Act.8  乗り越えるべきこと ...5

 それから、篠宮さんは部屋の中を一つ一つ丁寧に案内してくれた。
 レストルーム付きのバスルームは、篠宮さんの部屋と同じくらい広い! トイレなんて近付くだけで便座の蓋が開くし、キッチンは広々、ダイニングルームはパーティでも開きますか? ってくらいの広さがある。
 リビングにはお約束のように大きな窓と、その傍にあたしなら余裕で寝転がれそうな革張りのソファ。窓にはカーテンが閉めてあって、今は外が見えない。それとは別に、テレビを見るためようのソファがあって、その正面にはデッカイ画面の薄型テレビ。それが乗ってる棚の下には、ブルーレイディスクのレコーダーがあった。
 うーん、さすがにセレブなお部屋。リビングだけで大学の講義室がすっぽり入りそう。
 それ以外にも4つ部屋があって、一つは雪絵さんが泊まってる部屋。ここが一番狭いという話だけど、人様のお部屋だから見るのは控えた。篠宮さんが問答無用で開けようとしたから、慌てて止めました。女性の部屋を許可なく見るなんて、やっぱり篠宮さんて俺様。
 残りの3つの内一つは寝室だとかで、キングサイズのダブルベッドが置かれてた。広い部屋が狭く感じるくらいベッドが占領してる。篠宮さん、ここで寝るのかな?
 もう一つは書斎で、立派な机に壁には本棚がズラリとあって、その中には本がぎっちり。
 そして最後の部屋。
「開けてみろ」
「え、いいんですか?」
 今までは篠宮さんがドアを開けて説明してくれたのに……変なの、と思いつつも「失礼します」と言ってドアを開けた。
 …………なんか、今までと比べるとかなり庶民的な感じ。家具とかベッドとか、あんまりお金を掛けてなさそうな感じで、ガラスのテーブルとかも置いてある。
 あれ? あの棚、見たことがあるような…………
 バタンとドアを閉めて、後ろにいた篠宮さんを見た。あたしはきっと、口を開けたままマヌケな顔をしてたと思う。篠宮さんが、おかしそうに笑ってたから。
「くっくっくっ、どうした? 入れよ」
「で、で、で、でも、あの、棚とかベッドとか箪笥とかテーブルとか、全部あ、あたしの部屋にあったやつですよ!?」
 そう、見たことあるはずだよ。だって、あたしの部屋にあるものがそのまんま中にあったんだもん!
「いいから、入れ」
 篠宮さんが後ろから腕を伸ばして、ドアを開けちゃった。背中を押されるようにして部屋に入る。
 あのベッド、あたしが今朝まで寝てたやつです。お布団の上に脱いだまんまのパジャマが! その隣りには、今日持ってたルイヴィトンのバッグと見たことない紙袋が置いてある!!
「あ、あ、あの、これ、どういうこと、ですか?」
「俺たちが出掛けてる間に、お前の部屋の物を全部そっくりそのままここに移した」
 ぎゃー! 言われてみれば、箪笥の配置とかみんな同じ!! でも部屋自体はあたしのアパートよりもずっと広いから、家具とか完全に寸足らず!! 箪笥やクローゼットが全部あっても、壁の半分も埋まってないよ!?
 それによく見たら、あたしの部屋にあった家具が貧弱に見えるくらい、立派な棚とか扉があるし!
「え……あの、あたし、ここに住むんですか? し、愁介と一緒に!?」
「なに言ってる、お前が住むんだよ。俺があそこを出られると思うか?」
 一瞬、頭の中が真っ白になった。
「ええええ!? あ、あたしが!? 一人で!?」
「雪絵も一緒だ。あいつには、お前を色々教育してもらわねぇとな」
 きょ、教育って……ええええ!?
「あ、で、でも大家さんは!? あたし3月に更新だったんですけど!?」
「ああ、全部こっちで処理した。もうあそこにお前の部屋はねぇぞ」
 ガーン!! 篠宮さんてば、本当に行動が早い!! ……じゃなくて!!
「あの、あたし、もうあの部屋に戻れないんですか?」
「なんだ、なにか用でもあったのか?」
 篠宮さん、怪訝な顔してる。これは……やっぱり言わないと分かってもらえないかも……。
「あたし、あの部屋に4年間住んでたんです。もしあそこを出る時は、ちゃんとお別れしようって思ってたから……」
 口に出したら、本当にあそこに戻れないんだって思って、涙が出てきちゃった。こぼれる前に手で拭っていたら、ポンポンと頭を撫でられた。その手が凄く優しく感じられて、ボロボロ泣いちゃった。
「悪かったな、勝手にやっちまって。だが、先に言ってもなんだかんだ理屈つけて、お前は断っただろ」
「あ、当たり前じゃないですか。あたしが……こんな部屋に住むなんて……う、えっんぅ」
 篠宮さんの両手があたしの頬を包み込んで、上向かされて、キスされた。涙が篠宮さんの手を濡らしてるのが分かったけど、止まるどころかどんどん涙がこぼれちゃう。
「ん……はぁ、篠宮さん、手が……んっ、濡れちゃう」
「構わねぇよ」
「あ……」
 大きく開いてる胸元にチュッと吸い付かれた。ギョッとして涙が止まっちゃいました。
「ま、ま、待って下さい! きょ、バレンタインっ」
「だからいいだろうが」
「そうじゃなくて……あんっ……ちょ、チョコ」
「俺は甘いのは嫌いだ。ああ、こっちの甘いのはいいぞ」
 ひええ! 胸のところ舐められたぁ!! こ、このままじゃなし崩しに……
「愁介様! 女性に無理強いはいけません」
 唐突に響いた雪絵さんの声。篠宮さんの顔が胸から離れて、ホッとした。でも、今の雪絵さんに見られちゃったのよね!? こ、これから一緒に住まなきゃいけない人なのに!
「ちっ、気が利かねぇな。こういう時は黙って扉を閉めるもんだ」
「今日でなければそうさせて頂きましたが」
 え? ちょっと待ってよ雪絵さん。今日じゃなかったら、止めてくれないってこと!?
 うわぁ……篠宮さんの顔が憮然としてる。大丈夫かな……。
「もう少し、響子様にはお心に余裕を持たせてさしあげた方が、よろしいのではないですか? ドレスが脱がせやすいからといって、襲うのは紳士のやることではございません」
 雪絵さん、ありがとう! って思っていたら、後半にとんでもないこと言われちゃった。ドレスって脱がせやすいの!? あ、自分じゃ大変だけど、篠宮さんにとってはファスナーを下げれば済むことだから。ひえー、気を付けなくっちゃ。
「それに、年に一度のバレンタインですよ。嫌い嫌いとおっしゃらずに、受け取ればよろしいではないですか。響子様からのプレゼントなのですから。お酒の用意も出来ましたし、ゆっくり会話をなさってから、甘い時間をお過ごしになられればよろしいのです」
「分かった、すぐ行く」
 篠宮さんはとっても不本意そうな顔をして、ちょっと溜め息をついてからそう言った。うわー、雪絵さんて凄い!
「では、リビングのテーブルにお持ち致しますね」
 ニッコリ笑ってお辞儀をして、雪絵さんは部屋を出て行った。篠宮さんはあたしを放してくれないままで、でも変なことはしないでくれたからホッとした。
「雪絵さんて凄いですね」
「俺とは一回り違うからな。言いたかないが、物心ついた時にはあいつは俺の専属メイドだったんだ」
 それしか言わなかったけど、つまり、篠宮さんでもあんまり逆らえないってことなのかな? 言うとなにされるか分からないから、それは黙っておいた。あ、バッグの中にチョコレート!
「あの、バッグを持ってきていいですか?」
「車ん中でも言ってたな。大事なもんでも入ってたか」
「えと……あの、バレンタインなので……し、愁介にチョコを用意したんです」
 途端に篠宮さんの顔が渋くなった。うわーん、そんな顔しないで下さい。
「あ、あの! カカオがたくさん入っていて、かなりビターなチョコだってお店のお姉さんが教えてくれたので、し、愁介でも食べられるかなって思って……あの、3つだけにしたので。あっ」
 ちょっとへこみながら言ってたら、篠宮さんがあたしから離れてルイヴィトンのバッグを持って来てくれた。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
 バッグの中から、赤茶色の渋いリボンがついた白い小さな箱を取り出して、篠宮さんに渡した。
「こ、こんなのでごめんなさい。でも、いつももらってばかりだから、あたしからも何かプレゼントしたいって思って……んっ」
 あんまり自信がなくて下を向いて言ってたら、顎の下に篠宮さんの手が入って、上向かされた。そしてもう当たり前のようになったキス。
「し、愁介?」
「俺こそ悪かったな。お前が俺のために用意したのを、邪険にして」
「そ、そんなこと……あ!」
 篠宮さんはさっさとリボンを解いて、中のチョコを一個口に入れた。あんまり美味しそうな顔はしてないけど、ちゃんと食べてくれたのは嬉しかった。
「ふん、思ったほど甘くはねぇが、やっぱり俺には甘いな」
「すみません。でも、食べてくれて嬉しいです。ありがとうございます」
「謝るな。お前の気持ちは嬉しいんだから」
 うわ…… そう言ってもらえただけで、有頂天になっちゃう。あたしってば、凄いお手軽?
 なんて思っていたら、上から笑う声が聞こえた。
「お前は、俺が買ってやったチョコレートはどうしたんだよ?」
「冷蔵庫に入れて、毎日1個ずつ食べてますよ? あ! 冷蔵庫の中の物は……」
 他の物はみんなこの部屋に置いてあるけど、冷蔵庫とかユニットバスにあった物ってどうなったの!?
「心配すんな、全部こっちに持って来てる。ってことは、俺のチョコレートはまだあるんだな?」
「そ、そうですけど……」
 な、なんか、また変なことを考えてませんか? 篠宮さんのその笑顔。
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