私の名は朝霧由比。冬泉学園高等部で美術の講師をしている。朔は同じく、数学の講師。私たちは、いわゆる幼馴染という間柄。腐れ縁と人はよく言うけれど、私たちの場合は本当に、お互いに無くてはならないくらい大事な親友。
その彼女がプロポーズしようとしている相手は、同じ冬泉学園高等部の物理学講師、真條彰人。御年37歳の独身(あ、でも今日が誕生日だから38歳か)。
家柄が良くてお金持ちでハンサムで……という、見事に三拍子揃った「いい男」。だから狙っている女性も数多い。でも、まとまったっていう話は聞いたことがないし、浮いた噂だって一つも聞こえてこない。これまでにも、果敢にアタックした同僚の女性教師は沢山いたけれど、成功した人は誰もいなかった。
真條先生は弓道部の顧問をしていて、どういう訳か、やたらとイケメンな男子生徒ばかりが部員になっている。弓道なんてマイナーなスポーツなのに、何故かカッコイイ男の子ばっかり入るものだから、それ目当てに女子の部員もかなりいて、部内の様子ははっきり言ってかなり異様。
そんなだから、無責任な噂も星の数ほど飛び交っていて、『実はホモ』とか『生徒でハーレムを作っている』とか、下世話な物も真(まこと)しやかに流れていたりする。けれど、真條先生本人は全く気にもせず、訂正も釈明もしないので真実は謎のまま。
そんな状況を利用して、今がチャンスとばかりに朔が、告白も何もかも素っ飛ばしてプロポーズしようっていう訳。昔から、やることがズバ抜けて変だったけど、これにはさすがに頭が痛くなった。
しかも、そんな大胆な行動をしようって人が、「独りじゃ恥ずかしいから一緒に来てくれ」って、どういうこと!?
まぁ、昔からやることなすことブッ飛んでいたから、もう慣れているけどね。
そんな訳で、一人じゃプロポーズ出来ないと嘆く朔のために、こうして待ち合わせをしてると言うのに、午後1時の約束がもう10分も遅刻している。
ご近所さんなんだから、わざわざ待ち合わせなんてする必要ないのに、行く前に用事があるからとか言って、駅前のロータリーで待っているように言われた。ふむ、このまま帰っちゃおうかしら。
……と思っていたら、見覚えのある車がロータリーに入ってきた。相変わらず目立つ車よね、真っ赤なRX-8なんて。
待たせたお返しに、盛大な溜め息を吐いてゆっくり車に歩み寄っていくと、運転席から朔が降りてきた。思わず足が止まっちゃったわよ。周りにいた女性たちの視線も、一斉に彼女に注目してるし。
なに、その格好!! 今日はプロポーズしに行くんでしょ!? どこの世界にホストみたいな格好して、男にプロポーズする女がいるって言うのよ!!
ダークネイビーのメンズスーツ(当然彼女の一番好きなジヴァンシー)に、ワインレッドのストライプのシャツ。髪はいつもの通りのストレートなロングだけど、それだけではとてもじゃないけど女に見えない。しかも背丈が178センチもあるから、言っちゃ悪いけどその辺にいる男よりも男っぽい。
…………そりゃあ、朔は趣味と言い切って、普段から男の格好しててしかも似合っているし、スカートなんて高校卒業以来はいてないし、女性にもモテルけど……だからって! 自分の人生決めようって言う大事な日に、男の格好して男にプロポーズするなんて……。
はあ、一気に脱力。よろめきながら車に近付くと、綺麗に磨かれたRX-8の屋根に片肘を着いていた朔が、怪訝そうな顔をしている。そんなポーズも、やたらと似合うのよね。
「どうしたんだ? 由比」
「はぁ〜、何でもないわ。言ったって仕方ないし」
「? 遅れて悪かったよ。渋滞に巻き込まれちゃってさ。ほい、どうぞ」
そう言って助手席に回ってドアを開ける姿は、まさしく女性をエスコートする男そのもの。でも本人にその自覚は無いのよね。全く、この天然が!
周囲から妙に、敵意やら羨望やらに満ちた視線が注がれてるけど、無視ムシ! 朔と街に出ると、大抵こんなもんだから。何が哀しくて、女と歩いて女に嫉妬されなきゃならないのよ!
ナビシートに座るために屈んだ時、後部座席のでっかい花束が目に付いた。大量の真紅の薔薇……。まさか38本あるんじゃないわよね?
そのままで固まってる訳にもいかないからさっさと乗り込み、運転席に座った朔にズバッと聞いてみた。
「これ、もしかして38本あるの? っていうか、これ持ってプロポーズするわけ?」
「そうだけど? 何でそんなこと訊くんだよ?」
何? その不思議そうな顔は。このまま行ったら、あんたたちホモのカップルにしか見えないのよ? そこんとこ分かってんの!?
「……目立つじゃない。大体、真條先生がどこにいるか分かってるの?」
家にいることを密かに願う。……けど、休日は必ず外出するって聞いているから、望みは薄い。車はすでに動き出しちゃって、もう途中で降りることは出来そうにないし。
朔はやけに自信満々で、答えてきた。
「ひと月前からリサーチしてたからな、抜かりはないぜ」
「リサーチって?」
「ひたすら尾行」
それってストーカーと言うんじゃあ? もう、頭痛くなってきた。あの高級住宅街で、よく通報されなかったわ。
「で? 今日はどこにいるの?」
「ん〜? ここで、多分読書」
胸ポケットから出した、店のカードらしきものを見せてくれた。
ちょっと! ここって少し前まで、チョー人気スポットだったカフェテラスじゃないの。今は他の所が有名になったから、一般的にはあまり行く人はいなくなったけれど、それでも高級志向のインテリジェンスな人種には、未だに人気の場所だわ。
ここなら静かで、読書には持って来いだわね。ピアノの生演奏なんかもあるから、真條先生にとっては、心地良い所でしょう。
「まさかとは思うけど、そこでプロポーズしようとか思ってないわよね?」
「ダメか?」
やる気だったの! ……もう勝手にして。
**********
ズキズキするこめかみを押さえている間に、そのカフェテラスに到着。早っ!
朔はさっさと花束持って降りちゃって、仕方がないから私も付いて行った。本当に本気で、その格好でプロポーズするのね……。
ブランドスーツに身を固め、大きな花束、しかも真紅の薔薇(!)を豪快に担いだ朔は、道行く女性の注目の的。
見た目は確かに「いい男」。でも実は女だって分かったら、彼女たちはどんな反応するのかしら。一回やってみようとは思うのだけど、その後で、一緒にいる私がどんなとばっちりを受けるか容易に想像できてしまうので、未だ試したことは無い。
あっ、本当に中に入って行っちゃった。慌てて後を追いかけると、店内の女性たちの視線は、言うまでもなく朔へ集中砲火。
真條先生は、窓際の日当たりの良いテーブルにいた。こちらもいつもの如く、カルティエのスーツを身にまとい、見た目は完全なホストみたいな格好。
本に夢中になっているようで、お店の雰囲気が変わったことに気付いていない様子。当然、朔は迷うことなくそちらへ向かう。
足取りには思ったほど淀みがなくて、落ち着いているようね。私、来る事なかったんじゃないの?
朔がテーブルの傍に来ても、真條先生は読書に夢中だった。何の本を読んでいるのかと目を凝らして見たら、ゲーテの「ファウスト」ですって。ゲーテが生涯をかけて書いた戯曲。こういうのが好みなのかしら?
朔の方は、そんなものお構いなしで、意気揚々と真條先生に声を掛けた。やっぱり私は必要なかったじゃないの!
「彰人さん」
『さん』ですって! くすっ、いつもは『真條』って呼び捨てなのに。
真條先生がやっと本を閉じて朔を見上げると、びっくりした表情を見せてくれた。いつもは冷静沈着な彼にしては、大袈裟なリアクション。まぁ、今日の朔を見れば、分からないこともないけれど。
「篠原先生? どうしたんです?」
「これ、プレゼント。今日誕生日だろ?」
大量の薔薇の花束を突き付けられ、やっと得心がいって安堵した様子の真條先生。
「それは、ありがとうございます」
う〜ん、なるほど。両手に花束を持つ真條先生に、真紅の薔薇は確かに似合うわ。これに関しては、センスいいわね。
周りからも、ほうっとした溜め息が聞こえる。ええ、確かにこの二人が並ぶと溜め息が出るほど絵になるわよ。性別さえ知らなきゃね。
でも、問題はこの後。
朔ってば、予想通りぶちかましてくれたわ。
「でな、俺と結婚してくれ!」
次の瞬間、店内から全ての音が消えた。
私はズッコケタわよ! お、俺ってなに!? そんないつもの男言葉でプロポーズなんかしたら、どんな誤解を受けるか!!
案の定、女性たちのざわめき声が、煩いほどにそこかしこから聞こえてきた。
『え!? あの二人ホモなの?』
『ホモのプロポーズよ。初めて見たわ』
『うわぁ、どっちもカッコイイのに、勿体無い!』
『でも理想のカップルじゃない? 受けも攻めも美形だなんて!』
受けとか攻めとか、知らない単語も飛び交っている。
朔もこれらの声が聞こえたんでしょう。引き攣った顔をしているわ。
だから言ったじゃないの。私の言うこと聞いていれば、少なくともこんな声を聞く必要なかったのに。
でもそれは真條先生も同様。たぶん頭の中真っ白で、パニックになってるんじゃないかしら? あの呆然とした顔は。
しばらく固まっていた二人。先に正気に戻ったのは、真條先生の方。やっぱり伊達に私達より10年も長生きしてないわね。……とはいえ、まだいつもの冷静さとは程遠く、ぎこちない笑顔。
「篠原先生、お気持ちは嬉しいのですが、あいにく私はノーマルなのです……」
「え!? 俺だってノーマルだよ。だから真條にプロポーズしてんじゃん」
……根本的に会話が噛み合ってないわよ。まさかとは思うけど真條先生、今まで朔のこと同性だと思ってた?
一応確認してみましょう。
「あのぉ、真條先生? 朔……篠原先生は、一応こんなでも女なんですよ」
「一応こんなでもって何だよ!」
「ホントのことでしょう。そういわれて憤慨するくらいなら、ちゃんとフォーマルな格好で来ればいいじゃないの」
「だからフォーマルじゃないか」
「常識で考えなさい。いくらフォーマルでも、男物を着る必要はないでしょう。せめてパンツスーツくらいになさい」
ふと真條先生を見れば、唖然どころの表情ではなかった。完全に意識は別次元に跳んでたわね。無理もないわ。
でも、それより凄かったのが周りの反応。
『えー!? あの人女性だったの!?』
『ショック〜』
『詐欺よ! サギだわ! あれで女だなんて』
とまぁ、プロポーズした時よりもざわめきは大きかったわね。
『え? それじゃぁ隣の女性は何なの?』
『あたし、あの二人と三角関係かと思ってた』
はぁ、予想通り私にもとばっちりが来てしまったわね。一応、覚悟はしてたけどムカつくわ!
それより……朔は一体どう収拾つけるつもりなのかしら? そんな歯噛みしてたって、事態は解決しないわよ。
すると、朔は唐突に何か閃いた顔つきで、真條先生を指差した。
「分かった! すぐ戻って来るから、絶対ここを離れんなよ! 由比、ちゃんと見とけ!」
肝心の真條先生はまだトリップしたまんま、朔はそれだけ言い捨てて、脱兎の如く出口へ向かった。RX-8に飛び乗ると、派手なアクセルターンをかまして走り去って行った。