Act.7  試練、再び!? ...9

 地下に降りると篠宮さんはもう待っていた。昼間会った時とは服装が違ってる。三つ揃いじゃないけど、黒っぽいスーツはちょっとホストみたいでカッコイイ。暖かそうなマフラーに、黒っぽいロングコートはベルベッドみたい。
 あたしは、ベージュのスーツにグレーのコート。カシミヤなのがせめてもの救いだわ。だからって、篠宮さんに釣り合っているとは思えないけど……。
「遅ぇぞ。6時っつったろうが」
「え!? でも……」
 腕時計を見たら、2分過ぎてた。もう、伊藤さんに捉まったから……。
「すみません」
「まぁいい、行くぞ」
 そう言って駐車場を歩き出した。あ、車じゃないんだ。あたしは急いでコートを着て、篠宮さんの傍に駆け寄った。そうしたら、篠宮さんの左手があたしの肩に伸びてきて、抱き込まれるような格好になった。
「あ、あのっ篠宮さん」
「名前で呼べっつったろ」
 う……よ、呼ばなきゃダメ……なのね?
「えと……しゅ、しゅーすけさん」
 うわぁ……これだけで心臓が爆発しそう。チラッと篠宮さんを見上げたら、満足そうな顔をしてる。
「なんだ?」
「車は使わないんですね」
「師匠の店に行く。あそこは駐車場がねぇし、酒飲んで運転する訳にいかねぇだろ。後でクリスに迎えに来させる」
 あ、なるほど。去年も外国行く時にマスターのお店に行ったよね。
 篠宮さんと地下から続く通路を歩いていく。なんで車じゃないのに地下なのかって思ったけど、1階のロビーなんかで会ったら注目浴びちゃうし、誰に見られるか分からないもんね。篠宮さん、カッコイイから。その相手がこんなあたしだって知られたら、もう絶対会社に来れなくなっちゃうよ! しかも、この服装の違い……マスターのお店に行くのでよかった。
 肩を抱かれて歩くなんて初めて。あたしの身長は篠宮さんの肩くらいまでしかないのに、全然歩きにくくない。何かしてくれてるのかな。
 夜の街……それも六本木をこんな風に男の人と歩くなんて、こんなの初めて。何だか妙に周りから視線を感じる。篠宮さんはカッコイイからいいけど、あたしは……やっぱりあたしの格好は篠宮さんの服装とは合わないよね。ああもう、早くマスターのお店に入りたい……。
 悶々として歩いていたら、 不意に通りのお店が目に入った。外国のチョコレートを売ってるお店で、このロゴは以前テレビで紹介されてるのを見たことがある。何だか凄くゴージャスなチョコの宣伝をしてる……と思ったら、今月はバレンタイン・デーがあるんだった。篠宮さんに……贈った方がいいよね。でも、チョコレートを食べてる姿が想像出来ない。
 どうしようか悩みながら、あたしの視線はそのお店に釘付け。そうしたら、篠宮さんに気付かれちゃった。
「なんだ、チョコが食いてぇのか?」
「ちちち、違います! その……」
 うわーん、バレンタインのためです、なんて言えないよ!
「遠慮すんな、チョコくらい買ってやる」
 そう言って篠宮さんはそのお店に入って行っちゃった。肩を抱かれているあたしも、そのまま連れて行かれちゃう。
 ど、どうしよう。チョコレートならゴディバが好きなんだけど、そんなこと今更言えないし……。
 バレンタインが近いせいか、お客さんは女の子が多い……っていうか、殆ど女の子ばっかり。その中で篠宮さんは、とっても目立ってた。背が高いしカッコイイし、着てる物も高級だし。お客さんだけじゃなく、お店の従業員さんも大注目。必然的にあたしもその視線に晒されちゃって、凄く居心地が悪かった。
「で、何がほしい?」
「う……え、えと……」
 き、訊かれてすぐに答えるなんて出来ません! ここ初めて入るから、どんなチョコがあるかも知らないし。困って視線を動かした先に、一口サイズのチョコレートをバラで売ってるコーナーがあった。
「あ、あれ。あそこにあるのでいいです」
 そっちを指差したら、ちょうど売り子さんと目が合ってニコッと微笑まれてしまった。篠宮さんに引きずられるようにしてそこへ行く。
 あたしたちの移動に合わせて周りの人の視線も動いていくから、もう本当にド緊張。篠宮さんは平然とした顔をしていて、やっぱりあたしとは世界の違う人なんだって、思い知らされた気分。
「どうぞ、ご試食も出来ますよ」
 若い女の子の売り子さんに言われて、篠宮さんが適当なのを一個取った。一個というか、試食用に半分に切られている物を一つ。
 あ、チョコレート食べられるんだ、と思って見ていたら「口開けろ」と言われた。え、まさかそれをあたしの口にってこと? ええ!?
 そういう意味でなく口を開けてしまったところに、篠宮さんが取ったチョコレートが押し込まれる。周りから小さな悲鳴がいくつか聞こえて……もう、穴があったら入りたい。
「どうだ、味は?」
 そんなこと、今の状況で訊かないで下さい。泣きたい気分でチョコを食べていたら、本当に泣きたくなってきた。
「に、苦いです……」
「あ、あの……お客様が食べられた商品は、カカオ分が87%のビターチョコレートで……」
 売り子さんが慌てて説明してくれたのに、篠宮さんがチラッと視線を向けたら、青褪めて黙っちゃった。またあの視線で見たんですね。
「あ、あのしの…… しゅーすけさん、あたし大丈夫ですから」
 あの篠宮さんの怖い視線にさられた女の子が気の毒で、ついそう言っちゃったけど、実は全然大丈夫じゃなかった。苦過ぎて舐めることは出来ないし、まだ大き過ぎて飲み込むことも出来ないし。
 うぇーん、どうしよう!? と思っていたら篠宮さんに背中を引き寄せられて、え!? と思った瞬間キスされていた。そこかしこから「きゃあ〜」って、可愛い悲鳴が聞こえた。
 何事ぉ!? と思っている間に口の中にあった苦いチョコは、篠宮さんの舌で掬い取られてなくなった。
「確かにそれほど甘くねぇな」
 呆然と篠宮さんを見上げていたら、ボソッとそう言って喉が嚥下したのが分かった。うわわ……あ、あたしの口の中にあったチョコを食べちゃったの!? ひえぇ!!
「甘いのはどれだ」
 篠宮さんの行動にポカンと口を開けて見ていた売り子の女の子は、その声にハッとなって別の試食用チョコを出して来た。
「これ……これどうぞ! 当店自慢のホワイトチョコレートのガナッシュをミルクチョコレートで包んだ物です」
 半分に切られたそれの中身には、白くて柔らかそうな物が入っていて、ホワイトチョコというのは間違ってなさそう。今度は自分で取ろうと思ったのに、あたしが手を出す前に篠宮さんの指が、それを摘み上げてしまった。そのままあたしの口元に持ってくるから、しょうがなくて口を開けた。
 カポッと入れられたそのチョコは、舌に乗った瞬間から甘い味がとろけてきて、さっきの苦い味をすぐに消してくれた。
「ん……あっすっごい美味しいです!」
「そりゃよかったな」
 ふっと笑った顔がちょっと嬉しそうに見えた。なんで? って思っている間に「10個包んでくれ」なんて言うから、ビックリした。
「あのっ、あたし5個くらいで」
 いいですって言おうとしたら、篠宮さんの手で口を塞がれちゃった。10個なんて、あたし買えません! さっきこのコーナーのお値段見たら、一粒315円だって! そんなお金は出せないよ……。
 売り子さんはお店のロゴが入った綺麗な箱にそのチョコレートを10個入れて、篠宮さんに渡した。篠宮さんは当たり前のようにスーツの内ポケットからお財布を出して、お金を出していた。
 え……あたし、自分で買うって思ってたのに……。
「あの……しゅーすけさん?」
「買ってやるっつったろうが。ほら」
 チョコの入った箱を入れた紙袋を渡されて、あたしは「あ、ありがとうございます」としか言えなかった。こんなに高いの、もらっちゃっていいの!?
「俺が勝手に買ってやったんだ。食わねぇなら、その辺に捨てりゃいい」
「そ、そんなこと出来ません!」
 もう、捨てるなんて勿体無いこと、出来る訳ないじゃない。
「ふん、行くぞ」
 そう言って、またあたしの肩を抱くようにして歩き出した。その満足そうな顔、あたしがそう言うの、分かっていて言ったんですね! もう……篠宮さんから頂いたものを、捨てられる訳ないじゃないですか。誰からもらったってそうだけど、篠宮さんのは特に。このチョコ、冷蔵庫に入れておいて、少しずつ食べよう。
 ああ……でも、篠宮さんのバレンタインどうしよう? ビターチョコなら食べてくれそうだけど……。
 あれこれ考えていたら、また篠宮さんに肩を抱かれた。出口に向かう間、お店にいる人たちから注目されているのは同じなんだけど、その視線は今まで違っていて嫌な感じのするものじゃなかった。
 なんでだろう? と思いながらお店を出た時、女の子たちの会話が少し聞こえた。

 

「ねぇねぇ、さっきの見た? すごーい、ドラマみたい」
「さり気なくチョコを口に入れた時も、カッコよかったよぉ!」
「相手の女性も凄い美人じゃん」
「お似合いのカップルだったよねぇ」
「キスするのに躊躇なかったじゃない? いいなぁ、あたしも彼氏にしてほしい」
「あたし、バレンタインに絶対ここのチョコ彼氏に贈る! あんないい物見れたとこだもん、絶対あたしにもいいことが起こる!」
「あたしも!」

 

 ええええ!? なにそれ!? お店のドアが閉まるところで中を見たら、女の子たちが流れるように商品に向かっていくのが見えた。篠宮さんが買っただけでそんな効果があるの!?
 それに、あたしと篠宮さんがお似合いって言ってた。それは……やっぱり信じられないよ。でも、そういう風に言われて少しだけ嬉しい気持ちがあたしの中にあった。こんなこと、今まではなかったのに……。
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