Act.11  これがあたしの生きる道 ...2

 その年の12月、祝日でお休みの23日の夜。リビングのソファーに座って、テレビのニュースを流しながらブランド雑誌を読んでいると、愁介から電話が掛かって来た。
『明日は8時に迎えに行くからな』
「はい!?」
 独身最後のクリスマスだから、気合い入れてデートするぞって言ってたけど、それがまさかこういうことだったとは思ってもいなかった。どうせならお休みの今日、デートしてくれればよかったのに。
「あの、愁介。明日は私、仕事ですよ」
『…………』
「明日は平日ですもん。普通に会社はありますよ」
『休め!』
「そういうわけには」
『洸史には俺から言っとく』
 もう、勝手なんだから。私は頭を抱えたくなった。でも、あれだけ忙しい愁介が昼間からデートに誘うってことは、一日お休みを取ったってことよね。しかもこんなに自信満々に誘うってことは、きっと呼び出しとかもないように手を打ってあるのかも。
「分かりました。会社には自分で連絡します」
『いいのか? 面倒臭ぇことになるだろ』
「それくらいは平気です。っていうか、愁介が言った方が面倒なことになりませんか?」
『それでも、洸史には俺から言っとく。でないと、後から煩ぇ』
「分かりました。それじゃあ、明日」
『ああ、おやすみ』
「おやすみなさい」
 携帯の通話を切ると、すぐに支倉さんに電話した。明日の仕事を休まなければいけなくなったことを、正直に話す。清水さんが辞めた後に室長になった支倉さんには、私が来年結婚して退社すること、その相手が会社の会長であることを伝えてあった。愁介が会社の会長であることは、ほとんどの社員には知られていないけれど、社長秘書室長は篁さんといつも一緒にいる人だから、知らない方が面倒なことがあるみたい。
 役員でも知らないことを室長は知っている、というのがもっぱらの噂。会社を辞める時には、生涯その秘密を漏らさない旨の誓約書を書かされるとか書かされないとか、そんなちょっと物騒な噂も聞こたことがある。本当かどうかは、清水さんに訊かないと分からないけれど。
 読んでいた雑誌は、ソファーの傍にあるマガジンラックに置いた。ブランドについて少しは勉強しろと、伊藤さんから言われて買ってみた雑誌だった。スーツ一着に何十万円も掛けることが、私にはよく分からない。物がよければ高いのは当然とは思うけれど、このお値段は非常識。絶対、セレブな生活とは縁遠いと思う。こんな私が、スーパーセレブともいえる愁介と結婚するんだから、人生って分からないわ。
 キッチンで明日のご飯の仕込みをしている雪絵に、会社を休んで彼とデートすることを告げると、とても喜んだ。
「いつもはデートと申しましても、愁介様の都合で2〜3時間しかお会い出来ませんでしょう。どうぞ羽を伸ばして来て下さいませ」
「ありがとう、雪絵。でも8時ってちょっと早くない?」
「遠出なさるのかもしれませんね。ラフな服装の方がよろしいでしょうか?」
「そういえば前に連絡をくれた時に、クリスマスのデートはドレスアップしなくてもいいとか言ってたような気がする」
「では、そのように明日のお召し物を用意しておきますね」
「そうね。もしドレスが必要なところに行くとしても、愁介のことだから、準備の段取りは出来てるだろうし」
 でもそういう場所に行くってことは、嫌でもエインズワースの総帥として扱われるから、多分行かないんじゃないかな。明日一日時間を取ったのは、そういうのから解放されるためだろうから。愁介と結婚したら、私もそういう風に見られちゃうのよね。
 はぁ、やっぱりちょっと気が重いわ。

 
 

 翌日、朝8時きっかりに愁介はマンションにやってきた。雪絵が予想した通り、彼は革ジャンにジーパン、サングラスという格好だった。その姿を見た途端、カッコイイと思った。恋人だとか婚約者だとか、そういう間柄とは関係なしに、素直にそう思った。この人が来年、私の旦那様になるのか。なんだか不思議な気分。
 玄関で雪絵に見送られて、駐車場のある地下に降りる。駐車場にあった車は、愁介がいつも乗ってるのではなくて、初めて見るものだった。ツーリング・ワゴンというのだわ。車体が黒いのは、愁介の好みの色なのかな。車の鼻先に、六つの星が煌いている。
「愁介、新しい車買ったんですか?」
「まぁ、こういう時は便利だろうと思ってな」
「はぁ」
 こういう時ってどういう時? 今日のデートって、一体どこに行くつもりなの!?
 ちょっと不安になりつつ、促されて助手席に乗った。車内は結構広くて、後部座席からトランクまでが突き抜けるようになっている。私は後部座席の手短なところに、持っていたダウンのコートと肩に掛けていたバッグを置いた。
 すぐにエンジンが掛かって、マンションを出る。首都高の朝のラッシュに捉まりはしたけれど、酷い渋滞には巻き込まれずに、そのまま別の高速道路に入った。やっぱり遠出するんだ。
「愁介は、オートマには乗らないんですか?」
「なんだ、いきなり」
「ちょっと疑問に思っただけです。いちいちシフトを動かしたりクラッチ踏んだり、面倒臭くないですか?」
「こっちの方が、車を動かしてるって実感があって、俺は好きだがな。響子がオートマチック車がいいってんなら、買い換えてやるぞ」
「いいえ! そこまでしなくてもいいです」
 放って置くと本当に買い換えちゃうから、愁介って分からない。ちょっと訊いてみただけなのに。
「それに、マニュアルの車を運転してる愁介の姿を見るのは、好きだし」
「ふん、響子」
「はい?」
「お前、心ん中で思ってる時は、敬語使わねぇんだな」
「当たり前じゃないですか。あの、なんでそんなこと知ってるんですか?」
 言われたことの意味にやっと気付いた。もしかして私、口に出してた?
「今、自分で言ってたぜ。マニュアルの車を運転してる」
「わああぁ、言わなくていいです! やだもう、最悪。なんで私、口に出してるの!?」
「今も言ってるぜ」
「聞かなかったことにして下さい!」
「俺は嬉しいけどな。お前の本心が聞けるのは」
 そんな嬉しそうに言わないで。恥ずかしさで頭がいっぱいになって、火照る顔を何とかしたくて窓を開けた。パワーウィンドーをちょっと下げただけで、冷たい空気が流れ込んでくる。というより、突風みたいな感じだった。しかも凄い轟音。スピードメーターを見ると、120キロも出てる。ちょっとビックリ。周りに殆ど車がないからいいけれど。
 頭にガンガンに風が当たるので、大人しく窓を閉めた。エンジンの音やアスファルトを走るタイヤの音が、急になくなって車内が静かになる。
 愁介が会社のこととか訊いてきたので、私は話せることを口にした。といっても、会長をやっているんだから、話の内容は会社や篁さんのことじゃなかった。
「愁介って、独占欲が強いとか嫉妬深いとか、言われることありません?」
「なんでそんなこと訊くんだ?」
「だって、会社で口説かれてないか、とか、気になる男はいないか、なんて訊くんですもん」
「……お前が心配だからだろ」
 答えるまでにちょっと間があった。
「私、心配されるようなことはしてませんよ?」
「それは知ってる。お前は人がいいから、悪意に気付かねぇことがあるだろ。仕事中に男が近付いて来ても、はっきりと口説かれるまで自分目当てだったって、分からねぇんじゃねぇか」
 ズバッと言われて何も言い返せなかった。その現場を、見てたように言うんだもん。婚約指輪をしていても、言い寄ってくる男の人はいた。社内でも、あまり顔を合わせることのない部署の人には、そういうことは伝わらないみたい。大きな会社だから、それは仕方のないことかもしれないけど。
「黙ったってことは、そういうことがあるんだな」
「えっ、知らないで言ってたんですか?」
「響子が黙ったから、図星だと分かった」
 しゃべっても黙ってても分かっちゃうなんて、私はどうすればいいのよ。
「社内なら洸史の目があるから、そう変なことは起きねぇだろうが、響子の腹ん中までは分からねぇからな」
「どういう意味ですか?」
「気になる男とかはいねぇのか?」
「いません! 私がす、好きなのは愁介だけですから」
 まともに口に出すのは、しかも本人の前で言うなんて、まだまだとても私には出来ない。でも、今のでちょっとだけ反論出来るところを見付けた。
「そういう愁介はどうなんですか? 私ばっかり訊かれて、ずるいです」
「俺は響子だけだ。前から言ってるだろ」
「でも、愁介はカッコイイし、女の人の方から寄って来ることも、あるんじゃないですか?」
「ないこともねぇ」
 こんなにあっさり言われてると思わなかったから、私は口ごもってしまった。やっぱり、あるんだ。そうだよね。愁介は人目を引くし、自分に自信のある女の人なら、きっと声を掛けると思う。何となく沈んだ気分になって溜め息をついていたら、彼の言葉には続きがあった。
「ないこともねぇが、エインズワースに入ってからは滅多なことじゃ、そういうことはないぞ」
「え……あの、それはどういう?」
「総帥相手じゃ、そうそう近づけはしないからな。大抵、レオンかクリスが傍にいる。同伴が必要な時はマギーが務めてた。要するに、どこの馬の骨とも分からない人間は、基本的に俺には近付けないってことだ。馬の骨ってのは、エインズワースに身を置く人間以外ってことだぜ」
「私がマスターのお店で潰れちゃった時、朝ホテルで会った時には一人でしたよね?」
「あの時は久しぶりに休暇をもらえて、のんびり一日を過ごした時だった。さすがにそういう時まで、誰かを連れてく気にはなれねぇよ」
「えっと、それじゃあ、その時に私が愁介と出会えたのは」
「ひたすら、運が良かったってだけの話だな。それは俺にも言えることだが」
 前からそういうことは聞いていたけど、つくづく私と愁介って何か一つ歯車が違っていたら、会うこともなかったのね。
 愁介のことは好きだけど、来年この人の奥さんになる、ということがやっぱり私には実感が湧かなかった。こうして、たまに会ってデートする方が、何となくしっくりくるような感じがする。
 でもそんなことは彼には言えなくて、私はずっと窓の外を見ていた。
 
 

**********

 
 
 どこに行くのか、愁介は何も言わずに運転して、途中、高速道路で三回休憩を取った。三回目はお昼近かったけれど、ご飯は食べなかった。もうじき目的地に着くからだとか。
 車から降りると、コートを着ていても冷たい空気で体の芯まで冷えていく感じがした。高速道路を走っていても、道端には雪が高々と積もっていて、アスファルトにもそれはしっかり残ってる。東京育ちの私には、こんな雪と氷の道路で車が走るなんて、信じられない。
 愁介は革ジャンパーを着て体を伸ばし、煙草に火を点けた。ちょっと疲れたように肩を揉んだりしている。東京を出た頃から150キロで飛ばしてきたんだから、疲れるのも当然と思う。どうしてこんな速度で、他の車にぶつからずに車線変更が出来るのか、とっても不思議だった。
 マッサージをしてあげようかと提案したら、今やると逆に眠くなるからいい、と断られてしまった。
 ならば、と自動販売機のコーナーに行って、無糖のブラックコーヒーを買ってきた。愁介と向かい合うように立って、それを渡す。キャップの付いてる缶で、蓋を取ると湯気が煙りのたつ。自分には、甘いココア。寒さのせいかココアは熱いと思うくらいで、でも甘い味が体の中に沁み込んでいくのが心地良かった。
 片手に火の点いた煙草。革ジャンパーにジーンズで、缶コーヒーを呷ってる姿は、惚れ惚れするくらい絵になってる。今日はクリスマス・イブだけど、平日のせいか駐車している車はそんなに多くなくて、私たちの姿を見られることもあまりない。騒がれないことに少し安堵しつつ、コーヒーを飲み終えた彼に訊いてみた。
「愁介、そろそろどこに行くのか、教えてもらってもいいですか? このまま行くと新潟まで行っちゃいそうですよ」
「まぁ、正解だな。そのために、この2.5GTを買ったんだ」
 買った。レンタカーで済みそうな話だけど、そうしないところが愁介らしいというのかしら。時刻は、もう11時をだいぶ過ぎていた。。
「雪山にでも行くんですか? 夜には、戻らないといけないんでしょ」
「言ったろ、一日休みを取ったって」
「それはもしや、丸々24時間ってことですか?」
「7時半からな」
「もしかして、徹夜明けとか?」
「心配するな。二時間は寝た」
 にじかん! それで150キロのスピードで車を運転し続けるって、物凄く危険なような気がする。愁介の運転に不安がある訳じゃないけど、もう32歳なんだから、もう少し自分の体を大事にしてほしいと思う。そんな風に言うと、「問題ねぇ」なんて返ってくるのよね。
「じきに高速を降りる。降りたら30分程度で着くぜ」
「スキーでもやるんですか? 私は体を休めた方がいいと思いますけど」
「響子がやりたいんなら、付き合ってやるよ」
「いいです。それよりも、愁介とゆっくり過ごしたいですから」
 24時間の休暇が本当だとしたら、きっと泊まるは決めてると思うから、そこで二人きりで過ごす方が、私にはやったことのないスキーよりも魅力的だった。
 私がココアを飲み終えるのを待って、愁介が車のドアを開けた。缶を捨てようと思ったら、「後で捨てればいい」と言われた。これ以上、寒い外にいるのも何となく嫌で、空の缶を持って助手席に乗った。
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