Act.2 この俺が女に惚れた? 嘘だろ...6

「冬樹は? 報告ってななんだ」
「ちょっと信じらんないんすけどね」
 釈然としねぇ表情で頭を掻く冬樹は、春樹とは似ても似つかねぇ顔だ。名字を含めてたった一字しか違わねぇのに、赤の他人だってんだから面白ぇよな。ITオタクでビン底メガネのくせに、無駄に色男だし。以前、フラッとここに来た多香子が冬樹を見て「少女マンガのお約束」なんて呟いていたな。
「隆広様が高級クラブに一人で行って、小夜ってホステスを指名したって、ネットでスンゲー噂になってますよ。小夜の顔写真まで公開されてて、ちょっと異常な騒がれ方っすね」
「ふん、爺さんの耳にも入ってたぜ。あのママも、やることに抜け目がねぇな」
「それなんですが、本当に隆広様が一人で『椿』に行かれたんですか?」
「当たり前だ。何のために昨日冬樹に調べさせたと思ってんだよ」
「急に銀座の高級クラブなんか調べろっつうから、変だなと思ってたっすけど、まさか本当にねぇ」
 冬樹も春樹も、不審気な目線を隠しもしねぇ。里久は黙ったまんま俺を睨み付けている。咲弥子を実際に見たのは、こいつだけだからな。
「その小夜というホステスの写真を見ましたが、正に隆広様のモロ好みの女性ですね。高嶺建設の社長令嬢になびかない訳です」
 洋行がしきりに首肯しながら呟きやがる。ったく、どいつもこいつも。
「冬樹、その『椿』のことだがな、もっと詳しく調べろ。特に金の流れと社長の動向、ママの個人的外出先、ホステスたちの出入りもだ」
「はあ、それはいいっすけど、えらくご執心っすね。こんなにガツガツしてる隆広様って初めて見たっす」
 なに!? ……んな風に見えるのか。咲弥子相手に? なんか屈辱だな。
「そんなんじゃねぇよ。あそこのママは俺が好きになれねぇ人間だ。なんか裏でやってるぜ」
「調べてどうするのです?」
「それは『椿』の実態を見てからだ」
「分かりました。隆広様のご用件は?」
「先ずはこれを見ろ」
 部屋に入った時に移しておいたデスクの引き出しから、咲弥子の履歴書を取り出し春樹に受け取らせた。
「拝見します」
 四人が顔を付き合わせて書面を見る。途端に里久が嫌そうな表情をした。咲弥子とはとことん相性が悪いらしい。
「この女性がどうか?」
「お前、こいつのことをどう思う?」
「履歴書を見る限りでは、常識的な人間ですね。字も丁寧に書かれていますし、短いですが文章も整然としている。在学生でこれだけの資格を持っていて、更に自活しているなら文句はないでしょう。どこでも通用すると思いますよ」
「ところがそいつは、未だに内定の一つも決まってねぇんだ」
「どういうことです? そもそも、何故我々にこれを見せるんですか?」
 春樹が指先で履歴書を弾いた。その後ろで里久の視線がいよいよ怪しくなってくる。『椿』帰りの咲弥子を送った時に、それとなく話はしていたから、事情が理解出来たんだろ。
「昨日直人に会いに行ったのは、こいつの面接だよ。あいつの秘書に内定してた女が辞退しただろ。その穴埋めにと思ったんだが、直人は俺の秘書に推してきた」
「なるほど、就職難の泥酔女ですか。しかも我々の部下にと?」
「部下っつうより、要するに女の秘書を雇えってことだ」
「まぁ、履歴書を見る限りでは、使えそうですが?」
「それに、俺が東海林グループ会長と知っても、一切媚びねぇからな」
 媚びねぇどころか、俺の股間蹴り上げてくれたし、俺が贈ってやったドレスは脅さねぇと着ねぇし。可愛いのはセックスん時だけっつう、素直じゃねぇ女だ。
 媚びねぇと聞いて、3人とも感心した顔をしてやがる。お前らだって同じなんだよ。
「僕は嫌です! こんな女!」
 突然吐き捨てるように言ったのは、確認するまでもねぇ、里久だ。本当に珍しいな、こいつがこんなに嫌悪を示すのは。里久とは潜在的に敵意のある春樹も、面食らっている。
「里久?」
「第一こいつ『椿』のホステスじゃないですか! なんで秘書なんかに雇うんですか!?」
「というと、もしやこの女性が小夜?」
「別人っすね」
「女性はメイクをしたら化けるとは言いますが、いやはや、見事な化け方ですね」
 洋行も冬樹も、春樹ですら感心したような口振りだ。昨日はあまり気にしなかったが、確かに咲弥子が小夜になると俺好みの顔なのかもな。
「『椿』のホステスなら、金銭に困ることはないでしょう。この藤野咲弥子は、何故就職したがるんです?」
「本人曰く、人に堂々と言える職業に就きたいそうだ。ホステスは学費と生活費のためにやってるんだと」
「確かに実入りはいいっすけどね」
 やけに実感こもってるな、冬樹。昨日の時点で、咲弥子の給料も調べたのか?
「咲弥子はバイトだと言っていた。ママにも相当信頼を寄せているらしい。俺は咲弥子の就職が決まらねぇのは、『椿』が関係していると睨んでいる」
「ああ、なるほど。確かに『椿』での小夜の評判は上々、どころかナンバー1ホステスを食う勢いですからね。評判の割りにそれほど客が付いていないのも、バイトなら頷けます」
「他のバイトのホステスと比べると、給料は破格っすよ。あれなら生活に困ることなんてないんじゃないっすか? あんな安アパートに住んでるのが不思議なくらいっすよ」
 読みの早い春樹と調べた冬樹は、納得したようだな。
「お前だって言ってたじゃねぇか。咲弥子ならどこでも通用するって」
「まぁ、そうですね。この履歴書で就職が決まらず、本人に何らかの決定的な落ち度がないと言うなら、外部からの横槍という可能性がないとは言い切れませんが」
 俺の感触としては、咲弥子に何か欠落しているとは思えねぇ。おそらくあのママが何か工作しているんだろう。あの顧客リストなら、日本の主だった企業を網羅しているはずだ。言い換えればそこを介して、どんなに小さな会社にも顔が利くってことだ。
「冬樹と洋行は、どうなんだ?」
「俺は別にいいっすよ。俺の仕事とかち合うことはないっすから」
「俺も女性が入ってくることには、賛成です。俺の仕事が減ります」
 なんだ、やっぱり家の仕事をするのは嫌だったのか、洋行。
「里久はど」
「僕は嫌です!」
 皆まで言わねぇうちに食って掛かられた。こいつが俺に対してこんなに突っ掛かるのは、初めてかもな。なんで咲弥子とはこんなに相性が悪いんだか。やっぱり同属嫌悪なのか?
「私も反対です。いくら成績優秀で有能でも、元ホステスの肩書きは隆広様にはマイナスにしかなりません」
「職業に貴賎はねぇぜ」
「あなたがそうでも、他の人間は違いますよ。突然女性秘書を雇えば、それだけ人々の関心を集めます。重箱の隅をほじくるように、藤野咲弥子の過去を暴き立てるでしょう。そうなれば彼女も傷付きますし、あなたが庇えば庇うほど、傷は大きくなります。どうしても就職させたいなら、放っておくことです。あなたが手を貸しても、状況は同じと考えます」
「俺はもう小夜の客になっちまったぜ」
「ホステスと客の関係の方が、まだマシですよ」
 まぁな、春樹の言い分は正しい。俺が『椿』に行っただけで騒ぎになるんだからな。だが、俺はあいつを傍に置いておきてぇ。秘書にすりゃ、それが叶うんだよな。洋行の仕事が減るから、俺の身の回りの世話をするだけでもいい。あいつが大人しく従うとは思わねぇが、それはそれで楽しみが増えるってもんだ。
「お話はそれだけですか?」
「ああ、冬樹にもう一つ調査を頼む」
「はい、なんすか?」
「こいつ、藤野咲弥子のことを調べてくれ」
「隆広様!?」
「爺さんにもう宣言しちまったからな。こいつと付き合うって」
「な!?」
「俺も履歴書以上のことは知らねぇんだ。今後は爺さんにあることないこと吹き込む連中も出てくるだろ。その対処のためにも、調べておく必要がある」
 春樹と里久の視線が痛ぇな。こいつらは普段仲が悪いくせに、共闘するとなると妙な連帯感が出てくるらしい。洋行は溜め息、冬樹は面白がってるな。
「分かりました。どこまで調べたらいいっすか?」
「もれなく全部だ。『椿』の調査よりも優先しろ」
「了解っす」
 春樹の苦々しい表情を見ても、冬樹には毛ほどの動揺もねぇ。兄弟でも従兄弟でもねぇが、名前の一字違いってのは、何かあるのかね。
「隆広様。藤野咲弥子と付き合うのは、私は反対です。考え直してください」
「その余地はねぇよ。俺は咲弥子以外はいらねぇんだ。お前も諦めろ」
「…………」
 冬樹は仕事が出来たと鼻唄交じりで、とっとと部屋を出て行った。洋行と里久もそれに続く。里久は最後まで仏頂面だったな。だが、春樹は残ったままだ。
「おい、休憩は終わりだぞ。お前も仕事に戻れ」
「隆広様、本当に考え直す余地はないんですか?」
「お前、俺の秘書になって2年経ったろ」
「は? はい、そうですが。なんですか? いきなり」
「その間に俺の女は、何人いた?」
 俺の質問の意図が読めねぇのか、春樹は片眉を上げて怪訝な顔でいる。
「5人ですが、それがなにか……ああ、そういうことですか。冬樹がさっき言ってましたね。私も、こんなに女性に積極的な隆広様を見るのは初めてです。そんなにこの藤野咲弥子がいいんですか」
「少なくとも、俺の人生でこいつほど欲しいと思った女はいねぇ。初めて自分から欲しいと思う女はな」
「だから、彼女以外には考えられないと?」
「そういうことだ」
 ようやく納得したか、この石頭め。
「まぁ、隆広様がそこまでおっしゃるなら、秘書に迎えるなり妻に迎えるなり、好きになさって下さい。私は個人的な感情はともかく、仕事に私情は挟みません」
「問題は、こいつが俺の秘書になりたかねぇってことだ」
 デスクの上の咲弥子の履歴書を弾くと、春樹が目を丸くした。こいつにこんな表情をさせるとは、咲弥子が俺の秘書になったら面白ぇことになるな。
「東海林グループ会長の秘書を、やりたくない人間がいるなんて信じられませんね。就職したいのでしょう? 彼女は」
「だから面白ぇんだよ。攻略しがいがある」
「まぁ、どうぞ楽しんで下さい。私たちに迷惑を掛けてさえ下さらなければ、なにをしても構いませんから」
 一旦決断すると、こいつは切り替えが早い。よくもまぁ、しれっと言い切るもんだぜ。
「どうしますか? もし素性が、どこぞの偉い身分の隠し子なんてことだったら」
「それなら何の障害もねぇだろ。問題なのは、そうでなかった場合だ。どうも里久と同じ匂いがしてならねぇ。爺さんを説得するのはいいとして、さっきお前が言った通り、暴き立てる奴らは五万といるからな」
「里久と同じ……それならば、喜び勇んで攻撃してくる連中が、わんさかいるでしょうね。あなたの命令ならば、どんな妨害でも迎撃でもしますよ。それも私たちの仕事ですからね」
 そういう仕事の方が、こいつは燃えるからな。冬樹がいるせいで、あんまり出番はねぇが。穏やかな顔して、実は里久以上に好戦的な奴だぜ。
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