The strong eyes which stare at the future.-2-

「私は、別にこのままでも……」
「いいはずないだろ。この1ヶ月、全然結城らしくなかったじゃないか」
「…………」
 相模の真剣な眼差しが、絢子には痛かった。彼の答えを聞くのが怖い。
 あの時も、大事な時期の相模に悪いから返事はいいとは言ったが、本心はあの場で答えを聞くのが怖かったのだ。
 自分がこんなにも臆病だったなんて……。この1ヶ月の間、絢子はそれを嫌というほど思い知らされた。それなのに、この期に及んでも自分は逃げようとしている。
 こんなんじゃダメだ!
 キュッと目を瞑って、自分に言い聞かせた絢子の頭を、大きな手が優しく撫でた。驚いて顔を上げると、相模の手が離れていく。
「相模?」
「そんなに思い詰めたら、体に悪いぞ」
 相模らしい気遣いに、絢子はジーンと心が熱くなった。次いで彼に頭を撫でられたことを思い出し、「う…あ…」と意味不明の言葉を発して、両手をバタバタさせる。
 相模の方は、彼女のこういう挙動不審にはもう慣れたのか、左手を顎に当てて、クスッと笑った。
 からかわれたように感じムッとし絢子は、形のいい胸を突き出すようにして、両手を腰に当てた。
「それにしても、さっきから余裕じゃん。今は都大会の決勝戦だよ。大事なハーフタイムに、こんな話してて、大丈夫なのさね?」
「心配ない。氷室と原田がいれば、ウチは必ず勝つよ」
 相模はどこか遠い目をして、氷室と彼を囲んで作戦会議をしているレギュラーたちを見た。その口調と眼差しに、絢子は言い知れぬ不安を覚える。
「なんだか、自分はもういらないみたいな言い方だね」
 冗談であることを願う絢子の問い掛け。相模は意味深な笑みを浮かべて、彼女を見下ろす。その表情に、絢子は胸を締め付けられた。
「相模?」
「そのつもりだった」
「え……」
 信じられない返答に、目を丸くして相模見上げる。
「どういう、こと?」
 彼は、ほんの少し微笑みを曇らせて口を開いた。
「本当は、去年の全国大会が終わった時に、やめるつもりだったんだ」
「……バスケ部を?」
 愚問な絢子の問いに、相模は苦笑して頷いた。
「そんなの……聞いてないよ?」
「そりゃあ、退部届は氷室のところで止まってたからな。あいつが、どうしても残ってくれって言うから」
「それは、留学のため? …だよね」
 絢子は、相模と並んで彼の見ているものを見た。高城や原田、桂木たちレギュラーと氷室がいる。彼女は相模を見れずにいた。彼が頷いたのを、気配で感じていたからだ。
「相模だって、バスケ好きなんでしょ?」
「あぁ」
「その好きなバスケよりも、留学が大事なんだ?」
「うん」
 静かな返答に、絢子は拳をキュッと握った。
「今でも?」
「…………」
 てっきり肯定の返事があると思っていた絢子は、怪訝そうに相模を見上げた。
「相模?」
 その時、氷室がこちらに向けて手招きをした。ハーフタイムの終了時間だ。
 相模は首に掛けていたタオルを無造作に取り払い、自然な仕草で隣にいる絢子に渡した。
「さぁ……どうかな」
 小さく呟いた声は、彼の背中の向こうから聞こえた。だが、ハーフタイム終了のブザーと歓声にかき消されてしまい、絢子には届かなかった。
 
 

**********

 
 
 第3クォーターが始まっても、絢子はベンチから離れた位置で、コートで皆に指示を出しながら、プレーしている相模を見ていた。
「結城先輩?」
 見かねた金井が傍に来て、彼女のTシャツの袖を引っ張った。
「金井……あ! ごめん、松永のマッサージ途中だったね」
「ええ……まぁ、それもありますけど、大丈夫ですか?」
「あはは、平気だよ。心配かけて悪かったね」
 絢子は務めて明るく笑い、金井の背中を軽く叩いてベンチへと走っていく。金井は小首を傾げてその後に付いた。
「あ、絢子先輩」
「ごめんね、紫ちゃん。ハーフタイムからずっと一人でやらせちゃって」
「いえ、大丈夫です。これくらい。絢子先輩が引退したら、あたしがやらなきゃいけないことですから」
 ニコッと笑う紫を見て、絢子は頼もしそうに頷き、松永の元へと向かった。
「松永、足の調子はどう?」
 マッサージを任せていた3年生部員は、絢子が特に目を掛けてマッサージを教え込んだ。その甲斐があってか、第2クォーター後はパンパンに硬くなっていた松永の足は、程良く筋肉がほぐれている。
「おっしゃ! よくやった坂井。マッサージ上手くなったじゃん」
 誉められた坂井は、嬉しそうに笑ったものの、その笑みはどこか自嘲気味だ。
「でも、結局バスケじゃ平のまんまだったからな」
「何言ってるのさね! プレーするだけがバスケじゃないっしょ? 言っとくけど、レギュラーの誰もこんなに上手くマッサージ出来る奴はいないんだよ?」
「でもさ……」
 納得いかない坂井に対して、絢子は彼の肩をポンポン叩いた。
「ま、あんたの男としてのプライドは、分からないでもないけどね。レギュラーの枠が決まってる以上、しょうがないことさね。だからこそ、これは自慢していいと思うよ。あんたの努力の結果なんだから」
 坂井は渋々ながらも、彼女の言葉に納得したようだった。
 その時、会場からまた歓声が上がった。絢子がコートを見ると、原田のパスからアリウープで相模がダンクを決めたところだった。
 あまり表情には出ていないが、そのプレーからは相模がバスケを好きなことが感じ取れる。そのバスケをやめようとしてまで、彼は留学にこだわっていた。
 ちゃんと、相模と話をしなきゃ……。
 自分だけのことではないのだ。このままにしていたら、彼の進路にも関わってくる。相模が好きなら、逃げてはいけないのだ。
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