Act.2 これがあたしの進む道?...7

 しゅんとなって俯いていたら、目の前のテーブルにソーサーに乗った、ティーカップが静かに置かれた。なんか、凄い豪華そうなカップなんですが……。
「?」
「大丈夫ですか? 響子様。愁介様は多少……というか、かなり物言いのキツい方ですので」
 クリスさんだった。大学でのことと言い、やっぱり優しいなぁ、クリスさん。もしかして、篠宮さんよりずっと優しい?
 カップの中はお茶かな? 綺麗な琥珀色で湯気が立ってる。
「タンポポのハーブ・ティーです。響子様のお口に合えばよろしいのですが」
 タンポポ……可愛い響きなのに、クリスさんが言うと妙にサマになるなぁ。篠宮さんが言ったら……絶対に似合わない!
「そんなこと、ありません。とっても嬉しいです、ありがとうございます」
 あたしは横に立ってくれているクリスさんに、お辞儀をしながらお礼を言ってから、カップを持って香りを嗅いでみた。
 ほわ〜、いい香り。タンポポって言うから、何となく雑草っぽいのをイメージしてたけど、そんなこと全然なくて普通のハーブティと変わりない。むしろ、ローズヒップティみたいな赤くてすっぱいのよりも、ずっと普通のお茶に近いかも。
 香りに誘われるように一口飲んだ。
「……美味し!」
 何というか、ちょっと感動するくらい美味しかった。お茶なのに……。
「響子様のお口に合いまして、ようございました」
 あたしの横でニコッと笑った。その顔にサングラスはなくて、クリスさんの瞳は薄い碧だった。
 うん? あれ? なんか違和感があるような?
 ……あっ! そっか分かった。
 車の中でも感じた違和感がなんなのか、あたしはようやく分かった。
「あの、クリスさん」
「なんでしょう?」
「クリスさんて外人さんですよね?」
「はい!?」
「ぶっ」
 あたしの訊き方、変だったのかな?
 篠宮さんは煙草にむせて咳き込みながら笑ってるし、クリスさんはそんな篠宮さんを見て、複雑そうな顔してる。うーん、例えて言えば、苦虫を噛み潰したような顔?
「あのな、響子」
「はい?」
「クリスはアメリカ人だ」
「あ、やっぱり? でも、髪黒いですし、日本語が凄いお上手ですけど……?」
「ああ、そりゃな」
「愁介様!」
 クリスさん? 何をそんなに慌てて?
「こいつ、日本語しかしゃべれねぇから」
「…………は!?」
「生まれも育ちも日本なんだよ。んで、日本人の夫婦に育てられたから、中身はまんま日本人だ」
「ええ!?」
「響子様が何もおっしゃらないので、てっきりスルーして下さっていると思っていたのですが」
 クリスさんが、困ったような情けない様な顔でボソッと言った。
 そう言えば、クリスさんが言う横文字の言葉って、みんなあたしに馴染みのある発音ばっかりだ。……あれ?
「え!? でも髪は黒いじゃないですか?」
 そう訊いたら、篠宮さんはお腹を抱えて爆笑した。
「愁介様……」
 ひぇ〜、隣からなんか冷え冷えとした空気が……。
「あ、あのぉ?」
「わ−はははははっ! クリスは銀髪だ。地毛でいると、どこでも英語で話し掛けられんだよ! だから、わざわざ黒く染めてんだ。髪が黒けりゃ、まず日本人と思われるからな! くっくっくっくっ」
 あっ、なるほど。そうだよね、サングラスしていれば瞳の色も分かんないし。
 でも、篠宮さん笑い過ぎじゃあ……。なんか、隣からクーラーみたいな冷気な漂ってくるんですけど……。篠宮さんの殺人視線並みに怖いです。
「愁介様」
「なんだ? 悔しかったら英語くらいしゃべれるようになれ。こいつは日本人なのにドイツ語で会話出来るんだぜ」
 心落ち着けようと、ティーカップに手を伸ばしてたから、驚いてガチャンとソーサーと音を立てちゃった! とっても薄くて高価そうな陶器のカップなのにぃ! っていうか、なんであたしを引き合いに出すの!?
「響子様は関係ないでしょう」
 クリスさん、あたしの呼び名が戻ってます。いやそれよりも、今までと全然声のトーンが違くて、怖いです。
 篠宮さんは篠宮さんで、なんかクリスさんを挑発するように、笑いながら見ているし。
 上司と部下って感じなのに、こんなに仲が険悪でいいの!? 挟まれてるみたいで怖いよぉ!

 
 

 あたしは、ただ逃げたい一心で部屋の中を見回して、いいものを見付けた。
「あ、あの……4時まであと10分ですけど!」
 アンティークっぽい棚の上に置かれた、これまたアンティークな時計を指差して、あたしは叫んだ。とにかく、こんな状況なんとかしてほしい!
 篠宮さんは、左手にしていた腕時計を見て、小さく舌打ちして立ち上がった。
「しょうがねぇな」
「これはウッカリしていましたね。愁介様が余計なことをおっしゃったせいで、失念していました」
「お前な、随分トゲトゲしいじゃねぇか」
「自業自得でしょう」
 呆れる篠宮さんを前に、『ぷいっ』っていう擬音がはまっちゃいそうなくらい、子供っぽい仕草でクリスさんは明後日の方を向いた。
 それがあまりにも……可愛かったから、思わず噴き出しそうになっちゃった。でも、必死でこらえました!
 チラッと篠宮さんがあたしを見た。な、何か言われるかなって思ったけど、そんなこともなく、篠宮さんは伸びをしながら、少し気だるそうに肩を上下した。
「んじゃあ、行って来るか」
「どことの会議かは、覚えておいででしょうね」
「誰に言ってる。忘れるかよ」
「失礼しました」
 さっきまでの険悪なムードはどっかに行っちゃって、二人とも真剣な表情。篠宮さんはシャツのボタンを一つ一つ留めて、テーブルに置いてあったネクタイを締めた。
 …………かっ、カッコイイよぉ!
 今更こんなこと思うのも変だけど、篠宮さんてやっぱりカッコイイ。『いい男』っていうのがどんなものか、まだあたしにはよく分からないけど、きっとこういう人のこと言うんだろうな、って思う。
 寝乱れてた髪を手ぐしで軽く整えてから、篠宮さんがあたしを見た。
 ドキッ! だ、大丈夫かな。心臓がドキドキしてるの、気付かれないかな。
「響子」
「は、はい!」
 は、恥ずかしい……。呼ばれて思わず、立ち上がって返事しちゃった!
「くっくっ、そう硬くなるなよ。4時になったら、ここに俺が呼んだ奴が来るから、そいつと話をしてろ」
「え? 話って、それだけ…ですか?」
「お前の気持ちをそいつに全部言っちまえ。そうすりゃ、少しは前が見えるようになるさ」
「は、はぁ……」
 本当にそんなのでいいの? 篠宮さんが、してくれるんじゃなかったんだ……。
 そんなことをぐるぐる考えていたら、頭の上に温かい感触がした。顔を上げると、篠宮さんがあたしの頭を軽く撫でていた。
「ま、頑張れよ。時間が空いたら帰ってくるからな」
「は、はい。いってらっしゃい」
 何気なく言ったんだけど、篠宮さんの横でクリスさんが「クスッ」と笑ったのを感じて、顔が赤くなる。
「ああ、申し訳ございません。響子様を笑ったのではなく、愁介様を笑ったのです」
「え!?」
 篠宮さんを? なんか、笑えるようなことをしていたっけ?
「余計なことを言うな、クリス。行くぞ」
「はい、すぐに後から参りますので、先に行っていて下さい」
 一緒に行くんじゃないの? っていう疑問は、篠宮さんも同じだったみたいで、奇妙な表情をしてクリスさんを見てから、本当に先に行ってしまった。
「あの、いいんですか? クリスさん」
「響子様に、一つお教えしておこうと思いまして」
「はぁ……」
 あたしの呼び方が『響子様』になっているけど、指摘しても直りそうになかったから諦めた。それよりも、教えてくれることって?
 
 

**********

 
 
「はぁ…… 遅いなぁ」
 4時を5分過ぎたけど、あれから誰もこの部屋に入ってこない。
 クリスさんが最後に淹れてくれた、タンポポのハーブティは、もう半分くらい飲んじゃった。こんな広い部屋で一人なんて、なんか落ち着かない。
 それに、クリスさんが教えてくれたこと……。

 

『垣崎から何か言われても、適当に流しておいて下さい。彼は、愁介様のことをオーナーとして尊敬していますが、いささか思い込みの激しい男なので。もし何か訊かれても、決して肯定しないようになさって下さい』

 

 こうていしないようにって、何だろう? なぞなぞかしら?
 でも、確かに垣崎さんは、あたしのことを『篠宮さんの大事な人』って勘違いしたままだし、思い込みが激しいというのは分かったから。うん、気を付けよう!
 一人で静かにガッツポーズをしていたら、リンゴーンッて鐘みたいな音が鳴った。それが部屋の呼び鈴になってるって、しばらくしてから気付いた。
 こんなの、庶民のあたしに分かる訳ないよー!!
 急いで玄関まで行って、ドアを開けた。
「島谷様、失礼致します」
 垣崎さん! クリスさんに言われたからか、何となく警戒するようになっちゃったけど、根はいい人なのよね。
「はい、なんでしょうか?」
「島谷様にお客様です」
 おきゃくさま? 誰だろう? しかも垣崎さん、なんか迷惑そうな顔をしているのは、あたしの気のせい?
 背を伸ばして垣崎さんの肩越しに後ろを覗いてみたら、そこにいたのは、あたしも見たことのある人だった。
「あっ!」
「うふふっ、こんにちは、島谷響子さん。今日はよろしくね」
 あの日……あの面接を受けに行った日、エレベーターの前で声を掛けられた美人さんだった。
感想・誤字報告を兼ねた拍手ボタン ←感想や誤字報告などありましたら、こちらをご利用下さい。