Act.2 これがあたしの進む道?...6

「あの……島谷響子ですが」
 フロントに行って名前を言うと、受付の人は慌てて奥に引っ込んじゃった。ああ……前にも見た、この光景。そして、奥から垣崎さんが出てくるのよね?  ……なんて、あの朝のことを思い出していたら、その通りに垣崎さんが出てきた。
 なんか……見間違いようもなく嬉しそうにニコニコしてる。やっぱりあたしのこと、誤解したままなのね。はぁ……。でも、あたしが篠宮さんの「大事な人」だからって、どうして垣崎さんがあんなに嬉しそうなの?
 うーん……全然分かんないや。そんなことを考えていたら、またしても垣崎さんに丁寧なお辞儀をされてしまった!
「島谷様、またお越し下さいまして、恐悦至極に存じます」
 ひぇ〜〜、恐悦至極だなんて、言われるようなあたしじゃないのに!
「か、か、垣崎さん。あの……あたしは」
 しどろもどろであたしと篠宮さんの関係を話そうとしたら、垣崎さんにやんわりと止められた。
「承知しております」
 はい?
「オーナーよりお話は伺っております。わたくしがご案内致しましょう」
 クリスさんは、後で部屋に行くって言ってたよね。
「あ……じ、じゃあ、お願いします」
 ちょこっと頭を下げたら、垣崎さんは凄く嬉しそうにに笑って、もう一度あたしに丁寧にお辞儀してくれて、先導してくれた。
 この前、朝食で案内されたのとは別のエレベーターに乗る。
 なんか……お客さんは他にも結構いるのに、あたしたちだけ違うエレベーターに乗るって、どういうこと? 何となく、周囲の視線も、痛いというか変な感じなんだけど…。
 エレベーターに乗ってから、垣崎さんに訊いてみた。
「あの、垣崎さん。これから行く部屋って?」
「オーナーからの要請で、プレジデンシャルスウィートをご用意いたしました」
「は!? ぷぷぷプレジデンシャルスウィート!?」
 ……って、もしかして一番豪華な部屋なんじゃあ!?
「我がホテルにおいては、ロイヤルスウィートに次いで格式の高い部屋でございます」
 あたしは、自分の頭から血の気が引く音を聞いた。
「そ、そんなお部屋を」
「これはオーナーがご自分で決められたことですが」
 あたしのパニック寸前の言葉に被さるように、垣崎さんが続けた。
「たとえオーナーと言えど、勝手にそのような部屋を使うことは出来ません。オーナーはお客様として、この部屋をお取りになりました。島谷様がお気にされることはございませんよ」
 クリスさんも、そんなこと言ってたけど……。
「でも、昨日急にでしたし、それに……あ、あたしはそこまでして頂くような人間じゃないですし……」
 垣崎さんの顔を見ることが出来なくて、あたしは下を向いてモジモジしながら言った。だって、そこまでやってもらう理由がないもの。来なきゃ良かった。まさか、こんな大事になるなんて……。
「そのような顔をなさいますな」
「え?」
「オーナーは何も考えずに行動される方ではございません。ご心配には及びませんよ」
 そんなこと言われても……。なんて言えば、あたしの気持ちを分かってもらえるんだろう?
 そう思って垣崎さんをチラッと見たら……び、ビックリした。
 垣崎さん、凄く優しそうに笑ってるんだもん。
「あのぉ?」
 問い掛けた時に、チンッと音が鳴って、あの独特の浮遊感と共にエレベーターが止まった。
 垣崎さんは急に元の……多分、仕事の時の顔なんだ……表情に戻って、あたしにエレベーターから降りるように促した。
 どうしよう、どうしたらいいんだろう?
 垣崎さんはあたしがエレベーターから降りるのを、ずっと待ってくれてる。
 それでも、決心が付かずにいると、外からチンッという音とエレベーターの扉が開く音がした。あたしたちのいるエレベーターの前を横切っていく人影は、クリスさんだった。
「あっ!」
 思わず声をあげちゃって、クリスさんが驚愕してこっちを見た。
「島谷様、何をしておいでです」
「あ、あの……」
 なんて言おうか迷ってる間に、クリスさんの方が垣崎さんを見つけた。
「垣崎、何をしている?」
 急にクリスさんの口調が変わったから、ビックリした。サングラス越しでも、クリスさんが眉をひそめたのが分かった。どうしよう、なんて言ったらいいの?
「お客様をおもてなしするのが、我々の仕事です。島谷様が降りるご意志を示されるまで、わたくしはお待ちします」
「え!? あっ!」
 垣崎さんの言葉に驚いていたら、クリスさんがいきなりあたしの右腕を取って、エレベーターからあたしを引っ張り出した。
「クリスさん?」
「ここまで来て、何を躊躇っておられるのです?」
「で、でも……」
 クリスさんに引っ張られながら垣崎さんを振り返ったら、垣崎さんは穏やかに笑って、深々とお辞儀していた。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごし下さいませ。ハーヴェイ殿、島谷様をお願い致します」
「ご苦労だった、垣崎」
「あっ、ありがとうございました」
 頭を下げた先で、エレベーターが閉まる音がした。
「一体どうされたのです?」
「あ……あの、こんな凄い部屋にあたしなんかが入るなんて、恐れ多くて……」
「言ったはずですよ。愁介様が勝手にしていることです。貴女が気にされることはありません」
「でも……このまま、流されるままで、いいのかなって思うし……」
 下を向いてポツリと言ったら、上から静かな溜め息が落ちてきた。
「流されていると思われているのは、貴女自身に自信がないからでしょう」
 言われて更に落ち込んだ。篠宮さんも、そう言ってたよね。
「あたし、あたしは……」
「貴女も、そんなご自身を変えたいから、来たのでしょう? ならば、それは流されておられるのではなく、響子様のご意志ですよ」
「でも……篠宮さんがいなかったら、あたしは…… それに、こんなことにもなってなかったし……」
 つい拗ねるような口調で言ってしまった。でも、クリスさんは怒らなかった。
「愁介様は何も考えずに行動はされません。それに、ご自分の不利益になることもされません。この意味が分かりますか?」
「え!? えっ…あの? ……わ、分かりません」
 急に訊かれても、そんなこと答えられる訳ない。しどろもどろになって、結局バカな答えしか出せないあたしを、クリスさんは笑ったりしなかった。
「貴女に関わることで、愁介様には何らかの見返りがあるということです。それが何かは、私にも分かりません。愁介様にしか分からないことです。ですから、貴女は今のこの境遇を、甘んじて受けなさい」
「…………」
 つまり、余計なことは考えるなってこと?
 何か、クリスさん凄い言い切っちゃってる。それだけ篠宮さんを信じてるんだ。
「よろしいですね?」
 確認するようにそう言って、クリスさんはあたしの背中を文字通り押してくれた。

 
 

 クリスさんに促されて入ったそのプレジデンシャルスウィートという部屋は、この前泊まった部屋とは比べものにならないくらいゴージャスでした!
 ドアからリビングまで、ホテルのロビーじゃないか!? って呻きたくなるような廊下だったし、ようやく着いたリビングは、何畳あるのかとにかく広い!
 うわっ、天井からはシャンデリアが下がってる! こ、こんな部屋、ホントにあたしが入っていいんですか!? ビックリを通り越して怖いよ!
 大体、あたしに自信を付けさせてくれるとか言ってたけど、こんなゴージャスな部屋で一体何をするというの!?
「愁介様は、先に着いていらっしゃるはずなのですが……?」
 そう言って部屋を一回り見渡したクリスさん。
 とりあえずソファで待つように言われたので、あたしは手近にあったこちらに背を向けているソファに回り込んだ。
「あっ」
「どうしました?響子様」
 どうしたと問われても、どう言えばいいのか。
 考えあぐねている内に、クリスさんがあたしの後ろに立って、それを見付けて溜め息をついた。
 篠宮さんはちゃんといた。ただ、出入り口のドアからは背中を向けているソファの上で、体を横にして寝ていたから、あたしたちには見えていなかっただけだった。
 肘掛けのところにフカフカのクッションを枕代わりにして頭を乗せ、足は反対側の肘掛けに靴をはいたまま乗せてる。とは言っても、くるぶしのところから下ははみ出ているんだけど。足、長いんだなぁ……。
 しかも篠宮さん、スーツ姿で眠ってる。襟は大きく開いていて、ネクタイもしていないけど……
 凄い、カッコいいよぉ!
 それに、男の人が眠ってるところなんて、お父さんしか見たことなかった。
 イケメンは寝ていてもイケメンでした!
 あたしは向かいのソファに座るのも忘れて、篠宮さんの寝顔に見入ってた。
 あたしたちが入って来たのにも気付かないなんて、疲れてるのかな……。ますます、こんな時にあたしの面倒まで見られてしまうなんて、何だか物凄く悪いような気がする。
 あ……クリスさん!?
「愁介様、起きて下さい。響子様をお連れしました」
 ああ、そんな。せっかくぐっすり眠っているのに、わざわざ肩を揺り動かして起こさなくても。
「……んっなんだ? クリス?」
 あっあぁ〜、起きちゃった。もう少し、寝顔を眺めていたかったな……ハッ! あたしってば、また何思ってんの!?
「愁介様、響子様をお連れしました」
「ん……ああ、もうそんな時間か」
 篠宮さんは、まだ眠り足りなさそうに顔をしかめながら、体を起こした。
 う……うわっ、シャツのボタンが思ったよりたくさん外れてて、鎖骨とかむ…胸板とか見えちゃってるよぉ。目、目のやり場がありません!
 微妙に篠宮さんから視線を外していたら、「どこ向いてんだ?」と訝られた。
 お願いですから、そういうことは訊かずに、さっくり無視しちゃって下さい。
 なんて、言える訳なくて、言われるままに篠宮さんの向かいのソファに座った。
「愁介様、早く頭を起こして下さいませんと、4時からの会議が滞ります」
 え!? 4時から?
 なんか話が違うことに、驚いてクリスさんを見たけど、彼はそれには気付かなかったみたいで、水滴が浮いたペットボトルから、ミネラルウォーターをコップに注いで、篠宮さんに渡した。
 それを一気飲みで飲み干して、篠宮さんは大きく伸びをしてる。
 まるで存在を忘れられたような感じで、あたしは心配になって訊いてみた。
「あ、あの……篠宮さん? 会議って?」
「ん? ああ……昨日から3日間会議が山のようにあってな。立場上、全部に出なきゃいけねぇんだよ」
 膝の上に頬杖ついて、気だるそうに話すのはとってもカッコイイけど、あたしは!? 篠宮さんに呼ばれて来たのに……。
「心配すんな。お前のことはちゃんと頼んである」
「は!? えっえ!? ま、また顔に出てました?」
「ああ、『こんなことなら来なきゃ良かった』ってな」
「ああああぁ〜」
 マジで頭を抱えてしまった。
「そう心配すんな」
 あたしの頭の上から、そんな篠宮さんのくぐもった声とライターを灯す音が聞こえた。
「あの、頼んであるって、誰にですか?」
「そんな不安になる相手じゃねぇよ」
「でも……」
 何があるのか知らないもん、不安になるのは当たり前じゃない。でも、篠宮さんに睨まれたら、怖くて何も言えなくなっちゃう。
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