Act.7  試練、再び!? ...11

「エインズワースの本部はイギリスにある。本来なら俺もイギリスにいるべきなんだが、色々あって俺の代だけ日本に本部を置いてる。血筋でない人間が総帥になったのは、二代前からだ。本筋の血が絶えちまったからなんだが、解体するには組織がデカ過ぎた。ぶっちゃけ、エインズワースが潰れれば、世界経済は崩壊するぜ」
「……はあ」
 すみません、スケールが大き過ぎてあたしには想像も出来ません。お父さんが雲の上の人って表現してたけど、ホントだわ。今更だけど、お父さんがあれだけあたしにしつこく訊いてた意味が分かった。……っていうか、本当に今更だけど、あたしが恋人なんていいんですか!?
 あたしの気の抜けた声には何も言わずに、篠宮さんは続けた。
「エインズワースの傍流は組織を継ぐ気はなかったらしい。それで、最後の直系が生きてる内に、外部から組織のリーダーになり得る奴を見つけてきて、総帥にするって決めたんだ。次期総帥の指名は当代総帥だけが持つ特権で絶対的な決定権を持つ。幹部連中が認めなくても、指名された本人が納得出来なくても、断ることは出来ねぇ」
 それで……篠宮さんのバーテンさんになりたかった夢が、本当に夢になっちゃったんだ。
「聞いてるか?」
「は、はい。……でも、それちょっと酷くないですか? 選ばれた人は嫌でもやらなきゃいけないなんて」
 ちょっとだけ、セシルさんを怨めしく思った。選ばれてなかったら、篠宮さんは自分のホテルでバーテンさんをやってたんでしょ?
「俺もそう思う。だが、エインズワースの総帥は持てる権力が並じゃねぇからな。やりたい奴にやらせたら、世界情勢は根底から転覆するかもな。エインズワースはボランティア団体じゃねぇから、それなりに利益ってのも出していかなきゃならねぇ。だがそれは、組織全体もしくは世界全体に対してってことだ。もし総帥になった奴が自分だけ儲けようなんて考えたら、その時点で世界経済は崩壊する。「総帥になりたい」なんて物好きに会うこともあるが、そういう連中は俺が好き勝手に組織を動かせると思ってんだよ。そんな甘いもんじゃねぇ。セシルが5年間探して俺以外に見付けられなかったってんなら、やる以外にねぇだろ。仕方ねぇ」
 あんまりにもサラッと言ってるけど、内容はあたしみたいな一般庶民には想像もつかないことばかりだった。でも、話している篠宮さんの横顔はどこか諦めているような感じで、胸がきゅんとなった。こんな話の時でも、こんな風に感じるんだ。
「最低でも10年やれば、エインズワースからは解放される。あと7年やりゃいいだけだ。それより話は響子、お前のことだ」
 う……そうだった。最初の話をすっかり忘れちゃったけど、あたしのことを話すってどういうこと!? しかもエインズワースのことを話したってことは、それに関係しているってことよね? そもそも、あたしなんかがあんなに詳しく知っちゃっていいの!?
 凄く不安になっていたら、篠宮さんの手が頭を撫でてくれた。あ、ちょっと落ち着いてきたかも。
「俺は指名制になって3人目の総帥だが、20代ってのも初めてなら独身ってのも初めてだ。二代前の奴もセシルも総帥になった時はもういい歳だったから、妻も子供もいたしな。だから組織にとっても俺みたいのは初めてのことなんだよ。能力至上主義だし世襲じゃねぇから、総帥なんてホモでも構わないはずなんだが……」
 ホモって……あ、同性愛者ってこと。構わなくていいの? あたしは、そういう人たちのことはよく分からないけど。
「初めてなんだから、ほっといてくれりゃいいのに」
 篠宮さんは言葉を切って、大きな溜め息をついた。
「しゅーすけさん?」
「世界中の政財界とエインズワースの幹部連中が、俺の外戚やら内戚やら義理親を狙って暗躍し始めてる。動きは去年の暮れ辺りからあったらしいが、ここ最近急に活発化したらしい」
「えと……その、がいせきとかないせきとかぎりおやって何ですか?」
 篠宮さんはショットグラスを掴んで、テキーラを一息に飲んじゃった。もう何度も見ているから驚かないけど、今の飲み方はちょっとヤケっぽかった。訊いちゃいけなかったみたい。
「知り合いや親戚や自分の娘を俺と結婚させて、あわよくばエインズワースの中枢に入り込もうって腹だろ」
 自分の中で、血の気が引いていくのが分かった。『結婚』ていう4文字が頭の中でグルグル回ってる。あたしが恋人でいられるのは、篠宮さんが結婚相手を見付けるまでってちゃんと決めているのに、いざその言葉を聞いたら気持ちが崩れそう。
 篠宮さんの顔を見たら泣き出しそうで、下を向いて声だけ聞いてた。
「師匠、おかわり」
「何気にもう六杯目だぞ。ピッチが早いんじゃないか」
「ボトル1本空けたって酔わねぇのに、このくらいでくたばるか」
「それは知っているがな、酒は体調や気分で酔い方が変わる。気を付けろと言ってるんだ」
「分かってる。今日は問題ねぇよ」
 そう言いつつ、ちゃんと注いでくれるのよね、マスターは。こういう会話を聞いていると、少し心が和む。篠宮さんがショットグラスを持ち上げたのが見えた。また一気飲みしちゃうのかな。
「ったく、あの連中は。世襲じゃねぇから無駄だってのに、俺を血筋に取り込めば、自分たちの都合のいいように変えられるとでも思ってんだろ。そんな甘い考えは叩き潰してやらねぇと気が済まねぇが、今の俺がやっても組織に損害を与えるだけだ。だからセシルにお前のことを話すんだよ。結婚する相手は決めてるから、何をしても無駄だってな」
  …………もう決まってるって……じゃあ、あたしもう別れなきゃいけないの!? まだ恋人になったばっかりなのに……。
 絶望ってこういうのをいうんだ。もう目の前が真っ暗になりそう。哀しくなって寂しくなって、そっと篠宮さんを見た。篠宮さんは空になったグラスを置いて、怪訝な顔をしてた。
「なんだ? どうした、響子」
「あの……結婚する相手が決まってるって……ホントですか?」
「ああ、俺はお前の親父に言ったぞ。いずれ響子と添い遂げるから覚悟しとけってな」
「え……」
 ええええええ!? あ、あたし!? そいとげるってそいとげるって……結婚相手ってあたしのこと!?
 絶対なにかの間違いだって、必死で首を横に振った。
「あの、ま、待って下さい! えと、その、結婚ってあたし、ですか?」
「そう言ったろうが」
「あたしがしゅーすけさんの結婚相手になるんですか?」
「だから、そう言ってる」
「でも、お父さんはそんなこと一言も……」
 あっ、真剣に考えてるってこういうことだったんだ。
「ったく、男親ってのは! まぁ、俺も今の時期じゃ早いと思ってるが」
「…… そ、ですよ。だって、まだ恋人になったばっかりだし……」
「時間なんか関係ねぇだろ。俺は響子がいいんだ」
 そんな、きっぱりはっきり言わないで下さい。なんかもう、訳分かんない!! 訳分からなさ過ぎて涙が出てきちゃった。
「どうした? なんで泣く?」
「だって……こんなの……あたし、しゅーすけさんの結婚相手が見付かるまで、恋人でいさせてもらえればって思ってたから……」
 堪えようと思っているのに嗚咽が出ちゃいそうで、ギュッと目を瞑ったら涙がボロボロ落ちた。
 突然、ペチッと音がして額を叩かれた。ビックリして目を開けたら、篠宮さんの手の平越しに呆れた顔であたしを見ているのが見えた。
「……は……え? 篠宮さん?」
「お前は……その思い込みしやすい性格は何とかしろ。俺がいつ、お前は結婚相手が見付かるまでの恋人だっつったよ!」
「え……だって……普通に考えたらそうじゃないですか。あたしは庶民ですから、篠宮さんに釣り合いません」
 溢れて止まらない涙を、篠宮さんの手が拭った。それから、しょうがないって顔でちょっと笑って、あたしにキスをした。なんだか、今までにない優しい唇の感触だった。
「ったく、だからお前の親父に先に言ってたんじゃねぇか。伝わってなかったら意味ねぇよ」
「あたし……本当にあたしなんですか?」
「そう言ってる。とはいえ、今すぐってんじゃねぇから安心しろ」
 その言葉にホッとしてたら、顔に白い物が当てられた。ちょっと熱いけど気持ちいい。これ蒸しタオル?
「師匠、化粧が取れちまう」
「中途半端に取れたままにするなよ。マスカラの跡くらい、綺麗にするんだ。お前が泣かせたんだからな」
「え……マスカラ、取れちゃってますか!?」
「ボロボロ泣いたからな、かなりグッチャグッチャだったぞ」
 うわぁ……ショック。
「お前はスッピンでも十分に綺麗だけどな」
「き、き、綺麗じゃありません」
「そう思いたいなら思ってろ。その内、その思い込みをぶち壊してやるよ」
 顔全体が蒸しタオルで拭き取られて、なんだか妙にさっぱりした気分。目を開けたら、篠宮さんが微妙な表情であたしを見ていた。
「しゅーすけさん?」
「アイメイクってのは、蒸しタオルくらいじゃ取れねぇんだな」
「え!? 酷いことになってますか!?」
「いや、さっきのグチャグチャなのに比べりゃ遥かにいいが、クマみたいなってるぞ」
「それはお前の拭き方が悪かったんだろ」
 横からマスターの声が聞こえて、篠宮さんは憮然としてた。その顔が子供みたいで、ちょっと笑っちゃった。
「響子、後で覚えてろ」
 ひぇ! もう笑わないようにしよう。篠宮さんから目を逸らしてカウンターの中を見たら、マスター一人しかいなかった。
 喉の渇きを覚えて、残ってたソルティドッグを全部飲んだ。氷は解けちゃったけど、アルコールはまだまだきつい。お陰で一息つけた。
「先に言っとくが」
「はい?」
「さっきのはプロポーズじゃねぇぞ」
 プロポ……あ、結婚相手はあたしって話。あれ、やっぱり本当なんだ。
「明日はセシルに報告するだけだ。お前にゃまだ公表するのは無理だろう」
「こうひょう?」
 言葉の意味が分からなくて訊き返したら、呆れたような顔をされてしまった。
「お前、自分で言ってたろうが。庶民だの釣り合わねぇだのって。そんなお前をすぐに公に発表出来ると思うか?」
 あ! そ、そういうことだったんだ。うう……でもそう言われると、あたしが結婚相手って真実なんだなって思い知らされる。
「あの、じゃあセシルさんに報告というのは……」
「本国で会議をするのはセシルに会うためだ。あのタヌキ親父、最近はなかなか捉まらねぇんだよ。去年まではウザいくらい連絡してきたくせに、今年に入ってから娘んとこにも連絡しねぇ。俺でさえ容易には会えねぇんだ。あいつのスケジュールに探りを入れて、ようやくアポをゲットした。とりあえずセシルに言っておけば、煩い連中を牽制くらいはしてくれる。頭の硬いジジイ共の間じゃ、若造の俺より先代の言うことを重んじる奴らもまだいるからな。利用出来るもんは徹底的に使ってやる」
 うわぁ……それって篁さんの言葉と一緒。やっぱりお二人は類ともなんですね。
 篠宮さんはショットグラスを掴んだと思ったら、一気に飲み干した。もう何杯目か分からないけど、全然酔った感じに見えない。
「でも、そうしたら、あたしのことがバレちゃうんじゃないですか?」
「まぁ、探りを入れては来るだろうがな。お前はそんなこと気にする必要はねぇよ」
「はぁ……」
 そう言ってくれるのはありがたいですけど、あたし自身が大丈夫じゃない気がします。
 あたしの気の抜けたにチラッと視線を向けてきて、篠宮さんはカウンターに頬杖をついた。
「俺の見積もりじゃ、公表できるのは3年後ってとこだろうな」
「さ、3年ですか!? あたしじゃ一生無理のような気がしますけど……」
「洸史に恨まれるから5年と言いたいが、10年の内8年も総帥が独身ってのは、さすがにまずい」
 なんでそこに篁さんが出てくるの? 恨まれるって……。
「手塩に掛けて育てた秘書を、横取りするようなもんだからな」
 あ……篁さんが言ってた「手放す」ってこういうこと!? え……じゃあ篁さんはこのこと知ってたの!?
「俺としちゃ、助かるが」
「そ、そうなんですか?」
「もう既に揉まれてるだろ。あいつに任せておけば、いい具合にお前を成長させてくれる。俺は俺で、やれることをやるだけだが」
 ちょっと意地悪そうに笑って、篠宮さんの手があたしの髪を撫でる。
「え、あの……しゅーすけさん?」
 色んなことにショックで固まっているあたしの耳に、マスターの冷静な声が聞こえてきた。
「話がまとまったところで、迎えが来たぞ」
「愁介様、響子様、お迎えに上がりました」
 来たのはクリスさんだった。いつの間に呼んだんだろう? 篠宮さんは溜め息をついてクリスさんに顔を向けた。
「クリス、もうそんな時間か」
「え、しゅーすけさん帰っちゃうんですか?」
「なに言ってる、お前も一緒だ」
 篠宮さんがスーツの内ポケットからお財布を出したから、あたしも鞄を取り上げた。
「あの……あたし自分の分出しますから」
 お財布を探していたら、ベシッと後頭部を叩かれた。全然痛くなかったけど、叩かれたところをさすりながら篠宮さんを見た。
「もう、何するんですか!?」
「当然だろうが。デートの時は男に任せろ」
「え……でも」
 今度は額をペチッと叩かれた。
「しゅーすけさん! また叩いた」
「叩きたくなることを言うからだ、ったく! 今後、俺と出掛けた時は、お前は一銭たりとも出すな!」
「ええ!? でも」
「でもじゃねぇ! これからバシバシ鍛えてやるから、覚悟しとけ」
 か、覚悟って……鍛えるって……あたし何をやらされるの!?
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