Act.4 これが男のエゴって奴か?...1

 咲弥子を『椿』から連れ帰ってきてから三日が経った。
 立原真奈美がしていることを実際の映像で見せたからか、相当ショックを受けたらしい。俺はあの後春樹と出掛けたんで、一緒にいた洋行から話を聞いた。
 ヤケになって『椿』に直談判にでも行っちまうじゃねぇかと心配していたが、そこまでする気力もなくなったらしい。母親代わりに思っていたと話していたから、あの裏切りは相当堪えただろう。
 そのせいなのか、他に理由があるのか。あの日以来、咲弥子は自分のアパートに帰ることなく、俺のマンションにいる。ただで泊まるのは嫌だと言うから、飯の仕度やら掃除洗濯を任せたが、一人で待つは嫌だとぬかすんでオフィスにも連れて来ている。
 反抗しない咲弥子ってのは拍子抜けだが、だからといってあいつを嫌う理由にはならねぇ。俺としちゃ、意外だが満足する展開だ。
「従順なお前ってのは、妙に不気味だぞ?」
「別に、あんたに従ってる訳じゃないし。行くとこないんだもん。ママのところには戻れないし」
「まぁ、俺としちゃ嬉しいが、俺のマンションで寝泊りなんて嫌じゃねぇのか?」
「だから! 行くとこないって言ってるでしょ! 一人になりたくないの!」
 要するに、アパートに独りでいると妙なことばかり考えちまうんだと。
 立原真奈美に関しては、まだ咲弥子に話していないことがある。俺としても、今の状況で咲弥子が『椿』に変な行動しちまうと厄介なんでな。だからといって俺とイチャコラするかと言えば、あの夜以来セックスはしてねぇ。ヤケになって誘ってくるかと思っていたが、その辺は冷静なようだ。
 女と生活を共にするのは初めての経験だ。毎晩ヤリたくなるかと思っていたが、それほどの欲求はない。傍にいれば安心なんて思ってる訳じゃねぇが、俺がこんな心境になるなんて、相当咲弥子に惚れてるんだな。自分でも少し意外だ。
 最初は咲弥子を目の敵にしていた春樹も、納得はしていねぇようだが受け入れてはいる。洋行が何かと理由を付けては、咲弥子に仕事を教えているらしい。あれほど秘書になるのは嫌だと言っていたのに、どういう心境の変化だ?
 洋行が言うには「思い詰めさせないための気晴らしです」だと。会長室で大人しくさせているより、何か仕事をさせた方が精神衛生的にもいいんだとか。俺は咲弥子を秘書にさせたかったから反対する理由はねぇが、咲弥子自身はどうなんだか。
「しょうがないじゃない。生活するのにお金が必要なんだから」
「ずっと俺んとこにいりゃいいじゃねぇか。家賃を払えなんて言わねぇぜ」
「誰が! 今だけよ、今だけ!」
 なんて言ってるが、逃げ道を塞いでおいた方がいいか。里久に咲弥子のアパートを解約させようとしたら、たちまち洋行の反対にあった。
「隆広様が立原真奈美と同じことをしたら、それこそ彼女に嫌われますよ。いいんですか?」
「…………」
 いいわけねぇだろ。しょうがねぇから、ここは折れてやる。
 それにしても咲弥子の奴、この3日間オフィスじゃ洋行に引っ付いてやがって。ムカつくぜ。ところがそれについて言及すると、「なによ嫉妬してんの?」なんて笑うんだよな。くそ、お前が洋行に引っ付いてなきゃ、こんなこと言わねぇよ。
 つか、俺はこんなに嫉妬深くねぇぞ。咲弥子のことになると、どうも調子が狂うな。
 春樹は春樹で、ホステスは女の屑とか言いながら、何だかんだと咲弥子に用事を言いつけている。直人の所へ行かせる様な用事はさせてねぇが、読解と英語能力が里久より上だとかで、英文書作りを任せているらしい。咲弥子を認めたのはいいが、お陰で同じオフィスにいるのにちっとも一緒にいられねぇ。
 少しだけ、直人の気持ちが分かっちまったぜ。

 

 今日も今日とて俺は会長室、咲弥子は秘書室で、一緒にいたのは朝起きてからここに来るまでの僅かな時間だけだった。もう昼過ぎだぜ。あいつを正式に秘書にしたら、毎日こんな状態になるのか。くそ、盲点だったな。
 イライラしつつ上がってきた書類を読んでいると、デスクにあるホットラインの電話が鳴った。実家にいる爺さんと直接繋がっている電話回線だ。これが鳴るのは、この前の見合い話で呼び出されて以来だ。
 出てみると、やけに機嫌のいい声が聞こえてきた。
「隆広、これからわしのところに来い」
「仕事中ですよ」
「そんなものは後にしろ。いいから来い、すぐにだぞ」
 それだけ言って、一方的に通話を切られた。仕事中に呼び出すなんて初めてだぞ。機嫌がいいくせに、すぐに来いなんて言うのは、どうせろくでもないことに決まってる。行きたかねぇが、ばっくれる訳にはいかねぇな。
 隣にいる春樹を呼ぶのに内線を掛けようとしたところで、秘書室のドアがノックされた。こののんびりした叩き方、冬樹だな。
「入れ」
「うぃっす、失礼します」
 相変わらず秋葉系な格好しやがって。眼鏡を取れば直人以上の美形のくせに。咲弥子も興奮して「雷に打たれたみたいにビックリした」なんて言ってたな。
「今、爺さんからホットラインが入ったぞ」
「でしょうね。10分程前に、高嶺会長から康三郎氏に連絡が入ったっすから」
「高嶺?」
 ちっ、やな予感がするぜ。あのアバズレ女、正直に話したんじゃねぇのか。
「あー、その顔。予感的中っすよ、多分」
「言ってみろ」
「そんな地を這うような声で言わなくても……孫娘の高嶺美菜が妊娠していて、相手は隆広様だと言ったらしいっす。で、こんなめでたいことはないから、すぐにでも婚約させたいと打診してきたんすよ」
「…………」
「俺を睨まれても困るんすけど」
「お前を睨んじゃいねぇよ。春樹を呼べ」
 俺としたことが、あの程度で帰したのは甘かったか。まさか、こんな阿呆なことを仕出かすとはな。血の繋がった自分の爺さんがどういう行動取るか、考えなかったのかよ、あの女。
 秘書室に引っ込んだ冬樹が、すぐに春樹を伴ってやって来た。
「隆広様、一体なにごとですか?」
「なんだ、冬樹から聞いてねぇのか?」
「俺から言うより、隆広様から言った方が納得すると思ったんす。春樹は石頭っすからね」
 しれっと言いやがって、単に面倒臭ぇだけだろう。言われた春樹は、冬樹を睨み付けている。頭が硬いと言われて怒ってんのかよ。本当のことじゃねぇか。
「爺さんから呼び出しだ」
「今は仕事中ですよ。緊急の用事でしょうか?」
「まぁ、爺さんにとっちゃ緊急だろうな。高嶺会長から爺さんの下に、さっき連絡があったらしい。ってのは冬樹からの情報だが、高嶺美菜がやってくれたぜ」
 春樹には、高嶺美菜とのことを先日話した。俺の後ろにいたはずの咲弥子が、知らない内に冬樹の部屋にいたのは気に入らねぇが、あの場で咲弥子がいなかったのは正解だったな。
 状況が分かったか、天井を見上げた春樹は目を瞑って溜め息をつく。高嶺美菜との結婚に拘っていた理由は分からねぇが、少しは懲りたのかね。
「つまり、高嶺会長は高嶺美菜の話を鵜呑みにした、ということですか」
「高嶺の爺さんがモウロクしたとは考えにくいが、可愛がり過ぎて周りが見えてねぇってことは、あり得るだろ。多香子に対する爺さんの態度を見りゃ、推して知るべしだな」
「それで、どうするんするか?」
「仕方ねぇ、爺さんの呼び出しをばっくれる訳にはいかねぇだろう」
 爺さんがくたばるまでは、俺が唯一頭の上がらねぇ相手だからな。溜め息交じりに腕を組んで椅子に寄り掛かると、冬樹も春樹も同じ様に溜め息をついていた。この俺でそうなんだから、こいつらには余計そう感じるだろう。
「っすよね。じゃあ、春樹も一緒に」
「いや、春樹はここにいろ」
「それはどういう……まさか」
 やっぱり、こいつは俺がなにを考えているか、気が付いたか。冬樹も遅れて分かったみてぇだな。二人して同じ様な顔で溜め息をついている。ったく、上司に呆れた表情を見せるんじゃねぇよ。
「爺さんがこの話を信じているにしろ、疑っているにしろ、俺の意思がどこにあるかはっきりさせとくのがいいだろう」
「だからといって藤野咲弥子をを連れて行くのは、如何なものかと」
「まぁ、気持ちは分かるっすけど、藤野さんはまだ結婚する気はないんすよね? 連れて行ってどうするんすか?」
「爺さんはまだ小夜に会ってねぇからな。実物を目の前にすりゃ、少しは納得するだろ」
 小夜になった咲弥子は、見た目だけで説得力ありまくりだからな。とっとと爺さんに見せるのが得策だ。小夜の名前で、こいつらも納得するんだから、その威力は絶大だ。さすがに真っ昼間から夜のドレスを着させるわけにいかねぇが、あの顔ならどんな服でも遜色ねぇ。
「ですが彼女が小夜になるには、時間が掛かるのではないですか?」
「1時間くらいは問題ねぇだろ。爺さんだって、仕事中の俺を呼び出すんだ。その程度のことは分かってるさ」
「では、今日この後の予定は全てキャンセルということで、よろしいですね」
「だな。その穴埋めは、爺さんにしてもらうさ」
 冬樹に咲弥子を呼びに行かると、春樹は改まった態度で咳払いなんぞしてきた。
「なんだ? 春樹」
「藤野咲弥子のことですが、いつまでマンションに住まわせておくのですか? そろそろ嗅ぎ付けた連中が出始めていますよ」
「そっちの対処は任せる。っつっても、お前はそれだけじゃ納得しねぇよな。冬樹から話は聞いてるな?」
「ええ、それは分かっています。ですが、彼女の態度は全く変わりませんよ。本当に藤野咲弥子と結婚する気ですか?」
 こいつは、本当に頭が硬ぇな。咲弥子をアパートに帰せばどうなるか知ってるくせに、こんな話題を振りやがって。
 咲弥子が俺のマンションに住むようになってから、冬樹にアパートの周囲を監視させている。それで判明したことだが、小夜の無断欠勤を受けて立原真奈美は、『椿』の黒服を咲弥子のアパートに張り付かせ始めた。入れ替わり立ち替わり、ほぼ24時間誰かが見張っているんだそうだ。そんなところに咲弥子を帰したら、どうなるかは目に見えているだろ。
 このことは咲弥子にまだ話してねぇ。アパートに帰ると言い始める前に、伝えないといけねぇな。更にあいつを傷付けることになっちまうが。
「お前はそう言うが、あいつが大人しく俺のマンションに住んでるってのは、大きな進歩だぜ。どんな理由があるにせよ、な。お前だって咲弥子のことは、認めてるんだろ」
「秘書として有能なのは認めます。隆広様の妻としては納得はし難いですが、まぁ良しとしましょう。ですが同居はまだ性急かと思います。ご自分の知名度を、もっと自覚してほしいですね」
 まぁな、ホテルの地下駐車場で喚く咲弥子を担いだのが素っ破抜かれなかったのは、奇跡と言ってもいいくらいだ。
「お前の言いたいことも分かるが、今の咲弥子は一人にすると何をするか分からねぇぞ。思い詰めて『椿』に行っちまう可能性もある。そうしたら、せっかく裏で動いてる連中の苦労が水の泡だぜ。もう少しで向こうの証拠固めも揃う。それまでは辛抱しろ」
「仕方ありませんね」
 嫌味の一つや二つ返って来るかと思ったが、あっさりと春樹は引き下がった。
「お前にしちゃ、随分と素直だな」
「それは私の仕事を増やして下さいましたから。今日の予定を全てキャンセルして、別の日に組むというのは結構面倒臭いんですよ」
「そういう報復は、爺さんにしてやれよ。俺だって迷惑してんだ」
「それが出来るならば、隆広様にこんなことはしませんよ。では、失礼します」
 秘書ってのは、もっと上司に従順であるべきだよな。こんな虚しいことを思っちまうなんて、俺も調子が狂ってるぜ。
 春樹と入れ違いに、冬樹が咲弥子を連れて来た。口を開けて唖然と春樹を見上げているのは、今の会話が聞こえたのか。
「会長の秘書って、上司相手に凄いこと言うんですね。まぁ、今更のことですが」
 ここにいる間の咲弥子は、こうしてきっちり部下としての態度を取る。それが蔑みつつも春樹がこいつを認めている一つの要因だろうが、俺は大いに不満だ。なんかよそよそしいぜ。俺を『会長』と呼ぶなんて、咲弥子じゃないみてぇだ。
 まぁしょうがねぇ、結婚するまでの辛抱だな。
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