけど」
「俺は全然構わねぇ。言ってみろ」
「んっ」
 キスされちゃったら、訊くことが出来ません。覆い被さる彼の背中をポンポン叩くと、少し解放してくれた。
「なんだ、早く訊け」
「あのですね。この前の日曜日の夜テレビを見ていたら、クリスマス特集でガーデンプレイスを映してまして、そこでレオンそっくりの外人さんがいたんですけど」
「ちっ、こんな時に他の男の話なんかするな。それがどうした?」
「あんな顔の人がそうそういると思えないんで、レオンに間違いないと思うんですけど、すっごい美人の女の人と一緒にいたんです。もしかして恋人さんかなぁって」
「ああ、妻子がいるって言ってたぜ」
「え、ええ!? 妻子!? じゃあ、あの美人さんは奥さん!?」
 予想外のことに驚いて、思わず体を起こそうとしたら、また押し倒されちゃいました。
「ああ、子供は男女の双子で、日本の高校に通ってるって言ってたぜ。あの日はあいつ、クリスマス休暇を取って、家族で過ごすって言ってたからな」
「妻子……レオンて結婚してたんですね」
 よかった、加奈子にあれ以上勧めなくて。彼女がその気になっちゃってたら、大変なことになってたわ。
「もうあいつの話はいいだろ」
「え、でも、あの、ちょっ」
 それからはいつもの如くで、リビングのソファーと寝室で彼に思いっ切り抱かれてしまい、クリスマス休暇といいながら結局、普通の休日とそんなに変わらない夜になってしまった。
 こうしていると、雪山での出来事が夢のように感じる。でも……あれも現実なのよね。
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