KOIGOKORO -1-

 高城が絢子に告白し、見事に玉砕したその日の放課後。
 いつもは活気のいい掛け声が体育館に木霊するのだが、この日はただただボールの弾む音だけが、空しく響いていた。
 折り悪く、氷室は生徒会の部長会議に出席していて不在、相模もクラス委員の仕事が長引いて遅れ、マネージャーの絢子は公式試合のスケジュールを顧問に報告しに行っている。部長副部長チーフマネが不在な状況は、叱咤する者がいないためにだらけ放題になるのが通常だ。他部から見ると、その時の部活状況はとても『だらけている』とは思えないほど、部活動に専念しているように見えるが、精神的にはかなりのだらけ状態だった。それが、この三人不在時のバスケ部だったはずなのだが・・・。
 本日は、部活なんてやってられるかぁ!! と全部員が嘆いてしまうほど、陰気な雰囲気が体育館を包み込んでいた。故に、声を出すのも憚られ、自然と無言でパスやハンドリングの練習をしているのだ。
 その陰気の発生源は、言わずもがな、高城である。
 絢子の言いつけを守って部活に出て来たものの、振られたダメージは相当に大きかったらしく、桂木に茶化されても原田におちょくられても、体育館の隅に座り込んで溜め息ばかりついている。
 2年生のマネージャー紫は何とか元気付けようと、そんな高城の周りをうろついているが、掛ける言葉が見付からず、こちらも憂鬱そうな溜め息をつく。
 そんな二人の陰気オーラは、体育館全体を包み込み、部員全体に伝染してしまい、全く覇気がなかった。
「だぁ〜〜〜〜!! もうやってられっか! 高城ぃ! 振られんのは分かってたろ!! いい加減にその陰気オーラ、出すんじゃねぇよ!!」
 突然ボールを投げ出し、頭を抱えてダンダンと床を足で踏み鳴らしたのは、桂木だ。その声の大きさに、全員が手と足を止めて彼を眺める。
 だが、その怒鳴り声にも、高城は膝を抱えて「はぁ〜」と溜め息をつくだけだった。
 ギリギリと歯軋りしながら、桂木は仁王立ちで拳を握って震えている。どうやったらいつもの彼に戻るのか、一生懸命考えるのだが、何も妙案の思い浮かばない自分の頭の悪さを嘆くだけだった。
「しょうがない、あいつは無視して練習するしかねぇだろ」
 やはり溜め息をつきながら言ったのは原田。
「でもよぉ、なんかこう……やる気が出ねぇっつうか、調子狂っちまうっつうか」
「お前の言いたいことは分かるが、このまんまで結城が来た時のこと考えてみろ。俺たち揃って跳び蹴り食らうことになるぞ」
「…………」
 レギュラーたちも今までに最低1回は、彼女の跳び蹴りをまともに受けている。あれの痛さと言えば、とても言葉には出来ない。レギュラーだけでなく全部員がそれを思い出し、「はぁ〜〜〜」と憂鬱そうに息を吐いた。
「何とか高城がやる気を出してくれりゃあなぁ」
「相模なら、何かやってくれそうだけどな」
「結城より先に来てくれることを、祈るっきゃねぇな」
 松永がボソッと言ったところで、原田がこの場の救世主の名を出し、桂木が一縷の望みを口にした。
 金井はこういう時、下手に口を出さないことにしている。彼も腰に手を当てながら溜め息をつき、不安そうな紫と目が合った。2年同士顔を見合わせて、結局出たのは深い深い溜め息だった。
 
 

**********

 
 
 さて、勝手に救世主にされた相模は、ちょうどその頃部室に着いたところだった。昼休みに高城が絢子に告白したことなど全く知らず、当然、現在の体育館の陰気さなど想像もしていない。
 冬泉学園の運動部は殆ど全ての部で、レギュラー用と平部員用に部室が分かれており、両方共にシャワー室やロッカーなどが完備されている。ここ男子バスケ部も例外ではなく、今相模がいるレギュラー用の部室は、平部員用のそれとほぼ同じくらいの広さがある。人数の違いから見ても、各部レギュラーは相当優遇されていると言っても過言ではなかった。
 自分のロッカーを開け、鞄を放り込んで着替えを始める。
 シャツを脱いだところで、後ろから「ぎゃっ」という声がしたので振り向くと、ジャージ姿の絢子がドアを開けたまま固まっていた。
「結城? 珍しいな、こんな時間に部室に来るなんて」
「あ……や、さ、さっきまで佐藤先生のところに、試合のスケジュールを報告に行ってたから……」
 あからさまに自分から視線を背け、歯切れの悪い絢子の口調に、彼は首を傾げた。だが、相模が何か言う前に、絢子の方が廊下に出てドアを閉めてしまう。
「おい、結城?」
「私ゃここで待ってるから、早く着替えちゃいなよ」
 ドアの向こうから聞こえてくる、どこか焦ったような声。いつもの彼女らしくない口調と行動に、相模は脱いだシャツを肩に羽織って、ドアを開けた。
 横の壁に背中を寄り掛からせていた絢子は、いきなり開いたドアの隙間から上半身裸の彼が顔を出すと、仰天して焦り捲った。
「な、なんてカッコで出てくんのよ!」
「どうしたんだ? いつもは俺たちが着替えてようが、お構い無しに入ってくるじゃないか」
「い、いつもは皆がいるじゃないの! どうでもいいから、早く着替えちゃってよ。中に入れないじゃん」
 彼の言う通り、普段の彼女はレギュラー全員着替えていようが裸だろうが、ズカズカと部室に入ってくるツワモノなのだが、今日に限っては妙に可愛らしい言動だ。
 相模は不思議に思いつつも、短く息を吐いてドアを閉めた。
 絢子はドキドキしている心臓を静めるように、ファイルを持った方とは逆の手で、胸をそっと押さえた。
「はぁ〜、確かに私らしくないけどさ。……もう! 高城が変なこと訊くから、今まで抑えられてたのに出来なくなっちゃったじゃん!」
 思わず声が大きくなってしまったところで、ガチャッと再び開くドア。慌てて手で口を塞ぐ。
「着替え終わったぞ、結城」
 ファイルを抱えて口を塞ぐ絢子の格好は、相模から見ると妙なポーズの様に見える。Tシャツとハーフパンツに着替えた彼は、怪訝そうな顔で尋ねた。
「? どうかしたのか?」
「いや、いやいや、な、何でもないない」
 ブンブンパタパタと、首と手を同時に横に振る絢子。それだけで十分に不自然なのだが、彼女は自分の気持ちだけで精一杯で、行動の怪しさには気付いていなかった。
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