Act.4 これって試練ですか?...3

「くだびれた〜」
 初日だからって定時で帰らせてくれて、アパートに着いたはいいけど、なんか物凄く疲れた感じでベッドにダイブしてしまった。
 腕時計を見たら、まだ夜の7時。大学に行ってたら、加奈子たちと夜ご飯食べてる頃だわぁ。
「お腹……空いてるけど、作る気力ない……」
 ゴロンと仰向けになって、今日一日を思い返してみた。
 確かに、あたしの仕事はメールの翻訳だけで終わった。でも、どんどん湧いて出てくる感じで、結局午後5時までに届いた分までしか訳せなかった。研修の人は午後6時までが就業時間で、残業は正社員になるまで基本的にないんだって。
 でも秘書のお仕事が、メールの翻訳だけで済むはずないし。これからどんな仕事が待ってるのかと思うと、あたしホントにやっていけるのかなぁ?
「ああ、すっごく不安……」
 口に出したら、もっと心配になってきちゃった。
 鞄の中から、携帯メールの着信音が聞こえる。開いてみると加奈子からだった。
 『初日おつかれv』で始まるメールには、加奈子らしい内容で、最後に『頑張り過ぎると疲れるから、響子のペースでやりなネ』とあった。持つべきものは親友だなぁ……。
「不安だけど……、出来ることをやってくしかないよね」
 加奈子には、お礼と今アパートにいることを返信して、トレーナーとジーパンに着替えてから、バスルームでお化粧を落とした。
 自分のスッピン顔が鏡に映ってる。
「この顔が、今までで一番綺麗ねぇ……ホントかなぁ?」
 以前に碧さんから言われたことは、今でもあたしには信じられない。この程度の人、あたしいくらでも知ってるし、絶対碧さんの方が美人だと思うんだけどな。

 
 

 バスルーム、とは名ばかりの狭いユニットバスから出ると、携帯の着メロが鳴ってた。ベッドに置きっ放しの携帯に飛び付いたら、留守電に切り替わっちゃった。
 あっ、待って待って! すぐ出るから!
「はい、もしもし?」
『あ、響子。今平気?』
「加奈子、大丈夫だよ。どしたの? 急に」
 微妙に声が遠いような気がするのは、外からなのかな?
『いやいや、会社で揉まれて大変だったろうと思って、里佳と労おうってね』
「は? え?」
『あはは、今響子んちの前にいるの。行ってもいい?』
「え!? 今って今?」
 加奈子の言葉にビックリして、窓に掛かったブラインドを押し上げて外を見た。
『ヤッホー』
 携帯から聞こえて来る声と連動して、下の通りにいる二人が手を振った。
「え……でも、部屋片付けてないからグチャグチャだよ?」
『あははっ、今更なに言ってんの! あたしと響子の仲じゃないの。あたしの部屋の方が、何倍もグッチャグッチャだよ!』
「でも、でも里佳まで……」
『あたしなら気にしないし、平気だよ、響子』
 ちょっと遠くから聞こえたのは、里佳の声だった。
『はい、決まりね! 今から行くから』
「ええー!? ちょっとま」
 プチッと通話が切れちゃった。うわぁん、掃除だってしてないのにぃ!
 急いで目に付く物をベッドの下に付いてる引き出しに入れて、朝お化粧した時のまま出しっ放しだったメイク道具を、100円ショップで買ったプラケースに入れた。……ところで、玄関の呼び鈴が鳴った。
「はいはいはいはい!」
 慌てて魚眼レンズを覗くと、加奈子と里佳だった。ガチャガチャ音を立てながら、玄関のドアを開けた。
「おこんばんは。差し入れだよ〜」
 加奈子と里佳は、両手に持ってたコンビニのポリ袋を持ち上げて見せた。それにはビックリしたけど、とりあえず二人を招き入れた。
「どうしたの? 急に」
「いやね、響子のことだから、初日からポカやって落ち込んでないかなと、心配になって来たんだけど、結構元気そうで安心した」
「ポカって……、もう加奈子ってば!」
「上がっていいっしょ?」
「う……うん、いいけど。ホントに汚いからね」
「大丈夫、気にしませ〜ん」
「おっ邪魔しま〜す」
 加奈子に続いて里佳も靴を脱いで部屋にあがった。……やっぱり8畳一間だと3人はちょっと狭いかな。
「あん、もう響子!」
「えっ、なに?」
「これのどこがグチャグチャな部屋なのよ!」
 あたしのアパート、玄関入るとすぐに部屋に直行なんだけど、加奈子がそっちを指差して叫んでた。
「グチャグチャと言ったら、洋服とか化粧品とかが散乱していたり、キッチンに洗い物が溜まっていたりとか、そういうのを言うの!」
「それって加奈子の部屋のことを言ってるの?」
「うぐっ、今のはまあ一般論だけどさ……」
「はいはい、そういうことにしときます」
 里佳が笑って言うのを、加奈子が口を尖らせて見てる。急に大学にいる様な気がして、何故かホッとしちゃった。
「ふふっ」
「響子?」
「うん、いいなぁって思って」
「なにが?」
 あたしは二人の背中を押しながら、玄関から上がった。
「二人が親友で良かったって思ったの!」
「やっぱり会社で何かあったんじゃないの?」
「あははっ違うの。多分、加奈子と里佳も会社に行く様になったら分かるよ」
 怪訝な顔をしてる二人を部屋に押し込んだ。もう部屋のことも気にならなくなった。
「はい。多分ご飯食べてないかと思ってね、コンビニで、おでんとおにぎりとお菓子買って来た」
 部屋のほぼ中央に置いてある、細長いガラステーブルの上に、加奈子が3人分のおでんのパックを出して行く。
 里佳の持ってた袋からは、おにぎりとスナック菓子と大きいペットボトルのお茶。
 あたしたちはテーブルを囲む様に床に座った。冬だからカーペットを敷いてるけど、やっぱりフローリングは寒い。エアコンが効いてくるのは、もうちょっとしてからかな。
「ありがとう。ホント言うと疲れちゃってて、お腹は空いてたけど、作るの面倒だったんだ」
「うんうん、来て良かったでしょ?」
「うん、ホント。二人ともありがとう」
「どういたしまして。冷めちゃうから早く食べよ」
 それからしばらくは食べることに集中してた。
 誰かとご飯食べるなんて、外でしかなかったから、自分の部屋で加奈子たちと夕ご飯食べてるなんて、ちょっと変な感じ。でも今日ばっかりは、二人が来てくれて良かった。

 
 

 おでんもおにぎりも食べちゃって、開けた特大のポテトチップスを食べていたら、加奈子がおもむろに言った。
「ねぇ、そういえば響子さ、あれから篠宮さんとデートしたの?」
「んぐっ……ゴホッゴホッ」
 口の中にあったポテトチップスの欠片が変なところに入っちゃって、派手な咳が出ちゃった。
「響子! はいお茶」
 すぐに里佳がコップにお茶を淹れてくれた。ゴクゴク飲み干して、やっと一息つけた。
「……はあっ、もう加奈子ってば! 急になに?」
 加奈子は加奈子で、目を丸くしてあたしを見てるし。
「だって、篠宮さんからこの前言われたんでしょ? 日本に帰ってきたらデートしようって」
 う……そのこと言われたら、嫌でもキスされた時のこと思い出しちゃった。

 
 

 あれの翌日に加奈子から電話があって、その後どうなったのか訊いてくるから、あたしが2ヵ月前に酔い潰れたお店に連れて行かれて、篠宮さんがご飯食べるのを見た後、一緒にクリスさんに送ってもらって、アパートの前でキスされたことを話した。
 色々端折ったところはあるけど、嘘はついてないから。
 そうしたら加奈子ってば、「篠宮さんは本気だ!」とか、「デートの日が決まったら、あたしがコーディネートしてあげるから、教えなさいよ!」ってすっごい興奮しちゃって。
 里佳はあんまり騒がずにいて、加奈子の興奮を止めてくれるから助かるんだけど。
 こと恋愛のことになると、加奈子は自分のことじゃないのに、すっごく一生懸命になる。なんでだろ?

 
 

「連絡なんて全然来ないもん」
「また『俺だ』なんて言ってくる電話を切ったりしてない?」
「もう……今はちゃんと分かります! ホントに連絡ないのよ。お仕事忙しいんじゃない?」
「ふぅーん、ま、そうかもしれないよね」
 なんなの? その、納得してません! って顔……。
 ちょっとムッとしてたら、里佳が間に入ってくれた。
「加奈子はさ、先走りし過ぎなの。お互い恋してるかどうかだって怪しいのに、いきなりデートの話を出されても」
「こ、恋!?」
 里佳までそんなこと言い出すなんて! ビックリして飛び上がって、テーブルに膝をガッツンと思いっ切りぶつけちゃった。
「ったああっ!」
「だ、大丈夫!? 響子」
「いたいぃ」
 涙目でぶつけた膝を擦った。
「ほらね、恋と聞いただけでこんななんだから、加奈子は急ぎ過ぎなの」
「それは分かるけどさ、響子見てるともどかしくて」
 ヅキヅキする痛みに混じって二人の会話が入ってくる。……っていうか!
「ちょ、ちょっと待って。二人で何話してるの?」
「うん? 響子と篠宮さんの話」
 里佳ぁ、そんなにニコニコして言わないで……。
「篠宮さんは絶対、響子のこと好きだと思うんだよねぇ」
 溜め息つきながら言うことじゃないよ、加奈子。
「なんでそんなこと分かるのよ?」
「え? だって、過去に一回会ったきりの女子大生を忘れずにいてさ、しかも2年間、顔を合わせてもいないのに、いくら知り合いのお店だからって酔い潰れてるところを運んでくれてよ? その上、一流企業の秘書面接を斡旋してくれて、あげくに夕食付き合わせて別れ際にデートしようなんてさ、響子に対して何の感情もなかったら逆におかしいじゃない?」
「そうそう、加奈子の言うとおりだよ」
「え……里佳?」
「だって、篠宮さんて凄く忙しい人なんでしょ? 日本に帰ってきたらっていう去年の約束だって、未だに連絡ないってことは相当多忙だよね」
 それは、そうだろうけど……。
「でも、単にあたしのこと忘れてるってこともあるんじゃない?」
「2年も前のことを覚えてる人が?」
 うう……そう言われると、強く言えない。
 何も言い返せずにコップを持ってお茶を飲んだ。
「ま、何にしてもさ、響子」
 加奈子が自信たっぷりに言ってきた。顔を上げると、ホントに自信満々なんだけど……なんで?
「篠宮さんから連絡来たら、絶対にあたしに教えなさいよ! 上から下まで響子に似合うコーディネイトしてあげるから!」
「加奈子はファッション性は高いもんね。響子も、任せた方がいいと思うよ」
「…………うん」
「なんか、その間の長さは気になるけど、絶対だからね! 約束したからね!」
「…………う、うん、分かった」
 とにかくもう、二人の言うことを聞くことにしよう。そう思って何とか返事をしたら、加奈子は満足そうな顔でうなずいた。里佳も相槌打ってるし。
 なんで二人とも、こんなに一生懸命なんだろう?
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