Act.2 この俺が女に惚れた? 嘘だろ...12

 高嶺美菜のマンションは、ここから30分は掛かる。その上『椿』とは方向が逆ときてる。遠回りになっちまうが、しょうがねぇな。じき9時になるが、まぁ送った後でも飛ばせば10時前には『椿』に着けるだろう。
 俺が運転している間、高嶺美菜は訊かれもしねぇのに自分の身上を話していた。
 典型的なお嬢様育ちだな。高校までずっと私立の女子校で過ごし、外の大学に入ってからマンションで一人暮らし。ただし、子供の時から面倒を見てくれたばあやが、一緒に住んでいるという。それは一人暮らしとは言わねぇが、俺は口を挟まずに聞いていた。
 高層じゃねぇが、やたらと豪華な外観のマンションだ。エントランスの前に車を停めると、シフトレバーに置いていた右腕に、高嶺美菜の両手が添えられた。
「送って下さってありがとうございます。お礼にお茶を差し上げたいわ。寄っていって下さいます?」
 それまでの自信満々な笑みに、女の色気をない交ぜにしている。両手は震えてもいねぇし、断られるとは考えてもいねぇ目だ。こんなに自然に俺を誘うとは、ちょっと驚いたな。
 高嶺の爺さんは、可愛い孫娘に下手な虫に寄り付かれたくないと思っているらしいが、実家を出た四年間にお嬢様は男遊びを覚えたらしい。
「高嶺建設のお嬢様が、そんな風に男を招き入れてはいけませんよ」
「あら、あなたなら祖父は怒ったりしませんわ。それに、お茶を差し上げるだけですもの」
 熱っぽい視線で俺を見上げ、更に右手で俺の頬に触れた。その触り方は、これで断られた経験がないことを伺わせる。
 俺がサイドブレーキを掛け、わざと顔を近付けてやると、艶然とした笑みを深くする。目を閉じて唇をすぼめたところで確信を持ったぜ。
 唇同士が触れる寸前で、高嶺美菜の唇に右手を当てた。ギョッとした顔は、なかなか面白かったな。
「高嶺美菜さんは清楚なお嬢様だと伺っていましたが、とんだあばずれのようですね」
「あ、あばずれですって!? よくもそんな侮辱をおっしゃるわね!」
「では男好きと言い直しましょうか。こうやって、今まで何人の男を招き入れたんです?」
 ずばり言ってやると、ギクリと体を硬直させる。正直といえば聞こえはいいが、こんなに素直に反応されると却って興醒めだな。
「高嶺会長は、あなたが処女だと信じて疑わないようですが、いつまでも隠しおおせるものではありませんよ」
「失礼なことをおっしゃらないで」
「表現がストレート過ぎましたか? ですが、本当のことでしょう」
「…………」
 絶句して見開くその目は、何故分かるのかと問い掛けている。
 全く、今までこれに引っ掛かっていた男共は阿呆だな。それとも、分かっていて騙された振りをしていたのか。
 カクテルドレスから見て取れる体つきは、なかなかのプロポーションだ。お嬢様の体を味わってみたい男は、そりゃ多いだろうな。遊び人なら尚更だ。
「男を甘く見てはいけませんよ。俺は別に男遊びを否定はしませんが、誘う相手は見極めた方がいい。タチの悪いのが引っ掛かると、後悔するのはあなたですよ。今後、男遊びをするなら、それをしっかり念頭に置くことです」
 俺の手に添えたままになっていた女の手を、軽く振り解く。俺にしちゃ優しくやってる方だ。高嶺美菜は呆けた顔で俺を見上げている。
「今夜はなかなか面白かったですよ。ですがこれきりです。俺を誘惑するのは、もう終わりにしなさい」
「な、何故? だって、こんなに親切に諭してくれた殿方は、あなたが初めてよ」
 お嬢様ってのは、みんなこんななのか? 俺の姉妹とは随分違うな。親身になってくれる友人の一人もいねぇのか。
「あなたが男遊びをしていると、高嶺会長に知られたくはないでしょう。今夜のことは見逃してあげます。が、今後も懲りずに俺を誘ったり、夫になれと言うのなら、容赦はしません。高嶺会長だけでなく、企業そのものにも影響は出ますよ。よく、お考えなさい」
 シートベルトを外して運転席から降りようとすると、腕を掴まれた。その感触に、何故か必死さを感じる。
「ま、待って! もう男を誘ったりしないわ。だから、私との結婚を承諾して。お祖父様は、私とあなたが結婚するのを待ち望んでいるの。東海林のお爺様も同じよ。私たちが結婚するのが、両家にとって最良なの。だから」
「俺の話を聞いていなかったのですか? 今夜、あなたが俺を部屋に誘ったことはなかったことにして差し上げると言ったんです。その意味が分かりませんか?」
 子供に言うように噛み砕いて言ってやると、さすがにバカにされたと分かったらしい。綺麗な顔を赤く染めて憤慨した。
「随分と私を見下しておいでなのね。私は高」
「この際ですから、はっきり言いましょう。確かにうちの爺様は、高嶺会長とは懇意です。更に手を組みたがってもいます。それは企業戦略的な思惑があるからです。表面的な装いに惑わされていると、笑われるのはあなたですよ」
 人が親切に教えてやったのに、高嶺美菜は憮然としている。高嶺会長はこういうことを教えなかったのか、可愛い孫娘なのに。
「それでも私は、あなたを夫にしたいんです!」
「お付き合いもすっ飛ばして夫ですか。随分と性急な話ですね」
 別にからかうつもりじゃなかったが、あまりの必死さについ笑っちまった。
「なにを笑うの!?」
「いえ、失礼しました。なにか急がなければいけない事情でもおありですか?」
 何気ない問いだったのに、高嶺美菜の顔面が蒼白になる。なんでこう何でもかんでも顔に出るのかね、このお嬢様は。
「そんな風に顔色を変えたら、何かあると肯定しているようなものですよ」
「あ、あなたが変なことを言うからです」
「まさかと思いますが、妊娠されているんですか?」
 男遊びをしているとはいえ、避妊くらいはしっかりやっていると思ってたぜ。が、高嶺美菜は今度こそ、この世の終わりのような顔をしやがった。驚いたね、自分の立場を全く分かってねぇのか、このお嬢様は。
「俺を夫にと、そこまで拘るのは、相手の男と俺の血液型が同じなんですね」
「…………」
「避妊するように言わなかったのですか」
「だって、毎日基礎体温測っていたし、安全日だったから。それに、他の殿方はちゃんとコンドームを付けて下さっていました。それなのに……」
 なるほどな。基礎体温測ってると、妊娠がすぐ分かるってのは本当の話だったか。
 つか、スキンも付けねぇ男と、なんでセックスなんかするのかねぇ。そういう男だって、見抜けなかったのか。一体今まで何人とセックスしてきたんだよ。お嬢様が危険な遊びをしてやがる。
 しかし俺も舐められたもんだな。誰の子か分からねぇ腹ん中の子供の父親になれってのか。呆れていると、俺から顔を逸らして事情をポツポツ話し始めた。
「中絶をするには、男性の合意が必要でしょう。あなたが婚約して下されば」
「俺との婚前交渉で出来たことにして、降ろしてしまおうと思ったんですか」
「今夜、部屋に来てくだされば……」
 全く、何を企んでいるのかと思えば。俺も軽く見られたもんだな。
「相手の男は、何と言ってるんです?」
「子供が出来たって言ったら、連絡が取れなくなってしまって」
 声を詰まらせて涙をポロポロこぼしている。咲弥子の涙には、信じられねぇくらい心を動かされたのに、この女の涙を見ても何の感慨も起きなかった。むしろ怒りを感じたぜ。
 泣くくらいなら、ろくでもねぇ男とセックスなんかするんじゃねぇ! ……と、喉まで出掛かって何とか堪えた。
「あなたに産むつもりはないんですね?」
 バッグから出したレースのハンカチで目を押さえながら、何度も首を縦に振る。
「なら、高嶺会長やお父上に正直に相談しなさい。きっと秘密裏に、腕のいい産婦人科医で中絶手術の手配をしてくれるでしょう」
「そんなことしたら、私は」
「まぁ、叱られるでしょうね」
 言った途端に泣きわめかれた。可愛い孫娘だ、勘当まではしねぇだろうが、一人暮らしはもう出来ねぇだろうな。つか、俺との間に出来た子だなんて高嶺の爺さんが聞いたら、絶対中絶なんて選択肢はねぇだろうよ。とっとと準備を始めて結婚させられるのがオチだ。
「何とかなりませんか?」
「何ともしようがありません。正直に話すのが得策です。もしあなたがお話されないのであれば、俺が有効活用させて頂きますよ」
「有効活用?」
 おうむ返しにポカンと訊いてくるとは、こいつは本当に何にも分かってねぇんだな。
「高嶺会長を揺さぶるいいネタですからね」
「揺さぶるって……」
「分からないのですか? あなたのそれは、立派なスキャンダルなんですよ。高嶺家にとっては、何としても揉み消したいネタでしょう。あなたもそれが分かるから、自力で何とかしようとしたんじゃないんですか?」
「…………」
「3日、猶予をあげましょう。その間にご自分でお話なさい。3日過ぎてもあなたが何の動きもしなければ、俺が動きますよ」
 俺は車を降り、助手席側に回った。ドアを開けてやると、呆然とした顔で高嶺美菜が降りる。
「言っておきますが、俺は本来こんなに優しくはないですよ」
「あの、赤ちゃんのことは抜きにしても、私との縁談はダメですか?」
「残念ですが、俺にはもう決めている女性がいますので、あなたが入る余地はないんです」
「それは、もしかして小夜っていうホステスのことですか?」
 ふん、知っていたか。まぁ冬樹は心配するくらいネットで噂になってるなら、誰が知っていてもおかしくねぇか。多分、高嶺の爺さんにも俺が小夜の客になったという噂は、耳に届いてるんだろうな。
「そうです」
「ホステスなんかに、私は負けたんですか」
「少なくとも彼女は、妊娠という愚かな真似はしませんよ」
 若干の嫌味も込めて揶揄すると、あからさまに傷付いた顔を向ける。だが、何も言うことなくマンションへと入っていった。
 やれやれ、これでやっと『椿』へ行けるぜ。スーツの内ポケットから煙草を取り出し、一本吸う。美味いな。腕時計を見ると、既に10時を回っていた。全く、多香子に付き合うとろくなことにならねぇな。
 瞬く間に吸いきって、二本目を咥える。明日にでも、今のネタを春樹に教えてやろう。少しは懲りて、高嶺とパイプを作ろうなんて考えは、引っ込めるだろう。多分。
 そうだ。多香子と共謀して高嶺美菜と会わせるよう仕組んだ、そのペナルティは与えねぇとな。
 ふむ、今考えてもしょうがねぇか。先ずは『椿』に行かねぇと。咲弥子の奴、先走ってなきゃいいんだが。
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