Act.2 この俺が女に惚れた? 嘘だろ...11

 クラブにも駐車場があるのか。会場に着くと、俺のコルベットと比べても見劣りしねぇ高級車ばっかり停まっていた。ふん、それなりの連中が来てるってことか。
 多少は期待したが、中身はやっぱりチャラけた連中ばっかりだった。モデルのパーティーだから、こんなものか。都内では有名らしい、広々としたクラブを貸し切ってのパーティー。クラブ独特の薄暗い照明の下、ダンスミュージックが掛かっている。
 酒飲んだり軽く踊ったり話したり。俺から見ると、チャラい男女のチャラいパーティーだ。俺が出席させられるパーティーとは違って気楽っちゃ気楽だが、やっぱり俺には時間の無駄にしかならねぇな。
 俺の腕にぶら下がる様に腕を絡めていた多香子が、誰かを見付けたのか俺を引っ張っていく。若い連中ばかりのクラブに、明らかに年上と分かる目立つ熟女がいた。シンプルな黒いロングドレスに、総ジルコンのネックレスが煌めいている。年齢に見合ったコーディネイトは、センスがいい。
 このパーティーを主催したプロモーターらしい。その女は、俺が来たことでえらく感動していた。
「まさか東海林グループの会長に来て頂けるとは! よい宣伝になりますわ」
「すごいでしょ! あたしが頼んだら来てくれたのよ」
 よく言うぜ。こいつが外でどういう面をしているか、これで分かっちまったな。もう二度とこいつの誘いには乗らねぇ!
「まぁそうなの。ありがとう多香子さん、感謝するわ」
「ホント!? じゃあ今度の東京コレクション、あたしをトップにしてね。あと、いくつかトリにもしてほしいわ」
 なんつうことを無邪気にねだってるんだ、こいつは。一緒にいて恥ずかしいぞ、俺は。
 女プロモーターは、顔を引きつらせて即答を避けた。「考慮しておきます」とだけ言ったのは、賢明だな。
「妹の我が儘を聞く必要はありません。特別扱いなど、多香子には10年早いですよ。どうぞ、その他大勢と一緒に扱ってやって下さい」
「お兄様!」
「あの、ですが……」
 なに尻込みしてんだ。歳の割りに瑞々しい肌艶のプロモーターの顔が、安堵した表情を一瞬見せたのを、俺が見逃すはずねぇだろう。
「遠慮する必要はありません。礼儀を知らない多香子が、ファッションモデルとして働いていること自体、奇跡のようなものですから」
「お兄様、酷いわ」
「本当のことだろう。挨拶の一つも出来ないで、一端のモデルと思うな」
「…………」
 むくれてそっぽを向く多香子の頭を右手で押さえて、無理矢理頭を下げさせた。
「ほら、よろしくお願いします、だろう」
「……よ、よろしくお願いします」
 プロモーターの女は、呆気に取られた顔で多香子を見ている。こいつ、今まで頭を下げたことねぇのか。全くをもって俺は恥ずかしいぞ。
「もういいでしょ、お兄様のいじわる!」
 右手から力を抜いてやると、弾かれたように顔を上げる。捨てセリフを吐いて、多香子は一人で奥へと走って逃れていった。今度、真嶋翁に言っとかねぇとな。あれじゃ、多香子の将来が不安だ。
 溜め息をついてプロモーターに視線を向けると、まだ呆けた顔をしている。
「我が儘な妹で、いつもご迷惑を掛けているのでしょう」
「あ、は、い、いえ」
 正気に戻ったプロモーターは、そんな煮え切らない返事をしている。俺の手前、正直に肯定することは出来ねぇのか。気にする必要はねぇんだがな。
 女の背後に、声を掛けたそうな若い男が来たのが見えた。俺はその場を離れて、多香子を探す。途中、アパレル業界やプロダクションやらのお偉方に見付かっちまったが、プライベートだと言って挨拶もそこそこに追い払った。それにしても、見目のいいモデルたちで溢れかえるフロアに、むさいおっさんが複数いると目立つな。
 多香子はすぐに見付かった。背が小さくて人影に埋もれていても、妹の姿は見間違えようもねぇ。一緒にいるのは、モデル仲間らしい。みんな同じメイクに同じ髪型、おまけに顔まで高校生みてぇな童顔だ。多少の顔立ちはそれぞれ違うが、パッと見はみんな同じ顔に見える。
 そのモデル仲間たちに、今日手に入れたガーレットのバッグを見せ付けている。みんな羨望の眼差しだ。全く、見境なく自慢しやがって、あれでよく敵を作らねぇもんだぜ。
 何か話していた多香子が顔を上げて、周囲を見回した。その視線が俺で止まる。そして俺を指差して、隣りにいるモデルらしい女に何かを告げる。その女は、目を輝かせながら俺に近付いてきた。
 やれやれ。まぁ、しょうがねぇな。普段出るパーティーじゃ、静かに立ってることも出来ねぇ。それに比べりゃ、ここはまだ暇な方だ。
 典型的な日本人顔に、まっきんきんにブリーチした長い髪。いや、ありゃウィッグか? 緩いウェーブが掛かった髪で、顔の輪郭が隠されている。今時の童顔モデルは、大抵こんなスタイルだよな。
 はっきり言って誰が誰か区別がつかねぇ。こいつは誰だ? 頭ん中に何人か名前が挙がってるが、分からねぇ。
 白い肌にピンクの頬。メイクと分かっちゃいるが、ガチで顔が赤くなっても、これなら分からねぇな。……なんつうアホなことを考えてんだ、俺は。
 そいつが目の前に立った。多香子とどっこいどっこいの背丈だな。普通モデルっつったら、俺くらい背が高ぇだろ。やっぱ日本のファッション業界はよく分からねぇ。
「あ、あの、こんばんは、初めまして。あたし理沙っていいます」
「初めまして、東海林隆広です。可愛い方ですね、お会い出来て光栄です」
 上目遣いで俺を見上げるそいつの右手を取り上げて、さりげなくキスをしてやる。理沙か、多香子と同期のモデルだったな。メディアじゃ多香子と仲がいいと言われてる。
「今後の活躍を見ていますよ。頑張って下さい、理沙さん」
 夢見心地の顔で惚けてる女に、極上の笑みを浮かべて言ってやった。普段から人気モデルとしてチヤホヤされている女でも、俺クラスの人間と接する機会はそう多くねぇからな。このくらいしておけば、腰砕けになるか惚けて妄想するかのどちらかだ。後は放っておいてもいいから、俺は楽なんだな。
 この女も何か妄想を始めたような顔をしたんで、さりげなくその場を離れた。
 多香子は相変わらずバッグの自慢に余念がねぇ。モデル仲間からチヤホヤ褒められて、有頂天になっているようだな。
 まだ約束の一時間に満たねぇが、義理は果たせただろ。あの輪に近付くと、帰れるものも帰れなくなる。壁際に寄って多香子の携帯にメールを送り、パーティー会場を抜けるつもりだったんだが。
「こんばんは、東海林隆広様」
 背後からフランス語で声を掛けられた。しかも聞いたことのねぇ女の声だ。外人なんかいたか?
 振り向いてその女を見た瞬間、そいつが誰か分かったぜ。実際に会ったことはねぇが、つい最近写真で見た女だ。
 フランス語を話しているのは、他に聞かれたくねぇからか。しょうがねぇから俺も付き合ってやる。周りの連中は自分たちのことしか頭にねぇようだが、まぁ用心するにこしたことはねぇはな。
「こんばんは、初めまして。まさかこのような場所でお会いするとは、思いませんでしたよ。高嶺美菜さん」
「初めまして、まさか私の名前をご存知とは思いませんでしたわ。写真だけでお断りされるなんて、人生初の屈辱でしたから」
 自信に満ち溢れたその微笑みは、先日見合い写真で見た顔そのものだった。
 天然の茶髪に、日本人離れした欧米型の面立ち。多香子とその他モデルたちには、整形でもしねぇ限り真似出来ねぇ顔だ。さすがにクォーターだけあるな。咲弥子は両親共に日本人なのに、小夜に化けるとこの女以上の美貌になるのは化粧の威力か。別にスッピンの咲弥子でもいいが。
 多香子には逆立ちしても着れねぇ、シンプルでシックなカクテルドレスに身を包み、耳と首元に輝くアクセサリーはサファイアか。どう控え目に見ても、多香子の方が年下にしか見えねぇな。
 だが、いつここに来たんだ?
「あなたのような方でも、こんなパーティーに参加されるんですね」
「今夜は特別です。あなたの妹さん、多香子さんが今夜あなたをここに連れて来て下さるとおっしゃったので、お言葉に甘えました」
 ふん、多香子が言ってた『俺好みの美人』てのは、こいつのことだったのか。多香子は俺をここに連れてくるためなら、何でもよかったんだろう。だから春樹にこのことをリークしたんだな。それで奴をその気にさせた。そこまでして高嶺とパイプを作りてぇのか、あいつは。怒りを通り越して呆れちまったぜ。
 それにしても、高嶺美菜が多香子と知り合いなんて、聞いてねぇぞ。
「失礼ですが、多香子とはどういう関係です?」
「以前、父の会社の事業でPRモデルをして下さったことがあったのです。二年前でしたかしら? その時に少しお話しましたの。でも、あなたのことを知ったのは、祖父がお見合いの話を持ってきた時ですわ。写真だけでしたが、一目で私の夫に相応しい方だと感じました。祖父もあなたなら文句はないと、言ってましたわ」
 言外に、自分たちが気に入ったのに断るとは何事かと、憤っているのが分かった。そう言われてもな。多分、咲弥子に出会ってなきゃ、俺はこいつとの見合いを承知していただろう。見た目といい、話といい、見事なまでに以前の俺好みの女だ。爺さんの目は、まだ狂っちゃいねぇな。
 だが、断っておいて正解だったぜ。こうまで東海林を見下しているとはな。
「でも、ここでこうしてお会い出来てよかったです。写真で拝見するより、ずっと素敵な方ですね」
「ありがとうございます。あなたこそ、写真から抜け出たようにお美しいですよ」
 一瞬、女の口元がひきつったのが見えた。まぁ、今の意味が分からねぇほど、頭が空っぽって訳じゃねぇらしいな。
「よいドレスを着ていらっしゃいますね。あなたの美貌を引き立てている。ご自分でお選びになったのですか?」
「当然ですわ。私の美しさは私自身がよく知っておりますもの。隆広さんも素敵なスーツをお召しになっていらっしゃいますね。オーダーメイドなんて、流石ですわ」
「大したことはありませんよ、普段着ですから」
 俺にとっちゃ仕事で着るスーツだからな。本当のことを言ったまでだが、高嶺美菜は侮辱されたと思ったようだ。うっすら頬を赤く染めて、ハンドバッグを持つ両手が僅かに震えているのが見える。
 さて、どう相手をするか。しかし考える間もなく、聞き慣れた甲高い声が聞こえた。
「あっ! 美菜ちゃん」
 横から多香子の声がして、俺の右腕に体重が掛かる。高嶺美菜は即座に張り付かせた笑顔を、多香子に向けた。
「ねぇ、約束通りお兄様を連れてきたでしょう?」
「ええ、とても感謝しておりますわ。多香子さんに頼んでよかったです」
「えへへ、こういうことなら御安い御用よ。いつでも言ってね」
「ええ、ありがとうございます」
 多香子め、高嶺美菜の外面に騙されやがって。こいつはお前のことを格下に見てやがるんだぞ。と言ったところで、多香子には分からねぇだろうが。人の表面しか見られねぇこいつじゃ、太刀打ち出来ねぇな。
 ふん、東海林も甘く見られたもんだぜ。
 業界だけのことで見れば、ウチと高嶺建設はライバル関係にあるが、高嶺会長と爺さん自身は昔馴染みで懇意な間柄だ。それを自分も同じと考える辺りは、相当甘やかされて育ってきているな。まぁ、多香子も似たようなもんだが。
「私、隆広さんを諦めませんから。必ず私の夫にしてみせますわ」
「意気込むのは結構ですが、人の心は思い通りにはいかないものですよ」
「私を目の前にしても、お断りなさるんですね。あなたのような殿方は、初めてです」
「それは、良い人生経験をなさいましたね。世の男性全てが、あなたにかしずく訳ではありませんよ」
 今度はあからさまに顔をひきつらせた。皮肉が理解出来るのはいいが、自分より上の立場の人間が存在することも理解出来ねぇと、この世界じゃやってけねぇぞ。
 まぁ、高嶺家より上の立場ってのも、そうそうある訳じゃねぇが。それにしても、自分ちと東海林を同等に扱うとはな。
「私、ちょっと失礼します」
「ええ、どうぞ」
 悔し紛れか、何か考えがあるのか、高嶺美菜は唇を引き結んで、その場を立ち去った。
 その後ろ姿を眺めて、多香子が不服そうな顔で俺を見上げる。
「お兄様、何を話してたの? 全然分かんなかった」
「語学くらい勉強しろよ」
「むっ、英語はちゃんと出来るわよ!」
「今のはフランス語だ。じゃあな、俺は帰るぜ」
「え、もう!? 約束の一時間まで、あと10分あるのに」
 その俺を放っぽって、バッグの自慢をしまくってたじゃねぇか。これ以上用はねぇだろ。
「義理は果たしたろ。それにこれから予定がある」
「分かったわよ! 藤野咲弥子に会いに行くんでしょ! 恋人さんとの時間を割いちゃって、悪かったわね!」
「真嶋翁に電話して、誰かこっちに来させるから、その車で帰れよ。間違っても、パーティーで知り合った男の車なんかに乗るんじゃねぇぞ」
「分かってます!」
 口を尖らせてそっぽを向く多香子を一瞥して、クラブから出た。夜の秋風が涼しいな。咥えた煙草に火を点け、パーティーでのストレスを吐き出した。
 行きは多香子を乗せてきたコルベットのところで、真嶋翁に連絡を入れる。多香子は今日のパーティー会場をちゃんと真嶋翁に知らせていた。迎えを寄越すように伝えると、既に手配済みだという。流石だな。
 携帯には里久からもメールが入っていた。咲弥子は無事に『椿』へ送ったが、思い詰めた様子だったとある。
 ふん、やっぱりすぐに『椿』へ向かった方がいいようだな。
「隆広さん」
 携帯灰皿に吸殻を捨てた俺の背後から、またしても高嶺美菜の声が掛かる。とっくに帰ったと思ってたぜ。
「高嶺美菜さん、まだいらしたんですね」
 振り向くと、何か企んでるらしい顔だ。
「お帰りでしたら、私を送って下さいます?」
「高嶺のお嬢様が、送り迎えもなくパーティーに出席するとは思えませんが?」
「車は返しました。祖父にあなたに送って頂くと連絡しましたら、とても喜んでいましたわ」
 全く、よく回る頭だな。高嶺会長を出せば、俺が従うと思ってるのか。爺さんはちゃんと見合いの話を断ってくれたのに、このままだと高嶺の爺さんに誤解されて、要らんことになりかねねぇな。
「俺があなたを送らなければいけない義理はありませんが?」
「あら、隆広さんは紳士だと伺っていますわ。夜中に女の子をこんなところに放り出して、自分だけ帰るなんて非情なことはなさいませんでしょう?」
「ご自分を人質にとは、随分味な真似をしますね」
 意識せずに嘲笑がもれた。よくもまぁ、こんな下らねぇことを思い付くもんだ。それが気に入らなかったのか、屈辱にまみれた顔で俺を睨み上げてきた。
「送って下さらないなら、今夜のことを祖父に報告しますわ。東海林隆広さんは非道にも、私を一人夜道に残して車で帰られたと」
 俺は呆れて物も言えなかったが、高嶺美菜はそのことを都合よく解釈したようだ。勝ち誇ったような表情になって、コルベットの助手席側に立つ。
「ドアを開けて下さいます?」
 断ってもよかったが、何を企んでいるのか探った方がよさそうだな。
 ロックを解いてドアを開けた俺の手に、艶やかな笑みを浮かべた高嶺美菜の細い手が重なる。少し気になる触れ方だ。男と触れることに抵抗感はないと察した。
「ありがとうございます」
「家はどちらになりますか?」
 運転席についた俺の問いに、意気揚々と場所を告げる。そこは俺のマンションより、ちとグレードは高いところだった。立地にしろセキュリティにしろ家賃にしろ、セレブ御用達のようなマンションだ。まぁ、俺のねぐらがそこじゃなくて、よかったけどな。
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