Act.3 裏切られた想い...7

 うん……なんか、チャイムの音がする。何回も何回も鳴っていて、正直うるさい。顔に日差しが当ってるから、もう朝だよね。誰よ、こんな朝っぱらから。
 目をこすりながら、むっくり起き上がって、唖然とした。寝不足で惚けてた頭が、きれいさっぱり覚醒したよ。
 なに、この広い部屋! まるで隆広と初めて会った時の再現だわ! 頭を抱えながら周囲を見渡したら、やっぱり同じベッドで隆広が眠っていた。えっと、昨夜はどうしたんだっけ?
 あ……思い出した。隆広にお店を早引けさせられて、こいつのマンションに来てセックスしちゃったんだ。シャワーを浴びた後、素っ裸にされて後ろから抱かれながら寝たんだよね。
 一応、体を確かめてみる。うん、何もされてないみたい。それにしても、自分が裸で寝るから他人にもそれを強要するって、どうなのよ? 今まで付き合ってきた女の子たちにも、そんな風にしていたわけ?
 ベッドの上で膝を抱えて、隆広の寝顔を眺めた。
 体はうつ伏せで、顔はあたしの方を向けている。枕にファサファサした髪の毛が広がっているし、眠っている顔も何だか別人みたいで、いつもと全然印象が違う。
 こいつにキスされると、拒否出来ないんだよね。やたらと上手いから気持ちよくなってきて、ついつい流されちゃう。
 あたし、隆広のこと好きなのかなぁ? 今までの男は好きとか嫌いとか、あんまり気にせずに付き合ってきたような気がする。こんな風に悩んだことないもん。あんまり優しい男もいなかったしね。
 隆広のホテルで目覚めた日から、指折り数えてみる。まだ四日しか経ってないじゃん! それであたし以外いらないって言う隆広の気が知れないよ。普通の奴ならまだしも、東海林グループの会長なんだから、もちっと自分の言動に責任持てっての。
 俺様なのに変なところで紳士で、たまに最っ低なことをする奴。それで面白がってる節があるから、サド気質だよね。今まで付き合ってた女の子って、こいつのどういうところに惚れてたんだろ。
 そっと腕を伸ばして、眠っている隆広の黒いサラサラの髪を触っていたら、ドアの開く音がした。
「隆広様、おはようござ」
 スーツを着た男が開いたドアノブを手にしたまま、あたしを見て固まっている。あたしは裸。
「ぎゃーっ!!」
「な、なんだ!?」
 あたしのスンゴイ叫び声に飛び起きた隆広が、入ってきたスーツの男が顔を見合わせた。スーツ男の顔は真っ赤だった。だって、バッチリあたしの裸見たでしょ!
「隆広様……」
「おう、洋行。早ぇな」
 洋行って、確か秘書の一人だよね。こいつ、毎朝秘書に起こしてもらってんのか!
 布団を引っ張って、とりあえず体を隠したあたしと、秘書の目が合う。
「し、失礼しました」
 派手な音を立ててドアが閉まった。隆広は頭をかきながら溜め息をついている。
「えっと、今の秘書だよね?」
「ああ、俺の身の回りの世話も仕事だからな」
 うわぁやっぱり。秘書に世話を焼いてもらわないと、起きることも出来ないなんて、こいつはやっぱりお坊ちゃんだ。
「なに考えてんだ?」
「別に。秘書に朝起こしてもらってるんだなぁって思っただけ」
「ふん、言ってろ。お前、飯作れるか?」
 いきなりなにを聞くんだ、こいつは?
「はあ? なに言ってんのよ。一人暮らし始めて何年経つと思ってんの? ご飯作れなきゃ死んじゃうでしょ!」
「ならいいな。洋行にお前の服を買って来させるから、咲弥子が朝飯を作れ」
 買うなんてお金が勿体無いって思ったけど、こいつにとっちゃ大したお金じゃないんだな。
 あたしが絶句していると、隆広は煙草に手を伸ばした。外国の煙草みたいで、銘柄は知らないものだった。それを一本咥えて、ダンヒルのライターで火を点けた。美味しそうに紫煙を吐き出してから、咥え煙草であたしを見る。
「あのドレスは着たくねぇんだろ。だったら服を買うしかねぇじゃねぇか」
「じゃあ、あんまり高くないのにしてよ。っていうかさ、こんな時間にブティックなんて開いてないでしょ。あ、24時間スーパーとか?」
「阿呆。んなとこで服なんか買うか。店の奴を叩き起こすんだよ」
 な、なんてことするのよ。そんなことしてまで新しい服なんかいらないってばさ。とりあえずあのドレスを着てあたしのアパートに行って、着替えてくればいいでしょ。
 そう提案したのに、こいつは全然聞いてくれなかった。
 どうしたらこの金持ちボンボンの考えを改められるのか悩んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。
 慌てて布団を引っ張り直して、今度は体全部を隠した。さっきはホントにちょっと隠しただけだったんだもん。あたしがそうしたのを確認してから、隆広が声を掛けてくれる。たまにこういう面を見せるから、あたしは迷っちゃうんだ!
「入れ」
「失礼します。隆広様、ちょっとよろしいですか?」
「なんだよ」
 秘書の手招きに、吸っていた煙草を灰皿で揉み消して、隆広はベッドを降りていった。う、やっぱりスッポンポンだ。こういうの秘書はどう思ってんのかね。
 洋行を見ると、なんだか怒っているような呆れているような、そんな表情。それを見て隆広は、ベッドに脱ぎ捨ててあったバスローブを羽織っていった。
 むむ、あいつに行動を改めさせるなんて、この秘書は出来る奴なのか?
 隆広が出て行ってドアが閉まった途端、向こうから大きな声が響いた。
「藤野咲弥子をマンションに泊めるなんて、なに考えてんですか!!」
 おお、凄い。上司を怒鳴れるなんて、なかなかやるじゃん。
「玄関に靴があったろ。なんで気付かねぇんだよ」
「うっかり見落としていました。しかし、泊まらせるならそうと連絡して下さいよ」
「そういうお前だって、黙ってコンドームを買って、寝室に置いておいたじゃねぇか」
「まさかの時もあり得るかと思っただけです。まさか本当に、買ってその日に使われるとは、思ってもいませんでしたが」
 だよねぇ。でも、助かりました。
「それよりな、お前咲弥子の服を買って来い」
「はあ? 着替えを持ってこなかったんですか、彼女は」
「『椿』から直接ここに連れて来たんだよ。俺が贈ったドレスは着たくねぇらしい」
「まぁ、そうでしょうね。彼女の気持ちは分かります」
 おお、庶民感覚の人が隆広の傍にいたよ。ちょっと安心。
 ハッ! なんで安心なんかしてんのよ!? あたしは隆広の秘書になんかならないから、別に庶民感覚の人がいようがいまいが、関係ないでしょ!
 ブンブン首を振って変な考えを追い出していたら、またドアの外から声が聞こえた。
「服は何でもいいんですか?」
「ああ、とりあえず外に出て行くのに問題なけりゃ、いいんじゃねぇか」
 なんちゅう大雑把な。まぁでも、シャツとジーパンとかで十分よ、あたしは!
「サイズは分かりますか?」
「上から85、62、89だ」
「……なんでそんなことを知っているんですか?」
「そりゃ、実物の下着を見たからな」
 へ? 下着? あっ! ホテルでの「実物があったから」ってセリフは、そういうこと。なんだ、そうだよね。さすがに触っただけでサイズが分かるなんて、あり得ないよね。
「とりあえず、近くのジャスコに行って来ます」
 おお、やっぱり庶民感覚を持っている! そこでいいですよ。下着は昨日のでもいいんで、シャツとズボンがあれば!
「なに!? 咲弥子にあんな安物の既製品を着せるのか!?」
 がくっ。ええい、負けるな洋行。ジャスコでいいのよ、いいんだからね!
「隆広様の選ばれる服ですと、彼女はなかなか着ないと思いますが。それに、車で往復30分くらいですから、すぐに帰って来られます」
「……ちっ、しょうがねぇな」
 おお、隆広が折れた! この秘書凄い! 思わず拍手しちゃったよ。
「あっ」
 拍手してる間に、隆広が寝室に入ってきた。あたしを見て、不本意そうな顔をしている。
「咲弥子、随分嬉しそうだな」
「そりゃあね、あんたの周りに庶民感覚をちゃんと持った人がいれくれて、よかったわよ」
「ふん、その代わり朝飯作れよ」
「分かったわよ、それくらいはしてあげる」
 ベッドのすぐ下に、昨夜隆広に借りたバスローブが落ちてるのを見付けて、それを着込んだ。やっぱりでかいな。ベッドを降りると、右足首に包帯が巻かれている。そういえば、湿布してくれたんだっけ。
 床に足を付いてみると、あまり痛みはなかった。
「足の具合はどうだ?」
「あ、うん。そんなに痛くないよ。ありがと」
「俺は風呂に入ってくる」
 自分だけかい!
「ちょっと、女の子にご飯作らせるくせに、先にシャワーを浴びさせてくれないわけ?」
「ちっ、しょうがねぇな。早く入って来いよ」
 なんだ、その言い方は! やっぱりこいつは最低な奴だ!
 反論しても疲れるだけだから、さっさと寝室を出た。

 

 勝手にボディシャンプーとタオルを拝借して、バスローブを羽織って寝室に戻ると、隆広はベッドに腰掛けて、つまんなさそうな顔で煙草を吸っていた。
「出たよ。先に使わせてくれて、ありがとね」
 一応、お礼は言っておく。隆広は呆れたような顔で、まだ半分しか吸ってない煙草を灰皿で揉み消した。朝起きた時に1本吸っていたはずが、灰皿にはもう5本も吸殻がある。どんだけヘビースモーカーなんだって。
「ふん、俺より先に入らせろなんて言う女は、お前が初めてだぜ」
「あ、そう。でもご飯を作らなきゃいけないんだから、先に入らせてくれるのは当然じゃないの?」
 要するに、これはご奉仕だもんね。そう言ってやったら、えらく驚いていた。
「なんでそんなに驚くの?」
「いや、大抵の女は、俺に飯を作りたがっていたからな。お前はそうは思わねぇんだ」
「なんであたしがあんたに、無償でご飯を作ってあげなきゃいけないのよ! 今日のは洋行が着替えを買って来てくれるから、その代わりでしょ! 大体、作ってもらって当たり前っていう、その精神がお坊ちゃまなのよ!」
 お坊ちゃまと言ったら、あからまに不本意そうな顔をした。なによ、その通りじゃないの。
 全くもう、ムカつく。あたし、こんな奴が好きになったの? 絶対そんなことないない! セックスが上手いから、一時的にそう思ってるだけよ!
「じゃあね、先にシャワーを使わせてくれてありがとう。さっさと入ってきたら?」
「ちっ、可愛くねぇ言い方だな」
「だから、あんたに可愛いと思われたってしょうがないってば! きゃっ」
 ベッドから立ち上がった隆広に、いきなり肩を掴まれてドアに背中を押し付けられた。
「ちょっと、なにすっんぅ」
 だから、なんでキスするのよ! すぐに解放されたけどさ。眼前に迫ったその顔は、ちょっと怒っているみたいだ。
「俺はお前がほしいって、何度も言ってんだろ。本気でお前以外の女はいらねぇんだよ。だから、もちっと可愛くしやがれ」
「やだっ! 可愛くしてほしかったら、ちゃんとそういう風に扱いなさいよ!」
「ふん、言ったな。じゃあ、お前を可愛くしてやる」
「は? うわっ、ちょっとなにすんのよ!」
 またしてもお姫様抱っこされて、連れて行かれたのはベッドの上だった。
 着ていたバスローブの紐を引き抜かれて、前を肌蹴られる。あたしがギョッとして前を合わせる暇もなく、ベッドに押し倒された。
「ちょっと、朝っぱらからなにすんのよ!」
「お前はセックスしてりゃ、可愛いからな」
「なっ!? やだっ、ちょっと、まっあんっ」
 無防備に晒されていた胸の先端を舐められて、つい甘い声が上がっちゃった。くそぉ、こいつ、やっぱり最低!
「さっさと上から退かなきゃ、また股間を蹴り上げてやる!」
 怒鳴りながら片膝を上げたら、隆広は電光石火の如く飛び退いた。いやぁ、その素早さといったらすごいね。これからは、こうやって脅してやろう。
「ったく、なんてことを言いやがる!」
「ふんだ、逃げておいて言うセリフじゃないでしょ!」
「逃げてねぇ! 安全を確保しただけだ」
 それが逃げてるんじゃないの。負け惜しみ言っちゃって。まぁ、これ以上言っても不毛なだけだしね。あたしだって、素足でそのムキだしのところを蹴り上げるなんて、やだよ。
 体を起こして、肌蹴られたバスローブを直した。手の平を上に向けて差し出したら、大人しくバスローブの紐を渡してくれた。
「大体さぁ、ご飯食べたいんでしょ。だったら、それを邪魔するようなこと、しないでよ。それと、もう少し自制心持ったら?」
「うるせぇ」
 それなりに痛い言葉だったのか、隆広はむくれた表情で寝室を出て行った。これで30歳なんだから、男って子供みたいだよね。
 うーむ、今まであいつと付き合っていた女たちは、こういう子供っぽいところが気に入ってたのか? 分からん。
 あたしは……まぁ、面白いなとは思うけど。でも、こいつと付き合ったら色々疲れそう。セックスもそうだけど、何かっちゃこうして言い合うんだもん。
 そういうところが気に入られているとか? やだやだ、変なことは考えずに、ご飯を作ろう。あたしだってお腹空いたよ。
 無駄に広いリビングを抜けていくと、キッチンらしきスペースに出た。リビングとの境には、ちゃんとダイニングルームもあって、標準的なサイズのテーブルと椅子が4脚置いてあった。
 うん、大きさは標準だけどね、その物はしっかりアンティークなテーブルと椅子だったよ。まぁ、大体予想はしていたから、もう驚きもしないけどさ。
 ダイニングルームとキッチンの間には、物が置けるカウンターがある。これは便利だわ。
 キッチンに入ると、とっても綺麗に整頓されているのに、ちょっと感動した。まるで雑誌に紹介されるモデルキッチンみたい。しかもIHクッキングヒーターだ。初めて見たよ。あたし使えるかな?
 冷蔵庫を開けてみると、作り置きされた料理がいくつか入っていた。あの洋行という人が作ったんだな。どれどれ。
 むむ、結構本格的な料理だ。かぼちゃの煮つけにレンコンの煮付けがある。きんぴらごぼうにひじき、おお、にこごりまであるよ。あの人すごいな。この仕事の他に、ちゃんと秘書の仕事もしてるんでしょ。あいつの秘書って、結構優秀なのが多いのかも。吉永里久は、隆広と同類だけど。
 他に食材を探すと、卵、ハム、レタス、きゅうり、トマト、セロリ、キャベツ、などなど。冷蔵庫以外にも、じゃがいもやさつまいも、上げたらキリがないほど十分に揃ってる。
 肉や魚はさすがに数が少ないけど、手羽元と鮭の切り身があった。
 ふむ。ということは、作り置きの煮物を出して、出汁入りの厚焼き玉子に、レタスのおひたし、さつまいものお味噌汁と焼き鮭でいいか。
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