Act.2 この俺が女に惚れた? 嘘だろ...10

 翌日、夕方の6時を過ぎた頃、上機嫌の多香子がオフィスにやってきた。この機嫌のよさは、姉貴のコネで欲しがってたガーレットのバッグを、めでたく買えたようだな。
 ほしいほしいと騒いでいた割りに、肩掛けのベルトを掴んでブンブン振り回してやがる。もちっと大事にしたらどうよ。姉貴が泣くぜ。
 しかし、本当に戦略変更したんだな、ガーレットは。いかにも高級志向だった今までのデザインと違って、多香子みてぇなのが持ちたがるようなカジュアルなトートバッグになっている。まさか日本のギャルを客層に選んだんじゃねぇだろうが、それにしても真逆だぜ。まぁ、従来のものと平行してやっていくんだろうが。
 それはさておき多香子の奴、何しに来たんだか。パーティーでバッグを自慢するんじゃなかったのか? ケバケバしい色にしか見えねぇ、ショッキングピンクのミニ丈カクテルドレスだが、多香子が着ると妙に合う。自分の背と童顔は自覚してんのか、デザインは所謂カワイイ系だ。まぁ、シックなものを着たところで、失笑を買うだけだからな。
 俺はちょうど、今日の書類すべてを捌き終わって、煙草を吸っていた。幸い今夜は予定が何もねぇ。この後『椿』に行って、咲弥子がちゃんとドレスを着ているか、確かめに行くつもりだ。
 昨日、自分の就職出来ねぇ理由を聞いて、何か仕出かすかもしれねぇからな。『椿』については、あいつに話してねぇことがまだある。下手に動かれると、今後こっちが動きにくくなっちまう。
 里久にその辺を含ませて、咲弥子を送るように行かせたが、上手くいったかな。
 多香子が来たのは、そんな時だった。
「こんばんは、お兄様」
「何しに来たんだ?」
「あん、つれない! パーティーのエスコートを頼みに来たんじゃない」
「…………」
 持っていた吸い途中の煙草が、ポロッと手から落ちた。別に驚いた訳じゃねぇが、寝耳に水だったのは確かだ。盛大に溜め息をついて、デスクの上に落ちた煙草を拾って灰皿でもみ消した。
「俺はお前ほど暇じゃねぇぞ」
「あらっ、だって春樹さんがさっき、今日はもうお兄様の予定はないって教えてくれたもの」
 春樹め、余計なことしやがって。
「ねぇ、いいでしょ? お兄様カッコイイから連れていくと皆喜ぶし、あたしは自慢出来るし、一石二鳥なんだもの」
「今日はそのバッグを自慢しに行くんだろうが」
「そうよ。でも、お兄様も連れていきたいの!」
「お前の取り巻きにも、見た目がいいのはいるだろうが」
「ダメよ! その辺のイケメンを連れていたって、あたしが目立たないでしょ!」
「俺と一緒でも、お前は目立たねぇだろう」
「違うわよぉ。お兄様が目立つからあたしも目立つんじゃない。とにかく、春樹さんから了解を取り付けたんだから、パーティーに出てもらいます!」
 なんでこいつに、こんな命令されなきゃいけねぇんだよ。納得いかねぇな。
「ほらほら、煙草を吸ってたなら、今日の業務は終わったんでしょ! 早く準備してよ!」
「ったく、やりたい放題だな、多香子」
「お兄様だって、やりたい放題してるじゃない。あたしだって本家の娘だもの、しちゃいけないことはないでしょ!」
 グループ会長とその妹を一緒にするなよ。そりゃお前だって、一般人と比べたらかなり優遇される立場だが。
「ねぇいいでしょ! もしかしたら、お兄様好みのスゴい美人が来るかもしれないじゃない」
「阿呆、俺好みの女がお前らのチャラチャラしたパーティーにくるか!」
「チャラチャラなんかしてないわよ! ちゃんとしたパーティーなんだから! ああんもう! この前からお兄様、全然優しくない!」
「甘やかし過ぎるのも、大概にしねぇとな。お前には姉貴も爺さんも甘い。俺くらいは厳しくしねぇとマズイだろうが」
「もういいわよ! お祖父様に言い付けてやるんだからぁ!」
 負け犬の捨て台詞を吐いて、多香子は出て行った。やれやれ、ようやく静かになったぜ。俺は再度煙草を咥えた。
 と、いきなり秘書室のドアが開いた。
「隆広様! どうして多香子様を帰したりするんですか!」
「お前な、ノックくらいしろよ」
「そんなことより、多香子様がご隠居に泣き付いたら事です。冬樹が押さえていますから、今すぐ多香子様と一緒にパーティーに行ってください!」
「ああ? なんでだ? 俺はこれから『椿』に」
「いいから行って下さい! 『椿』にはパーティーの後に行けばいいでしょう!」
 なんか怪しいな。俺が不審げに春樹を見ていると、こいつはさりげなく目を逸らしやがった。
「お前ら、なに企んでんだ?」
「企んでなどいません。多香子様とパーティーに行けばいいのです」
「どうも、お前が多香子に全面協力ってのが、気に入らねぇんだよな。いつもは頭軽いだの尻が軽いだのって、バカにしてるじゃねぇか」
「それは隆広様の誤解です」
 よくもまぁ、しれ〜っと言い放つもんだな。
「とにかく、藤野咲弥子の件でご隠居は気落ちしておいでです。ここで多香子様にあることないこと吹き込まれると、後々面倒なことにもなりかねないと思いますが?」
 ふん、そりゃ一理あるな。
「分かった、一時間だけ付き合ってやるよ」
 溜め息混じりで言ってやると、またしてもノックなしで秘書室のドアが開いた。
「やったー! さすがは春樹さん! 有能よね!」
「阿呆! お前が下らねぇ脅しを掛けるからだろうが!」
「なによ、お祖父様に告げ口されて困るようなことをしてる、お兄様が悪いんじゃない! 大体、藤野咲弥子って誰よ?」
 春樹の野郎、いっそクビにしてやろうか! こいつが聞き耳立ててるのを知ってるくせに、口を滑らせるんじゃねぇよ。
「お前にゃ関係ねぇ」
「むぅ、いいもん! 冬樹さんから聞き出すから! 冬樹さ〜ん、藤野咲弥子って誰ぇ?」
 多香子め、大声で叫びながら、PCルームに駆けて行きやがった。
「ったく、お前も多香子に甘いぞ」
「ですが、隆広様も納得されたじゃないですか」
「多香子の言うことを、爺さんが鵜呑みにするとも思えねぇがな。まぁ、万が一ってこともあり得る」
「その万が一に備えるのが、大切なのではありませんか!」
「だからってお前、俺のスケジュールを簡単に多香子の教えるなよ」
「お身内の方ですし、その、多香子様には……」
 なんだ、言いにくそうに目を逸らしやがって。まさかこいつ、多香子に惚れてんのか?
 言及すると、えらい勢いで否定された。曰く、多香子みてぇな顔も体もロリっぽいのはタイプじゃないそうだ。
「なんだ、弱味でも握られたか?」
「…………」
 無言は肯定の意味だな。全く、多香子なんかに弱味を握られるなよ、情けねぇな。
「まぁ、そういうことに関しちゃ頭が働くからな、多香子は」
「隆広様もお気を付け下さい」
「誰に向かって言ってる」
「藤野咲弥子のこともありますし」
「ああ。お前が口を滑らさなきゃ、あいつが知ることもなかったがな」
「…………」
 今更青褪めるなよ、本気で気付いていなかったのか。普段は隙を見せないくせに、どうでもいい場面でたまに大ポカをやらかすんだよな、こいつは。
「名前が知られるくらいは、どうってことねぇが」
「申し訳ありません」
 春樹の口から謝罪の言葉か、初めて聞いた気がするぞ。思わずじっくりこいつの顔を見ちまった。
「な、なんですか? 隆広様」
「いや、珍しいものを見たからな」
「珍しいもの、ですか?」
 よく分かってない表情で首を傾げる。見た目が美形の冬樹や里久や直人と違って、こいつがやると気色悪いな。しかし、こいつがそのことを分かってねぇとは、驚きだ。
「お前が謝罪するなんて、珍しいだろ」
「それは……私も人間ですから、たまにはそういうこともあると思いますが」
「お前がそうやって謙虚なのが、珍しいって言ってんだよ」
 こいつとここで、このまま会話していてもしょうがねぇ。俺が腰を上げると、春樹が隣りの小部屋からパーティー用のタキシードを取ってきた。
「冗談だろ。あいつが出るようなパーティーに、そんなもん着て行けるか! つか着替える必要あるかよ?」
「今日の煙草の匂いが染み付いていると思われますので」
 とことん嫌煙家だな。面倒臭ぇが仕方ねぇ。その後『椿』に行くことを考えれば、着替えておいた方が良さそうだ。
 結局自分で選ぶことにした。春樹はどうも、俺とセンスが合わねぇんだよな。
「多香子に付き合ったら、そのまま『椿』に行くぞ。迎えは里久に来させる」
「分かりました。我々は定時まではここにいますので」
「ああ、じゃあな。おい、多香子行くぞ」
 秘書室へ出てPC室に顔を出すと、パソコンの前の椅子に座った冬樹の首に抱き付くようにして、多香子は何か話していた。
「おい、多香子、行かねぇのか?」
「あ、行く行く! じゃあね、冬樹さん。またね」
 愛想よく笑って俺に向かってくる多香子の背後で、冬樹は辟易した顔で肩を揉む仕草をした。まぁ、こいつにまとわり付かれたら、まともな神経ならそうなるだろうな。冬樹に向けて手を挙げて合図すると、苦笑しながら頭を下げた。
「なに? お兄様」
「お前には関係ねぇ。さっさと行くぞ」
「あん、変なとこ触んないでよ」
 細い肩を抱くようにして促すと、心底嫌そうな顔で俺の手から逃れた。
「なんだお前、男に肩を抱かれたことねぇのか」
「やだ、男にそんなことされるなんて、気持ち悪い!」
 25歳にもなって、こんな反応する女は初めて見たな。咲弥子は……まぁ、職業柄慣れてるか。
「ふん、じゃあどうすんだよ」
「これでいいでしょ!」
 言いながら、俺の右腕に自分の両腕を絡めてきた。だが、背がちと足りねぇな。俺の腕に釣り下がってるように見えるぞ。
「お前、もっとヒールの高い靴はけよ」
「むぅ、これでも7センチのはいてるのよ」
「せめて10センチのだな。そうすりゃ、もう少し格好がつくぜ」
「もう、あたしがこれでいいんだからいいでしょ! 早く行こう。遅くなっちゃう」
 俺を引っ張るようにしてエレベーターに乗る。地下駐車場で、ここに常駐してるコルベットを見て目を輝かせた。
「コルベット! あたしの好きな車よ!」
 そんなことを言って、嬉々として乗り込む。普通は男にエスコートさせるもんだが、自分で勝手に乗るとは変な奴だ。
 駐車場を出てからパーティー会場を訊くと、そこそこに有名なクラブだった。俺でも知ってるところだが、やっぱりチャラけたパーティーじゃねぇか。
「チャラくないってば!」
「会場がクラブだろう。チャラいじゃねぇか」
「もう! お兄様が出るような、ちょーセレブリティなパーティーと一緒にしないでよ。今度やる東京コレクションのプロモーターが主催なの。有名ブランドの社長やデザイナーも来るのよ。チャラくないでしょ!」
 ふん、そこに俺を連れて行くってことは、何かあるな。春樹もやけに乗り気だったし、こいつら何企んでるんだか。
「お前もそろそろ、そういうパーティーに出ろよ。よく爺さんが何も言わねぇな」
「お祖父様はそんなこと言わないもの。うるさいのはお兄様だけよ!」
「見合いの話も来てんじゃねぇのか?」
「そんなのありません! お祖父様は、あたしがいいと思う相手を連れてくればいいって言ってるもの」
 そんなこと自慢気に言うなよ。本当に孫娘には甘いな。そんなこと言ってたって、いざ連れてきた男が気に入らなきゃ、絶対に許さねぇんだろうが。まぁ、昔は周りが心配するくらいチャラ男と付き合っていた姉貴が、お堅い大学教授と結婚した前例があるから、逆に安心してるのかもしれねぇが。
「お兄様だって、その藤野咲弥子のこと、お祖父様に話したの?」
「当然だろ。お前とは違う」
 とはいえ、咲弥子の素性を知ったらどうなるか分からねぇけどな。
 こいつに知れたら絶対爺さんにバラされるからな。冬樹が咲弥子は俺の新しい恋人ってことだけ伝えたらしい。多香子がそれを信じてるのが救いだな。
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