Act.6 呪縛からの解放 ...5

 しん……と静まった我が家の居間。
 あれから延々、お父さんから篠宮さんのことを聞いた。去年の1月、会社主催のパーティーで会って以来、2回くらい仕事関係で直接会ってるって。それからはエインズワースがいかに大きな組織で、そこのトップ……つまり総帥はどれだけの権力と財力と地位を持ってて、一般人はまずお目に掛かれないとか何とか色々、凄い勢いで話していた。
 うう、大体予想はしていたけど、篠宮さんて本当に凄い人なんだ。その篠宮さんと顔を合わせて仕事をしているお父さんも凄い。会社にもある国際管理部みたいな部署で、お父さんはそこの部長さん。そんな凄い人と仕事なんてみんな嫌がって逃げ回っちゃって、結局お父さんに押し付けられたんだって。
 でも一般人はお目に掛かれないって言っても、篠宮さんはよくマスターのお店に行ったりしていて、結構気楽に外に出ているように見えるけど……。
 そんなお父さんの話が終わった後は、予想通りあたしへの疑問質問。なんで知り合ったのかどこで知り合ったのか、なんでそういうことになったのか、色んなことを訊かれた。もう勘弁して……って思うくらい徹底してた。
 お母さんは「まぁまぁ、素敵なロマンスねぇ。響子、玉の輿よ、凄いじゃない」なんて喜んでいるけど、お父さんは難しい顔をしてる。
「お父さん?」
「彼とはどこまで行ってるんだ?」
「どこまでって……」
「どこまで進展しているのかと訊いてるんだ」
 いやー! そういうこと訊きますか!?
 お父さん、口調は穏やかだけど顔が怖い。言えない、言えないよぉ。バージンあげちゃったなんて。今のお父さんに言ったら、雷が落ちそう。お母さん助けて!
 すがる思いでお母さんを見たら、しょうがないわね、って顔をした。
「あなた、響子は大丈夫ですよ」
 ああ、お母さんに任せて良かった。ホッとしたのもつかの間、お母さんの口からとんでもないことが飛び出した。
「もう響子と篠宮さんは結ばれているんですから」
「「…………」」
 ボー然と口を開けてお母さんを見てるのは、お父さんもあたしも一緒。
「な、なんで!? お母さん」
「当然でしょう。私は母親よ、部屋で話を聞いた時に大体は分かっていたわ。それに響子、今までと雰囲気が違うもの」
「そんな、昨日の今日で変わっちゃう……」
 思わず言っちゃって、慌てて手で口を塞いだ。
「昨日も、会っていたのか? しかもなんだ、一夜を共にしたというのか!?」
 お、お父さんの顔が……険悪に……。正直に言うしかないよね。
「っていうか、その……ちゃんと恋人になったのは昨日で……去年の暮れからデートの約束はしてあったけど、篠宮さんが日本に帰って来たのが一昨日で、昨日しかオフの日がないって言ってたから……別に泊まった訳じゃないけど流れ的にそうなったというか、篠宮さんから……」
 とてもお父さんの顔を見られなくて、最後は言葉を濁して言うしかなかった。
「響子……」
 お父さんの声が怖い。うつむいてビクビクしていたら、お母さんが肩にそっと手を置いてくれた。
「あなた、素敵な人じゃないの。あなたの話を聞いていると、とても忙しい方のようじゃない。なのに、貴重な休みの日を響子のために使ってくれたんでしょう。約束を守るために」
「だが、相手は」
「雲の上の人、と言いたいのでしょう。私だって驚いたわよ。でも、帰った時からの響子を見て、幸せなんだと感じたの。こんなに幸せに感じている子が、不幸になることはありません」
「…………だが」
「その内に向こうからやってきますよ。言いたいことは、その時に本人に言ったらいいじゃないですか。響子を責めるんじゃなく」
「別に責めては」
「私は、その篠宮さんを信用します」
 お母さんがきっぱりそう言うと、お父さんの顔から険しさが消えた。
「私は響子を責めているんじゃないんだよ。ああいう世界に響子は馴染めないんじゃないかと、心配しているんだ」
「ですから、本人が来た時にそう言えばいいんですよ」
 そ、それってつまり篠宮さんがこの家に来るってこと……だよね? そんなことあるのかなぁ?
「響子? なんでそんな不思議な顔をしているの?」
「え……だって忙しい人だし、その……凄いセレブだし、家に来てくれるかなぁって……」
「もしその人が本気なら、私たちにご挨拶に来るでしょう。お付き合いだけならともかく、それ以上の関係になると言うのならね」
「そ、それ以上の関係って……」
「あなたと結婚するならってこと」
 お、お母さん……笑顔で言うことじゃないよぉ。
「それは、いくらなんでも飛躍のし過ぎじゃないか?」
 お父さん、凄く心配そうな顔してる。あたしも篠宮さんと結婚なんて、全然考えられないし! っていうか恋人になったばっかりで、そんな余裕もないし!
「あなたの言いたいことはよく分かりました。でも、そんなの本人たちがその気になったら、止められるものじゃないでしょう。響子だって身分違いなのは分かっていますよ。あんなに内向的だった響子が、篠宮さんのことは、彼の素性を知っていても好きだと言ってるんですから、応援してあげましょうよ」
「う……うむ」
 うわぁ、お母さんてば強い! あたし、こんなお母さんの娘なんだなぁ。あたしも、こんな風に変われるのかも……。
 お父さんは釈然としない顔ではあったけど、それ以上は何も言わずに居間を出て行っちゃった。何となく背中が寂しそうに見えたのは、気のせいかな。でも、プレゼントはちゃんと持ってってくれた。
「響子、凄い人とお付き合いしているのね」
 それにひきかえ、お母さんは凄く嬉しそう。
「お母さんは、本当に反対じゃないの?」
「なに言ってるの! 好きな人と添い遂げられるなんて、女としては最高の幸せじゃないの」
「お母さんは、お父さんと結婚して幸せ?」
 今までこういう会話ってしたことなかった。今まではあたしも気にしなかったし。お母さんは、ちょっと照れたような顔でニコッと笑った。
「当たり前でしょう。私たちは恋愛結婚じゃないけれど、お母さんはお父さんの奥さんで良かったと思っているわよ。恋愛でなくてもそう思えるんだから、響子は絶対に大丈夫よ」
「そ、そうかな……」
 うわぁ、そんな風に言われると逆に照れちゃうよ。
「でも……お父さんは、篠宮さんのこと嫌いなのかな……」
 あの剣幕だとそんな感じがする。そう思っていたら、お母さんがクスクス笑った。
「お母さん?」
「あのね、響子。たとえ響子の好きになった人がその篠宮さんでなくても、お父さんはゴチャゴチャ言って来たわよ」
「え……なんで?」
「大事な娘が別の男に取られちゃうの、男の人は我慢できないのよ。今はああ言ってるけど、その内ちゃんと認めてくれるわ」
「そうなの?」
「ええ、そう。でもあなた本当に、よくそんな凄い人とお知り合いになれたわね。加奈子ちゃんに感謝かしら?」
 そっか……加奈子があの時に酔い潰れなかったら、そもそもあたしと篠宮さんは出会うこともなかったんだもんね。
「人生って分からないね」
「だから面白いのよ。あなたは、自分の決めた道を堂々と生きればいいの」
「うん……」
 それからお母さんとお茶を飲んで、自分の部屋に戻った。
 
 

**********

 
 
「あれ? 携帯……」
 部屋に戻るとベッドの上に置きっ放しにしていた、携帯のランプがチカチカ光ってた。この色は電話の着信だ。
「えー、誰だろ?」
 開いてみたら……篠宮さんだった。留守電は入ってないから、忙しいのかな?
「はぁー……」
 ベッドに横になってゴロンと壁の方を向いた。ああもう……家に帰ってきても怒涛の感じが消えない。
 お父さんの話を聞いてると、篠宮さんてスケールが大きいんだなぁって改めて思っちゃった。あたしみたいな庶民には、そのスケール感だって見当も付かない。そんな人と付き合うなんて、周りの人たちはやっぱり反対するよねぇ……。クリスさんやマギーさんやレオンさんがいいって言ってくれても、篠宮さん本人がいいって言ってくれても。
 そういう意味では、結婚なんてあり得ないだろうから、気が楽かも。篠宮さんだって、こんな庶民のあたしを結婚相手なんかには思っていもいないだろうし。……篠宮さんの結婚相手が見付かるまでは、恋人でいさせてもらえたら、それで幸せだよねぇ……うん。

 
 

 ベッドに寝そべっていたら、またうとうとして来ちゃった。ああ……ダメダメ、寝る前にお風呂入らなきゃ……。
 それでも瞼が重い……もう眠りそう……って思ったら、急に携帯電話が鳴り出した。ちょうどお腹の下にはまっていたせいで、振動でバッチリ目が覚めました。
「うひゃっ! はいはいっ」
 慌てて飛び起きて携帯を見たら、またも篠宮さんだった。こんなに頻繁に電話掛けてきて、お仕事大丈夫なのかなぁ……。とはいえ、声を聞けるのはやっぱり嬉しい。
「はい」
『俺だ』
 相変わらず『俺だ』しか言わないんだ。今はそれだけで篠宮さんだって分かるけど、他の人の電話でもやっぱりこんな風に言ってるのかな。篠宮さんらしいけど。
「どうしたんですか?」
『響子、さっきはなんで出ねぇ』
「えと……ご飯食べていたので」
『愁介様、応接室はすぐそこですよ。早く切り上げてください』
 あ、クリスさんの声。すぐそこって、じゃあ今は移動中なの。そういえば篠宮さんの声、いつもの感じと違うかも。歩いているとしたら、この違和感も納得。
『分かってる、クリス煩ぇ』
『そんなことを言う間に、響子様とお話したら如何です?』
 クリスさん……その通りですけど、そんなこと言ったら篠宮さんのご機嫌が……って思っていたら、舌打ちが聞こえた。やっぱり……。
『いつでも携帯してろ。携帯電話の意味がねぇだろ』
「え? 家の中でですか?」
 篠宮さん……だからって急に話を振らないで下さい。あたしまだ慣れません。それに家の中で携帯を持ち歩くって言うのは……ちょっと抵抗あるかも。
『俺の手間が省ける』
 う……確かに、何度も電話掛けるよりいいだろうけど、あたしとしてはそういう理由で持ち歩くのは……お父さんも気になるし。
「で、でも……お父さんがなんて言うか……」
『どうせ明日には帰るんだろ』
「それはそうですけど……」
 うう……お父さんのこと、篠宮さんになんて言ったらいいんだろ。
『愁介様、いつまで話しているですか? もう着いてますよ』
 クリスさん、ナイスタイミングです。助かった……と思っていたら、ドアがノックされた。
「響子、ちょっといいか?」
 うわ、お父さん!!
「え、あっ、ちょっと待って! あの……すみません、お父さんが来たので切りますね」
 慌てて携帯と口元を手で隠して、小さな声で篠宮さんに言ったら『切るな』と一言。
「ええ!? でも」
『クリス、30分待たせとけ』
『はぁ!? なにを言ってるんですか! 今日のスケジュールはいっぱいいっぱいなんですよ! 30分なんて割く時間がどこに』
『待たせとけ、レオンがどうにかする』
『ちょっ……どうにかするって、愁介様!? どこ行くんですか』
 クリスさんの声がどんどん小さくなっていく。レオンさん……お気の毒です。……なんて言ってる状態じゃなかった。
「響子、話があるんだ。開けてくれるか?」
 お、お父さん! 話って絶対篠宮さんのことだよね!? 今ここで篠宮さんと電話で話してるなんて分かったら……怖いよぉ!!
「ちょ、ちょっと待って! あの、篠宮さん」
『お前の父親がいるんだろ。ちょうどいい、換われ』
「ええ!? そんな、だって」
『だってじゃねぇ! 換われっつってんだよ』
「でもでも、お仕事は」
『聞いてただろ、30分空けた。お前は心配するな』
 空けたって……無理矢理空けさせたんじゃないですか。心配するなって言われても無理だよぉ。 うわぁ〜ん、どうしたらいいの!?
『いいから換われ。俺の仕事を心配してんなら、とっとと換われ』
「うう……分かりました」
 ベッドを降りてドアを開けたら、お父さんが複雑そうな顔で待ってた。
「響子、すまないね。さっきのことで話が……ん?」
 あたしは何も言えずに、泣きたい気分で無言でお父さんに携帯を突き出した。
「響子?」
『俺だ、電話に出ろ』
 ひぇ! 篠宮さん、スピーカーをオンにしてないのに、こんなにはっきり聞こえるなんて、どんだけ大きい声で言ってるんですか!? そんな風に言ったら……。恐る恐るお父さんの顔を見ると、怖いくらいに無表情。
「貸しなさい」
 声はすごく穏やかだけど、全然優しくないよぉ。本気で泣きたい気分で、お父さんに携帯電話を渡した。受け取ったお父さんは、すぐにあたしに背中を向けて「変わりました、島谷です」って携帯を耳に当てて言った。声が……声がいつものお父さんじゃないよ。
 どうなっちゃうのか心配でドアにしがみつくように見ていたら、お父さんは廊下の突き当たりであたしに向かって手を振った。手の平を見せて、まるで心配ないって言ってるみたいに。
「はぁ……本当に大丈夫かなぁ。篠宮さんて半端でなく強引だし……たぶんそういうところ、お父さんは知ってるんだろうけど」
 大人しくドアを閉めて、それにもたれるように座り込んだ。
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