Act.7  試練、再び!? ...18

 それから碧さんと雑談して、秘書室に戻った。支倉さんと都賀山くんは篁さんに同行してるからいない。辻村くんは一生懸命パソコンに何か入力していた。奈良橋くんはその辻村くんの傍で、モニターを指差して何か言ってる。早くて確実に仕事を終える奈良橋くんは、よくこうして辻村くんに色々教えてる。あの都賀山くんも頼りにしてるから、やっぱり奈良橋くんて凄い。
 伊藤さんは自分のデスクで、書類の束に付箋を貼り付けてた。目が真っ赤で瞼も腫れていて、ちょっと痛々しく見える。
 席を外していたことを謝りに清水さんのところへ行くと、まだ少し赤くなっていた頬を見て驚かれちゃった。でもそれには言及しないでくれて、ちょっと助かった。
「会議の報告は受けているから、心配しなくても大丈夫よ。それより、今回の仕事は前回よりも上手くいったみたいね。倉橋課長から聞いたわ。これからも頑張って」
「あ、ありがとうございます」
 そんな風に言われると、やっぱり嬉しいと思う。これがやりがいってことなのかな。
 その後は、今日の会議の報告書を書いて、各部署から社長秘書室宛てでメールに添付されてきた文書データをプリントアウトしたりした。
 5時30分を過ぎて支倉さんと都賀山くんが戻ってきた。それを見て、清水さんが社長室に行く。都賀山くんは何だかとっても疲れてるみたい。支倉さんは苦笑して、都賀山くんの肩を叩いてる。やっぱり篁さんに同行って、大変よね。
 そうして気が付けばもう6時。デスクを片付けて、清水さんはいないから支倉さんに退社の挨拶をした。ロッカーからコートとバッグを持ってデスクに戻り、ポーチや必要な物をバッグに詰めて、みんなに挨拶をして秘書室を出た。
 今までもそうだったけど、特に一緒に帰ろうって思う人が秘書室にはいないのよね。最初に研修に来てたのがあたしだけだったっていうのも、あると思うけれど。
 廊下の窓から外を見ると、綺麗な光りの夜景が広がってる。あの光りの一つ一つが、こういう会社の一室でみんながお仕事してるってことなんだよね。うん、自由に時間が使える今の内に、いっぱいやれることをやっておかなきゃ!
 篠宮さんから渡されたコートを羽織ると、凄く軽いのに驚いた。カシミヤだから当然かもしれないけど、着てないように感じるのにとっても暖かい。二枚重ねの一枚目にだけベルトを巻いて、エレベーターホールに向かおうとしたら、バッグに入れた携帯電話が鳴った。
 わっ、誰だろう? 開いて見たら知らない番号が載ってる。ちょっと迷ったけど、その間も鳴ってるから思い切って出てみた。
「はい、島谷です」
『響子様、私です』
 え!? この声、クリスさん!? なんで!? 篠宮さんと一緒にイギリスに行ったんじゃなかったの!?
「クリスさっ、あ、あのク、ク」
『呼び捨てに出来ないお気持ちはよく分かりますが、どうぞ慣れるために呼び捨てにして下さって結構ですよ』
 うわぁーん、クリスさんは味方してくれると思ったのに……。
「あ、ク、クリス、どうしたんですか? し、しゅ、愁介っと一緒に行ったと思ってました」
 い、言えた……もう何だか、これだけで疲れる。
『ええ、今日のこの仕事が終わったら、イギリスに向かいます。いつものように地下駐車場まで降りてきて頂けますか? そこでお待ちしております』
「ええ!? 待ってるって……あの、それって、クリスぅ……が、送ってくれるってことですか?」
 もう、呼び捨てにするなんて、あたしには一生無理だよ。泣きたくなってきた。
『多少語尾が変なのは、全く構いませんので、どうぞたくさん呼んで下さい。私は良い練習台になりますから』
 そんな笑いながら言わないで下さい。やっぱりクリスさんにとっては、篠宮さんが一番なんですよね。
『もう秘書室は出られたのですか?』
「は、はい。もう帰るところでした」
『それは良いタイミングでしたね。では、お待ちしていますので』
「はい……」
 はぁ……切れた携帯をたたんで、肩を落として溜め息をついた。クリスさんが迎えに来たって事は、きっと朝のことよね。大量に服を持って帰らされるのかなぁ。あたしのアパートに入れるところあったっけ?
 考えても始まらないから、急いで地下に降りることにした。もしみんなが帰るところで会っちゃったら、地下に降りる言い訳が思い付かない!
 エレベーターホールで下行きのボタンを押すと、運良く一台の扉が開いた。あ、このエレベーター、昨日使ったやつだ。……もしかして、クリスさんが上げてくれたのかな。
 エレベーターは途中で止まることなく、地下まで行った。駐車場に出ると、クリスさんがいた……け、ど。
「え!? クリスさっ!?」
「響子様、お待ちしておりました」
 いつものようにお辞儀をしてくれるクリスさんだけど、髪が黒くないですよ!?
「髪が……銀色」
「ええ、そろそろ私も本来の姿に戻るべきだろうと、レオンから言われまして。コンプレックスが克服出来るとは限りませんが、出来ることはしていこうと思いまして」
「あ……凄い、綺麗です! レオンさん、あっ、れ、レオンのプラチナブロンドも綺麗ですけど、クリスっのも、凄い素敵です」
 ああ、やっぱり呼び捨てには抵抗ある。でも、どもりまくりのあたしに、クリスさんは優しく微笑んでくれた。
「私も響子様を見習いませんと……」
「え!? あたし、ですか!?」
「ええ、つらいことがあっても逃げ出さずにいらっしゃるのは、感嘆致します」
「そんな……あたしなんて……」
 クリスさんの言葉を素直に受け止められなくて、あたしはうつむいた。ダメだなぁ、この後ろ向きな感じ。今日の会議が終わった時みたいに、素直にお礼が言えればいいのに。
 心の中でモヤモヤ思いつつ、クリスさんに促されて車に乗った。もう見慣れた篠宮さんの車。でも、篠宮さんに乗せてもらったのはまだ2回だけ。忙しいからしょうがないけど、やっぱり篠宮さんが運転してくれる車に、乗りたいなぁ……。

 
 

 夕方のラッシュ時にぶつかっちゃったから、アパートに帰るのに40分も掛かっちゃった。電車と歩きでも30分は掛かるから、それでも早い方なのかも。
 この前のデートの時みたいに、クリスさんに手を引かれてアパートの階段を上る。部屋に着いて鍵を開けて中に入ると、別に変わったものはなかった。
「えっと、何も変わってないように見えますが?」
 クリスさんが説明してくれるってことで部屋に上げたけど、やっぱり男の人を入れるのって緊張するなぁ。
「クロゼットを開けてみて下さい」
「は、はい」
 篠宮さんの部屋にあるのに比べたら、笑っちゃうくらい小さなクロゼットを開けると、見たことないスーツやブラウスやスカートがぎちぎちに入っていた。
「え!? これ……あ、あたしのスーツは!?」
「ええ、申し訳ございません。失礼とは思いましたが、愁介様からクロゼットの中身を入れ替えるように言われまして……。ただ置いておくだけでは、響子様は着ないかもしれないからと……」
 み、見透かされてた。日本にいないなら、自分の服でいてもバレないかもって思ってたのに。
「えと……それじゃあ、あたしの服はどこに……」
「愁介様の部屋にあります」
「あ、あそこに……ですか」
 この部屋にどこかにあるんじゃないかって希望を持ったら、考えが甘かった。
「あのぉ……もしかして下着とかも?」
「あ、いえ。それはさすがに私が触るのは憚られましたので、入れ替えてはおりません」
 ホッ、よかった。でも、それじゃあ下着はどこに?
「えと、それはどこにあるんですか?」
「バスルームに……」
 クリスさんがボソッと言うのを聞いて、すぐに扉を開けた。ユニットバスの便器の上に、きゅうくつそうに大きくて綺麗な箱が置いてあった。プラスチックのケースじゃないところが、篠宮さんらしいかも。中には、今日はいてるような下着が、一つ一つパッケージされて詰められていた。
 それと一緒に小さな箱も収められていて、その中には、今日使った化粧品の数々が入ってた。
「それから靴ですが、そう何足も置くスペースはありませんでしたので、5足靴箱の中に入れてあります」
 急いで玄関に出て靴箱の中を見たら、あたしの靴は一足もなくて、ヒールの高いパンプスが4足入ってた。5足目はよく見慣れた物だった。
「あれ? スニーカーみたいのがありますね」
「ええ、スニーカーですがヒールは高いので、ファッション性が高いと評判の靴です。比較的はきやすいと思いますよ」
「はい。助かります」
 確かに、普通のスニーカーよりも踵の部分が高くなっているけど、パンプスをはくよりは抵抗感がなさそう。
「それと愁介様から伝言です」
「は、はい!」
「俺がいないからって、下着だけ自分のを着るなんてズルはするなよ、とのことです」
 あはは〜、すっかり見透かされてるわ、あたしの考えること。もう泣きたい。
「響子様にはおつらいでしょうが……」
「いえ、しの、愁介っん……にこれくらいやられないと、多分あたしは変われないと思うので」
 そうよ、ここは考え方を変えるしかないわ! 自分で変わることが出来ないなら、変えてもらうしかないんだもん! 着るのには多分凄く時間が掛かると思うけど、今日だって、何だかんだでああいう下着をつけてること、忘れてたし。トイレに行くと嫌でも目にするからしょうがないけど、それでも忘れることは出来てたから。
「本当に、響子様はお強いですね。やはり愁介様が選ばれた女性です。私ももっと見習いませんと」
 クリスさんは自嘲するように言って、深々と頭を下げて帰って行った。そんなに偉いことでもないと思うんだけど……。こうしなきゃ出来ないんだから。
 クリスさんは、これから最終の便でイギリスに向かうんだって。さすがに篠宮さんが乗ってないと、プライベートジェットは飛ばせないから。それでもファーストクラスなのはさすがだと思う。
「はぁー……クリスさんの前であんなこと言っちゃったけど、ホントに明日から大丈夫かなぁ……」
 高級ブランド品の数々に囲まれて、あたしは途方にくれた。
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