Act.11  これがあたしの生きる道 ...8

 一時間、みっちりトレーニングをやった愁介は、汗を流してくると言ってバスルームに消えた。
 彼の筋トレを眺めていたからか、ちょうど小腹が空いてきて、さっき冷蔵庫に入れたケーキとシャンパンを出した。ケーキ用のナイフでブッシュ・ド・ノエルを切り分けて、彼のお皿にほんのちょっぴりケーキを乗せる。一口大くらいだから、食べてくれると思うんだけど。せっかくのクリスマスだし、せめてこのくらいは、ね。
 シャワーから上がり、パジャマに着替えてきた彼は、お皿に乗ったちっちゃなケーキを見て渋い顔をした。でも、私がクリスマスだから、と言うと口の中で何か呟いてから、一口大のケーキを一口で食べてくれた。ほとんどシャンパンで流し込んだようなものだけど、それでも口にしてくれたのは嬉しかった。
 小さいサイズとはいえ、夜の10時を回ってブッシュ・ド・ノエルを食べるなんて、明日は怖くて体重計に乗れないわ!
 愁介は苦手なスイーツを食べたからか、急に疲れたような面持ちで、「もう寝るぞ」なんて言っていた。
 でも、あのさんまんえんのシャンパンは、グラス一杯分を残して愁介が全部飲んだんだからね。そのグラス一杯分は、私が飲んだ分だけど。
 彼が一階の戸締まりをしている間、私は暗い窓の外を見ていた。リビングにあるスライド式の窓で、夏は最高に眺めがいいと管理人のお爺さんが言ってたらしい。冬真っ只中の今は、窓に触ると冷たさに指が痛いくらい。真っ暗で何も見えないし。愁介は雪が降ってると言っていたから、見てみたかったのに。
 明日の朝一番に見れば、とっても綺麗な光景になっているというから、それを期待して寝ることにしよう。
 戸締まりを終えた彼が戻ってきた。暖炉に薪を二つ三つくべて二階に向かう。私はその後に続いて階段を上った。
「暖炉の火は消さなくていいんですか?」
「心配はいらねぇよ。一度消すと、火を点ける方が大変なんだ。煙は全部煙突から抜ける」
「そうなんですか」
「心配なら、下のソファーで寝るか?」
「いえ、いいです」
 愁介のためにも、ちゃんとベッドで寝なきゃ。
 寝室に入ると、彼が出してくれたシルクのパジャマに着替えて、ベッドに入った。すると、先にベッドに入った愁介に後ろから抱き締められた。
「きゃっ! 愁介!?」
「なにもしねぇよ。ただ、こうしてると気持ちいい……」
「愁介?」
 彼が言い終えない内に、耳元に静かな寝息が聞こえてきた。こんなに疲れているなら、筋トレなんてしないで早く寝ればよかったのに。
 でも、ベッドの中は冷たくて、背中に密着してる愁介の体が暖かい。ホカホカの温もりが気持ちよくて、私もすぐに睡魔に襲われた。
 
 

**********

 
 
「う…… ん、くすぐったいっ」
 気持ちよく眠っていたら、胸がまさぐられる感覚がして、背中がゾクっとした。
「ひゃんっ」
 今度は首筋に舌の感触。驚いて、でもまだ重い瞼を上げると、着ていたはずのパジャマは脱がされて、全裸の状態で後ろから愁介に抱かれていた。
「えっ……あ!」
「おはよう。やっと起きたか、響子」
「え、ちょっ、なにしてるんですか!?」
「決まってるだろ、起き抜けのセ」
「いいい言わなくていいです!!」
 私が眠ってる間になにをされちゃったか、よく分かったから。先に起きたからって、眠ってる人を襲っちゃうなんて、なに考えてるのよ。
「俺が起きてんのに、いつまでも寝てるのが悪い」
「いつ起きたんですか?」
「一時間くらい前か。声を掛けてもパジャマを脱がせても、起きなかったぞ」
「ちゃんと起こしてくれればいいじゃないですか」
「いや、寝てる女を抱くってのは、俺も初めてでな。どんなもんか、つい」
 ついって……もう。
 溜め息をついて寝室の窓に目を向けると、かなり陽が高く昇っているように見えた。
「あの、今何時ですか?」
「忘れたのか、ここには時計は置いてねぇ」
「随分、陽が高いように見えますけど」
「ああ、たぶん昼前くらいじゃねぇか?」
「ええ!?」
 跳ね起きた私を、愁介は面食らった顔で見上げた。
「なんだ、どうした?」
「朝一番の景色がすごい綺麗だって、教えてくれたじゃないですか! せっかく楽しみにしてたのに」
「別に朝一番でなくても、陽が高い内は結構見られるぜ。心配するな」
「ホントですか」
「ウソは言わねぇよ。朝風呂入るか」
「あ、私も」
「へぇ、一緒に?」
 からかうような口調と表情に、一瞬固まってしまった。ベッドから出た愁介から微妙に視線をずらしていると、ガウンを羽織るのが見えた。
「い、いえ……私は、ご飯の用意をしておきます!」
「ああ、頼んだぜ」
 ポンッと私の頭を撫でながら、寝室を出て行った。危なかった。自分から危険な目に遭いに行っちゃうところだったわ。
「はぁ、ご飯かぁ。昨日の残りのターキーで、サンドイッチを作るかな」
 床に脱ぎ捨てられたパジャマの上着を着て、クローゼットで私の服を見た。うーん、やっぱりブランド物しか置いてない。ジャージまでファッションブランドだもの、徹底してるわ。結局悩んだ挙句、昨日愁介が着せてくれた服を、そのまま着ることにした。
 リビングに降りていくと、暖炉の火は昨日と同じに燃えている。私のバッグもそのままになっていた。ふと思い付いて、バッグの中の携帯を見た。時刻は11 時30分。12時間近くも寝ちゃったんだ。
 携帯には、雪絵から帰りについて了解したメールが入っているだけだった。レオンやクリスからは、何も入ってない。本当に今日いっぱい休暇しちゃっていいんだ。昔、愁介が私のためにサボタージュした時とは違って、レオンがしっかり取ってくれた休暇だから、気が楽ではあるわね。
 軽く溜め息をついて携帯の電源を切る。キッチンに向かっていると、昨日は暗くて何も見えなかったリビングの窓から、新雪の積もった裏庭と、その先には雪を被った山々が見えた。
 うわー、確かにこれは、いい眺めだわ。こういうのを雄大な山っていうのね。スキー場も小さくだけど見える。スキー場って、結構いっぱい、色んなところにあるのね。陽に照らされて、遠くの雪もキラキラして見えるのがまた、とっても綺麗。
 いい景色を見られて、気分はウキウキ状態でキッチンに入り、早速朝食作りを始めた。
 昨夜の残りのターキーをたっぷり入れて、野菜のサンドイッチを作っていく。愁介のことだから、きっとたくさん食べるわ。サンドイッチ用の食パンを10組使って、彼のお皿には6組分のサンドイッチを乗せた。
 それからコーヒーを作り、ヘタを取った苺の上にプレーンヨーグルトを掛けて、デザート代わりにする。
 私ならこれだけで十分だけど、愁介には少ないかも。ちょっと考えて、簡単な野菜スープも作った。
 コーヒーが沸かした頃、愁介がさっぱりした顔でダイニングにやってきた。ストライプのシャツにセーター、下はジーパンという軽装でテーブルにつく。私が盛り付けたお皿をテーブルに並べていくのを、何だか楽しそうに眺めている。そこまで見られると、逆に緊張しちゃうんだけど。
「昨日のターキーを薄切りにして、サンドイッチにしました」
「響子が作るものなら、何でもいいぜ、俺は」
 そう言ってもらえるのは嬉しいけど、それはそれでプレッシャーなのよね。





 朝昼兼用のご飯を済ませて片づけを終えると、私はまた外で雪遊び。せっかく雪山に来たんだから、今の内に堪能しておきたい。でも、愁介はやることがあるみたいで、後から行くとは言ってたけど、どうかしら。
 昨日と同じ、万全の装備で外に出ると、玄関から車の置いてあるところまで、しっかり除雪されていた。愁介がやってくれたのかな?
 でも駐車場のスペースは、ふわふわの新雪が積もった状態で、それは私の膝まである。一晩で随分たくさん降ったのね。昨日私が作った雪玉を探すと、それを置いた場所にポコッと小さく頭が出ていた。位置を覚えていなかったら、すっかり見落としちゃうくらい。
「うーん、さすがは豪雪地帯だわ。東京でこんなに降ったら、あっという間に交通機関はマヒしちゃうわね」
 そこまでサクサク雪を踏んで進み、新雪を避けていくとカチカチに固まった雪玉が出てきた。すっかりその姿を出してから、こっそり持ってきた携帯で写メを撮る。せっかくだもの、加奈子や里佳に見せてあげよう。
 今のところ新しいメールは入ってないし、電話もないから、電源入れていても大丈夫よね。
 それから別荘の裏手に回って、さっきリビングから見えた景色を見に行った。こちらは何の整備もされてないからか、雪に足を取られたりして裏庭に行くのはちょっと苦労したけど、そのかいはあった。
 感動するくらいの素晴らしい眺め。ガイドブックがあったら、きっとこんな文句があるんじゃないかな。
 すぐ近くに見えるスキー場では、リフトが動いていて、豆粒みたいなスキーヤーがゲレンデを滑っているのが見える。携帯のカメラをフォトモードにして、写真を撮りまくった。こんな景色、滅多に見られないもの。今回みたいなお休みは、愁介もそうそう取れないだろうし、私は年が明けたら退職の準備をしていかないといけない。仕事を辞めるのは、何となく寂しい気もするけど、これは仕方ないよね。
 写真がどんな風に撮れているか、データフォルダを開けてみたけど、私の携帯は有機EL のディスプレイだから、なんにも見えなかった。残念。後で部屋の中で見ることにしよう。
 最後にもう一回、景色を眺め堪能して、今度は来た道とは違うルートで別荘を回った。こっちの方が雪が深くて、失敗だったかな、と思った瞬間、思いっきりすっ転んじゃいました。その拍子に背中が太い木の幹にぶつかって、上から落ちてきた雪を頭から被る始末。
「わひゃあ!」
 いやーん、なんて色気のない悲鳴。愁介じゃないけど、もうちょっと女の子っぽい悲鳴を上げたいわ。とっさだからしょうがないとしても。
 ダウンジャケットのお陰で、中の服は濡れずに済んだけど、頭の方はすっかり濡れてしまった。散々な気分で這うように別荘の前に戻ってくると、見慣れた人影がこちらに向かってくるのが見えた。
「響子、大丈夫か? なにがあった」
「愁介。え、なんで?」
「お前の悲鳴と、大量に雪が落ちる音がしたからな。見に来るのは当然だろ。何してたんだ?」
「え、えっと。裏庭に回って戻ってくる時に転んじゃって。んで、雪を頭から被りました」
「ああ、相当ひっかぶったみてぇだな」
 くっくっくっ、といつもの意地悪そうな顔で笑いながら、肩や頭に残っていた雪を落としてくれた。這ってる私に合わせてか、雪の上に片膝を付いている。愁介は、さっきの格好にダウンのジャケットを着ただけの姿。
「愁介、もしかして慌てて出てきたの?」
「慌てちゃいないが、まぁ心配はしたな」
 そう言って、濡れた頭を優しく撫でられた。うわぁ、なんかちょっと感動。
「立てるか?」
「あ、うん、大丈夫」
 愁介に支えられて立ち上がる。少しだけ、左の足首が痛かった。これは、お約束のねんざというやつですか?
「どこか痛めたようだな」
「う、分かっちゃうんですか?」
「まぁ、響子だからな」
 未だに私って分かりやすいの? 会社では随分ポーカーフェースが出来るようになってきたのに。
 それからは、いいと言うのにお姫様抱っこされて別荘に連れて行かれ、足首を診るというのを、先にお風呂に入りたいと言って、またまたバスルームに連れて行ってもらった。
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