Act.6 呪縛からの解放 ...3

 あたしが一人暮らしなのを知っているから、レオンさんが訝しげに訊いて来た。
『≪どなたかいらっしゃるのですか?≫』
≪今日実家に帰ってきたんです。それで≫
「響子?」
「もうすぐ終わるから」
「仕事の話ならしょうがないけど、早くね」
「うん」
 ドイツ語で話してるの聞こえたのかな。お母さんに嘘ついてるのは心苦しいけど、電話の相手がレオンさんとか篠宮さんのことを今訊かれたくないし……。そうしたら、階段を降りていくスリッパの音が聞こえた。ホッ。
≪レオンさん、すみません。それでお訊きしたいことなんですけど≫
『≪ええ、分かりました。上司のことをどこまで話していいのか、ということですね≫』
≪そ、そうです!≫
 凄い、レオンさん! あたしまだ何も言ってないのに……これくらい出来るようになったら、あたしも篁さん秘書って言えるようになるのかな。うん、あたしも頑張ろう。
 それにしても「シェフ」って……日本語でもたまに上司のことを「ボス」て言うのは知ってるけど。篠宮さんドイツ語は分からないみたいだから、シェフって言われても自分のこととは思わないのかも。
『≪そうですね、エインズワースの名前は出さない方が……あっ愁介様!?≫』
≪レオンさん?≫
『響子、なんでレオンと話してる』
「し、篠宮さん!」
 ひえぇ、篠宮さん声が怖いよぉ!
『ドイツ語で話してるからおかしいと思えば……ったく、油断も隙もねぇな』
『締め切りまで5分の決裁ですよ。あなたが響子様との会話を早々に切り上げられますか? 私だって馬に蹴られたくありませんが、仕事が優先です』
『分かってる。もう済んだ、持っていけよ』
『…………では失礼します。あまり長話されませんよう』
『分かってるっつってんだろ! 俺は子供か!』
 うわぁ……篠宮さんを子供扱い出来るって、レオンさん凄い!
『で、何を話していた?』
「う、え、……あ、えっと……」
 きゅ、急に話を戻されても対処出来ません〜! しかも篠宮さん、まだご機嫌斜めだし。
『レオンに話せて俺に話せないことか?』
「ち、違います! あの……あたし今日実家に泊まるので今帰ってきてるところなんですけど……」
『なんだ、俺のことか?』
 うう、鼻で笑われた。なんで全部言ってないのに分かっちゃうの?
「う……そうです。お母さんが、あたしに好きな人がいるの分かっちゃったみたいで」
『母親なんてそんなもんだろ』
「そ、そうなんですか……。あの、それでですね、絶対にそれが誰かって追求されちゃうと思うんですけど、篠宮さんのことどこまで言っていいのか分からなくて」
 まさか世界で一番の財閥の総帥なんて、言ったらまずいでしょ? あたしに言えるとも思えないけど……。
 そうしたら篠宮さんに凄い大笑いされた。
『そんなもん気にするな。別にエインズワースは秘密結社って訳じゃねぇ。知ってる奴は知ってるからな、誰に言っても問題ねぇよ』
「ええ!? で、でも」
『気にしてんのはお前自身だろ』
「え……」
 どういうこと? あたし自身が気にしてるって……。
『お前の性格で気にするなって方が難しいだろうが、俺自身には何の問題もない。お前が思ってることを正直に言やぁいいんだよ』
「…………」
『試しに言ってみろ』
「ええ!?」
『お前が親に話すとして、どんなことを言う?』
 どんなことって言われても急に言われたって……。うんうん唸ってるあたしの耳に、篠宮さんの意地悪そうな笑い声が聞こえた。ああもう、泣きたい。
「篠宮さん……」
『しょうがねぇな、響子、俺の肩書き言ってみろ』
「え!? か、肩書き、ですか!?」
『言え』
 ひぇ、命令されちゃった。
「う……えっと、エインズワースっていう世界一の財閥の総帥さん」
『…………』
 む、無言!? なんでー!?
 と思っていたら、盛大に溜め息をつかれた。
『さんはいらねぇ』
「あ、はい」
『それとな……お前忘れてんだろ』
「な、なにをですか?」
『去年の10月どこで会った?』
 え!? 去年の10月って言ったら……あっ!
「お台場にあるリゾートホテルのオーナーさん!」
『だから、さんはいらねぇっつってんだろ』
「あ、す、すみません」
『他は?』
「え!? まだありました?」
『…………』
 ま、また無言ー! しかも、また溜め息つかれちゃったし。
『会社』
「あっ! グループの会長さん」
『さんは付けるな!』
「す、すみません!!」
 うわーん、だんだん機嫌が悪くなっていく。こ、怖いよぉ……。
『ってことだ』
「は!?」
 なにが、ってことなの?
『お前が好きな肩書きを言えばいい』
「あ、……そ、そうですよね」
 っていうか、エインズワースの総帥っていう凄い立場しか頭になくて、他のことはすっかり忘れてた。総帥にオーナーに会長って……やっぱり篠宮さんは凄い人なんだ。
『愁介様』
 あ、マギーさんの声だ。
『ああ、マギーご苦労』
『いや……だが、驚いた』
『世界は広いが世の中は狭いってことだろ』
 ?? どういうこと? なんか紙をカサカサする音が聞こえる。
「え……あの、篠宮さん?」
『お前の親父、商社に勤めてんだろ』
「え…… そうですけど。急になんですか?」
『今調べた。エインズワースの名前出しても問題ねぇよ。お前の親父は知ってる』
 それを聞いて頭が真っ白になった。一瞬だけど。
「ええええ!? お、お父さんが篠宮さんのことを知ってるんですか!?」
『ああ、覚えてればの話だがな。だから何の問題もねぇ』
「え……お父さんと会ったことがあるんですか?」
『お前の親父の会社はエインズワースの資本だ。いつだったか会社主催のパーティーで会ったはずだ。それ以後も何度か会ってるぞ』
 ひええええ! お父さんてそんなに凄い人だったの!?
『俺も忘れていたが、今マギーがお前んちの情報持ってきて思い出した』
「え……それって個人情報……ですよね? 今ってすぐにそんなこと出来るんですか?」
『お前な、俺を誰だと思ってる』
 うう、思いっ切り呆れられちゃった。だって、普通はそんなことすぐには出来ないじゃないですか!
「え、えと……じゃあ篠宮さんの名前を出したら、お父さんはすぐに分かりますか?」
『ああ、覚えてりゃな。それはそれで面倒だが』
「え、どうして……あっ」
『ってことだ。説明する手間は省けるが、知ってりゃそれはそれで面倒だろう』
「ですよね……言わない方がいいですか?」
 あたしも絶対にお父さんから、色々訊かれると思う。なんで知り合ったのか、とか、どこで、とか。
『お前が、言わないで済んでいられるならな』
 うう、また笑われた。確かに自信ないけど……。篠宮さんてば、よく分かってる。
『どっちにしろ、お前の好きにしろよ。じゃあな、時間切れだ』
「あっ! お仕事中にすみませんでした」
『レオンの携帯番号は削除しとけ。俺が出られねぇ時は奴に頼むから』
「は、はい、分かりました」
 これは、しょうがないよね……。レオンさんにも迷惑掛けちゃうし。でも削除までさせるなんて、篠宮さん強引。
 通話を切って、ベッドの上で溜め息をついた。
 お父さんと篠宮さんが意外な繋がり。もう絶対色々訊かれそう。あたし、上手く言えるかなぁ……うう、心配。頭を抱えそうになった時、またドアがコンコンって鳴った。
「響子、まだ話は終わらないのか?」
 うわ、お父さん! 今の今で、ですか!? でも出ないと不審がられるし……。
「お、終わったよ! 今出るから」
 もうしょうがない! 開き直ってお土産の紙袋持って部屋を出ると、お父さんが心配そうな顔で待ってた。
 土曜日で会社お休みの日なのに、ちゃんとシャツとブイネックのセーターを着てジーパンはいてる。襟を立ててるせいか、もう50歳も過ぎたのに、結構若く見えてちょっとカッコイイお父さん。バレンタインには、今でも贅沢なチョコレートを貰って来たりもしてる。お父さんチョコレートはあまり好きじゃないから、食べるのはもっぱらあたしとお母さん。お陰で上等なチョコレートが食べられるのが、2月14日の密かな楽しみになってるのよね。
 そういえば、お父さんが家の中で部屋着でウロウロしてる姿って、今まで見たことなかった。あたしは一人暮らししてから部屋着でいることも多かったけど、これからはちゃんとした服を着なきゃ、だね。
 ああ、でも篠宮さんと面識あるんだ……。きょ、挙動不審にならないようにしなきゃ。
「あ…… お父さん、ただいま。さっきは顔見せなくてごめんね。うたた寝しちゃって」
「いや……仕事が忙しいなら、無理に帰ってくることはないんだぞ」
「あはは、大丈夫。あたしまだ研修だから定時で帰らせてもらえるし、毎日出勤してる訳じゃないから。昨日もお休みだったしね。だから全然平気だよ」
 昨日はとても「お休みの日」じゃなかったけど、本当のこと言ったら篠宮さんのことも言わなきゃなくなるし、そうしたら色んなこと説明しなきゃならないもん。いずれは話さなきゃいけないんだろうけど、今ってのはちょっと……。
 なんとかごまかしつつそそくさと階段を降りたら、お父さんは何も言わずに後ろからついてきた。ホッとすると急に気になってくる。お父さんの目には、篠宮さんがどんな風に見えるんだろう。
 ……だからってあたしに訊けるはずもない。悶々とした気持ちを抱えてドアを開けたら、お肉の美味しそうな匂いが漂って来た。
 家は居間とダイニングが続き間になっているから、ご飯の時は匂いで何を作っているか分かっちゃうことがよくあった。うん、この匂いはすき焼きだ!
「うわぁ〜美味しそうな匂い!」
「早くいらっしゃい。もう最初のお肉は食べられるわよ」
 テーブルについたら、お父さんも向かいの席についた。お母さんと向かい合えばいいのにっていつも思うけど、たまにしか帰ってこないあたしの顔を見たいんだって。お父さんて娘コンプレックス? いやいやそれよりも! あたしの恋人が篠宮さんってばれないないようにしなきゃ!
 テーブルの真ん中には電気コンロが置いてあって、お鍋の中ではその中にタマネギと長ねぎと春菊、エノキダケにシイタケ、それに大好きなシラタキがぐつぐつ煮えてた。
 お母さんは立って、野菜の入ってるお鍋の空いた部分に菜箸でお肉を入れてる。
「あたしやろうか?」
「いいわよ、たまに帰って来た時くらい世話を焼かせてちょうだい。それよりお父さんにビールを出して」
「は〜い」
 冷蔵庫から出した冷えた缶ビールとコップを持って、お父さんの前に置いた。平常心平常心……と心の中で呪文みたいに唱えまくる。それが良かったのか、お父さんはあたしの顔を見ても何も言わなかった。
 ホッとしてプルトップを開けてコップに注ごうとして、お父さんは自分でやる派だったのを思い出した。
「はい、お父さん」
「ありがとう、響子」
 お父さんはビールを注ぐのがメチャクチャ上手いのだ。あたしはビールが苦手で飲んだことないから分からないけど、白い泡の高さとかはマスターが注ぐビールによく似てる。
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