Act.10  支える存在 ...6

 フロントで名前を言うと、受付にいた男性が垣崎さんを呼んでくれた。
 出て来た垣崎さんは、愁介を見て嬉しそうに顔を綻ばせて、でもちょっと緊張しているような感じかな。
「オーナー、島谷様、お待ちしておりました」
「こんばんは、垣崎さん。先にお食事の方、いいですか?」
「はい、ご用意しております。どうぞ、こちらへ」
 垣崎さんが先に立って歩いていく。愁介はいつものように私の肩を抱いてついて行く。
「響子、随分垣崎と親しくなってんだな」
 横から耳元でそっと囁かれて、ゾクゾクッと来ちゃった。くすぐったいのは、いつまでも慣れないわ。
「加奈子と里佳の誕生日にプレゼントとして、ここのプレジデンシャル・スウィートに泊まってるんです。毎回垣崎さんに話して部屋を取ってもらっているので、もうすっかり話しやすくなっていますよ。あ、お泊まりのことは、雪絵も承知してますから」
 毎回「愁介には内緒で」って言ってたから、垣崎さん、約束を守ってくれてたんだ。
「ダメでしたか?」
「いや、俺の知らない間にってのが気に入らねぇだけだ」
 拗ねて子供っぽいところを見せるかと思えば、潔く認めちゃう部分もあって、愁介ってまだまだよく分からないところがある。
 30階のレストランで夜景のよく見える個室に案内された。ワインもお食事も全部垣崎さんの見立て。
 自分で選べないことに、愁介はやや不満そうだったけど、出される料理の盛り付けや器が私の物と微妙に違うことに気付くと、ようやく納得した顔をした。
「愁介、やっぱり忘れてました?」
「ああ、今日は俺の誕生日だったな」
「後でちゃんとプレゼントもありますから、楽しみにしていて下さいね」
 他意はなくそう言ったら、意地悪そうな顔になって、「俺はお前をプレゼントされるんなら、どんなものでもいいぜ」なんて、臆面もなく言ってきた。
 思わずガチャンと音を立てて、ナイフとフォークをお皿に落っことしちゃった。顔が真っ赤になってるのが分かる。なんでこういう時にそういうことを言うかな。愁介のバカ。

 
 

 シェフが腕を振るったお料理は、とっても美味しかった。こんな大きなホテルの料理長が女性っていうのは珍しいみたい。ホテルがオープンした時から料理長として働いているんですって。なかなかオーナーに食べてもらえる機会がないから、今日のはウンと特別に作ったんだと、食後に垣崎さんが教えてくれた。
 私が垣崎さんを呼んだことに、愁介は物凄〜く怪訝な顔をしていたけど、ここは敢えて説明はせずに彼の腕を引っ張って垣崎さんの後に付いて行く。
 着いた先はレストランと同じ30階にあるバーラウンジ。でもお店に入る前に愁介を垣崎さんに預けた。
「じゃあ垣崎さん、よろしくお願いします」
「承知致しました。オーナー、どうぞこちらへ」
 私たち二人の会話に、まるで蚊帳の外な愁介はこの上なく不機嫌。
「おい、何で俺が入り口から入れねぇんだよ」
「それは後ほどお教え致します。今はこちらにお願いします」
「…………」
 さすがは垣崎さん、慇懃に話しながらも有無を言わせずに愁介を連れて行っちゃった。もしかしたら何か勘付いちゃったかもしれないけど、それはそれでもうここまで来れば関係ないし。中に入れば分かっちゃうことだからね。
 オープン型の入り口を入ると、すぐにバーのマネージャーらしき人がいて、名前を言うと恭しい仕草で中に案内してくれた。
 30階だけに窓から眺める東京湾の夜景は素敵だけど、今日はカウンターに案内された。勿論垣崎さんにお願いして、この席にしてもらうようにしていた。
 リゾートホテルのバーだけに料金はかなり高め。でも雰囲気は抜群! マスターのお店を更に高級なものにした感じかな。
 最初にここに来たのは加奈子の誕生日にここに泊まった時で、入った瞬間、店内の敷居の高さに怖気づいて出て行こうとしたら、加奈子と里佳に引きずられるようにして入ったのよね。カクテルはとっても美味しかったけど、私は二人のようにリッチな気分を味わう余裕は全くなかった。これも、今となってはいい思い出かしら。
 カウンターの中には初老のバーテンダーさんが一人いて、シェイカーを振っている。今日は平日だからお客さんはあまりいないけれど、スーツ姿の男の人や着飾った女の人がポツリポツリといる。女の人は私よりちょっと年上かな? スリットの大きく入ったドレスをセクシーに着こなしていて、とても堂々としている。以前、デート中に会った碧さんみたい。うーん、私もいずれはあんな風になれるのかな……。
 しばらくスツールに腰掛けて待っていると、カウンターを挟んだ目の前に愁介が出て来た。スーツのジャケットを脱いだシャツ姿で腕まくりをしていて、腰から下には黒いエプロンを着けている。ちゃんとバーテンダーに見えるのに、ちょっと偉そうなところがあるのは彼らしいかも。
 カウンターの中でお仕事をしていた初老のバーテンダーさんが、顔を綻ばせて愁介に会釈する。ここのマスターさんで、もちろん、この人も事情はちゃんと知ってくれている。
「全く、いきなり上着を脱げなんて言われたから、何が始まるのかと思えば、こういうことかよ」
 少し怒っているみたいに聞こえるけど、口調と表情は呆れてる感じかな。それを見て、私も自然と笑みがこぼれた。
「お誕生日おめでとうございます。愁介のために私に出来ることはないかなって考えて、垣崎さんにお願いしたんです。今日だけ、1時間でもいいので、愁介に夢を叶えさせてあげたいって。私も、愁介の作るカクテルとか飲んでみたいですし」
「っつっても、カウンターに立つのは7年ぶりだぜ。まともに出来るとは思えねぇけどな」
 左手は腰に当てて、右手はカウンターの上に置いて、盛大な溜め息をつく姿はとってもこの風景に似合ってますよ?
 すると、横からマスターさんが遠慮がちに声を掛けて来た。
「ご心配は要りますまい。オーナーは稀に見る才能をお持ちだと、岡崎から聞いておりますぞ」
「…………師匠の知り合いか?」
 って、なんでそんなに嫌そうな顔で訊くんですか? 愁介。
「まだ若い頃、同じ店で働いておりました。あなたが修行されていた頃、骨のある弟子を預かっていると聞いた事がございましたぞ。まさか、私がその弟子のホテルで働くことになろうとは、想像もしておりませんでしたが」
 それはそうよね。バーテンダーの修行をしてた若者が実はリゾートホテルのオーナーなんて、普通は思わないもの。
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