Act.4 これって試練ですか?...15

 たたんでおいた蒸しタオルで、顔を拭いた。冷たくなっちゃったけど、逆にそれが気分をスッキリしてくれる。
 そうして、注がれたズブロッカを、一口飲んだ。ウォッカは、冷やして飲むと甘味が増して美味しいけど、これはやっぱりちょっとクセがある。
「あ、そういえば、なんで今日はズブロッカなんですか?」
「うん? 今の響子さんの気分には、合うかと思ってね」
 ウィンクしながら笑って言ってくれるのは嬉しいけど、あんまり分かりやすいっていうのも、ちょっとショック。まぁ、今日に限っては、あんな顔で来ちゃったからだろうけど……。
 うん、やっぱり鏡を見て、顔を作る練習しよう。
「ところで、洸史の秘書はどうだい? あれで結構厳しい男だから、苦労しているだろう」
「う……な、なんでも知ってるんですね」
 篁さんも、あたしがウォッカ好きなのを知ってたし。もしかして常連さん?
「あの、篁さんはよくこちらに来るんですか?」
「そうだね、月に2〜3回程度は来るよ。彼も酒豪でね、ウィスキーを一瓶空けても、平然としている。響子さんと飲み比べたら、面白いかもね」
「え、ええ!?」
「ああほら、噂をすれば」
 目線を上げたマスターは、そう言って顔を綻ばせた。
 え? と思ったら、そっちの方から声が掛かった。
「島谷さん? 奇遇ですね」
 この声……
「篁さん!?」
 驚いて立ち上がって、そっちに体を向けると、篁さんと一緒に碧さんがいた。
「あら、お久し振りね。島谷さん」
「え……碧さん?」
 篁さんの左側に碧さんがいて、篁さんの左手が碧さんの腰の辺りに置かれている。篁さんの着ているスーツは、会社で見たのとは違ってる。着替えてきたのかな。
「うふふ、こんばんは。本当に奇遇ね」
 碧さんは、膝丈のドレスみたいな服を着ていて、髪をアップにまとめてる。
 ほわ〜、すっごく綺麗……。
「碧さん、凄い! 綺麗です!」
「うふふ、ありがとう」
 艶然といった感じで微笑んだ碧さんは、篁さんの肩口にトンッと頭を乗せた。
「え……? あの、お二人は……」
「幼馴染みです」
「恋人です」
「…………」
 二人で同時に違うことをおっしゃってますが……?
 怪訝に思ってお二人を見ていたら、碧さんがクスクス笑った。
「うふふ、恋人よ」
「腐れ縁です」
「洸史! もう、往生際が悪いわよ。昔は幼馴染みで腐れ縁、でも今はちゃんとした恋人同士よ」
 あ……そうなんだ。美男美女のカップルは迫力があります!
「島谷さん、社内の者には内緒ですよ」
 ボーッと見惚れていたら、篁さんが茶目っ気たっぷりの仕草で、口元で人差し指を立てた。
「え、そうなんですか?」
「気付いている者はいるでしょうが」
「うふふ、今は内緒なの」
「は、はい……」
 あれ? じゃあ碧さんと篠宮さんの関係って?
「あの……それじゃ碧さんと篠宮さんは……」
「私は彼の主治医だったのよ。洸史に頼まれてね」
 艶然って感じで微笑む碧さん。そうだった、碧さんてお医者さんで、篁さんの会社の系列会社の社長さんだっけ。美人なだけじゃないのよね。ますます凄い!
「えっと臨床心理士の……ですか?」
「そうよ。だから、私と愁介さんは何でもないのよ。あなたの恋路は邪魔しないわ」
「なっ!? な、んで!?」
「うふふ、私はカウンセラーよ。島谷さん、随分気持ちがスッキリしたみたいね。モヤモヤしたものがなくなったでしょう?」
「……っ!?」
 絶句しちゃって、顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。
 な、何でもお見通しなんですね……。碧さんの前では隠し事は絶対無理だわ! あたしの場合、誰の前でも無理だけど。
「碧、島谷さんをあまり追い詰めないで下さい」
 うう……篁さん。鬼だけど、やっぱり優しい人です……。
「マスター、今日は私たちテーブル席を使わせて頂くわね」
「どうぞ。ご注文はいつもので構いませんか?」
「ええ、それで頼みます」
 篁さんが最後にそう言って、二人は並んで奥のテーブル席に向かった。
 篁さんの左腕が、碧さんの大きく開いた背中を回って、腰のところに手がある。大人の男の人って、ああいう風に女の人をエスコートするんだ!
 モワモワッと、篠宮さんがあたしにそうしている姿が思い浮かんだ。
 あんまりにも似合わないあたしの姿に幻滅する。あたしには、ああいうのは一生似合わないわ。
 でも、こんな風に思い浮かべちゃうってことは、やっぱり篠宮さんのこと好きなんだな、あたし。
 それにしても……篁さんと碧さんが恋人同士だったなんて。清水さんはこのこと知ってるのかな……。
 マスターの作ったカクテルをウェイターさんが、お二人のテーブルに持って行った。二人掛けのテーブルに向かい合わせに座って、カクテルグラスをカチンと鳴らして……。そこだけ物凄くゴージャスな雰囲気を醸し出している。
 いいなぁ……なんて思った自分にビックリして、あたしはショットグラスをクイーッと呷って、ズブロッカを一気飲み。キンキンに冷えているそれは、目の覚めるようなショックを与えてくれて、少しだけ頭が冷えた。
 あたしの飲み方を見てマスターは目を丸くしていたけど、気を遣ってくれたのかあまり話し掛けてこなかった。でもそれはこの時のあたしにとっては、とってもありがたいことで……。
 最後には、家では絶対に飲めないストリチナヤのクリスタルを飲ませてくれた。

 
 

 結局、ショットグラスで10杯ウォッカを飲んで、マスターのバーを出た。篁さんと碧さんはまだいたので、その場で会釈して出て来た。仲睦まじくって感じで、お二人で話していた。
 いいなぁ、ああいうの。
 夜も11時近くになって寒い外気が頬を付くのに、あたしは顔が火照っているのを感じていた。これって、ウォッカを飲んだからだけじゃないよね。
 あたしが篠宮さんと、あんな風になれる時が来るのかな……
 
 

**********

 
 
 誰もいないアパートに帰ってきて、あたしはベッドに座った。
「はあ……今日はホントに色んなことがあったなぁ。来週から篁さんや新谷さんと、どんな顔して会えばいいのよ……。特に新谷さんには!」
 ……考えても、このあたしにいい案が浮かぶはずもないし。
「お化粧落とそう」
 早々にパジャマに着替えて、バスルームで顔を洗って出て来ると、携帯が鳴っていた。
「うわっはいはいはいはい、今出ます!」
 着信は篠宮さんだった。う、うわぁ……よりによって篠宮さん。出たくないけど、声は聞きたい。さっき新谷さんに告白されてキスまでされちゃったからか、物凄く今、篠宮さんの声が聞きたかった。
「あ……もしもし」
『俺だ』
 いつもと変わらない篠宮さんの第一声に、クスッと笑いが込み上げた。何ていうか、安心したって感じ?
『なんだ? 響子』
 笑い声が聞こえちゃったみたいで、篠宮さんが不機嫌っぽい声で言う。
「あ、いえ、その……篠宮さんらしくていいなってお、思っただけで……」
 あたしとは思えない言葉に自分でビックリして、声がしぼんでいく。
『ふん、まあいい』
「あの……今はお仕事いいんですか?」
 この時間、ヨーロッパでは昼間なのに。
『お前はそんなこと気にするな。空いた時間でなきゃ、俺もこんな電話は掛けられねぇよ』
「そ、そうですよね」
 変なこと聞いちゃった。
『どうした? なんかあったのか?』
「え!? い、いえ……あの、電話でも分かっちゃうんですか?」
『声の方が分かりやすい』
「ええ!?」
『お前だけじゃねぇぞ。大体人間てのは、顔より声の方が感情が出るからな』
「そ、そうなんですか……」
 なんか今更だけど、やっぱりちょっとショック。
『で? どうした、何かあったのか?』
「あの……篠宮さんはあたしのこと、す……」
 ポロッと出た言葉にビックリして、慌てて口を噤んだ。
 好きですか? なんて訊けないよぉ! っていうか、あたしどうしちゃったの!? こんなことを自分から訊こうとするなんて!!
『す? なんだよ』
「う……あのっえと……」
 うわぁーん、言える訳ないじゃない!
『くっくっくっ』
 意地悪そうな笑い声がして、ちょっとムッとした。
「なんですか?」
『いや、悪ぃ。お前、ホントいいぜ』
 なにがいいのよ? やっぱりあたし、からかわれてるの?
「からかわないで下さい!」
『からかってねぇよ』
「嘘! 声が笑ってるじゃないですか!」
『ああ、お前、ホント面白ぇから』
 ガンッ!
 なんかもう、頭を思いっ切り殴られたみたいなショックだった。乾いたはずの涙が込み上げてきた。
「あ、あたし……今日……告白されてキスもされて……でも篠宮さんの声が聞けて……せっかく落ち着いたのに、なんでそんな……意地悪…… うっ……えぐっ……するんれすかぁ……うえっ」
『…………』
 ああもう……あたしってダメだ。どうしてこういう時、泣かずにもっとかっこよく出来ないんだろう。携帯を耳に抱えて、大声で泣いて……まるで子供。
 篠宮さんは電話の向こうで絶句してるし。飽きられちゃってるよね、絶対。
 このまま篠宮さんと話すことに耐えられなくなって、あたしは携帯の通話ボタンを切った。
 ベッドに体ごと突っ伏して、うつぶせになって泣いた。
 なんでこんなに涙が出るの? 篠宮さんの言ったことがショックだったから? 人を好きになるって、こんなにつらい気持ちも、味わわなきゃいけないの?
 少し経ってから、また携帯が鳴った。開いたディスプレイには、篠宮さんの名前が出てる。
 あたしはパクンと携帯を閉じた。
 鳴り続ける携帯。でも、出る気になれなかった。
 ずーっと鳴っていた携帯は、しばらくして静かになった。
 絶対、飽きれられたよね……。でも、こんな気持ちを、ずっと持たなきゃならないなら……このままでも………………

 

 …………いいことないかも!
 やっぱりあたし、篠宮さんが好きなんだ。だって、声だけでも、聞きたいって思ったもん。
 そう思ったら、早く携帯が鳴らないかなって、凄く期待してる自分がいて、またビックリした。
 ついさっきは、もういいやって思ったのに。
 でも、待てども待てども携帯が鳴らない。もしかして、本当に飽きられちゃった?
 やだ、どうしよう!?
 慌てて体を起こして、携帯を開いた。虚しく載ってる『着信1件』の文字。
 あたしのバカ! こんな思いをするなら、さっき電話に出てればよかった! ど……どうしよう!?
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