Act.3 裏切られた想い...10

 長く掛かると目の前の冬樹は言っていたけど、それから5分くらいで隆広は来た。
 何だか機嫌が悪そう。あの春樹っていう秘書とは相性が悪いのかね。あたしはお近付きにもなりたくない奴だ。
「待たせたな、咲弥子」
 とは言われたけど、そんなに待ったような気はしなかった。壁に掛かった透明なパネルの上の方に小さな画像が何個か出ていて、それを見ているだけで面白かったから。
 このパネルは簡単に言うと、スマフォのディスプレイの超巨大版みたいなものなんだって。だからこうして画像を映し出したりすることが出来るんだと、冬樹が教えてくれた。
 今映っているのは、どういう映像なんだろ。映画でもニュースでもなさそうだし。冬樹に聞いてみたら「聞かない方がいいっすよ」って苦笑しながら言われちゃった。その苦笑いから何となく、東海林グループの権力っぽいものが見えて、それ以上聞くのは止めた。知っちゃったら「秘書になれ」なんて言われそうだし。
「時間がねぇから、さっさと始めるぞ」
 隆広が腕時計を見ながら、そんなことを言った。やっぱり東海林グループの会長だね、さり気なくスンゴイ時計をしているよ。確か100万近くするんじゃなかったっけ、あの時計。
「咲弥子」
「え、あ、なに?」
 いけない、いけない。時計に気を取られちゃっていたよ。時計から意識を離して隆広を見上げたら、呆れた顔で溜め息をつかれた。
「どうしたよ。あれだけ突っかかっていたのに、随分大人しいな」
 うっ、だって、いざとなると決心が鈍っちゃうんだもん。しょうがないじゃない!
 なんてことは、絶対にこいつの前では言いたくない。鼻で笑われるに決まってる。
「何でもないわよ、さっさと見せて!」
「ふん、冬樹」
「うす……っつっても、セリフは突貫作業で付けただけっすよ。関連するものをファイルにブチ込んだだけなんで、まだきちっとまとまってないっすから」
 なによそれ。あたしに文句言わせないくらい、ちゃんとした証拠を見せるんじゃなかったの?
 ムッとしていたら、あたしを見た冬樹が苦笑いで言った。
「『椿』のことを優先して調べてはいたっすけど、そればかりにかかずらってもいられないっすからね」
「余計なことはいいから、さっさと出せ。そうだな、昨日咲弥子が面接したあの会社がいいだろ」
「な、なんで知ってんのよ!?」
 そんなことこいつに言ってない! 履歴書を出しに行くことはポロッと言っちゃったけど、面接したなんて一言も言ってないわよ! こいつ、何なの? 東海林グループの会長ってそんなことまで分かっちゃうの?
 ちょっと怖くなって、隆広から距離を取った。そんなあたしを、勝ち誇ったような顔で見下ろしてくる。ムカつく。
「ふん、すぐに分かる。冬樹」
「へいへい」
 言われた冬樹がキーボードを叩くと、さっきの小さな映像が映っていた透明な壁に、新しく画像が出てきた。小さくて見えないよ。
 そうしたら何も言ってないのに、冬樹がキーボードの右側の広く空いているところで、親指と人差し指の先を当てて広げるような動きをしたら、小さかった画像が大きく引き伸ばされた。
 スゴッ! さすがはスマフォのディスプレイ巨大版。タッチパネルの遠隔操作みたいなことも出来るんだ。ホントに、海外ドラマの科学捜査みたいだよ。
 口を開けて見ていたら、隆広が笑いながら「冬樹の希望通りに作ったら、こんなもんが出来てきた」なんて言った。普通はSFだと笑い飛ばすんじゃないの? それをマジで作る隆広の神経が知れないよ。
「ほら、お前がいるぞ」
「へ?」
 変な言葉に釣られてパネルを見ると、会社の事務所であたしとそこの部長さんがテーブルに着いて話している映像が映っていた。それは窓の外から撮ってるものだった。
「ちょっ、あんな物いつ撮ったのよ!?」
「昨日、お前があそこに行った時に決まってんだろ」
「か、監視してたの!? あたしを!」
 信じられない思いで隆広と冬樹を見たら、冬樹はふいっと視線を逸らして、隆広は不敵に笑っていた。その顔を見て、カッと頭に血が上った。
「黙って人を監視するなんて、信じらんない! この犯罪者! 警察に訴えてやる!」
「そうじゃないんすよ」
「何がよ?」
 キッと冬樹を睨みつけたら、今度は溜め息をついて隆広を見上げた。その困ったような表情、美形のせいで悩ましく見えるからって、騙されないんだから。
 冬樹の視線を受けた隆広は急に真面目な顔付きになる。うっ、ついカッコイイなんて思っちゃった。イケメンの金持ちボンボンだからって、外見に騙されてたまるか!
「監視してたのは、お前じゃねぇよ。立原真奈美だ」
「え、誰?」
「『椿』のママっすよ」
「え……」
 一瞬、頭が真っ白になったよ。だってママの名前は美奈子でしょ?
「美奈子ママって、総轄から呼ばれてたよ?」
「そりゃ源氏名だろ。本名は立原真奈美ってんだよ」
 そうなんだ、ママの本名初めて知ったよ。……って、ちょっと待った!
「ママを監視してるってどういうことよ!? それがどうして、あたしが履歴書を出しに行った会社と繋がるの!?」
「順番に見せてやりゃよかったな。冬樹」
「ういっす。藤野さん」
 呼ばれて冬樹を見たら、パネルを指差している。しょうがないから、そっちを見た。
「これは藤野さんが来る前日の映像っす。この会社の外っすね」
 ほぼ真上から撮っている映像は、ちょっと分かりづらいけど、ビルとか道路とかはこんな感じだった。下町だからか、かなり古めかしいビルもあったよね。
 その会社の前にシルバーブルーの高級車が一台停まった。そこから一人の女性が降りてくる。ドアを閉めたところで、映像が斜め上からの角度に変わった。
 それから遠目だった映像が女性に寄っていく。
「えっ、ママ?」
 大きなサングラスをしているけど、この顔はママだとすぐに分かった。黒っぽいシックなスーツを着て、ママが好きなブランドのバッグを持っていた。なんでこんなところに来るの? 下町の背景に、ママの姿は物凄く異様に感じた。
 ママは周囲を数回見回して、メモみたいな紙を見ながら、あたしが行ったその会社に入っていく。心臓がドクドクし始めて、胸が痛くなった。息が苦しくて、いつの間にか喘ぐように呼吸していた。
 しばらくすると、会社の2階に画像が寄っていく。ママの姿が見えた。もう一人、結構お歳を召した初老の男性がいる。二人は何か話しながら、その部屋のテーブルに向かい合わせで席に着いた。
「あれは、ここの社長だ」
 隆広の声が、どこか遠くで聞こえる。どうしてママが、あたしが履歴書を出す前に、そこの社長さんと会っているの? 偶然だよね。
 祈るような気持ちで画面を見つめていたら、下の方に字幕が出てきた。
「さすがに声までは拾えないっすから、俺が読唇した二人の会話っす」
『いやぁ、あの有名な『椿』のママがこんなところに来て下さるとは、夢のようですな。お噂に違わずお美しい』
『まぁ、口がお上手ですね。実は社長にお願いがありまして、今日は参りましたの』
『ほう、『椿』のママが私にどのような?』
『近く、彼女がこちらに履歴書を持って伺います』
 そう言って、ママはバッグから一枚の写真をテーブルに置いた。画面はそこにズームしていく。それは信じたくない物だった。まるで隠し撮りしたような、リクルートスーツを着たあたしの写真。
 息が苦しい。心臓が破裂しそうなくらい、激しく鼓動している。
 映像はちょっと引いて、話しているママの顔が見えた。
『藤野咲弥子といいます。彼女の就職を拒否して頂きたいのです』
 目の前が真っ暗になるって、本当に起こることなんだ。視界がちょっと陰って、足がふらついたところを力強い腕が肩を掴んでくれた。
 見上げると、隆広があたしを支えていた。不敵な笑みも勝ち誇ったような表情もなくて、ただ真剣な光りを讃えた目があたしを見つめていた。それからパネルの方に視線が移る。あたしも釣られてそれを見た。
『方法は社長にお任せ致しますわ。でもよろしかったら、一度面接はして頂けます?』
『何故です?』
『彼女自身に、就職が無理であることを思い知らせたいのですわ。面接の席で自分が決して雇われることがないことを知れば、就職を諦めるでしょう』
 社長さんはあたしの写真を手に取って見た後、それをテーブルに戻した。
『分かりませんなぁ。何故そんなにこの娘の就職を潰そうとするのです? 見たところ、普通の女の子じゃないですか』
『彼女には、もっと相応しい仕事がありますの。それをこの子自身に分からせたいのです。もちろん、このお礼はさせて頂きますわ』
 そう言って、ママはバッグの中から分厚い茶封筒を取り出した。
『彼女を雇わないと約束して下さるなら、この場でこちらを差し上げます』
 社長さんがゴクッと生唾を呑んでそれを手に取る。中身を見て、驚いた目でママを見た。
『こんな大金をですか?』
『この不況ですから、こちらの経営も大変でございましょう。それをお役立て下さい』
 ママはサングラスを取って艶かしい視線を社長さんに向け、人差し指を立てて紅い唇に当てた。
『それともう一つ。社長を無料で『椿』の会員にして差し上げましょう。『椿』の会員となれば、経営者のステイタスですわ。それに社長は、女性とお酒を飲むのがお好きでございましょう? でもこの会社の経営のため、ここ数年それを我慢して来られたのはありませんか?』
『し、しかし、いくら会員にしてもらっても、行けばそれなりの物を取られるのでしょう?』
『ふふ、今社長にお渡ししたじゃありませんか。藤野咲弥子を就職させないと約束して下されば、それは社長の物ですわ。いかように使っても、誰に咎められる物ではありませんのよ?』
 社長さんは呆けた顔でちょっと考えた後、勢いよく椅子から立ち上がった。
『分かりました、お約束しましょう。この娘が来ましたら面接を行い、雇わないことをしっかりと告げましょう』
『話の早い社長で助かりましたわ。よろしくお願いしますね』
『あ、しかし。もしこの娘が来なかった場合はどうなるのでしょうか?』
 社長さんは分厚い茶封筒をしっかりと抱えながら、心配そうな顔でママを見た。
 気持ちが悪かった。人が良さそうな社長さんなのに、ママ、どうして?
『そんなことはあり得ません。彼女は必ずここに来ますわ』
 映像が次第に歪んでいって、霞掛かったようになった。自分が泣いてるって気が付いたのは、しばらく経ってから。小さな嗚咽が漏れてる。本当に泣きたい時って、こんなに静かに泣くものなんだ。そういえば、お母さんが死んじゃった時もこんな風に泣いてた気がする。
「咲弥子」
 いつ体が反転したのか、隆広の声が前から聞こえて、体が何かに包まれるのを感じた。ちょっと苦しいけど温かくて、耳が当ったところから一定に打つ鼓動が聞こえた。色んな想いが渦巻いて訳が分からなくなっていたあたしを、その音が落ち着かせてくれる。
 隆広に抱きしめられていて、聞こえていた鼓動は彼の心臓の音だった。こんなので落ち着いちゃうなんてちょっと悔しいけど、今だけは少しだけ助かったと思った。
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