Act.2 この俺が女に惚れた? 嘘だろ...1

 爺さんめ、丸一日オフの朝に呼び出しなんて、何考えてやがる!? しかも、もうすぐ仕事が明けるっつうタイミングで、俺に直接電話してきやがった。
 冗談じゃねぇ、貴重な休みを潰すな!
 喧嘩腰で断ったら、あっけなく翌日に延ばされた。だからって、一度損ねた機嫌は早々直らねぇ。自分のことだからな、よく分かるぜ。
 俺は機嫌直しと休日前の恒例で、マスターの店に行った。マスターが趣味で集めた世界中の酒が飲めてメシも美味い。俺にとっちゃ憩いの場ってやつだ。
 休みの日に女と過ごすことは、あまりない。付き合ってる女がいればまた別だが、一月前に別れた。俺としてはかなり長く、10ヶ月も付き合いが続いた女だった。でしゃばる性格じゃなく、どちらかといえば従順だったのに、仕事が忙しくなって一緒にいる時間がなくなってくると、お決まりのクレームがついた。
「仕事とあたしとどっちが大事なの!?」
 アホか、そんなもん同じ次元で考える問題じゃねぇだろ。なんで女は、こんな比べようもねぇことに、答えを出したがるんだ?
 2週間ぶりのデートでそんな応酬をしたら、大泣きされた。それがきっかけで、結局その女とは別れた。付き合う女は厳選しているはずなのに、別れる時にはいつもこんな形になる。周りの連中からは、女をとっかひっかえしていると思われてるが、実態はこんなもんだ。
 とにかく強い酒が飲みてぇ。そんな欲求を抱えつつバーの扉を開けると、先客がいた。俺がいつも座るカウンター席に、見たことねぇ女がいる。
 店に入ってきた俺と目が合ったマスターは、困った表情で肩をすくめた。要するに、止める暇もなかったってことか。いつもそこに座ってるってだけで、特にマスターと契約してる訳でもねぇ。俺は女から一つ空けたスツールに着いた。
「すみません、東海林さん」
 すぐさまマスターが詫びを入れてきて、俺の前にグレンフィディックのグラスを置いた。
「この一杯は私からの驕りということで」
「マスターが謝るこたねぇだろ。俺はそこまで狭量じゃねぇぜ」
 マスターは笑って「分かりました」と言ったが、きっと今日の支払いからはこの一杯分が引かれてるんだろう。
 それならそれで、今度このバーを誰かに紹介してやりゃいい。
 大衆向けのバーとは違い、落ち着いた雰囲気の店内はゆっくりと酒を飲むのにちょうどいい。個人的に気に入ってる店なんで、なるべくなら誰にも教えたくねぇが、直人ならまぁいいだろう。それに、マスターとは貸し借り無しの間柄でいたいからな。
 フォーフィンガーロックのスコッチを一息で空け、マスターに次を促した。大きな氷が一つ入ったグラスに、琥珀色の液体が注がれる。いつ見ても美しい光景だな。
「今日はまた、そのような格好で、どうなさいました?」
「着替えるのが億劫で、仕事明けのまま来た。嫌なら着替えてくるぜ?」
「そんな、滅相もありません。どうぞ、そのままで」
 マスターの言う格好ってのは、仕事着のことだろう。普段ここに来る時は、堅苦しいスリーピースからラフなスーツに着替えて来る。今日はそんな僅かな時間ももどかしかった。もう2年は通ってるバーだが、この格好で来るのは初めてだな。高価なカフリンクスやタイピンを外して着崩していても、高級ブランド品ってのは隠しようがねぇか。
 2杯目を半分ほど一気に飲んで、タバコを取り出した。特に銘柄は決めてないから、その時に手に入ったものを吸っている。俺が喫煙者だと知ってる連中が、土産だ贈り物だと外国の煙草を持ってくるからな。値段が高いから旨いってことはねぇが、外国産の方が旨味があるというのは、確かだな。
 葉巻にしようかと何度か考えたことはあるが、その度にその選択肢を打ち消した。爺さんの真似していると思われるのが癪だった。
 タバコを口に咥えると、マスターがライターの火を出す。間髪入れずってタイミングがいい。ゆっくり紫煙を堪能していると、右から酒を促す声が聞こえた。あの女だ。
 見ると、ロックグラスを掲げてワイルドターキーを注げと言っている。スゲェな、女のくせにウィスキーのロックかよ。
 マスターはやんわり断っているが、聞いちゃいねぇ。マスターが客の注文を断ることは滅多にねぇ。よっぽど酒量が過ぎている時くらいだ。つまり、それだけこの女は飲んでるってことだろうが、俺から見える横顔に酔っ払った様子はねぇ。若干頬が赤く染まってるくれぇだな。それがいい具合にこの女を色っぽく見せている。ふん、なかなかいい女じゃねぇか。
 渋るマスターからバーボンを注がせ、それを一息で飲み干した。飲みっぷりもいい。
 俺は興味が湧いて、改めてその女を眺めた。
 緩やかにパーマの掛かった髪を無造作にバレッタで留め、あるかなきかの薄化粧。それでも十分に美人顔だ。無個性な紺色のスーツは、リクルートスーツだろう。10月にこの格好ということは、就職難なのか。飲み方からして、祝酒には見えねぇな。
 女は再びワイルドターキーを一気飲みすると、おもむろに俺に顔を向けた。
 しばらく眺めていたのが気に障ったのか、女はやや据わった目で俺を睨むように見ていたかと思うと、突然二へッと笑った。
 ニヤッでもなく、ニコッでもなく、二へッて何だ?
「お兄さん、イケメンだねぇ! 一緒に飲もうよ」
 ……これはナンパか? ナンパ自体はしょっちゅうあるが、こんなのは初めてだ。ふん、面白ぇ。
 俺は首肯し、女の隣に移動して、ロックグラスで乾杯した。女はそれすらも一息で明け、更にワイルドターキーはもういいからストリチヤナをくれと言い始めた。
 マスターは開いた口が塞がらねぇって体だが、女の様子だとかなり強そうだから、心配いらねぇだろ。俺がそう言ってやると、マスターは安心したのか、冷えたショットグラスにストリチヤナ、それもクリスタルを注いだ。
 乾杯したからと言って何かしゃべる訳でもなく、女はショットグラスの杯を重ねていくだけだ。俺も特に話がしたいってこともねぇ。お互いに酒を美味く飲めりゃいいだろう。
 そう思っていたんだが、俺がテキーラを頼むと様相が一変した。
「あっ、テキィ〜ラァ! あたしも飲むぅ!!」
 女が素っ頓狂な声をあげた。ちょっと待て、お前今ウォッカを8杯飲んだだろうが!
 ショットグラスを持ったままフリーズしてる俺の前で、マスターも蒼い顔をしている。
「お、お嬢さん、飲み過ぎだよ」
「むうぅ! あたしおしゃけ強いの! テキ〜ラくらい飲めるもん」
 青褪めて止めるマスターなんか、見ちゃいねぇ。大体、テキーラを舌巻いて発音するくらい酔っ払ってる奴がこれ飲んだら、間違いなくぶっ倒れるぞ。つか、これ以上クリスタルを飲ませても結果は同じだが。
 不覚にも呆気に取られた俺の前で、女はとんでもないことを言い放った。
「むうぅ、じゃあ飲み比べ! どっちが先に酔い潰れるか、競争する! あたしのお酒の強しゃをしょーめーしてあげるぅ」
 なにが、じゃあ飲み比べだ? 酔っ払いの思考は訳分からん。
 女はオロオロしているマスターを睨み付け、「テキ〜ラ、出す!」と指示した。いよいよ顔面蒼白となったマスターは、俺に助けを求めてきた。
「東海林さん、何とかして下さい」
 何とかしろって言われてもな。子供じゃねぇんだから、ぶっ倒れようがこいつの自己責任ってやつだろう。
 そう喉まで出掛かったが、マスターがあんまりにも気の毒なんで、助け舟を出してやった。
「面白ぇじゃねぇか。出してやれよ」
「で、ですが」
「外で里久が待ってる。俺が帰る時に、ついでにこいつも送ってやるよ」
「東海林さんがそうおっしゃるなら」
 まだ封を開けていないテキーラのボトルをマスターが出すと、女はすかさずそれを奪い、ウォッカを飲み干した自分のショットグラスに注いだ。
 なみなみと注がれたグラスを俺に向けて掲げ、「テキ〜ラァ!」と叫んで一気に飲み干した。酔っ払いってのは、言動がメチャクチャだな。
「うぃっく、飲み比べぇ!」
 要するに、俺も飲めということか。飲まずにカウンターに置いておいたショットグラスを掲げて、一息であける。
「むうう……出来る! あたしもぉ」
 女が覚束ない手でボトルを傾けるから、それを取り上げて俺がショットグラスに注いでやった。嬉しそうな顔しやがって、酔っ払っていても可愛いじゃねぇか。
 女は二杯目も飲み干し、見ていた俺を睨み付けて来たんで、俺のグラスにも注いで見せ付けるように飲み干した。
 更にグラスを掲げるんで、三杯目を注いでやると、勢いで一気に飲み干す。そろそろヤバいなと思っていると、なにやら聞き取れねぇ声でブツブツ言い始めた。
 次で潰れるかと思ったが、意外にもって、五杯目を空けた。
「…………」
 ようやく黙ったか。思っていたより長かったな。店が閉まるまであと30分。つまり里久が迎えに来るのもそのくらいだ。
 俺はようやく静かに酒を飲むことが出来た。マスターは異常なほどに恐縮している。
「東海林さん、今日はすみませんでした」
「ま、こんな女には滅多に会わねぇからな、面白かったぜ」
「今日のお代はいいですから」
 俺に迷惑を掛けたと思ってるんだろう。確かに迷惑だったが、それとこれとは話が違う。しばらく払う払わねぇで押し問答したが、女の飲み代は払わなきゃならねぇだろう、と俺がゴリ押しして37000円押し付けた。俺の分はいらないなんてぬかすから、受け取らなきゃここを潰すと脅して受け取らせた。
 俺にとっちゃ大した金額じゃねぇし、なかなか面白ぇ体験だったぜ。

 
 

 閉店時間を見計らって店に入ってきた里久は、女を肩に担いでる俺を見て首を傾げた。こいつは誰にでも無愛想で、俺に対しても滅多に笑うことがねぇが、さすがに困惑した顔をしているな。
「隆広様。どうしたんですか? この女」
「就職難による自棄酒。これから家を吐かせるから、そこまで行け」
「……分かりました」
 腹ん中じゃどう思ってんのか知らねぇが、里久は他の秘書と違って素直に俺に従う。
 黒のアウディがこいつの愛用車だ。そこの後部座席に女を沈めて、俺はその隣に乗り込む。半分眠りそうなのを、無理矢理起こして家がどこか質した。俺にしては優しくやった方だが、女は鞄を抱きかかえるようにして俺を睨み付けやがった。
「知らないぃ男に、住所なんてぇ個人情報、教えて、たまるかっ」
 俺が誰か知らねぇんだから仕方ねぇとしても、こんな受け答えされたのは、生まれて初めてだ。既に車は発進していたからよかったが、ハンドル握ってなかったら里久に半殺しにされてるぞ、こいつ。つか、あれだけ飲んでここまではっきり言えりゃ、女でなくても大したもんだぜ。
 里久は、前方を見据えながらも、女に対して殺気立っている。まぁ、俺も普通にこんな答え方されたら、それなりの報復を考えるが、この女に対しては何故かそんな気は起きなかった。
「隆広様、車を停めていいですか。その女、ここで捨てます」
「停めるなよ、横浜に向かえ」
「なっ!? こんな無礼な女を、あのホテルに連れて行くんですか!?」
「あそこなら、何か起きても対処出来るからな」
 何たってオーナーは俺だ。スウィートルームを一部屋、常時確保しているから深夜でも連れて行ける。
「何かってなんです?」
「何かだよ。いいから行けって。お?」
 眠っていたと思った女が、突然体を起こした。ゲロでも吐かれたら里久をなだめるのが大変だな、なんて考えていたら予想は外れた。
 女は据わった目で周囲を確認してから俺に顔を向け、またあの妙な笑いを見せた。さすがにドン引きしていると、スカートをまくって俺の膝の上をまたいだ。
「抱いて」
「その女、ブチ殺します!」
 酔っ払いの行動は、本当に予測不可能だな。里久はマジギレだ。綺麗な顔して武闘派なんだよな。
「里久、車を停めたらクビにするぞ。いいから横浜に向かえ。30分もすりゃ着くだろ」
「ですが!」
 なんでお前が泣きそうなんだよ。貞操の危機は俺の方だぞ。つか、さすがにズボンのベルトに手を掛けられたら、笑っちゃらんねぇな。
 酔っ払ってるお陰で、ベルトを外そうとする女の手はかなり覚束ない。俺は女の顔を両手で包んで、酒臭い赤い唇をキスで塞いでやった。
 そういや前の女と別れてから、キスもセックスもしちゃいなかった。そう思うとヤりたくなった。女のブラウスのボタンを外し、中に手を入れて直接肌に触れる。キメが細かくて滑りのいい肌だな。これはホテルに着いてから楽しめそうだ。
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