Act.10  支える存在 ...4

 愁介と二人きりで残されて、私は彼の元に行った。
 ソファーの傍に膝を着く前に、伸びてきた彼の腕が私の腰を掴んで引き寄せられる。
「しゅ、愁介っ」
 胸の谷間にうずめるように、愁介が額を寄せてくる。ちょっと恥ずかしいけど、上から眺めるその姿に胸がきゅんっとなって、彼の頭を抱くように自然に体が動いていた。
「愁介、大丈夫ですか?」
「ん……しばらくこうしていてくれ。お前は温かくていいな」
 彼の体から、ふっと力が抜けるのが感じられる。やっぱり、疲れているのよね。
「愁介、ちゃんと休んだ方がよくないですか? 一時間でも、横になった方がいいと思います」
「ん……ああ、眠い」
 彼が額の辺りを擦り寄せたのが分かった。それが恥ずかしいとか感じる前に、愁介の体が心配だった。何か横になれるものとか、ないかな。部屋を見回すと、長椅子のソファーが壁際にあった。
「愁介、あそこのソファーに移動して下さい。横になれますから」
 愁介の背丈には寸足らずだけど、こんな窮屈な椅子に座っているよりはマシなはず。
「愁介……」
 肩を揺らしても、顔を上げる気配もない。
「う、む……このままでいい。お前の体は気持ちいいぞ」
「…………!」
 腰に抱きつくようにしてボソッとそんなことを言うから、顔が真っ赤になったのが自分でも分かった。絶句状態で口をパクパクさせていると、お腹の辺りから「くっくっくっ」っと笑う声が聞こえる。
 え、もしかして冗談?
「もう、愁介! 本気で心配しているのに!」
「はははっ、気持ちがいいのは本当だがな」
 そう言って、私の腕を掴んですっくと立ち上がった。顔は凄く疲れてそうだけど、動作はキビキビしてる。もしかして大丈夫なのかな? そんな訳ないよね。
「愁介、 52階の寝室で休めないんですか?」
「レオンから話は聞いてんだろ。昨日実家に戻ったお陰で、スケジュールが詰まってる。休んでる暇はねぇよ」
 首をコキコキ鳴らしながら、愁介が壁際のソファーに向かっていく。
 何か、私に出来ることはないかな……よし! 愁介がそこに横になる前に、私はソファーの端に座った。
「響子?」
 唖然としてる彼に、ソファーのクッションを手で叩いて見せる。
「愁介、ここで寝て下さい。私の足を枕にしていいですから。その方が楽でしょ?」
 ちょっと恥ずかしいけど、ソファーに直接寝るよりはいいかなって思って。
 彼は、ふっと微笑んで私の頭に手を乗せた。まだ子供扱いするの? と思って顔を上げた瞬間、軽く唇同士が触れる。
 何の前触れもなかったから文句を言う暇もなく、愁介がソファーに仰向けに転がって、私の太腿に頭を乗せた。スカートの上からでも髪の毛がチクチクして、ちょっとくすぐったい。何回か膝枕をやったことはあるけど、なかなか慣れないわ。頭って意外と重いし。
 でも、今ここで私に出来ることといったら、これくらいしかないもの。
 彼の髪を手で梳くと、気持ちよさそうに目を閉じた。
「時間になったら、レオンかクリスが知らせに来る」
「じゃあ、それまで寝ちゃってていいですよ」
「ああ……」
 少し頭の位置をずらすと、すぐに眠っちゃった。静かな室内に、穏やかな寝息が響く。無防備な寝顔が至近距離に、しかもこんなに風に見下ろすなんて滅多にないわ。
 こんなことで幸せ感じちゃう私って、結構お手軽? 
 愁介の膝から下が、完全にソファーからはみ出してる。足、あんな風に床に付いていて疲れないかな? 靴を脱がせばよかった。スーツも着たまんまだし。
 膝枕する前に、クリスに毛布でも持ってきてもらえばよかった。どうしよう? 今更立ち上がるなんて出来ないよ。
 うーん……空調はちゃんとしてるし、寒くもないから大丈夫かな。
 今日の愁介からは煙草の匂いがしない。エインズワースの定例会議でも、未だにお酒と煙草を受け付けなくなるっていうから、昨日からもきっと凄いストレスだったんだ。
 ゆっくり休んでほしいけど、総帥の立場じゃそうはいかないよね。身内の不幸があったからって、組織には関係ないんだもの。難儀な立場よね、愁介も。
 ふと思い付いて、私は着ていたスーツのジャケットを脱ぎ、彼の上半身に掛けた。彼には全然小さいけど、ないよりはマシ。今日はワンピースじゃなくてよかった。
 愁介の寝顔を見ていたら、あふ……と欠伸が出てきちゃった。

 
 

 ハッと気が付いたら、私がソファーに寝てました。
 見たことない天井が視界にあって、一瞬どこだか分からなかった。慌てて起き上がり、腕時計を見て仰天!
「やだっ、もうお昼!?」
 愁介の姿はないし、体には私のジャケットが掛かっているし……もう! 何のためにここに来たのよ!
 髪の毛を手で梳いて周囲を見渡すと、さっき愁介座っていたソファーの前に低いテーブルがあって、その上にメモのような紙が見える。
「膝枕気持ちよかったぜ。仕事に行くが、13時には一旦戻る。昼飯楽しみにしてろ……って、これ愁介の字」
 もう、起こしてくれればよかったのに。行ってらっしゃいくらい言わせてよ。……って、寝ちゃった私が悪いのよね。
「もう……バカ」
「誰がバカだって?」
 ボソッと呟いたら、後ろから愁介の声が聞こえて、飛び上がりそうになった。
「しゅ、愁介! もう、ノックくらいして下さい」
「はははっ悪ぃ、まだ寝てたら起こしちまうのは勿体ねぇからな」
 勿体ないって、一体なにをするつもりだったんですか!?
「すみません、私まで寝ちゃって」
「別に構わねぇよ。響子の寝顔が見られたしな」
 ひぇ〜、それは忘れて下さい!
「それよりメシ食おうぜ、腹減った」
「え、でも……」
 部屋を見渡しても、それらしきものはない。すると、ドアがノックされた。
「クリスか、入れ」
 彼の短い言葉の後ドアが開いて、大きなトレイを持ったクリスが入って来た。
 大きなお皿に白いナプキンが掛かっていて、ちょっとこんもりしている。サンドイッチかな? って思ったけど、トレイには他に急須と湯飲み茶碗があるから、きっと和食ね。さっきメモが乗ってたテーブルにトレイを置いて、クリスがナプキンをひらりとめくった。
 わ、おにぎり。しかもパッと見で軽く10個はあるわ。私には大きいと思うサイズで。
「愁介様のリクエストで、今日のお昼はおにぎりにしました。愁介様、響子様の分はちゃんと残して下さいね」
「お前は、俺を何だと思ってるんだ?」
 クリスの遠慮のない言葉に、彼はちょっとご機嫌斜め。いつも通りの二人の会話でホッとした。
「わ、凄い。天むすまでありますよ!」
「はい。僭越ながら、私が揚げさせて頂きました。響子様のお口に合えばよろしいのですが」
「そんなこと、今更ですよ。クリスのご飯、何回食べたと思ってるんですか?」
 本当に自分で作る機会が全然なくなっちゃって、雪絵とクリスのお陰で私のお料理の腕が落ちてるんじゃないかと、本気で心配しているんだから。不思議と愁介も私の手料理が食べたいって言わないし……もしかしてお料理が下手と思われているとか!? うわぁ、でも雪絵と暮らし始めてからお料理全然してないから、本当に下手になっているかも!!
 焦りというか不安というか、そういうものが頭をグルグル巡っている中、クリスがさり気なく声を掛けてきた。
「響子様、お荷物は52階の寝室に置いておきましたので」
「あ、はい。ありがとうございます」
「何だ? 荷物って」
 あれ? 愁介にはまだ伝わってないの?
「あの」
「雪絵がしばらく篠宮家に戻りますので、その間こちらにいらっしゃる方が安全だろうと、レオンが」
 私が口を開くと同時にクリスが話したから、私は黙っていた。何だか内容が端折られているようにも感じるけど、概ね合っているわよね。でも引っ掛かる言い方だわ。
 すると、愁介のご機嫌が一気に急降下。
「何で雪絵が篠宮家に戻る必要がある? まさか、雪絵の母親が呼んだのか」
「そのようです」
 溜め息を吐き出すようにクリスが言って、愁介の眉間にしわが寄る。
「あの……愁介」
「なんだ?」
「雪絵はね、愁介のお父さんが亡くなったって昨日の夜テレビで見て、大恩のある人だから葬儀には出たいって言ったんです。それでお屋敷に電話をしたら雪絵のお母さんがショックを受けているみたいで、雪絵もお母さんを心配していたから、お母さんを支えてあげてって今日から一週間お休みをあげたんです」
 目の端でクリスが首を左右に振りながら、息を吐き出している。言っちゃマズかったのかな? でも、これで雪絵がクビになっちゃったら嫌だし。
 それでも愁介のご機嫌は直らなかった。
「雪絵は遠慮しただろ。どうして彼女の意見を聞かなかった?」
「だって、お母さんが心配な気持ちを抱えたままなんて酷いじゃないですか。私がここに泊まるって決まるまで、一週間も帰る決心はつかなかったみたいですけど、最後には感謝していましたよ。それより愁介こそ、お父さんのお葬式に出なくていいんですか?」
「…………」
 む、無言。しかも微妙に空気が冷たいし、視線も合わせようとしないし、もしかしてこれが『地雷を踏んだ』っていう状況!?
「愁介様、響子様は」
「分かってる。話してねぇ俺が悪いんだ」
 焦ってる私を見兼ねてか、クリスが助け舟を出してくれたけど、愁介の声がそれを遮った。やっぱり何だか深刻そう。
「愁介?」
 うつむき加減で思案顔の愁介は、軽く溜め息をついて傍にいるクリスを見た。見られたクリスは、諦めたような顔で肩を落とす。
 え……なに? このムード。
「分かりました。しばらくはここにこもると、レオンに言っておきます。2時間くらいでよろしいですか?」
「ああ、どのみち面談の予定は3時からだ」
 あと2時間ちょっとね。でもそれまでにも色々仕事はあるんじゃないの? なんて思っていたら、クリスが渋い表情で口を開いた。
「その間に、書類のサインと電話による会談はいくつもあるんですよ」
「だから、レオンに任せるって言ってんだろ。俺じゃなきゃ対処出来ねぇ要件なら、あいつはきっちり俺に持ってくる。まとめてな」
 ああ……やっぱりそうよね。今日はマギーもセシルさんと出掛けちゃったし。
「それは昨日の段階で終えているそうですが?」
 あ、そっか。愁介、昨日は実家にいたから……って、それじゃあ今日はここにこもる訳にいかないじゃない!
「愁介、私は別に今日じゃなくても……」
「明日からは例の会議だ。逆に今日しかねぇだろ」
 うわ、そうだった!
「えと、それじゃあ今日の業務を終えてからでも……ほら、今日から私泊まりますから!」
「…………」
 な、なんで無言!? それにそんな、こっちが切なくなるような視線で見ないで下さい。
「愁介?」
「なんだ?」
 声を掛けても瞳は変わらない。もしかして愁介、自分がどんな目で私を見ているか自覚していないの? 社長が「傍にいてあげて下さい」って言っていたのは、こういうことだからなの?
 さっきだって、今までどんなに疲れた時も、あんな甘えるような感じはなかった。
「分かりました。じゃあおにぎり食べてからにします?」
「ふん、当然だろ」
 ですよね。自然に苦笑いが出ちゃって、クリスに手を振って『大丈夫です』って合図をした。それで上手く伝わったかどうか分からないけど、彼は深々と頭を下げて部屋を出て行った。
 愁介を見ると、ソファーに座っておにぎりを一つ掴んで口に持って行っていた。そんなにお腹空いてたんですね。
 急須の蓋を開けると、中にはお茶っ葉が入ってる。お湯は、この小さいポットの中ね。お湯を注いで茶葉が開くのを待って、白磁のお茶碗に淹れていく。
「愁介、お茶です」
 茶托にお椀を乗せて、彼の前に差し出す。いつもなら何かお礼を言ってくれるのに、今は心ここにあらずって感じで、無言でおにぎりを貪っている。
 やっぱり今日の愁介は変だと思うけど、私のお腹も空いてる。愁介が気になるのに、お腹の虫はしっかり鳴いてるんだもん。つくづく、ご飯て大事だわ。
 私は大好きな天むすと梅干のおにぎりを食べて、残りは全部愁介のお腹に入った。かなり大きなおにぎりで私は2つで十分だったのに、やっぱり愁介は早食いの上大食いだった。そろそろこういう食事の仕方は改めないと、将来メタボになっちゃうんじゃないかとちょっと心配。
 食後にお茶を一杯飲んで、愁介がソファーに深く座り直した。そして、少し重い口調で今まで知らなかった色んなことを話してくれた。
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