My lover is a street racer...2

 午後7時になり、彰人は着飾った朔を連れて、展望ラウンジへとやってきた。
 ほんの一時間前まで散々鳴かされた朔。確かに足腰立たなくなるまではされなかったが、ロイヤルスウィートとはいえホテルでこんなに激しく抱かれるとは、思ってもいなかった。彰人にとっては激しくも何ともないのだろうが、まだ慣れていない朔には十分な行為だった。
 そうしてベッドにぐったりとしていた朔は、ボーっとしてる間に彼によってお風呂に入れられ彼が呼んだ美容師によって化粧とヘアメイクをされ、正気付いた時には彼によってカクテルドレスを着付けされていた。
「な、なんじゃこりゃー!」
 鏡に映る自分に向かって指差して怒鳴る彼女の横で、彰人も普段のホストっぽいスーツではなく、正装とも取れるスーツを着ていた。
「これから夕食ですよ」
「ゆう……なんでこんな格好で」
「せっかくのデートですからね。あなたが女性らしさに慣れるいい機会です」
「だ、だからって……っつうか、このドレスどうしたんだよ!?」
「東京から持って来たのですよ。あなたにプレゼントします」
「は!? えっ!?」
 目を白黒させている朔の頭を引き寄せ、彰人はその頬にチュッとキスした。鏡の中でその様子を見ていた彼女は、ボンッと顔から火を吹く。
 彰人はおかしそうに笑いながら、その姿勢のまま朔の耳元で囁く。
「嫌ならば、食事はルームサービスにして、さっきの続きをしましょうか?」
 どことなく黒い笑みを浮かべて代替案を唱えるのを、朔は嫌そうに睨んでプイッと横を向いた。
「……まあ、いいよ。腹も減ったし」

 
 

 そんな訳で彰人と二人、展望ラウンジにやってきたのである。
 ブラックパープルのカクテルドレスは朔の白い肌によく映え、彼女の美貌と相俟って艶やかである。
 一方の彰人も、チャコールグレーのスーツを身にまとい、朔をエスコートする姿が非常に様になっている。
 美男美女の登場に、ラウンジにいる客たちが一斉に彼らに注目した。
 しかし、朔は素っ転びそうになる足元を制御するのに精一杯で、そんな視線に気付く暇もない。前回女装した時よりも、更に2センチ高いハイヒールを履かせられてしまったのだ。顔は平静を装いつつも、頭の中では恋人への悪口雑言をまくしたてていた。
 不本意ながら、彰人に手を引かれてしずしずと歩く朔だが、それが功を奏しているのか、見た目には奥ゆかしい令嬢に見える。
 街の夜景を一望出来る窓際の席につき、朔は「はぁ〜」と盛大に嘆息した。遠慮のない溜め息に、彰人から苦笑がこぼれた。
「疲れましたか?」
「ったり前じゃん。晩飯食うのに、なんでこんな格好……」
「ですが、みな朔に注目していましたよ。普段は男装でもいいですが、やはり私とのデートの時には女装してほしいですね」
 女性が女性の格好をするのに「女装」はないだろうが、朔の場合その言葉がはまってしまうのだから、いかに普段の彼女が男らしいかということだ。
 彰人は学園での彼女の振る舞いを思い浮かべた。彼自身、朔からプロポーズされるまで、そして彼女の親友である由比から真実を言われるまで、朔を男と信じて疑わなかった。それだけ男装が板についてた、とも言えるが、朔は「綺麗で優しくて胸のデカイ女が好き」と公言して女性教師とデートしていたので、学園の殆どの人間は朔を男と認識しているだろう。学園長も知らないのではないだろうか。
 男と認識されているなら、そのままでもいいかもしれない。目の前の着飾った朔を見て、彰人はそんな想いを感じていた。
 彼女が「女」だと分かればそれなりに騒ぎになるだろうが、それよりも何よりも、彼女がこれほどに「美女」であることを、自分以外の男が目撃するのは面白くない。
 女性らしくなるように、とは言ったが、それは自分の前だけでいい。そんな結論を出した自分に、彰人は意外な心境を抱いた。これまで幾人かの女性と付き合ってきたが、そんな想いを抱いた相手はいなかったのだ。そこまで朔に惚れている自分に改めて気付き、彰人は苦笑するしかない。
「なんだよ?」
 ムッとした顔で朔が訊いて来る。自嘲を別の笑いと勘違いしたらしい。
 テーブルの上に置かれた朔の右手を取り、彰人はさり気なくそれを引き寄せると、細い彼女の指先にキスをした。
 またしても朔の頭から湯気が出る。
 目の前の男は、いちいち自分に「女」を意識させる。それが嫌ではないが、女友達と言えば付き合った女性しかいなかったので、こういう扱いをされることに慣れないのだ。それを心地良いと、いつか自分が感じられるようになるのか、はなはだ疑わしい。
「あの… さ、真條」
「なんです? 朔」
「こういうことして、その……照れないか?」
「照れませんよ」
 自分は心臓が破裂しそうなほど動悸が激しいというのに、この涼しい顔は何なのだ!
 しれっとぬかす彼から手を引っこ抜こうとしたが、逆に思わぬ力で引き寄せられてしまった。そして今後は、手の甲や指を撫でられた。とても愛しそうな表情でそれを行う彰人に、朔は真っ赤な顔でうつむいてしまった。
 撫でられる手先が熱い。それは先程までの行為を思い起こさせ、朔は自分の中に湧き上がった欲情のような感覚に戸惑っていた。
 ネイルケアなどしない朔の爪は、いつも短く綺麗に切り揃えられている。作り物ではない自然の指先が、彰人は好きなのだ。そうと気付いたのは、朔と付き合い始めてからだ。全身がナチュラルテイストな彼女の体を、彰人は気に入っている。
「う…あ…も、もう…手、離せよ……」
 消え入りそうな声で、ようやくそれだけを言えた朔の手を、彰人は名残惜しそうに離した。解放された手を電光石火の勢いで引っ込め、朔は両手をテーブルの下に隠して体を縮み込ませる。
 目の前の男を面と向かって見る気になれず、料理が来るまで、朔はずっと下を向いたままだった。彰人が、そんな自分に熱い視線を送っていることなど気付きもせずに……。
 
 

**********

 
 
「え? これからですか?」
 夜も9時を回った頃、朔が「峠に行くぞ!」と言い出し、彰人は面食らった。
 夕食時にアルコールを飲まなかった彼女を不思議に思ってはいたが、部屋に戻ってからも外出する気配がないので、これはもしや夜のドライブをキャンセルして、一晩中彼女といちゃつけると思っていたのだ。
「当たり前だろ。バトルと言えば夜に決まってんじゃん」
 着ていたドレスを惜しげもなく脱ぎ捨て、来る時に来ていたスーツに着替えた朔の顔は、生き生きとしている。
 今回のデートは「真條のポルシェで峠を走りたい」と言った朔の希望を叶えるためだったので、彰人もダメとは言えない。その上、
「ま、嫌なら来なくていいけど?」
 そう言われて黙って待っている恋人がいようか? 否、いない!
 彰人がそう思ったかはともかく、それでも気分を害した彼は「お供しますよ」と唸るように言って、二人でホテルを出立した。

 
 

 夜の山道を行くポルシェ。ハンドルを握っているのは、朔である。
 ご機嫌に鼻歌混じりで運転する朔は、殆ど真っ暗な道を車のヘッドライトを頼りに、かなりのスピードで上って行く。昼間、彰人が運転してきた時はもっと緩いスピードだった。
「朔……スピードを出し過ぎでは?」
 やや硬い声で尋ねる彼のことなど、どこ吹く風。
「全然! 大丈夫だよ、ここはよく来るところだし、このポルシェでさっき下りを走ったじゃん。そんな心配することないぜ」
「は、はあ」
 なんともらしくない曖昧な返事を返す彰人は、知らずにシートベルトをギュッと握り締めた。
「おっ、誰か下ってくるな」
 ボソッと呟いた朔は、目を爛々と輝かせ、ペロッと唇を舐めた。
「は? 下って?」
「うん、ほら」
 カーブを曲がりながら、朔はシフトから手を離して、上方を指差した。
「さ、朔! 手!」
「大丈夫だって。ああほら、ヘッドライトが見えるだろ」
 助手席の自分が何を言ってもどうしようもないと諦めたか、彰人は彼女の指差す方を見た。
 それは彼にとっては不思議な動きをする光だった。忙しそうにライトが左右に揺れ、かなり速いスピードの様だ。
「そろそろすれ違うな」
 そう呟くと、朔はシフトを下げてアクセルを踏み込んだ。
 ギュンッとスピードが増し、彰人は更にシートベルトを握り締める。既に固唾を飲んでいた。
 しばらくして、何かを擦る様な甲高い音がした。何の音かと左右を見渡した彰人の視界に、眩しい光が飛び込んできた。
 白い車体の横側を見せてカーブを飛び出して来たその車は、考えられないスピードで片側車線をそのままの姿勢で駆け抜けていった。
 口を開けたまま彰人は首をグリンッと捻って、その白い車を目で追う。
 白い車は逆側の車体を見せながら、スピードを緩めることなく下のカーブに消えて行く。
「ふぅーん、今日はあいつらが来てんだ」
 朔の楽しそうな声は、彰人の耳を右から左へ抜けて行く。
「あの……朔? い、今のは……」
「うん、俺の知り合い。ふふん、それじゃあこっちも飛ばして行くか!」
 言うが早いか、前を向いた彰人の背中がシートに押しつけられる。
「さ、朔!?」
「大丈夫、上りだからドリフトはしないよ。グリップ走行で行くって」
「は? どり…ふっ!?」
 途中で彰人の声が途切れる。更にスピードが上がり、彰人はシートベルトにしがみついた。
 峠道ではあり得ない速度で、朔はポルシェを操っていた。
 彰人が恐る恐るスピードメーターを見ると、赤い針は120を示している。青褪める彰人だが、声も出せずにあんぐり口を開けるだけだった。殆ど真っ暗な外が見えないのは幸いだ。見えていたら……悲鳴を上げるくらいしていたかもしれない。

 
 

 朔の運転するポルシェは頂上近くの展望台駐車場に、派手なスキール音を立てながらドリフトの要領で駐車した。車体は白線の内側に、綺麗に収まっている。
 駐車場には20台近くの車が停まっており、真夜中だというのに賑やかだ。20代くらいの青年たちがたむろしていたが、派手に走り込んできた1台のポルシェに度肝を抜かれたらしく、皆ポカーンとした表情でそれを見た。そして、見事なドリフトできっちりと白線内に停まった黒い車体に、尊敬の眼差しを送っている。
 しかし、素直にそれを認めない者もいる。仲間の真治としゃべっていた隆輔(りゅうすけ)は、自分たちのホームコースに派手に侵入してきた不埒者に、剣呑な目付きで近付いて行った。

 
 

 狙いの場所に気持ちよく停車した朔。サイドブレーキを掛け、自慢げに小さくガッツポーズを取った。
「おしっ! ドリフト駐車成功。どうよ、真條! あれ?」
 喜び勇んで隣りの彰人を見ると、彼はボー然としてシートベルトを両手で握ったまま、真っ白に燃え尽きていた。
「真條?」
 ツンツン、と彼の横顔を指で突っつくが、反応はない。
「ちぇ、下りは俺の華麗なドリフトテクニックを見せようと思ってたのになぁ。ま、いっか」
 ヘッドライトとエンジンを切った朔は、駐車場にたむろしていた真治と隆輔がこちらに近寄って来るのを見て、笑顔で車を降りて行く。
 バンッとドアの閉まる振動で、彰人はようやく正気付いた。
「は! さ、朔!?」
 暗い車内に彼女の姿はない。が、フロントガラスを横切る朔の後姿を見付けた彰人は、未だ震える手でシートベルトを外し、ドアを開けた。
 すぐに彼女を追い掛けるつもりだったが、コンクリートに足を着けた途端、ヘタヘタと脱力してしまう。
「こ、腰……腰に力が入らん……」
 腰が抜けたとは断じて認めたくはないが、両膝と両手を地面に付けてしまい、彰人はガクッと首を落とした。
 こんな無様な姿、朔に見られなくて良かった……。
 ホッとしたところで若干力が入るようになり、彼はポルシェのボンネットに掴まりつつ立ち上がる。
「朔はどこに行ったんです?」
 恋人を探す彼の目に、なんと! 二人の男に囲まれた彼女の姿が見えた。
「朔!」
 走り出した彰人だったが……。
 カックン、と膝の力が抜け、またしても地面に沈み込んだ。恋人を助ける気概も、抜けた腰を支える力にはならなかったようだ。
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