少しだけ、自分を信じられるような気がして……密着している篠宮さんの胸に頭をすり寄せた。
「ん、なんだ?」
「あ、すみません」
慌てて顔を離したら肩にあった手が頭の横に来て、篠宮さんの広い胸にぼすっと顔を埋められた。
「ちょ…… なに? 離して下さい」
篠宮さんのコートがふわふわしてるから、目の辺りが覆われて前が見えない。足元がグラグラして頭を押さえる腕を叩いたら、少し力を弱めてくれた。ぷはっと顔を出すと、篠宮さんの身体に横から抱きついたような格好になってる。
「い、いきなり何ですか!?」
「お前が顔をすり寄せてくるからだろ」
「そ、それは……何となく自然に」
「その後で顔を離しただろうが」
「あ、あれは、しゅーすけさんが「なんだ」って言ったから、迷惑だったかと思って……ふぎゃ」
またしても、ぼすっと顔を埋めさせられてしまった。
「しゅーすけさん!?」
「迷惑のはずがねぇだろ、そこで大人しくしてろ」
体を通して、篠宮さんの声がくぐもって聞こえてきた。それが、何だかとっても温かい感じがして、心臓がドキドキしてきた。
でも、大人しくって言われても、このまま歩くのは無理です。……と思っていたら、篠宮さんはそのまま立ち止まっていた。顔を腕に覆われているから街の雑音も聞こえなくなって、あたしの周りは静かになった。
耳を済ませていると、静かな鼓動が聞こえてきた。あ……これって篠宮さんの心臓の音? 人の心音を聞いてると、気持ちって落ち着いてくるのね。
少しの間、その音に癒されていたら「行くぞ」という声が、また体を通して聞こえてきた。
ぷはっと顔を出すと、今度は歩きやすいように腕を肩に戻してくれた。でも、さっきよりも力が強くて、体は密着しているような状態。何だろう? 何かすごく思いのこもったような力に感じる。
「しゅーすけさん?」
「……師匠の店はもうすぐだ、行くぞ」
**********
マスターのバーに入ると、篠宮さんはコートを脱いでこの前と同じカウンター席に座った。あたしも脱いだコートをたたんで隣りに座る。何だか懐かしいな、この感じ。
「おや、珍しい。今夜はデートか?」
マスターが声を掛けると、篠宮さんは溜め息をついて「明日から会議だ」ってボソッと言った。マスターが苦笑してる。
「相変わらず忙しい様だな、体だけは気を付けろ」
「もう問題ねぇよ。それより酒とメシ。明朝ロンドンに発つ」
ロンドンか……しかも会議だったら、電話で話すのも全然出来なくなっちゃうよね。ちょっと寂しい。今は伊藤さんがいて、ストレス溜まることも多いし。
篠宮さんが何も言わないのに、氷の入ったグラスにアーリータイムズが注がれた。この前もそうだったから、きっと定番なのね。
あたしはいつも通りウォッカ……だけど、今日はスピリタスというスッゴクきついウォッカをベースにしたカクテルを頼んだ。モスコーミュールだけど、中身はアルコール度数92 度のウォッカとジンジャーエール。頼んだ時はマスターが目をむいて驚いちゃって、無理かなって思った。でもスピリタスが何か知ってるし、自分で買って飲んだこともあるって言ったら、渋々「カクテルなら」って作ってくれた。
さすがにあれをストレートで飲んだ時は、舐めるようにチビチビ飲んでいても、香りを嗅いだ拍子にむせちゃったから、もうストレートでは絶対飲まないと心に決めた。
「はい、ここか家以外では絶対に飲んじゃダメだよ」
そう言って、マスターが琥珀色になったタンブラーを、あたしの前に置いてくれた。飲んでみると、あのきついお酒がかなり中和されてて、それでも普通のモスコーミュールよりは強くて、スカッとした気分になった。
篠宮さんはそんなあたしを見て笑ってる。煙草を咥えて頬杖ついている姿がカッコイイな。煙草を吸ってる仕草も、グラスを傾けてウィスキーを飲んでるのも大好き。こんな人が恋人なんて、あたしはとっても幸せだなって思う。恋人なのは今だけだから、ちょっとだけ夢見ていてもいいよね。
しばらくしてお店の奥に行ってたマスターが、篠宮さんのアメリカンクラブハウスサンドを乗せた大皿と、あたしのピザを乗せた小ぶりのお皿を持って来た。何でも作ってくれるっていうから、チーズたっぷりで生ハムとほうれん草とタマネギとピーマンをトッピングしてもらった。
ここのカウンターで篠宮さんと並んでご飯を食べるなんて、なんか不思議な気分。ピザはあたし好みの薄いクリスビーの生地で、取り分けたらチーズが伸びに伸びた。こういうのが食べたかったのよね。その気持ちが顔に出ちゃってたみたいで、マスターから「そんなに嬉しそうに食べてもらえると、作った甲斐があるね」なんて言われちゃった。
篠宮さんはといえば、相変わらず食べるのが早くて、あたしのピザの方が明らかに量は少ないのに、あたしが最後の一切れを食べる頃にはもう食べ終わっていた。その食べっぷりは、テレビで見る大食い女王みたいだった。早いしたくさん食べるんだけど食べ方は凄く綺麗で、こんなところもあたしは好きなんだなって思った。
食事を終えると、今度はスピリタスのソルティドッグを作ってもらった。炭酸で割るのとは違って、こっちの方がアルコールのきつさがよく分かる。でもグラスの縁を飾る塩が美味しいし、グレープフルーツジュースが上手く中和してくれて、意外と飲みやすいかな。
篠宮さんが食後に飲んでいるのはテキーラ。ショットグラスになみなみと注がれた透明なそれを、一口で一気に飲んじゃってる。篠宮さんて、お酒に凄い強いんだ。だから、あたしがウォッカをストレートで飲んでいても、普通に受け入れてくれてたんだ。
「響子」
煙草を吸っていた篠宮さんが、まだたくさん残っている吸殻を灰皿に捨てた。あたしを呼んだ声が初めて聞くような真剣な声だったから、ちょっと驚いて篠宮さんを見た。
「なんですか?」
「明日からの会議だがな」
「は……い?」
えと……なんで急に会議のことなんか言うの? 何となく嫌な予感がして、ソルティ・ドッグを一口飲んだ。
「セシルにお前のことを話すことになってる。本国で会議するのはそれがあるからなんだが」
「え……あたしのことって……」
あの毎月あるっていう会議のことだよね? なんであたしのことを話す必要があるの!? それに……。
「あの……そのセシルさんって誰ですか?」
そのまま話を進められそうだったから、思い切って訊いてみたのに、何故か驚かれてしまった。
「しゅーすけさん?」
「あいつ、話してねぇのか」
あいつって誰!?
篠宮さんは小さく溜め息をついた。
「セシルってのは、エインズワースの前総帥だ。俺はあのおっさんの指名で総帥にさせられた。」
ヒューズさんは会ったことはないけど、篠宮さんがスペインにいた時にあたしが電話に出ちゃってたせいで、謹慎になっちゃった人だよね。あれからどうなったんだろ。でも、先代って言ってたっけ? あ、指名したっていうのは聞いたことがある。
「もしかして、マギーさんのお父さんですか?」
「知ってんなら、最初から言え」
そんな呆れたように言われても、名前なんて聞いたことなかったもの。そうしたら、不審そうな表情で訊いてきた。
「お前、エインズワースのことはどこまで教えられた?」
「え!? どこまでって、えと……クリスさんとマギーさんから、世界一の財閥ってことは聞きましたけど……」
正直に言っただけなのに、篠宮さんのご機嫌が斜めになっていく。
「それだけか?」
「あとはお父さんから、篠宮さんは凄い権力と財力と地位を持ってるって聞いてますけど?」
その凄さは見当もつかないけど、とにかく凄くスケールがデカイっていうのは分かる。
篠宮さんは煙草を取り出して、口に咥えて火を点けた。吸ってる姿もカッコイイけど、あたしはこういう時の仕草も好き。なんて、ポーッと見ていたら篠宮さんが説明してくれた。