Act.7  試練、再び!? ...19

 翌日、あんまり派手でない下着を、選んでクロゼットから無難な感じのスーツを着て、マギーさんから教わったメイクをして、靴とコートは昨日のを使って会社に行った。バッグもルイ・ヴィトンで、出勤中はずっと色んな人から見られてるんじゃないかと、ビクビクしてた。
 受付のお姉さんには「似合いますね、素敵です」なんて言われて、恐縮しながら50階に行くと、秘書室ではまた清水さんに「似合うわよ、いい物を着ると島谷さんの綺麗さが際立つわね」と言われた。
 クロゼットに入っていた服は、あたしから見ると派手で目立つような物ばかりだけど、いくつか地味っぽく見える物もあってホッとしてる。
 そうして9時を目前に今、あたしよりちょっと遅れて出社した伊藤さんに、またしてもトイレに連れて行かれました。伊藤さん、昨日最後に見た時より晴れやかな顔してる。ちょっと元気になったのかな。良かった。
「お、おはよう伊藤さん」
「おはよう島谷さん。挨拶はさっきしたでしょ」
 呆れられちゃった。
「でもあたしは言えなかったから……」
 遠慮がちに言ったら、片眉を上げてあたしを見てる。なんか『伊藤さん復活!』って感じ。泣いてるよりずっといいけど、碧さんや奈良橋くんが言ったようには変わらないのかな……。密かに溜め息をついたら、伊藤さんが話し始めた。腕を組んで、物凄く偉そうだけど。
「とりあえず、今までのことは謝るわ。悪かったわね。正直、あんなに淀みなく通訳が出来るなんて、思ってなかったわ。失敗して泣きべそかけばいいって思ってた。でも、あの社長がそんなヘッポコ秘書を大事な会議の通訳に出すわけないものね。だから、あんたを私のライバルとして認めてあげるわ」
 がく……やっぱりそうなっちゃうんだ。
「あたしは社長のことは何とも思ってないって言ったじゃない」
「分かってるわよ! 人の言うことは最後まで聞きなさい! あんたにはあの凄いパトロンがいるんだから、社長争奪戦に加わる必要なんかないでしょ! 私が言ってるのは、秘書としてのライバルってことよ」
 あ……そういうこと。ん? あれ? 今パトロンって言った? ええ!?
「ね、ねぇ今パトロンって言った?」
「なに困惑した顔してんのよ!」
 あたしの質問は、伊藤さんにはとっても不思議だったみたい。両手を腰に当てて、ふんっと胸を張って言った。
「あんな金持ちのいい男よ? 今までノンブランドのスーツしか着てなかったあんたが、その翌日に突然シャネルのオートクチュールを着てきた。帰る時にはエルメスのコート持ってたじゃない。バッグはルイ・ヴィトン、パンプスはフェラガモと来れば、後ろに誰か付いたって以外ないじゃないの。今日はイブ・サンローランのスーツだし、もう間違いないでしょ!」
 凄い、伊藤さん。なんで見ただけで、そんなにブランドがポンポン出て来るの!?
「え……でもあの人はこい」
「パトロンにしちゃちょっと若いけど、社長だってあの若さで一流大企業の社長だもの、あり得ない話じゃないわよね」
 伊藤さんてもしかして人の話を聞かない人? それで、自分で勝手に考えて決めつけちゃう人なの? ああ……何だかもうグダグダな気分。
「ねぇ、あの人がお金持ちってどうして分かったの?」
「なに言ってんの! あの人が着てたコートと靴、ベルサーチじゃないの! スーツは見えなかったけど、コートにあれだけお金の掛ける人よ? それなりの物のはずでしょう! ただの人が、そんなもの着られると思う!? それにあの着こなし、絶対に着慣れてる人よ!」
「…………」
「なにボケた顔してんのよ!」
「ううん、凄いなって思って。あんな夜で遠くからだったのに、よくそこまで見えたよね」
「夜っつったって六本木よ! 近くにショップもあるし、かなり明るいじゃないの! 大体あんた、自分はシャネルやイブサンローランを着ていて彼の服のブランドが分からないなんて、パトロンに失礼じゃないの!?」
 だから篠宮さんはパトロンじゃないのに……そもそもパトロンって何だっけ? 前にドラマを見ていて聞いたような覚えがある。確か、クラブのママさんを愛人として囲ってるお金持ちのオジサンをそう呼んでたような……って、えええ!? つまり、伊藤さんにはあたしと篠宮さんがそう見えてるってこと!?
「あ、あの伊藤さん、あの人はね、あたしの」
「だからパトロンでしょ。悔しいけど、社長よりあの男の方が格は上のようだわ。私は男のことでもあんたに負けたってことね」
 あ、ああそっか、伊藤さんにとっては篁さんは社長夫人ていう肩書きを得るための手段で、恋とかは関係ないんだ。だからあたしにも同じように当てはめて考えちゃうんだ。
 あたしが黙ってると、伊藤さんは一人で熱く語ってる。きっと篠宮さんとは恋人同士だって言っても信じてもらえないんだろうな。こういう人も、世の中にはいるんだ。
「ちょっと聞いてるの!?」
「あ、うん。えっと……特に指名がない時は、社長の呼び出しには伊藤さんが行く、だよね」
「そうよ! あんたに仕事が回ってきた時は、あんたにしか出来ない仕事が回ってくるだろうから。そう考えると忌々しいけど、適材適所ってあるでしょ。社長の前で恥をかく訳にはいかないわ」
 これまで通り、伊藤さんは言いたいことを言って、鼻歌交じりでトイレを出て行った。
 取り残されたあたしは、しばらくの間茫然としてからトイレの鏡に映る自分を見た。これ、イブサンローランだったんだ。黒っぽくてシックだけど、あんまり目立ちそうになかったからいいと思って着て来たのに。……ってことは、あの中にある服はみんな凄いブランドってことよね!? はぁ……篠宮さんて本当に逃げ道を作ってくれなかったんだ。もう、泣きたい……。
 
 

**********

 
 
「あはははははっ! その伊藤さんって最高!」
「あの篠宮さんをパトロンなんてね」
「もう二人とも、笑い事じゃないよ……はぁ」
 この日の夜、加奈子から連絡があって久々に飲み会をしようと誘われた。あたしも二人に会いたかったし、飲みたい気分だったから、退社した後で落ち合った。
 いつもの馴染みの居酒屋で二人に会ったら、懐かしさで気持ちがいっぱいになって、会社であったことを全部話しちゃった。加奈子も里佳も、愚痴になっちゃったあたしの話をちゃんと聞いてくれて。
 その内ご飯やお酒が来て食べることに集中して、一通り食べて飲んでしてから、今日のことを話たら爆笑されちゃった。
 加奈子が、笑いながら苦しそうに目に浮かんだ涙を指で拭いた。
「はあ〜その伊藤さんての、面白〜い。篠宮さんがパトロンねぇ。あたしらから見たら、パトロンていうより王子……いや王様かな」
「俺様だし、お金持ちだし、ね」
 王様……確かに似合うかも。エインズワースの総帥だし。
「でもさ、響子」
 それまでの笑いを引っ込めて、加奈子が真面目な顔で見てきたから、ちょっと面食らった。
「え…… なに? 加奈子」
「そんな大変なことになってるなら、あたしたちに言ってよ。そりゃああたしが行く会社なんて、研修と称してディズニーランドに連れてってくれちゃうとこだから、会社でのトラブルなんて分からないけど。あたしたち親友じゃない。一人で悩まれるなんて、あたし嫌だな」
「あ…… ごめん。こんな話迷惑かなって思っちゃって」
「迷惑だなんて思わないわよ。私たち親友として信頼されてないのかもって、思っちゃうわ」
 里佳の言葉にドキッとした。そういう風に取られちゃうこともあるんだ。
「ごめん……本当にそんなつもりはなかったの」
「うん、もちろん響子は違うって分かっているけど、今話を聞いていて、ちょっと寂しく感じたから」
 里佳の表情が、本当に寂しそうな微笑みで、ホロッときちゃった。
「これからは、相談するようにする」
「ま、あたしたちにも遠慮するところは、響子らしいって思うけどね」
 加奈子が笑いながら言ってくれて、里佳も顔を綻ばせた。
 それから気分転換にデザートを頼んで、楽しく食べた。
「でもホントにその伊藤さん、厄介だよね」
 唐突な感じで加奈子がそんなことを言ったから、ちょっと驚いた。里佳も相槌うってる。
「うん? そう?」
「あれ? 響子はそう思わないの? 今まで散々色んなこと言われて来たじゃない」
「あーうん、だけど今日伊藤さんの話を聞いてたら、気にするだけバカみたいに思えてきて……伊藤さんだけがそう思ってるなら、別にいいかなって。他の部署の人たちも見てる人は見てくれてるし、伊藤さんはそういう人だって思えば、そんなに怖いと思わなくなったし。それよりも、あたし自身がちゃんとした秘書になれるように努力した方がいいかなって」
 ずっと話していたら二人が黙っちゃったから、不思議に思って顔を上げた。ビックリした。加奈子も里佳も、ポカンとしてあたしを見てるんだもん。
「え!? どうしたの、二人とも」
「あーううん、響子も成長したなって思って」
「うんうん、この前食事した時から二週間しか経ってないのに、凄い変わりよう」
「え……そ、そう?」
 二人が感慨深そうに言うから、恥ずかしくなっちゃった。
「あ! それで思い出した。ねぇ、あれから篠宮さんとどうなった? 響子のお父さんもお母さんも交際を認めてくれたんでしょ? 篠宮さん、響子を連れてご挨拶に行った?」
「ま、まだだけど……それよりも先に……」
 一昨日のことをどう言おうか考えてなくて、ゴニョゴニョしてたら「なになに、どうしたの!?」って逆に興味をもたれてしまった。
「あの……ね」
 コソコソと一昨日のことを二人に話した。エインズワースとセシルさんのことは伏せて……。
「ええーそれってプロポーズじゃない! 凄い凄い!」
「か、加奈子っ」
 加奈子があんまり大きい声で言うから、周りから注目浴びちゃった。は、恥ずかしい。
「篠宮さんも気が早いというか……でも相手が響子ならそれもありかもね」
「え!? どういうこと? 里佳」
「早い内から響子の自覚を促そうっていうんじゃない? 先にプロポーズしておけば、響子は篠宮さんの奥さんに見合うように頑張るでしょ。今だってそういうこと言ってたし」
「ほうほう、なるほどねぇ。篠宮さんてすっかり響子が気に入ってるんだね」
「か、加奈子」
「あはははっ恥ずかしがるところがまた、響子らしいよね。篠宮さんが色々ちょっかい出したくなるの、分かるなぁ」
 うう……穴があったら入りたい。加奈子ってば大声で言うんだもん。
「ねぇ、響子のそのスーツは篠宮さんから?」
「うん……あたしの服、みんな持ってかれちゃって篠宮さんが用意したのしか、今手元にないの」
「あはは、さすがだね。篠宮さん」
「だよね。イブサンローランだもん、それ。結構な値段すると思うよ」
「おお、さすが里佳! なんかさぁ、マイフェア・レディとかプリティー・ウーマンの世界じゃん。これはバレンタインが楽しみだね!」
 加奈子が楽しそうに言ったから、あたしも思い出した。すっかり忘れてたけど、今週はバレンタインがあるんじゃない! 篠宮さんにビターチョコ買っておかなきゃ。でも、マイフェア・レディとかプリティー・ウーマンっていうのは、言い過ぎじゃない?
 それからまた一時間くらいしゃべってから別れた。二人とも明日は大学はお休みだけど、あたしに気を遣ってここでお開きにしてくれた。
 明日からまた伊藤さんと一緒か……。碧さんも奈良橋くんも変わるって言ってたけど……うーん、変わったのかなぁ? 理不尽な言い掛かりはなくなったから、変わったって言えるのかも。人はそんなに急には変われないもんね。それを言ったらあたしもあんまり変わってないと思うし。それにあの方が伊藤さんらしくて安心するかも。
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