Act.6 呪縛からの解放 ...4

 お父さんの注いだビールを見ながらあたしの席についたら、隣りにいるはずのお母さんがいない。あれ? と思ったら、ドンッとあたしの横に透明な液体の入った瓶が置かれた。
 何かと思ったら、ストリチナヤの瓶だった。
「え? お母さん、これ……」
「もう社会人だしね、家に帰って来た時くらい好きなお酒を飲みなさい。だから、外ではせめてカクテルにして頂戴。 特に、さっき言ってた好きな人の前ではね!」
「お、お母さん!」
 ひえ〜! なにもここで言わなくても……! 慌てて声を上げたのと同時に、メキョッて音がした。
 え!? 何の音!?
 音がした方を見てみたら、お父さんの手がテーブルに置いたビールのアルミ缶を握りつぶしてた。お父さん、無表情で怖いです!
「お、お父さん?」
 恐る恐る声を掛けたら、「ふぅー」って溜め息をつかれた。
「いや、すまん。ちょっと驚いただけだ。そうだな、響子も年頃だしそういう相手がいてもおかしくはないからな……うむ」
「まぁまぁ、あなた、その話は後で詳しく訊きましょう」
「え!?」
 そんな、心の準備というものが……ビックリしてお母さんを見たら、逆に目を丸くされた。
「あら、当然でしょう? 響子のことを見初めてくれた人に興味があるもの。親としては」
「そうだな、後で聞かせてくれ、響子」
 ひぇ〜! お父さん、お父さんの知ってる人なんですよ、その相手は。ど、ど、どうしよう!?
「さ、お野菜が煮え過ぎちゃうわ、早く食べましょう」
 あたしの心の葛藤なんてお母さんは知らないから……でも、せめてもうちょっと時間を……。なんて思っている内にお母さんがガラス製の大きめお猪口を出して、そこにストリチナヤを注いでくれた。
 うう、飲まなきゃ絶対に怪しまれる。こ、ここは篠宮さんのことは忘れて、ご飯を楽しまなきゃ。自己暗示自己暗示……。
「響子? なにをブツブツ言ってるの?」
「な、な、なんでもない〜! すき焼き嬉しいなぁって、あははっ」
 く、苦しい言い訳だけど、口から出ちゃったらもうしょうがない。お母さんもお父さんも怪訝な顔をしてるけど、とりあえずはご飯にしてくれたみたい。
 お母さんも席について、久し振りの家族で乾杯。お母さんは飲めない人だから、こういう時は家でも外でもウーロン茶。
 でも、せっかくのストリチナヤもすき焼も、後のことを考えると全く味なんて分からなかった。
 ああ……溶いた生卵とすき焼のタレを十分に絡めて焼いたお肉、あたしの大、大、大好きな組み合わせなのに……。

 
 

「ところで響子、その紙袋はなに? さっきもあなた教えてくれなかったわね」
 お母さん……先にその話題にしてくれればよかったのに。
 ううん、ダメダメ! うつむいちゃダメだよ、響子! 変わろうって決意したんだから、何事もポジティブに考えなきゃ!
「あ、うん! 一昨日お給料が出たの。それでお父さんとお母さんにプレゼント買って来たんだ」
「あらまぁ、研修でもお給料が出るの?」
 あはは、あたしと同じこと言ってる。
「うん、あたしもビックリしたけど、研修とはいえ社員として仕事しているんだから当然って、清水さんに言われちゃった」
「清水さんて?」
「秘書室長さん。女の人なのに凄いんだよ。他にも支倉さんて男の人もいるし、男の子の同期も3人いるの。あと来月に女の子が一人入るんだって」
 話してる内に、お母さんとお父さんがあたしのことじっと見てるのに気付いた。
「え……なに?」
「ううん、何でもないのよ。会社で困ったこととかないかって心配してたから」
 困ったこと……新谷さんからキスされたとか、篁さんが意外と鬼だとか、そういうことはあったけど……。あんまり言わない方がいいかも。
「大丈夫だよ。心配のし過ぎだって」
「ええ、あなたの話し方を見ていて杞憂だったって分かったわ」
「だが響子、困ったことが起きたら、私やお母さんに言いなさい。私たちはいつでも響子の味方だからね。つらいことを溜め込むと、今後働きづらくなる」
「うん、ありがとう。でも、今は本当に大丈夫だよ」
 えへへ、って笑ったらお父さんに頭を撫でられた。
 うーん、やっぱりお父さんと篠宮さんでは全然違うなぁ。お父さんだったらドキドキしないもんね。当たり前だけど。
「さぁ、せっかくのご飯が冷めちゃうわ。プレゼントも話も後にしましょう」
 お母さんの一言で止まっていたお父さんのお箸が動き出す。あたしもすき焼に集中することにした。やっぱりご飯は温かいのが美味しいもんね。
 
 

**********

 
 
 食事の後、お母さんと一緒に後片付けを終わらせた。その間お父さんはお茶を飲みながらテレビタイム。相変わらず国営放送なのね。ニュースやスペシャルや、こういう硬い番組が好きなんだ。あんまりバラエティー番組は見ないから、お父さんが家にいる時はテレビは静か。
「さあ、片付けも終わったことだし、先ずはプレゼントを見てみようかしらね」
 良かった……プレゼントが先で。お母さん、ありがとう。
 あたしは綺麗になったテーブルにデパートの紙袋を置いて中身を出した。最初に出したのはお父さんへのプレゼント。
「はい、お父さんに」
「ありがとう、響子」
 薄い箱に入ってるのはネクタイ。凄くシックでいい柄があってお父さんに似合いそうだなって思ったから、迷わずに買った。お値段は……訊かないでくれると嬉しい。あたしでも知ってる外国のブランドで、結構高かったから。
「ほう……なかなかいいモノだな。高かっただろう」
「え……う、や……それほど、でもないよ」
 うわぁーん、こういうことをサラッと言えないから、あたしってダメなのね。うう……これが篠宮さんだったら、意地悪そうに笑われるけど、お父さんはそういうことしないから嬉しい。
「私には何を買ってくれたの?」
 お母さん、嬉しそう。考えてみたら、お父さんやお母さんに何でもない日にプレゼントするのは、これが初めてだもんね。
「お母さんにはねぇ、これ」
 透明なフィルムに包まれたものは、布で造られた造花。でもただの造花じゃなくて、透明な四角いアクリルの箱にシリコンが埋まっていて、そこから一枝の木蓮が顔を出してる。枝も花も造花なんだけど、遠目では生花に見えるくらい精巧で、凄く綺麗。
 デパートの1階をプラプラ歩いていたら、偶然これを見付けたのよね。一目で気に入って絶対これにしようって思ってた。
「あらまぁ、綺麗ねぇ。高かったでしょう」
「そ、それほどでもないよ」
 うう、顔が引きつる〜。でも慣れなくちゃ!
 ホントは結構したんだよね。なんかこの業界では有名な人のブランドらしくて、展示されてる中にはウン十万円もするのもあったし。お母さんに送ったのはそんなに高額じゃないけど、気軽に買えるお値段でもなくて……。
 お父さんはネクタイと造花をしばらく眺めてからあたしを見た。
「響子、気持ちは嬉しいが、これからは自分で稼いだお金は自分のために使いなさい」
「う……うん……えと、プレゼントはダメだった?」
 お給料もらって嬉しかったから、清水さんの発案だけど、お父さんとお母さんにプレゼントって思ったのに……その言葉は、ちょっとだけショックだった。
「いや、響子にとっては初めて仕事で得たお金だ。それで私たちにプレゼントをしてくれるのは、嬉しいよ。だが、響子の人生はこれからだ。この先なにがあるか分からない。だから、自分で稼いだ分は自分の将来のために使いなさい。私たちは今日のプレゼントで十分だよ」
 お父さんの顔は怒ってる訳じゃなくて、何だか心配そうな顔だった。
「でも……どんな風に使ったらいいか分からないよ」
「あら、4月になったら自活しなきゃいけないのよ」
 お母さんがニコニコしながら、人差し指を立てて言った。
「私たちが仕送りをするのは3月まで。4月からは家賃も光熱費も食費も税金も、全て響子が自分で払っていくんだから。お金なんていくらあっても困らないわよ。今の内にしっかり貯めておきなさい」
「うむ、お母さんの言う通りだ」
 そ、そうだった! 一人暮らしをする時にそういう約束を交わしていたんだった! そんなに無駄遣いはしていないはずだけど、月にどれくらい払っているのかなんて、家賃と食費しか知らない。うわぁ〜ん、4月までにやらなきゃいけないことがまた増えちゃった。篠宮さんから「4月までに一人前の秘書になれ」って言われてるし、篁さんだって……3ヶ月もいて大したこと出来なかったら、あたしのこと呆れちゃうよね。もしかしたらクビ、なんてことも……。ひぇ〜! 頑張らなきゃ!
「響子」
「う……あ、はい」
「本当に困ったことがあったら、私たちを頼ってもいいんだよ。だが、響子は一人でやっていけるようにならないといけない。だから、自分の生活を自分で管理出来るようにしなさい。いいね?」
「うん……」
 でも不安だよ……。うつむいてそう思っていたら、お父さんの声が聞こえた。凄く優しい声だった。
「響子、お父さんは今日くれたプレゼントで、一生分のプレゼントをもらったような気分だ。本当に……大事な給料から私のために買ってくれたものだからね。ありがとう、響子」
「そうよ。今日は私にとって忘れられない日になったわ。これ、玄関に飾らせてもらうわね。きっと玄関が明るくなるわ。響子、ありがとう」
 お礼言われてるだけなのに、うるっと来ちゃった。
「…… でも、あたしに自活なんて出来るかなぁ?」
「響子は大丈夫よ。お母さんは、なにも心配していないわ」
「そうだな、私もだ。さっきの一件以外はね」
「さっきの一件?」
 え……なんだっけ?
「ほら、あなたの好きな人のことよ。お母さんも詳しく聞きたいわぁ」
「うむ、お父さんもだ。一体誰なんだ?」
「…………」
 わ、忘れてた! どっちもその話に触れなかったから、もう忘れられてると思ったのに……。お母さんは興味津々っ、お父さんはちょっと怖い感じの表情で、あたしは顔がひきつった。
「えっと……ど、どこから話していいか……」
「名前はなんて言うの?」
 げげ! それが問題なんじゃないの!
「えっと、そのぉ……」
「なんだ、名前も知らないのか?」
 そうじゃない、そうじゃないけど……!!
 うう……もういいや、後は野となれ山となれ〜!!
「篠宮愁介さんていうの!」
「あら、いい名前ねぇ」
 お母さんはニコニコして言ってる。うん、お母さんはいい。問題はお父さん。お父さんを見ると……ひぇ! 眉間に皺が寄ってる。
「お、お、お父さん?」
「篠宮愁介というのはあの篠宮愁介か?」
「あなた?」
「ど、どの篠宮さんか分からないけど……あははっ」
 笑って誤魔化し……は通用しなかった。
「エインズワースのトップ、篠宮愁介か」
 うぇーん、そうですぅ。
「あら、お父さん知ってるの?」
 あたしもお父さんも黙っちゃった居間で、お母さんの声がちょっと間抜けに響いてた。
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