Act.10  支える存在 ...5

 クリスが出て行ってからきっちり2時間後、愁介は呼びに来たレオンと一緒に部屋を出て行った。ちょっと放心している私の肩を、ポンと叩いて。
 愁介の話は、考えていたよりもずっと重いものだった。
 家と会社を継がせたいお父さんと、どちらも継ぐ気はなかった愁介。仲が悪いなんてものじゃなかったのね。私には親子で火花を散らせるなんて、想像も出来ない。
 あのお台場のホテルは、愁介が一人で作ったものだった。オーナーっていうのは篠宮グループのものかと思っていたら、全然違っていた。
 あそこは愁介が高校生の時から一人で企画して設計にも携わって、出資を集めて作ったホテルだった。スーパー高校生だったのね、ビックリだわ。そしてオープンしたのが24歳の時。ちなみに今の私と同じ歳よ、もう信じられない!
 わざわざ一人で作ったのは、篠宮家の力がなくても、自分一人でやっていけるってことを見せ付けるため。本当にオープンするまで、お父さんには知られなかったんだって。
 そんな力を見せつけちゃったから、逆にますます跡継ぎにと望まれちゃって、親子で凄い攻防をしてたとか。具体的には教えてくれなかったけど。
 色々あって最終的には愁介が折れて家を継いだのに、お父さんは……愁介が言うには「欲が出て」、なし崩しに会社も継がせてしまおうとしたって。こういう強引なところは、よく似てると思う。
 でも、それが愁介の逆鱗に触れて、お父さんは引退させられてしまった。そのやり方はえげつなかったと……自嘲しながら教えてくれた。
 簡単に言えば、お父さんの持つ権力やら財力やらを全部取り上げちゃって、あの実家に隠居させちゃったってこと。不自由ない暮らしが出来る程度のお金と人は残したっていうから、試しに訊いてみたら、年間一千万だって。その額に唖然。てっきり見捨てちゃったのかと思ったから。愁介って、怒るとそういうちょっと容赦ないところがあると思う。
 その金額には、あのお屋敷で働いている人たちのお給料は入っていなかった。働いている人の中には、雪絵のお母さんもちゃんと含まれていて、そういうところはやっぱりちゃんと見てくれる人なんだって安心する。
 それ以来、お父さんはあのお屋敷で忠実な部下や執事さんたちに囲まれて暮らしていた。普通に見たら幸せな老後だと思うけど、本人は最後まで愁介を恨んでいたって言ってた。会社を継いだのが社長……篁さんだったのが、一番の怨み事だったって。
 初めて知ったけど篁さんは愁介の親戚で、お父さんの妹の息子の子供……ってちょっとややこしい。要するに、叔母さんの孫ってこと。篁さんから見ると、愁介は大伯父の息子ってことになる。本人たちは同年代だけど、社長の方が年上なのに世代は一個下……もう、ややこしい!
 その妹さんは好きな人がいて、でもお兄さんである愁介のお父さんや親戚の人たちに反対されて、その想い人と駆け落ちしちゃった。愁介と社長の間でどんな出会いがあったのかは教えてくれなかったけど、その妹さんの結婚が認められたのは、社長が二十歳になった時。その頃には既に知り合っていたって話。
 そういう事情の人が社長を継いだから、愁介のお父さんはそのことをずっと恨んでいたって。
 でも、篁さんが社長になったのは、そういうこととは全く関係なくて、単に愁介が篁さんの能力を買っただけ。まだ秘書2年目の私から見ても社長は怖いくらい出来る人だから、愁介の人を見る目は凄いと思う。

 
 

「はぁ……」
 つい溜め息が出ちゃって、座っていたソファーに背中を寄り掛かった。そこまで聞いて、レオンが呼びに来たのよね。
 一番の驚きは、やっぱり社長と愁介が親戚だったってことかな。それとあのホテルのこと……。
 明々後日は愁介の誕生日。エインズワースの会議が終わる日だから、多分仕事は入ってないはず。プレゼント、まだ用意していないのよね。あんまり物欲のない人だから、贈る物にいつも迷う。でも、今回はちょっと閃いたものがあった。
 持ってきたバッグから携帯電話を出して、垣崎さんに電話を掛ける。
 実は正社員になってから、何回かあのホテルを使わせてもらった。加奈子と里佳の誕生日に、プレジデンシャル・スウィートに一泊するのをプレゼントしているから。料金は、私と誕生日でないどちらかで折半……は大変だから、私が7割くらい払っている。
 だって、私が一番お給料もらっているし、生活費には全く使ってないから、逆にこういうことで使わないと何だか世の中に申し訳ない気がして……。二人とも年に2回リッチなお泊りが出来るって喜んでくれているし、そんな二人を見て私も嬉しい。
 それであのホテルを使っている内に、垣崎さんとはちょっと親しい間柄になっていた。2年前は愁介の恋人って思い込まれていたけど、結局訂正しないまま本当にそういう関係になってしまって、ある意味先見の明の凄い人だと思ってる。
 何回か呼び出し音が続いて、お仕事中かな? と切ろうと思った瞬間、コール音が途切れた。
『はい、島谷様。垣崎でございます』
「あ、御無沙汰してます。今、大丈夫ですか?」
『島谷様のお電話でしたら、いつでも歓迎致しますよ』
 そんなことを言っていても、携帯からは近くでざわめく声が聞こえる。午後3時といったら、チェックインが始まっている頃だわ、まずい時に電話しちゃった。
「ごめんなさい、すぐ済ませますので」
 4日後の愁介の誕生日に、さっき思い付いたことをやりたいとお願いしたら、快く引き受けてくれた。宿泊はどうするか訊かれたけど、翌日のスケジュールが分からないから、それは断っておいた。
 いざとなったら、マンションに泊まることも出来るし。逆に雪絵のいないマンションで愁介と二人きりなんて初めてだから、そっちの方がいいかもしれない。
 
 

**********

 
 
 あれから4日……愁介は本当にお父さんのお葬式に出なかった。エインズワース総帥としての仕事が優先されるとはいえ、お通夜にも行かないなんて、普通じゃ考えられない素っ気無さ。
 セシルさんは2日間日本にいて、しかも何故か52階に泊まっているものだから、私を見つけては話をしたがって困っちゃった。高級ホテルに泊まれる人なのに、何で!?
 セシルさんから逃げ回る私を見て愁介が「悪代官の魔の手から逃げる生娘みてぇだな」なんて笑っていた。「エインズワースの会議が始まって何かとストレスの多い愁介様には、程良いストレス解消です」なんてレオンに言われちゃうし。人を娯楽にするのはやめて下さい!
 私はとても笑える状態じゃなく、セシルさんは[あくだいかんのまのてとは何だね?]なんて真顔で訊いてくるし。しかもそこだけ日本語よ? 聞き取った言葉をそのまま言ったみたいだけど、本当にこの人なんのために日本に来たの!?
 セシルさんが名残惜しげに日本を発って、ホッとしたのもつかの間、気が付けば愁介の誕生日になっていた。社長からの命令を守って仕事には行かずに彼の傍にいたけれど、初日以外は特に心配そうなこともなく、明日からは会社に戻れそうな感じ。
 エインズワースの会議最終日は、先の二日間と違って少し早めに終わる。愁介の仕事中は私の居場所になっていた小さなサロンで待っていると、夜も6時を過ぎた頃、ネクタイを緩めながら疲れた顔で彼が帰って来た。
「お帰りなさい、お疲れ様でした」
 こんな言葉も大分言い慣れてきたかも、なんて思っていたら、近付いてきた愁介に抱き締められてしまった。
「しゅ、愁介っ」
「うん? なんだ、響子」
「い、いえ……」
 疲れてるからだと思うけど、まだまだいきなり抱きつかれるのには慣れない。
「ああ……面倒臭ぇ会議がやっと終わった。食事に行くか?」
 肩口に埋まった彼からくぐもった声が聞こえる。もしかして愁介、忘れてる? それならサプライズになるかも。
「それなら、今日は行きたいところがあるんですけど」
 エインズワースで誕生パーティーを開かないのは毎年恒例っていうことは、レオンから聞いている。以前に一回やったことがあったけど、物の見事に振られたっていうから、仰々しいのが嫌いな愁介らしいって思っちゃった。
 普段は、マスターのお店以外に行きたいところなんて言わない私がそんな風に言ったからか、愁介が驚いたように顔を上げる。
「響子?」
「たまには愁介のホテルでご飯食べましょう。垣崎さんには連絡してありますから」
 彼は極力自分のホテルは使いたがらない。それは自分が使うことで、お客さんが一組使えなくなってしまうのを気にしているから。でも、私が手配して私が支払いをする分には、オーナーの特権を使っている訳じゃないから、彼の主義には反しないはず。
 それに、彼のそんな思惑とは裏腹にホテルの従業員たちは、オーナーにもっと利用してほしいって思っているし。お客さんに喜んでもらうのは勿論最優先だけれど、みんなあのホテルで働くことに生きがいを感じているから、その感謝の気持ちをオーナーに伝えたがっているの。でも面と向かってお礼を言うのは照れ臭いから、オーナーが使う時に思いっ切りサービスしてあげよう、というのがみんなの想い。
 そんなこと、彼は考えもしないでしょうね。
 愁介はちょっと不審そうな顔をしたけど、「ふん、そうだな。たまにはいいか」と言ってくれた。
「だが、支払いは俺が出すぞ」
 その辺は相変わらず。今言っても絶対に聞いてもらえないだろうから、反論はしないでおく。
 出掛ける前に着替える、という愁介にくっ付いて私も52階に降りた。デートの時は絶対にお仕事用のスーツは着ない。
 総帥としての彼が三つ揃いのスーツを着ている時は、どことなく窮屈そうに見える。サイズがどうこうという問題ではなくて、精神的なものというか。愁介にとってはある意味自分を縛るようなものなのかも。だから、それをそのまま着て行くのは、ただでさえ嫌々やっている仕事の気分をそのままデートに持ち込むようなことなんだと思う。
 私は仕事はなかったのでジバンシーのワンピースを着ていたのだけど、彼の強い要望でシャネルのカクテルドレスに着替えました。
 愁介の車でホテルに向かう。考えてみたら、こうして彼のホテルに二人で向かうのって初めてだわ。唯一あったのは、2年前に再会した時に、ホテルからアパートまで送ってもらったのだけ。しかも逆だし。
 うーん……あの頃と比べたら、私も随分変わったなぁと思う。あの頃はまさか、自分がこういう大人になるなんて、思ってもいなかったもんね。
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