For a proposal the bouquet of the rose...3

 朔と真條先生は、あれからどうしたかしら?
 二人と別れてからの翌日。本来なら月曜日の今日は授業だけれど、すでに3月も半ば。私たちの職場である冬泉学園ではもう授業は殆ど無く、担任クラスを持っていない私たちは揃ってお休みだった。
 あれから特に連絡もなし。朔がどうなったのか気になって、彼女の家にやってきた。

 
 

 ふむ、相変わらず大きな屋敷ね。
「これは由比様。お久しゅうございます」
 出迎えてくれたのは篠原家の執事の永野さん。ロマンスグレーの紳士で、私と朔が幼い頃から面倒を見てくれた人。あの頃は、優しいお兄さんのような存在だったわね。
「こんにちは、永野さん。朔は帰ってる?」
「先程お帰りになられました」
 もうお昼過ぎよ。随分遅い帰宅ね。あら? 永野さん、涙を流しておいおい泣いている。
「どうしたの? 永野さん」
「わたくしは嬉しゅうございます! あのような朔様のドレス姿を、この目で見れる日がこようとは……」
 まぁ無理も無いわね、普段の朔があれじゃぁ。
 外では男物とは言え、それなりに気を使った格好をしているけど、屋敷の中ではTシャツに短パン姿で闊歩してるんだから。
 感動にむせぶ永野さんを玄関に置いて、私は勝手に上がった。小さい頃からお世話になっているし、話に付き合ってあげたいのは山々だけど、そんなことをしたら、いつまでも解放されない事は目に見えているから。勝って知ったる他人の家ね。
 玄関を抜け、吹き抜けの階段を上り、奥にある朔の部屋に向かった。
「朔、入るわよ?」
 彼女の部屋の前でノックして声を掛けたのに、返事が無い。
 反応が無い時は勝手に入ってもいい事になっているから、躊躇なく扉を開けて入ってみたら、彼女の姿がないわ。着替えているのかしら?
 静かに扉を閉めて、部屋の中に入ると、バスルームから水音が。
 仕方ないわね、お茶でも飲みながら待ちますか。
 サイドボードからポットとカップを出して、紅茶を淹れる準備を整えた。この家は彼女のご両親のモットーで、自分の事は自分でするのが約束事になっている。家付きのメイドはいるけど、個人付きのメイドはいないから、お茶は自分で淹れないといけない。さすがにお湯は用意してくれているけどね。
 ダージリンを一人穏やかに堪能していると、バスルームから朔が出て来た。
「あれ? 由比。どうしたんだよ」
 バスローブをはおって、長い髪をタオルで拭いているその姿は、いつもとは少し雰囲気が違う。ふぅん・・・。
「あ、俺にもお茶。由比と同じのでいいや」
 朔は目ざとく、ティテーブル上のカップを見付けて言った。
 あのね、私はお客よ!
 そう言ったところで無駄なだけ。私と一緒にいて朔が自分でお茶を淹れた事が、これまで一回でもあった例(ためし)はないんだから。
 仕方ないわね。食器棚から朔お気に入りのカップを出して、ダージリンティを淹れてあげる。もちろん彼女の好みに合わせて、少し温めに渋めに。
 その間に当の朔は、私が座っていたソファの対面にどっかり座って、頭をガシガシ拭いている。せっかくの綺麗なストレートの黒髪を、そんな荒っぽく扱って。昨日の女らしい朔は何処へ行ったのよ?
「はい、少しは感謝してよ。いつもいつも私に淹れさせて」
 彼女の目の前に、カップを置く。
「分かってるって。由比には色々感謝してるんだぜ、これでも」
「口だけでなく、ちゃんと態度でも示してほしいわね」
 ソファに座る私の目の前で、豪快に飲む朔。淹れるのに2分掛かった紅茶が、ものの30秒で飲み干された。本当に感謝してるのかしら? 態度って言うのは、そういうことも含めて言ったんだけどね。
「何で同じ葉っぱ使ってんのに、由比が淹れると美味しいんだよ?」
「ただ葉を入れて、お湯を注げば良いだけじゃないのよ」
「ちぇー」
 不機嫌にタオルを床に放り投げ、ソファの上で胡坐をかく朔。なんだか、いつもと全然変わらないわ。さっきは何となく女らしい雰囲気があったのに、錯覚かしら?
「昨日ので少しは女らしくなるかと思ったのに、相変わらずね」
「それだけどさ。たまにはそういう格好も良いけど、無理にやる必要ないって、昨夜真條が言ってくれたんだよ」
「今まで通りでいいと?」
「うん。で、今度の土・日も会う約束してきたんだぜ。ポルシェ走らせてくれるって」
 子供みたいに嬉しそうにはしゃいでいるわ。本当に今までと変わらない。
 ふむ、これはこっちから訊かないとダメね。
「ねぇ、さっき帰ってきたって永野さんが言ってたけど、もしかして一晩中、真條先生と一緒にいたの?」
「ああ、そうだよ」
「最後までいったの?」
「セックス? したよ」
 …………。そんな明け透けに言わないでよ。こっちが恥ずかしいじゃない。
「あれから二人で銀ブラして食事して、真條のマンションに行った」
 直球ね、二人とも。
 朔は昨日が初めて。真條先生は……あの歳で童貞って事は無いわよね。昔からモテただろうし。
 ん? 朔の瞳が輝いているわ。仕方ないわね。先を聞いてあげましょう。
「それで? どうだったの?」
「面白かった!」
「……何が?」
「だから、セックス」
 ……ああ、そう。もっと他に感想があるかと思ったんだけど。
「なんかスポーツみたいだなって思った」
「なんで?」
 訊く必要も無いけど、朔が話したがってるんじゃ、無視できないわ。
「汗はかくし動悸はするし息は上がるしで、終わった時は10 キロマラソンを、全速で走ったくらいに疲れた」
 冗談で言ってるんじゃないわよね。真剣な顔してるから。
「他には? 何も感じなかったの?」
「う〜ん、ジェットコースターに乗ってるみたいだった」
 ずるっ。
「あっという間に終わったって事?」
「うんにゃ。始めたのが10時くらいで終わったのは、確か2時くらいだったから、結構長かったぞ」
 そんな事を憶えている初体験て、一体どんな?
「あとは……、気持ちよかったかな。話に聞いてた程、あんま痛くなかったし。ふわふわしたり急降下したりって感じで、面白かったぞ。ああ、そうだ! ジェットコースターじゃなくて、スカイダイビングだな! あの感じは!」
 そう、……楽しくてよかったじゃないの。こっちは呆れてものも言えないわ。
 真條先生、こういうのが好みだったの……。確かにこんな変な女は、そうそういないわね。
「ねぇ、それ真條先生に言ったの?」
「うん、言ったよ。終わった後でさ、二人でスコッチ飲んで」
 初体験の後にウィスキー? つわものね、朔。
「そん時に、初めてのセックスはどうだった、て訊かれたからさ」
 そんなこと訊かないでよ、真條先生。……ん?
「ちょっと待って、初めてってどうして真條先生が知ってるの? まぁ、普段のあなたを見てれば、容易に想像は出来るでしょうけど」
「うん? ああ、だって俺ちゃんと言ったもん。初めてだって」
「あ、ああ……そう」
 普通そういうことは、あまりあけすけには言えないものだけど。特に年上の男性に対しては。何だかもう、頭がズキズキしてきた。
「面白かったって、セックスってスポーツだったんだなって言ったら、酒吹き出して豪快に笑ってたぜ。すげー苦しそうだったけど」
 そりゃそうでしょ、ウィスキー飲んでて吹き出せば。

 
 

 すっかり温んでしまったダージリンを、それでも勿体無いから最後まで飲んでいたら、朔の顔がにわかに緩んできた。
「んでさ、プロポーズされた」
 ぶふっ。何ですってー!!
 紅茶吹き出しちゃったじゃない!! 今度こそ、本当にものが言えなくなったわよ!
 んまぁ〜、幸せそうな顔しちゃって。
「親父と母さんに言ったら、二つ返事で許してくれてさ」
 それはねぇ。ご両親は、どうすれば朔が嫁に行けるかって、毎日頭を悩ませていたんだもの。渡りに船、でしょう。しかも真條先生なら家柄も申し分ないし。
「つまり、ハッピーエンド?」
「おう!」
「その様子じゃ、具体的な話はまだまだでしょ?」
「まぁな。なんか、ややこしい事しないといけないみたいだし。その辺は親父たちに任せてるから」
 気楽なものね。篠原家と真條家の結婚が、そう簡単に終わるわけがないのに。ま、今の内に自由を楽しんでおきなさい。
「じゃ、土・日のデートって、泊りがけ?」
「当然。ポルシェで峠、走らせてくれるってさ!」
 はぁ、楽しそうな顔しちゃって。これで結婚ねぇ、……早く相手が見付かれば、と思っていたけど、まだまだ朔には早いのかしらね。
 それにしても……。
 朔が走り屋で、ドリフト大好き女だって知ったら、真條先生どんな顔するかしら?
 彼女の車に乗せられて何度か行ったことはあるけど、ドリフトなんて、車があんな風に横向いて走れるものだってこと、私は初めて知ったから。……ちょっと好奇心をそそられるわ。
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