未来への邂逅 3

 桜吹雪の舞う中、透は一つの墓の前に佇んでいた。
 小高い丘の上にある寺の境内。墓石の並ぶそこからは街が一望出来る、眺めの良い場所である。風が吹いては満開の桜から花弁が舞い落ち、まるで雪のようだ。
「あっ」
 何かに驚いたような小さな声が背後から聞こえ、彼はゆっくりと振り返った。
 セーラー服を着た少女と、その少女に背中を支えられて立っている、杖を突いた老婆。少女は透を見て、怪訝な顔で軽く頭を下げた。彼が佇む場所は、二人の家族が眠る墓の前だったのだ。
 少し背の曲がった老婆はゆっくりと顔を上げ、彼の姿を見るや皺の深くなった顔を驚愕に歪めた。
「ああ、あんた。あんたはっ」
「おばあちゃん?」
 杖を突きながら覚束ない足取りで透に向かっていく老婆を、少女が慌てて追い掛ける。すぐに追い付き、脇目も振らずに透に向かう祖母の腕を支え、少女と老婆は彼の前に立った。
 二人の姿を闇色の瞳に映し、透は静かに微笑んだ。
「あんたは、あの時の」
「覚えていたか」
「忘れるもんか。あんたと出会って、あたしの人生は変わったんだ」
 老婆が震える手を差し出すと、透は皺に覆われたその手を両手で優しく包み込んだ。
「今日は、お前の娘の命日だな」
「ああ、あの子が、興奮しながらあんたと会ったことを話してくれたよ。それからすぐに死んじゃったけれど、後悔はないと笑顔で逝った。あんたのお陰さ」
「俺は何もしていない。お前の娘が強いのだ」
「おばあちゃん、知り合い? 伯母さんのことを知ってる人なの?」
 二十歳そこそこに見える青年と祖母が、昔の知己のように話す様に、セーラー服の少女は不思議な顔をしている。
「お前の孫か」
「そうだよ、あの子の妹の子供さ。このあたしが人の親になって、今じゃ婆さんになっちまった。あんたに会わなかったら、あたしゃ路地裏で野垂れ死んでたろうさ。あんたはあたしの、あたしたちの命の恩人だよ」
 興奮する老婆を見下ろす透の瞳は、穏やかな色を湛えいている。
「お前のように出会っても、変わらなかった人間は幾万もいる。あれは単なるきっかけに過ぎん」
「それでも、あたしにとっては運命を変える出会いだったのさ。神様じゃないけど、神様みたいな人だって、あの子は言ってたよ。そして、とても哀しい人だとも」
「お前たちの感情に鑑みれば、そう思うのだろうがな」
 透のよく通るテノールの穏やかな声が耳を打ち、セーラー服の少女はぽうっと頬を赤らめている。女子校に通っている彼女には、透の端整な顔は目の毒だ。
 その時春風が吹き、降り積もった花弁の雪を舞い上げていく。透の黒いコート、そして少女のセーラーとスカートも舞い上がり、小さな悲鳴を上げて少女は咄嗟にスカートを押えた。
「下に短パンはいているじゃないか。恥ずかしがることないだろ」
「だ、だって」
「この人は、イケメンだからねぇ」
「やだもう! おばあちゃんってば」
 祖母にからかわれ、少女は頬を膨らませてそっぽを向く。老婆はくつくつと笑い、改めて透を見上げた。
「あれから60年近く経ったのに、あんたは全然変わらないね。あたしはこんなに皺くちゃになっちまったよ」
「生きている証だ。老いとは全ての生物に与えられた、数少ない平等なものだ。何を憂う必要がある?」
「そういうもんかね。年寄りからすれば、若いってのは羨ましいもんだよ」
「それを経て今があるのだ。老人となったことを恥じ入る必要はない」
 うつむく老婆の頭に透の右手が置かれる。彼に触れられたその部分が温かい。老いたことを恨む彼女の心から、黒い感情は消え失せていた。
「あの子の命日には、いつも来てくれているのかい?」
「今日は偶然だ。桜が美しかったのでな、誘われたのだ」
 誰に、とは言わなかったが、桜の木が彼を呼び寄せたとは、二人には想像も付かないことだ。
 透は墓の前から離れ、その場を二人に譲る。
「邪魔をしたな」
「何を言ってるんだい。あんたなら大歓迎さ」
「あの、叔母のお墓参りに来て下さって、ありがとうございました」
 ちょこんとお辞儀をするセーラー服の少女には、老婆と彼女の娘の若い頃の面影が少し残っている。
 去っていく透の後ろ姿を少女はずっと眺めていたが、老婆はすぐに墓に向き直り、娘がもたらしてくれた偶然の再会を感謝し、手を合わせた。
「あの人、また会えるのかな?」
「さあ、どうかねぇ。あたしでさえ60年も経っての再会だ。でも、もしお前が人生に迷ったり、道を踏み外すようなことがあったら、会えるかもしれないよ。だから、あの人に出会わないのは、幸せなことなのさ」
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