Act.1 お願い、悪い夢だと言って!...11

 ノックしてVIPルームに入ると、豪華なソファーに東海林隆広が、ふんぞり返っていた。でも、なんかさっきとは雰囲気が違う?
 なにが違うのか、正面に立って分かった。服装が丸っきり変わっていた。
 見るからに高級品な三つ揃いのスーツを隙なく着こなして、足を組んでソファーの肘掛に肘を乗せて、あたしを見上げている。こっちが見下ろしているのに、ちょっと気圧される感じがした。
 声を出そうとしたら体が震えているのが分かって、グッと足を踏ん張った。くそぉ、こんな奴なんかに負けるもんか!
「なにしに来たのよ? わざわざ着替えちゃってさ!」
「そりゃお前、『椿』に来るのに正装しないなんて、失礼だろう」
「はあ!? なに言ってんの、バカじゃない?」
「当たり前だ、冗談に決まってんだろ。まぁ座れ」
 隣を指差されて、仕方なく座った。従わないとまた脅されそうな雰囲気が、こいつの目にはあった。
「ふん、やっぱりそのドレス、お前に似合ってるな。スゲェ目立ってたぜ」
「あたしは、目立ちたくなかったわよ。大変だったんだから。お姉様方には追及されるし、ママには誤解されるし!」
「だから、こうして来てやったんじゃねぇか」
 どういう意味よ?
 思いっ切り睨んでやったら、呆れたように溜め息をつかれた。溜め息つきたいのは、こっちの方よ!
 なにを言うのか待ってるのに、こいつはタバコを取り出して口に咥えた。なかなか火を点けようとせず、あたしを見てくる。
「なによ?」
「客がタバコを咥えたら、ホステスがやることは一つだろう」
「誰が客!?」
「俺。金は払う、さっきママにも話して、お前を指名させてもらった。何か文句はあるか?」
 ない。っていうか、言えるはずなかった。
 あたしはカルティエのガスライターを取り出して、こいつの前で火を点けた。タバコの先に火が移り、紫煙が立ち昇る。
「あんた、ここの常連だったの?」
「あんたはやめろ。ホテルの中とは違うんだ、他人に聞かれたら困るのはお前だぞ」
 くっ……なんでいちいち、言うことが尤もなのよ!! 確かにそんなの聞かれたら、追及の嵐は更に強くなる。
「隆広、さんて、ここの常連だったの? ここって一見さんはお断りのはずだよ」
「残念ながら、過去に2回接待を受けて来たことがある。好き好んで来る場所じゃねぇがな。酒は一人で飲むことにしてる」
「それが、あのバーだったの」
「そういうことだ」
 うなずいた隆広が、「ここで一番高い酒」と注文してきたので、室内のインターホンで待機している黒服に伝えた。確か100万くらいするブランデーだったと思う。まぁ、こいつならポンと出せるんだろうけど……ふと気付いた。
「ちょっと、今のってまさか、あたしの売り上げにしてくれるってこと?」
「お前の客として来てんだから、当然だろ」
 しれっと言ってるけどさぁ、それってあたしのお店での立場が益々悪くなるよ。今日のことで十分に、お姉様方を刺激しちゃったっていうのに。
「はぁ……」
「景気の悪い溜め息をつくんじゃねぇ。お前、本気でホステスやってんのか? さっきからお前の態度は目に余るぞ」
 だって、相手がこいつじゃとてもホステスとしてなんて、対応出来ないよ。
 でも、そんなこと言えない。こいつの言う通りだから。ちゃんとホステスとして応対して、こいつをギャフンと言わせてやる。
 意気込んだところで、黒服がお高いブランデーを持って来た。綺麗な琥珀色の液体をブランデーグラスに注ぎ、隆広の前に置く。
「どうぞ、東海林様」
「ああ」
 くそぉ、名字の様付けで呼んでも、動揺も見せない。まぁ、こいつの場合呼ばれ慣れてんだろうけど。
 しかも、ブランデーグラスを呷る姿は、メッチャ様になってるよ。ムカつくなぁ。顔は笑顔で心ん中では罵倒しまくっていたら、「お前も飲め」と言われた。
 こ、こんなお高いブランデー、お店でも飲んだこと無いよ! くそ、こいつの目の前で、思わず興奮しちゃったよ!
 努めて笑顔でグラスにブランデーを注ぎ、「いただきます」と少しグラスを掲げて、くいっと一口飲んだ。
 美味しい〜!!
 ついジタバタしたくなるほど、芳醇な香りと強めのアルコールが口の中に広がって、何とも幸せな気分になる。
 横からのニヤニヤ笑う視線に気が付いて、ハッとしてグラスをテーブルに置いた。
「いいから飲めよ。小夜のザル加減なら、ボトル一本空けても問題ねぇだろ」
 言われて反論出来ないのが悔しい。さすがのあたしも、ボトルを一本空けたことはないわよ! でも、笑顔で「そんなことありませんよ」と言うしかなった。くそぉ、いつもやっていることなのに、こいつの前だとなんで出来ないのよ!?
 負けるもんか!
「東海林様、さっきとはお召し物が違いますけど、どうされたのですか?」
「東海林隆広と、分からせるために着る必要があったからな。このくらいしねぇと、説得力ねぇだろ」
 本気で言ってるのよね? 真顔だから。でも、これはやりすぎだと思う。説得力あり過ぎだよ。みんな唖然としてたもんね。それだけ、こいつの存在感が凄いってことでもあるけど。
「そんなことはないと思いますけど。昼間のスーツ姿も、とても素敵でしたわ」
「本気で言ってんのか?」
「勿論です」
 これは本当。昼間のスーツの方が、ずっとよく似合ってた。今のも悪くないけど、何ていうか、カッチリし過ぎてる。会長として仕事するなら、これでも分かるけどさ。
 ああ、なるほど。そういう意味での『説得力』ね。でも、やっぱりこれはあり過ぎだわ。
 それから30分くらいで、隆広は帰っていった。一体なにしに来たのよ、あいつ? まさか、本当に100万のボトルを入れてくれるためだったの?
 首を捻りつつ、上客として隆広をお見送りすると、ママに呼び出された。
「小夜ちゃん、よくやったわ」
「えと、なにがですか? ママ」
「東海林グループの会長を、『椿』のお客様に迎えられたのよ。小夜ちゃんのお陰。今月はバイト代、奮発するわね」
「あ、ありがとうございます」
 アルバイトのあたしは時給制だから、それほどお給料は高くない。と言っても、専属で働いているホステスと比べてであって、普通のフリーターでは到底無理な金額をもらっている。これから年末になっていくし、就活もまたやっていかなきゃいけないから、一時的でもお給料が高くなるのは、ありがたい。
 それがあいつのお陰っていうのが、ちょっと引っ掛かるけど、それは考えないことにした。
「小夜ちゃん、前から言ってるけど、お店続けてくれないかしら?」
 ふっと、ママが言った。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、あたしはやっぱり昼間のお仕事をしたいわけで。
「ごめんなさい、ママ」
「そう……しょうがないわね」
 溜め息をついて、ママはお店の奥に入っていった。その背中に向けて、あたしは深々と頭を下げた。
 
 

**********

 
 
 お店は深夜1時までやっているけど、バイトのあたしは11時30分まで。
 お姉様方からの、嫌がらせのような視線の嵐はその後も続いた。でも、あたしの上がりの時間が早いお陰で、誰からも絡まれることなくお店を後に出来た。控え室で一緒になろうものなら、何をされるか。
 次の出勤日は大丈夫かな。ただ絡まれるだけならいいけど、お店に影響が出るようだと働きづらくなるしなぁ。
 結局は、あいつのせいか! 世間では会長様でも、あたしにとってはまるで疫病神だね! ああ……もうあいつのことは考えないようにしよう。精神衛生上よくないわ。
 いつもは電車に乗って帰るけど、今日はタクシーで帰ることにした。こんなドレス着て電車なんて、さすがにちょっと。それにこの時間だと、酔っ払いも多いだろうから、絡まれると困るし。
 この辺で流しのタクシーを掴まえるのは難しい。あたしはゆっくりを歩き始めた。こんな遅い時間でも夜のお店が多い周辺は、まだまだ人影は多い。
 今度はどこの会社を受けようか。考えながら歩いていると、ブルッと体が震えた。上着を持っていないから、ちょっと肌寒い。
 タクシーを拾える場所まで急ごうと早歩きを始めると、前方に見覚えのある男が、見覚えのない車に寄り掛かってタバコを吸っていた。くそぉ、こんなところでまた会っちゃったよ!
「よぉ、やっと帰りか」
「なにしてんのよ? あんたこそ、さっさと帰ったら?」
 さっさと通り過ぎようとしたのに、長い足でガードレールを跨いできて、道を塞ぐように立たれた。
「なに言ってる。お前を待ってたんだ」
「はあ?」
「乗れよ、送ってやる。コートがねぇと寒いだろ」
 まさか、これを狙ってコートをを用意しなかったわけ!? 抜け目のないこいつが、ドレスだけなんておかしいと思った!
「いらないわよ! タクシーで帰るから」
「タクシー代が浮くぞ」
 こいつを押し退けて歩こうとすると、そんな言葉であたしを惑わせる。確かにそうだけど、こいつの車に乗ったら、もっとヤバイ目に遭いそうだし。
 携帯灰皿にタバコを捨てたこいつは、足が止まったあたしに続けて言った。
「この時間じゃ深夜料金てのも、取られるんだろ」
「……なにがしたいのよ!?」
「別に、お前を送るだけだ。早く乗れ」
「…………」
 無言で睨み付けてやったけど、結局乗ることにした。立ち止まって、寒さが急に身に沁みてきたから。
 だからって、まさかお姫様抱っこされてガードレールを越えることになるとは、思ってもいなかったよ。さすがに銀座の繁華街だからか、からかう声は聞かれないけど、やっぱり恥ずかしいじゃないの。
「ちょっと、もう降ろしてよ!」
「このまま乗せてやる。暴れんなよ」
「いらない!!」
 こいつの腕の中でジタバタしたら、諦めたように地面に降ろされた。うわ、寒い。抱っこされて体が密着していたから、余計に寒さが身に沁みる。
 すると、運転席のドアが開いた。こいつが運転してきたんじゃないの? とか思っていたら、こいつに負けないほどのイケメンが降りてきて、後部座席のドアを開けた。まさか運転手という人かいな?
 ボケッとこの人を見上げていたら、隆広が説明してくれた。
「吉永里久だ。俺の専属運転手、兼秘書」
「…………」
 愛想も何もなく、ムチャクチャ素っ気無く無言で会釈されて、「はぁ、どうも」と頭を下げるしか出来なかった。
 もしかして、昨夜バーからホテルに行く時に、送ってくれたという秘書だったりするの? うわぁ、恥ずかしい!!
 二人で並んで後部座席に座り、吉永里久という人の運転で、車が走り出した。
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