Act.4 これが男のエゴって奴か?...7

 咲弥子を連れて高嶺の爺さんの元へ行く間、冬樹にプリントアウトさせた高嶺建設の二重帳簿をチェックしていく。
 最優先の目的は高嶺美菜との婚約を諦めさせることだが、どこでどう話が転がっていくか分からねぇ。頭に叩き込んでおいて損はねぇだろう。
「あのさぁ、あたしが行っても何の役にも立たないと思うんだけど?」
 横から咲弥子が不審げに問い掛けてくる。プリントから目を離さずに返してやった。
「お前がいなきゃ、意味ねぇだろ」
「なんでよ?」
「そもそも高嶺に行くのは、あのバカ娘のたわごとを訂正させるためだからな。お前がいた方が都合がいい」
「あ、そうだっけ。でもさぁ、あたしがいて何で都合がいいのよ? まさか、あたしを結婚相手とか言うんじゃないでしょうね!?」
「間違っちゃいねぇだろ」
「間違ってって……」
 プリントと睨めっこしている俺には咲弥子の顔は見えねぇ。絶句した後で「あたしはやだって言ってんだから、間違ってるじゃないのよ、この俺様御曹司」とかブツブツ文句を言ってるのが聞こえた。
 運転している里久は特に迷うことなく車を走らせている。カーナビは付いているが、こいつが使っているのを見たことはねぇ。都内23区の車道網はほぼ頭の中に入っているらしい。初めて行く場所でも、迷うことなく辿り着けるってのは、便利だよな。
 高嶺建設の本社は品川にある。社長会長共々大抵はそこにいるが、オフィスを出る前に高嶺の本社に打診すると、今日は休みを取って邸宅にいるという話だった。好都合だな、俺が行くと分かればおそらくあのバカ娘も呼んでいるだろう。いや、もしかしたら身重の孫娘を気遣って、実家に住まわせているかもしれねぇ。
 隣に座る咲弥子が、鏡を取り出して顔をチェックし始めた。何だかんだ言いつつ、ちゃんと準備するんじゃねぇか。笑いながら言ってやると、呆れた声で返してきた。
「あのねぇ、これは身だしなみってやつなの。香緒里さんのところでお化粧してから、3時間以上経ってんのよ? メイクを直すのは当然でしょ!」
「直す必要なんかねぇじゃねぇか」
「あんたから見たらそうでもね、女の子にとっちゃ大事なことなのよ。ていうか、見ないで!」
「女が化粧する姿は初めて見るんだぜ。興味あるじゃねぇか」
「そういうところが、デリカシーないって言ってんの。あっち向いててよ!」
 俺が見ている前じゃ、何が何でも続けねぇ気らしい。睨み合っていてもしょうがねぇな。俺は顔を窓の外に向けた。
 景色は高級住宅街に変わっていた。高嶺が松涛に居住したのは15年程前のことだ。成長著しい家族経営の建設会社が松涛に土地と家を買ったと、一時期業界で騒がれたことがある。俺は噂で聞いていただけだが、爺さんはその頃から高嶺に目を付けていたんだろう。その成長の礎になったのが、国税局をも欺く不正経理にあったなんて知ったら、卒倒どころかポックリ逝っちまうかもしれねぇな。
 そうなったらなったで、俺にとっては目の上のタンコブがいなくなるってんで、めでたいことだな。故意にはやらねぇが、高嶺の動向次第じゃ隠しちゃいられねぇ。爺さんの心臓と脳の血管が強いことを祈るしかねぇか。
 そういうしている内に車が停まる。
「隆広様、着きました。僕は車内でお待ちしています」
「いや、お前も来い」
 普段は会談の時に里久を傍に置くことはねぇ。だが今回は特別だ。俺が想定しているシナリオ通りに行けば、咲弥子は途中で別の仕事をさせることになる。その時、俺の傍に誰もいないのは、ちと都合が悪い。
 詳しいことは話さなくても、里久は俺に従う。いつもと違うことに多少戸惑っているようだが、素直に車を降りた。
 咲弥子はさっさと降りて、高嶺の邸宅を口を開けて見上げている。200坪の土地に100坪の邸宅だ、それなりのでかさはあるだろう。庭はガレージを除いて、一面ガーデニングになっている。社長夫人の趣味が庭いじりと聞いたことがある。プロの手入れの中に、女性の趣味らしい花の園芸が見られた。
「すごぉい、おっきい家」
「ふん、東海林の実家には負けるな」
「なに言ってんの、比べる方が間違ってるでしょ!」
「ところが、高嶺の方じゃウチと同等と思っている節がある。あのバカ娘がそうだったからな」
「……それも凄いね」
 咲弥子でさえ絶句するってのに、高嶺の爺さんは孫娘にどういう教育をさせてきたんだか。
「入る前に一つだけ言っておくぞ。不正経理のことは絶対に口に出すなよ。どういう状況になってもだ。話す時は機を見て俺がやる」
「承知しました、会長」
 不意打ちで会長呼ばわりされて、一瞬眩暈がしそうになった。咲弥子から「会長」なんて呼ばれると、ホント調子狂うぜ。名字や名前に様を付けられる方が、慣れている分まだマシだ。お陰で平常心に戻るのに苦労した。言った本人は、得意満面の笑顔。わざと言いやがったな、後で覚えてろよ。
「隆広様」
「大丈夫だ、里久」
 俺の背後で、里久が咲弥子を睨み付けているのが気配で分かる。里久もいい大人だ、ここだけで収めるだろうが、咲弥子のあの呼び方は絶対に変えさせてやる。

 

 高嶺の邸宅内は、思ったよりもシンプルな造りだった。その代わり、家具や照明にはギラギラゴテゴテの装飾が施されている。高嶺の爺さんの趣味か、これが。金ピカ過ぎて頭が痛くなってくるぜ。
 玄関まで出迎え、俺たちを応接間に案内した家政婦はやたらと愛想がよく、特に俺の来訪を歓迎している風だった。まさかこの邸宅内じゃ、高嶺美菜と婚約することがもう決まっちまってんのか? あのバカ娘、本っ当に疫病神だな。
 案内された応接間も、いかに高嶺家が金持ちかをアピールするような、家具・美術品に溢れている。まぁ、客を一番最初に通す部屋だからって気持ちは分かるが、目に痛いぞ。
 革張りのソファに俺が座り、里久と咲弥子は背後に立って控える。春樹や洋行が一緒でも、この布陣は変わらねぇ。二人ってのは、珍しいがな。
 待たされたのは、ほんの1〜2分だった。
「やぁ、隆広くん、待たせてしまってすまないね」
 機嫌よくやってきたのは、高嶺建設会長だ。ウチの爺さんと同年代で、かくしゃくとした……いや、精力漲る爺さんだ。若い愛人を囲ってそうに見えるが、そういった噂は聞いたことがねぇ。これは俺の偏見だな。
 さり気なく慇懃無礼に俺を若造として扱う。40も歳が離れてりゃ、当然だな。こんなことでいちいち目くじら立てていたら、この世界じゃやっていけねぇ。それは分かっているが、いけ好かねぇ態度だ。
 さっきの家政婦が5人分の茶を持って現れた。つまり、高嶺美菜はこの家にいるってことだな。後で呼ぶのか自分から来るのか。
「大旦那様、今日はおめでたいこと尽くめでございますね。美菜お嬢様の婚約が決まり、こうして未来の旦那様が会いに来て下さるなんて」
「うむ、これで高嶺の未来も安泰じゃな」
 家政婦が客の前で親しげに主人と話す、か。高嶺の家は、俺にとっちゃ摩訶不思議なところだな。俺がまだ承知してねぇ婚約が、さも決まったことのように浸透している。お嬢様が男遊びをしているなんて、考えてもいねぇようだ。
 高嶺会長と家政婦が声を上げて笑っているのを、俺は静かにビジネス用の微笑を顔に張り付かせて見ていた。真の意味は悟られねぇよう、細心の注意は払っている。
 そこに、予想通り高嶺美菜が現れた。
「お爺様、隆広さんがいらしたのですって?」
「おお、美菜。ささ、こっちに来なさい」
 笑顔、といえば聞こえはいいが、どう見ても締りのない顔だ。孫が可愛くて仕方がねぇって、オーラが見えるぜ。
 それにしても、よく俺の前に顔が出せたもんだな、このバカ娘は。結局、言動だけじゃなく、頭も丸っきり空っぽなお嬢様だったってことか。爺さんには傷付けずに済ませると言ったが、この女にそんな気を遣うのがバカバカしくなってくるぜ。
 安心しきった表情でこちらに向かっていた高嶺美菜は、咲弥子の存在を見止めて顔を強張らせた。ふん、やっぱり小夜の顔は知っていたか。
「お爺様、そこの女性は……」
「ん? おお、そういえば今日連れている秘書は、見ない顔ばかりだな」
「そうですね、いい機会ですので紹介します。吉永里久と藤野咲弥子です。二人とも、これから俺を支えてくれる大事な秘書ですよ」
 里久が無言で会釈をしたらしい。咲弥子もそれに倣っている。言動に迷ったら、傍にいる奴を倣え。俺が洋行に教えたものだが、それぞれに行き渡っているようだな。春樹が抜けたら、やっぱりあいつがそこのポストに納まるか。
「ほう、女性の秘書を雇うとは、隆広くんも少しは大人になったようだな」
「恐れ入ります」
「嘘よ!」
 俺がわざわざ頭を下げたってのに、それを遮って声を張り上げたのは、見るまでもねぇ高嶺美菜だ。
「お爺様、この女、秘書なんかじゃないわ。『椿』っていう銀座の高級クラブのホステスよ。隆広さんを誑かした、悪女よ!」
 こちらに駆け寄って自分の祖父の隣に座り、咲弥子を指差して詰る。悪女ねぇ……高嶺美菜の方が、よっぽども醜悪な性悪女だぜ。
 可愛い孫娘の言葉に対して、高嶺会長は完全に信用しているらしい。途端に渋い顔で、俺に迫る。
「本当かね、隆広くん」
「正確には、元ホステスです。ですが今はもう『椿』をやめ、有能で信用のおける俺の秘書として働いていますよ」
「秘書なんて嘘よ、お爺様。この女が隆広さんを誑かして、そうするように迫ったのよ」
 誰か、このバカ女の口を塞いでくれねぇか。ったく、見ちゃいらんねぇぜ。これじゃ、見てくれだけはいい腹ん中真っ黒のホステスと一緒じゃねぇか。自分のやってることがどれほど醜いか、高嶺美菜は気付いちゃいねぇんだな。
「美菜さんはどうしても俺を、ホステスに誑かされる脆弱な男、としたいようですね」
「そ、そんなことは、ありません」
「そうですか? あなたのおっしゃったことは、彼女を貶めているようでいて、俺も貶めているんですよ」
 それが分からねぇ内は、余計なことを言わない方がいい。暗にそう言い含めたつもりだったが、高嶺美菜には通じていねぇようだ。さすがに高嶺会長には伝わったらしい。
「美菜、隆広くんが女性の秘書を雇ったことに嫉妬する気持ちは分かるが、今のようなことは口にするものじゃないぞ」
「……はい」
 咲弥子はどうしてるのか俺の位置からは見えねぇが、高嶺美菜がそれ以上の敵意を向けねぇってことは、無視しているのか堪えているのか。いずれにしろ相手にはしてねぇようだ。
「ところで高嶺会長、本日お伺いしたのは美菜さんとの婚約の件です」
「うむ、心得ておる。まさか隆広くんが美菜と仲睦まじい付き合いをしてたとは、わしも知らなんだ。康三郎殿も驚いておったぞ」
「そのことですが、俺と美菜さんは、お付き合いなどしていません」
「どういうことじゃ?」
 そうギラついた目を剥かれると、結構な迫力があるな。どこぞの極道の組長と言ったら、誰でも信用しそうだぞ。
 高嶺美菜は俯いていて表情は見えなかった。なんでこんなすぐにバレるような嘘をついたんだか。
「彼女のお腹の子は、俺の子供ではないということですよ。そもそも、美菜さんと初めてお会いしたのが、妹と出席した先日のパーティーだったのです。ですから、子供の出来ようがありません」
「どういうことなのだ? 美菜」
 高嶺会長は狼狽えた様子で、俺と孫娘を交互に見る。顔を上げた高嶺美菜は、何故か自信満々の笑みを浮かべていた。
「いやだわ、お爺様。私が嘘を言うと思います? 隆広さんは私との間に子供が出来たことを、認めたくないだけなのよ」
「なんと、本当かね、隆広くん」
 この女のその自信がどこから来るのか、俺にはさっぱり分からねぇ。
「美菜さんが何故そのような出鱈目なことを言われるのか、俺には分かりません。俺が言えることは、美菜さんとは子供が出来る様なことは、一切していないということです。ですから、この婚約も認められません」
「ぬう、しかしそれでは美菜が……」
「お爺様、私は嘘なんか言ってないわ! 隆広さんはそこのホステスに騙されて、私を捨てようとしているの! こんなこと、許されることじゃないわ!」
 そろそろ堪忍袋の緒を切ってもいいよな。こんなバカ女への気遣いなんか、知ったことか!
「高嶺会長、美菜さんの妊娠は男遊びが原因です。どれだけの男性と経験があるのか知りませんが、そちらの経験は豊富なようですよ」
「失礼なことをおっしゃらないで!」
「会長は本当はお気付きなんじゃないですか? 美菜さんが一人暮らしをしているマンションに、男性を連れ込んでは夜な夜な遊んでいることを」
 これで知らない、或いは孫に限ってそんなことはしない、なんて言うようなら、高嶺建設の未来は真っ暗闇だな。俺が手を下すまでもなく、高嶺自体が生き残っていけねぇだろ。
 自分が業界最大手企業の会長だという自覚があるなら、孫がどういう暮らしをしているかくらい、把握しているはずだ。でなけりゃ、ゴシップ好きの連中に自分からネタを振り撒いてるようなもんだ。
「隆広くん」
「何でしょう?」
 高嶺会長の俺を見つめる目は、憎悪に彩られていた。それが孫に対するものなのか、俺に対するものかは分からねぇ。俺は次の一言を待った。
「わしの孫娘を侮辱しないでもらおう。そのようなふしだらな娘に育ててはおらん」
 俺の口から溜め息がもれた。どこまでも、この孫娘のことを信用する気でいるのか。
「美菜、わしは隆広くんと話がある。少しの間、部屋に戻っていなさい」
「え!? でも、婚約のお話なら私も聞いていたいわ」
「それはいいですね。実は、ここにる藤野咲弥子が美菜さんと話をしたいと言っているのです。別室で相手をして頂けますか?」
 背後から寒気を伴った視線が突き刺さってくる。このくらいは受ける覚悟でいたさ。このために咲弥子を連れて来たんだ。咲弥子なら高嶺美菜と少しでも話をすれば、俺の意図が読めるだろう。
 高嶺会長も乗り気だ。孫には聞かせたくねぇ話だろうしな。俺としちゃ、そのひん曲がった根性を叩き直すためにも、ここにいて聞かせた方がいいと思うが、せっかく咲弥子を連れて来たんだしな。
「美菜、隆広くんの言う通りにしなさい。そうだな、隣のサロンを使うといい」
「お爺様! ……分かったわ、下がります。付いて来なさいよ」
 すっくと立ち上がった高嶺美菜は、咲弥子に意地の悪そうな視線を向けて応接間を出て行った。咲弥子もそれに付いていく。去り際、俺と目が合った。
「なに考えてんの!? あたしを巻き込まないでよね!」
 そう言っているような目をしている。俺は真顔で手を振って、健闘を祈った。それが伝わったかどうか分からねぇが、咲弥子は呆れた顔で部屋を出て行った。後は、あいつに任せるしかねぇな。俺にも、やらなきゃいけねぇことがある。
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