Act.2 この俺が女に惚れた? 嘘だろ...8

 直人が去るのを見送っていると、咲弥子がズブロッカを頼んでいた。この前はストリチヤナを飲んでいたから、こういう癖のある酒は苦手かと思っていたぜ。
「咲弥子、この後俺に付き合えよ」
「なっ!? いやよ、あたしは家に帰るんだから。明日は履歴書を出しに行くの。今度こそ、絶対に受かってみせるんだから!」
「帰らせねぇよ。大体、俺の話を聞いてなかったのか? 『椿』を辞めねぇ限り、お前は就職出来ねぇよ」
「なんで、そんなことあんたに分かるのよ!」
「ふん、聞く耳持つ気になったか?」
「うっ、そ、そういう訳じゃないけど」
 俺から目を逸らして誤魔化しちゃいるが、大分心が動かされているな。あと一押しってところか。
「咲弥子、お前自分がどうして就職先が決まらねぇか、知りてぇだろ」
「そ、そりゃあ……なによ、あんたは分かるっての?」
「ああ、知ってる。だから『椿』を辞めろと言ってんだ。理由が知りたきゃ、これから俺に付き合え」
「付き合うってどこよ!?」
 あからさまに嫌そうな顔しやがって。なんで俺をこんなに嫌うんだか。自慢じゃねぇが、女に限らず人に嫌われたことは、あんまねぇんだぜ。
「来りゃ分かる」
「…………じゃあ、ちょっとだけでいいから教えて。それで納得出来たら、あんたに付いて行く」
「しょうがねぇな。お前、履歴書を出した会社、面接に行く会社、いちいち『椿』のママに話してんだろ」
「当たり前じゃない。バイトのシフトを変えてもらわなきゃならないし、あたしのことだって、凄く親身になってくれるんだから、当然でしょ」
 なるほどな。それだけ信頼されてりゃ、あの女にとっちゃ咲弥子はいいカモだろう。咲弥子が就職するなんて言い出さなきゃ、ナンバーワンへの道を爆進させていただろうな。
「今までの就職試験、面接も全て事前報告していたんだな」
「そうよ。それがなに?」
「おかしいと思わねぇのか?」
「なにがよ?」
「お前の成績、資格、自活してることも含めて、企業にとっちゃかなり欲しい人材だ。それが、ことごとく落とされるってことがだ」
 咲弥子もこれは気にしているようだな。下を向いて黙っちまった。
「あたしだって、それはどうしてか、分かんないわよ。だから、なんでなのか教えてくれるんでしょ!?」
「だから、『椿』を辞めりゃいいんだよ。これ以上聞きてぇなら、俺に付き合え」
「…………分かったわよ、行くわよ、行ってやるわよ!」
 ふん、ようやく言えたか。これ以上は人目のある場所じゃ、口に出せねぇんだよ。
「じゃあ早速行くぜ」
「むう、しょうがないよね」
 なんだ、その心底しょうがねぇって顔は。まぁ付いてくる気になっただけマシか。
 咲弥子が鞄から財布を取り出すのを見て、すかさずそれを取り上げた。
「ちょっと、なにすんの!? 庶民からお財布取り上げるなんて、しょうぶっ」
 咄嗟に空いている手でこいつの口を塞いだ。阿呆、こんなところでデカイ声で言うな。さっきはカウンターで顔付き合わせていたからいいが、こんな誰にも聞こえる声で俺の名前を出すんじゃねぇ。
「ふがふがふがっ」
「俺が一緒にいて、お前に代金を支払わせるわけねぇだろうが」
「ふがふが」
 何を言ってんのか全然分かんねぇな。俺の名前は言わないことを約束させて、手を退けた。
「あのね、あたしはあんたに借りなんか作りたくないの! 自分が飲んだ分くらい自分で払うわよ!」
「断る。何度も言ってんだろ、お前が就職したかったら『椿』を辞めるしかねぇんだよ。生活費が必要なんだろ、こんなことで金を使うな。まぁ、『椿』を辞めずに就職する道は他にもあるがな」
「な、なによ?」
「俺の秘書になる」
「ずぇっっっったい、やだ!」
「だったら、大人しく奢られておけ」
 咲弥子の財布を返すと、大人しく鞄にしまった。ったく、手間隙掛けさせやがって。




 咲弥子を連れて店を出ると、俺を見た里久が苦々しそうな仏頂面に変化した。そんな顔をするなよ、俺だってここで会うと思っちゃいなかったんだぜ。
 明らかに渋々といった態で、里久は咲弥子のためにドアを開ける。俺には一切向けない素直な礼を言って、咲弥子は乗り込んだ。なんでこうも俺を嫌うのかね。
 咲弥子を隣りに乗せて、先ず向かったのはオフィスだった。今日夕方に届いたドレスを渡さなきゃならねぇ。明日の小夜の出勤に間に合わせるには、これが一番だからな。
 オフィスに着くと9時を回っていた。里久を地下駐車場で待たせ、咲弥子を連れて上がる。
「ちょっと、付き合うってここ? 何考えてんのよ!?」
「お前に渡すものがあるんだよ。大人しく付いて来い」
 人気のねぇ廊下を秘書室を素通りして会長室に入る。この時間なら春樹と冬樹がいるだろうが、知らせる必要もねぇわな。
 電灯で明るくなった室内を、咲弥子はキョロキョロ見回している。ふん、直人の社長室と比べてやがるな。
「また無駄に広いのね。あんた一人で使ってんでしょ?」
「うるせぇ、しょうがねぇだろ。ここが仕事場なんだから。ほら、これだ」
「げっ! ちょっとやだ! あたし受け取らないからね!」
 無駄に広いデスクの上にドレスの入った箱を3つ重ねて置いた。外装で中身が何か分かったみてぇだな。そっちこそ無駄に知識があるじゃねぇか。
「いいから開けろ」
「やだ!」
 ったく、いちいち説明しなきゃいけねぇのかよ、面倒臭ぇな。
「いいか、俺が小夜の客に付いたことは、昨日の朝までに業界に知れ渡ったんだよ。俺が客に付いたのに、お前に安物のドレスなんか着させられねぇだろ。分かったら開けろ」
「……開けなかったら、また脅すわけ?」
「ああ、そうだな。やってほしいならやってやる」
 あんなところは潰しても構わねぇがな。むしろ潰れた方が、世のため人のためってやつだぜ。今以上に反発するのは目に見えているから、それはまだ咲弥子に教えられねぇが。
 ブツブツ文句を言いながら、ようやく箱を開けた。中身を見て、咲弥子が絶句するのが分かる。ふん、驚いたか。
 見た目はゴージャスにと注文したら、本当にゴージャスな物が出来上がってきた。花のオーガンジーが付いたローブ・デ・コルテに、胸元をかっちりガードした豪華刺繍のチャイナドレス、そして黒いビロードの生地にスワロフスキーのジルコンを散りばめたシックなイブニング・ドレス。これらを小夜になった咲弥子が着たら、それこそ説得力ありまくりだぜ。
 これらに合わせた靴も用意してある。ついでにネックレスとイヤリングも、フルコーディネイトでそれぞれ箱の中に一式入っていた。当然イミテーションなんてさせらんねぇから、全部本物だ。デザイナーが直接届けに来たが、請求書を俺に渡す時には手が震えていたな。想定内の金額だったんで、大して驚きもしなかったが。
「ちょっと、これ……全部でいったいいくらして」
「野暮なこと訊くなよ。それをお前にやる。あと何着かやるから、今後『椿』に出る時はそれを着ろ」
「やだって言っても、聞いてくれないわけね」
「ああ、そうだな。やっと分かったかよ」
 諦めた調子で咲弥子が肩を落とした。この前の様子から手放しで喜ぶとは思っていなかったが、こう落胆されると傷付くな。俺のことを睨みつけやがって。
「あんたって、ほんっと最低。あたしのことを気に入ったって言っておいて、あたしの嫌がることをするわけ?」
「俺はお前が嫌がる理由が分からねぇよ。ブランド好きじゃなくたって、高級品を贈られたら、大抵は嬉しいもんじゃねぇか」
「あたしは、目立つことをしたくないの! あんたに指名されてから翌日のお店は、大変だったんだから! 控え室じゃウザイほど嫉妬にまみれた視線をもらっちゃうし、フロアを歩いてる時は足を引っ掛けられそうになるし! 着慣れた服だったから良かったけど、こんなドレス着ていたら素っ転んじゃうじゃない。それこそ、いい笑い者よ!」
「綺麗な顔して着飾っておいて、腹ん中は真っ黒だな、ホステスってのは」
 大体そんなもんだろうと想像しちゃいたが、実際に咲弥子の口から語られると実感こもってるな。こんなだから、ホステス出身の女に対して下賤だとか強かだとか、先入観が先走っちまうんだよ。
「そういう世界なのよ、分かったらもうこんなことしないで! なによ、さっきは就職したかったらお店を辞めろって言ったくせに」
「すぐに辞められると俺だって思っちゃいねぇよ。噂が立った以上、お前は嫌でも『東海林隆広が指名したホステス』と見られるんだよ。今後は更に客から注目されるぞ。その小夜が安物で貧相なドレス着ていたら、東海林家そのものが安く見られちまうだろうが」
「勝手にお店に来たのはあんたじゃない! あんたが指名しなかったら、噂になることもなかったでしょ!? 結局はあんたのせいじゃない!」
 それを言われると、耳が痛ぇな。春樹にもそれは指摘されたが、気に入っちまったもんはしょうがねぇだろ。咲弥子のホステスぶりも見てみたかったしな。
 なんてことを言ったら、こいつのことだから「迷惑だ」とか騒ぐだろうが。
「こうなっちまったもんはしょうがねぇだろ。受け入れるしかねぇんだよ、嫌でもな」
「だから最低って言ってんのよ!」
 俺を睨み上げていた咲弥子の目に涙が浮かんでいた。目尻から一筋流れ落ちるのに気付いたのか、咲弥子はうつむいて涙を拭う。
 俺としたことが、見惚れちまったぜ。今まで女の涙なんか見せられても、何とも思わなかったのに急になんだ!? まさか、本当に咲弥子に惚れちまったのか? ウソだろ!?
 確かに咲弥子をほしいと思っちゃいるが、それは惚れたとかじゃなく……いや、惚れてるからこんなにほしいと思ってんのか。ガツガツした俺ねぇ、自分じゃ想像出来ねぇな。
 俺に背を向け、うつむいている咲弥子の肩を掴んで振り向かせた。驚いて俺を睨み上げる咲弥子の目から、涙の粒がボロボロ落ちる。それを俺の指で拭ってやった。
「ちょっ、なによ? まさか、待っ」
 右手で咲弥子の顎を捉え、空いた左腕は背中を抱くようにして、そのまま顔を近付ける。咲弥子の言葉になってねぇ声が俺の顔に当った。酒臭ぇ息しやがって、俺たちが行く前から随分飲んでいたな。
「ちょ、やだっんんぅ」
 ゴチャゴチャ言っている咲弥子の唇を一舐めしてキスした。俺が舌を入れる前に咲弥子の方から絡めてくる。この前も思ったが、こいつの舌遣い結構いいんだよな。なんだかんだ言って、こうしてキスすると素直に受ける辺り、セックスが好きなんだな。
 俺が飽きるまで激しくキスしてやる。咲弥子は力が抜けて、俺にしがみついてきた。唇を解放してやると、潤んだ目でを俺を見上げてくる。お互い、頬に当る吐息が熱い。
「こんな、とこで、何考えてんの!?」
「したくなったんだから、しょうがねぇだろうが」
「信じらんなっんぅ」
 咲弥子の体を更に壁に押さえ付け、キスをしながら肩から胸、腰に至るまでスーツの上から愛撫してやる。そのまま足に手を這わせたところで、俺の背広の内ポケットから無粋な電子音が鳴り響いた。メールじゃねぇ、電話の着信音だ。
 咲弥子は夢から覚めたような顔になって、壁と俺の間から抜け出そうともがき始めた。少し体の位置をズラしてやると、慌てて俺から距離を取るように離れ、赤く火照った顔でこっちを見る。
 ちっ、誰だ、これからってところで邪魔しやがった奴は!
「は、早く出たら?」
「うるせぇ、分かってる」
 既に10コールは鳴ってるくせに、ちっとも鳴り止む気配がねぇ。ディスプレイを見ると、冬樹からだった。あいつめ、減俸にしてやる。
「なんだ、冬樹!」
『あー、ども。邪魔してすんません』
 しれっとぬかしやがって。
「分かってんなら、用件を早く言え」
『えっとっすね、今俺の携帯に里久から電話があったんすよ。隆広様があのホステスと上がったっきり、全然降りて来ないって怒りまくってるっす』
 ああ、そういや里久を待たせていたことを、すっかり忘れてたぜ。こんな仕事場で女を抱くのだって、初めてだったし。考えてみりゃ、ここにスキンの用意はなかったんだ。
「分かった。すぐに降りる」
『それとっすね』
「なんだ、まだあるのか?」
『秘書室から春樹が出刃亀してるっすよ。あいつ、女に逃げられて以来たまってるらしくて。あんまり近くで刺激の強いことは、やらない方がいいんじゃないっすか?』
 なにやってんだ、春樹。仕事にばっか打ち込んで、女に逃げられてんじゃねぇよ。
 通話を切って咲弥子を見ると、乱れた服をしっかり整えてやがった。すぐに降りるから別にいいんだが、こうもちゃっかりやられるとムカつくな。責めてやると従順になるだけに、イラ立ち倍増だぜ。
「あ、あの、誰からだったの?」
「俺の秘書だ。隣りが秘書室で、そこから入れるPC室にこもってる奴がいるんだよ。里久から早く降りて来いと、連絡があったそうだ」
「へぇ、そうなん……って、ちょっと待ってよ! じゃあ今の全部、聞かれてたの!?」
「まぁ、そういうことだな」
 俺は別に聞かれても屁とも思わねぇが、咲弥子は泣きっ面になって頭を抱えた。
「ぎゃあああー! なんであんたは平気なのよ、このデリカシー皆無男! っていうか、なんでこんな時間に会社にいるのよ、あんたの秘書は!」
「二人ともこの近くに住んでるからな。大抵この時間はまだいるぜ」
「分かっててやってたの!? 信じらんない!」
 あいつらの存在を忘れていたのは確かだが、そんな風に罵られるいわれはねぇぞ。
「だから、ここじゃもうやらねぇよ。続きは俺のマンションでやってやる」
「やらなくていいってば! そのドレスだっていらないから! ちょっと、なに抱えてんのよ!」
「お前は持って行かねぇだろ。だから俺が持って行ってやる。ありがたく思え」
「いらないって言ってんでしょ!」
 ドレスの入った箱を脇に抱えて、うるさく怒鳴る咲弥子に部屋を出るよう指示して、ようやく静かになった。
 ったく、どうしたらこいつを大人しく従わせることが出来るのか。しばらくは俺の課題だな。
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