Act.1 お願い、悪い夢だと言って!...6

 ホテルの駐車場まで戻ってくると、メタリックブルーの車高が低い何やらスンゴイ車の前で止まった。ボンネットにエンブレムがついてて、雄々しい牛のマークよ。Lamborghini……ランボルギーニ?
「これ、あんたの車?」
「ああ、ここにはこれしか置いてねぇんだ」
 まさか、昨夜酒飲み運転したなんてことは……
「言ったろ、ここに置いてあるって。昨夜ここに来た時は、秘書の車で送らせたんだ」
「あ、そう、いうこと……って、ちょっと! あたし昨夜車の中で、あんたに抱けって言ったって」
「ああ、あいつも聞いてたぜ」
 ぎゃー!! 嘘でしょ!? 願わくば、その秘書とは一生会いたくないわ! ってか、このままさよならしちゃえば、会う事もないわよね。
「やっぱりいい、あたし帰る!」
 回れ右をしたら、肩を掴まれた。
「このまま就職出来なくていいのか?」
「だって、もしかしたら、この先決まってくれるかもしれないじゃない」
「これから俺と一緒にくれば、確実なんだぜ?」
「だって……」
 まさかこれが、就活の神様の思し召しなの!? いやだあぁ!!
「来いよ、お前にチョーやりがいのある仕事をくれてやる」
 それはそれで怖い。でも、背に腹は変えられない、か。
「行くわよ、行ってやるわよ。それでいいでしょ!!」
「ふん、でなきゃ、面白くねぇよ」
 ニヤッと笑ったこいつの顔を見て、やっぱり帰ればよかったと後悔した。
 
 
 
 
 平日のお昼時だっていうのに、湾岸道路は結構混んでる。ベイブリッジを渡るって、初めての経験だわ。
 左の運転席に座っている隆広は、シフトとハンドルを操って運転している。今時マニュアル車なんて、乗っているのか。まぁ、確かにシフトを操る姿は、カッコイイけどさ。こいつの場合、見てくれはよくても中身がねぇ。
「一つ聞きたい」
「なによ?」
「ホステスの方が、普通のOLよりよっぽど稼げるだろう。それなのに、お前はなんで就職にこだわるんだ?」
 う……やっぱり、訊かれたか。あたしのバイトを知ってる大学の友達にも、同じ様なことを訊かれた。
「それはよく言われるよ。バイト先のママからも、このまま続けてほしいって言われてる。でも、あたしはちゃんと会社に入って、人に堂々と言える職業に就きたい」
「ホステスは、人に言えねぇのか?」
「…………」
 言葉に詰まった。それを言ってしまったら、身も蓋もないじゃない。ママや一緒に働く人たちに悪いよ。
「あたしは、昼間にちゃんと働く職業に就きたいのよ。ホステスとしてあたしを雇ってくれた、ママや社長さんには感謝してるけど、このまま夜のバイトを仕事としてやっていくのは嫌だ」
 ごめんなさい、ママ。うつむいて目を閉じて、心の中のママの顔に謝罪した。
「まぁ、お前の人生だからな。お前のしたいようにすればいいさ」
 なによ、自分から振っておいて、その言い方! ……ってこれは、あたしの八つ当たりね。話題を変えよう。
「ねぇ、さっきあんた」
「そのあんたってのやめろ。これから行くところで人に聞かれたら、困るのはお前だぞ」
 むう……まぁ話の流れからしたら、こいつご推薦の企業ってことよね。じゃあ仕方ないか。それに、天下の東海林隆広を「あんた」なんて呼ぶ人間、こいつの周りにはいないでしょ。
「だったら、あたしもお前と呼ぶのはやめてよ」
「ふん、分かった。咲弥子」
 う……こうやって急に呼べるところが、こいつのデリカシーのなさを露呈しているのよ! くそ、負けるもんか!!
「隆広、さっき抜け出せるのは夜しかないって言ってたけど、今日は仕事はいいわけ?」
「オフだ。さっきラウンジで、あのオヤジにそう言ったろ。基本的に日曜日は一日オフだが、他に月に1日か2日休みを取ってる。でないと、やってられねぇよ」
 ふうん、忙しいってのは本当みたいね。CEOとCOOの兼任なんて、どんな仕事をしてるのか、見当もつかないけど。
 それから30分くらい走って、すんごいビルの地下駐車場に入っていった。どのくらいすんごいかと言えば、六本木ヒルズの森タワーくらい。そこの地下駐車場に入る時、「海東物産」という社名が見えた。
 マジですか!? 海東物産と言ったら、超一流企業ですよ!? 日本でトップクラスの大企業ですよ!? まさかこいつが斡旋するって会社、ここかい!!
 唖然としている間に、隆広は駐車場に車を停めて、降りていった。慌てて追い掛けようとシートベルトを外したところで、助手席のドアが勝手に開いた。
「へ?」
「なにしてる、早く降りろよ」
「え? ドア、開けてくれたの?」
「当然だろ。ほら、手を出せ」
 当たり前のように左手が差し出された。それがまた様になっているのがムカつく。自然にこれが出来るってこと自体、女馴れしてる証拠よね。
 乗る時もそうだったけど、車高が低くて乗り降りがしにくい。こりゃエスコートがないと、逆に不便だわ。まさかこういう車って、男が女をエスコートするために、こんなに車高が低かったりするの? そんなわけないよね。
 隆広の後ろについて、エレベーターのあるところまで来た。
 何度か逃げようかと思ったけど、どうせすぐに捕まるだろうし、就職先を決めたいという思いはあったから、大人しくついて行くことにした。
 まさかそれが海東物産とはね。でもここって東海林グループの中核企業だから、逆に言えば当然のことなのかも。
 エレベーターは全部で5台。4台は一角に揃ってあるのに、わざわざ離れた1台の前で上行きのボタンを押したよ。なに? 会長専用エレベーターでもあるわけ?
 扉が開いて乗り込むと、階数ボタンは2つだけだった。41階と42階。なに、このエレベーター? マジマジと見ていたら、上から解説が聞こえた。
「社長室と会長室に直通で行くエレベーターなんだよ。あんま人に見られたくねぇ来客とか、俺らが使う」
「ふうん。うん? ってことは、あんた……隆広の仕事場もここ?」
「ああ。俺は休みだが、秘書の連中は上で仕事してるぜ」
 軽い浮遊感が体を包んだ。凄い早さで階数表示が上がっていく。
 東海林グループ会長の秘書かぁ……バリバリのキャリアウーマンとか? でもこいつだと手が早そうだな。
「言っとくが、野郎ばっかりだぞ」
「何にも言ってないじゃない! でも男ばっかりって意外」
「ふん、直人は女ばっかり揃えてるがな」
「直人?」
「ここの社長だ」
 なんて会話をしている間に、エレベーターが止まって、扉が開いた。
 普通に廊下が奥まで続いてるだけの空間だった。床はフカフカの絨毯が敷いてあるけど、ちょっと殺風景だ。隆広の後ろについて歩いていると、ちょっとした広間のような場所に出た。
 例のエレベーターの扉が4台ある。その前にカウンターがあって、受付嬢らしき女性が二人、席に着いていた。
 隆広が軽く手を挙げると、二人は立ち上がって綺麗なお辞儀をする。ううむ、隙のないお辞儀だわ。こういうとこまで、社員教育が徹底されてるってこと? 隆広だけでなく、あたしにも頭を下げられちゃった。仰天しながらも、失礼がないように会釈して返した。
「直人はいるか?」
「はい、只今は社長室にて休憩されています。お知らせしましょうか?」
「いや、いい。咲弥子」
 うぉ! なんでわざわざこっち見るのよ!? 受付嬢が変な目で見てんじゃん!
「なによ!」
「お前な、こんな時くらい愛想よくしろよ」
「余計なお世話! なによ?」
 訝んでいると、腕を引っ張られてよろめいた。転びそうになるのを、こいつの腕が抱き止めて、囁く声で耳打ちされた。
「面白ぇもん、見せてやるよ」
「は? うわっ」
 再び引きずられるように歩かされた。受付嬢が顔を寄せ合ってヒソヒソやってるよ。彼女たちからの角度なら、多分キスしてるように見えたはず。くそぉ、紛らわしいことするな!
 引っ張られて行った場所は、社長室の札がつけられた、重厚な扉の前。途中、秘書室の札がある扉の前を通っていた。
 その社長室の扉を、こいつはノックもせずにいきなり開けた。やっぱり常識がない奴だ!
 第一印象、広い部屋。高級そうなソファーセットが、ど真ん中に置いてある。それでも邪魔くさくないのは、部屋の方が遥かに大きいから。さっきのホテルのリビングより、一回りは広いんじゃない?
 壁の上の方に、三人のおっちゃんの写真が飾られている。歴代社長だってさ。一人、明らかに若いのが端っこに飾られていた。こいつと同じくらいイケメン、つうか美形だ。浮かべている微笑みは、こいつより数段上品に見える。
 反対側の壁には、これまた重厚な本棚。ちゃんとスライド式のガラス戸がはまってるよ。ざっと見たところ、分厚い本がぎっちり埋まっていた。これで頭殴ったら、軽く人を殺せるかも。
「おい、直人。相変わらずだな」
 隆広の呆れた声が前から聞こえた。背中越しに覗き込むと、とんでもない光景が飛び込んできた。
 ご立派なデスクの向こうにある、革張りの椅子に座った美形と、その前で不自然な姿勢の女性がキスをしていた。
 うわぁ、なにやってんの!? この二人!!
 女性の不自然な姿勢は、美形の膝の上に座っているからだった。うぅわぁ、他人のキスシーンなんて初めて見た。それでもあんまりやらしく感じないのは、美形の綺麗過ぎる顔のせいかね? さっきこいつが言ってた「面白ぇもん」ってこれか。
「おい、直人!」
 こいつの苛立つ声に、ようやく美形が顔を離した。こっちを向いて、やたらと愛想のいい笑みを浮かべる。普通はもっと、慌てたりするもんじゃないの?
「隆広、上司といえどもノックは常識ですよ」
「ふん、黙って開けられてヤバいことをしてる方が悪いだろ」
 うわ、こいつがまともなこと言ってるよ!
「今は休憩中ですから、何をしようと勝手でしょう」
 しれっと、何をぬかすんだ!? この美形は!!
「まぁな、致命的な失態でもやらかさなきゃ、別にいいさ」
 こいつも何を言い出すんだ!? こいつら、揃いも揃って類友だ!!
 美形の顔は、壁に飾ってある写真の端っこのと同じ。で、こいつは直人って呼んでた。ってことは、これが社長!? なんて女にはデンジャラスな会社なのさ!?
「おい、お前らが休憩中になにをしようと勝手だがな、こっちは連れがいるんだ」
 隆広が左手の親指を立てて、あたしを指差した。
 ギョッとしたよ! 二人共、あたしの方を見るんだもん。
 詩織と呼ばれた女性は、さすがに気まずそうに頬を赤らめているけど、社長さんはニッコリ微笑んだ。
 詩織さんがいそいそと、社長さんの膝の上から降りた。頬がポウッと赤く染まっていて、目が潤んでるのが見て取れる。女のあたしが見ても、ドキッとするくらい色っぽかった。
 あたしもまさか、キスとかの後はああいう顔をしてるのかいな!? つまり、ああいう顔を、こいつに見られていたってことかい!! いぃやぁだぁ!!
 本気で頭を抱えていたら、振り向いた隆広と目が合った。
「ぎゃあ!」
「うお!? なんだ、ビックリすんじゃねぇか」
「な、な、なんでもないない!!」
 うおおぅ、今すぐここから逃げ出したい!! でも、そんなことしたら、こいつに付け込む隙を与えちゃう。
 くそぉ、つくづく思うよ。なんで昨日はあのバーに行っちゃったのさ! 全然行ったことない所だったのに! そうすれば、こいつと出会うこともなかったのにぃ!!
 涙が乾いて目が痛いのに、また泣きそうになってきた。これ以上泣いたら、本当に今日はバイトに行けなくなるよ。それにこの状況じゃ、とても泣けない。
 グッと泣くのを我慢していると、前方からおかしそうに笑う声が聞こえた。社長さんが紫檀のデスクに頬杖ついて、肩を揺らしている。
 詩織さんはそのとなりで立っていて、乱れたスーツを整えていた。それから社長さんに向かって、きりっとした表情で言った。
「それでは社長、私はこれで。隆広会長、13時から社長は会議が入っておりますので、時間厳守でお願いします。ただいまコーヒーをお持ちしますので」
「ああ、分かった。こいつにはミルクティを頼む」
「承知しました」
 え!? あたし別にコーヒーでもいいんだけど?
 え、と小さく声が出た瞬間、隆広に睨まれて口を噤んだ。なによ、余計な仕事をさせないようにって思ったのに。
 詩織さんは、何事もなかったかのように、右手のドアから出て行った。
「まったく、あなた方のせいで、貴重な休憩時間に最後まで出来ませんでした」
 本当に残念そうに言うんだもん。耳を疑っちゃったよ。最後までってセックスのことだよね? まさか、その13時の会議の時間まで楽しもうって思ってたの? あと30分しかないのに、凄いなぁ。
 少ししてドアをノックする音が聞こえた。詩織さんがトレーにコーヒーを2つと、紅茶を1つ、持ってきてくれた。ソファーセットのテーブルに置いて、再び同じドアから退出していった。お手間を掛けさせちゃって、すみません。全てはこいつのせいです。
 チラッと隆広を見上げると、ちょっと難しい顔をしていて、予想外の表情に驚いた。何つうかさ、仕事してる男の顔って感じ? いつもこういう表情をしてればいいのに。
「会議ってな、例のアレか?」
「ええ、あなたにこの仕事を仰せつかった時から、避けては通れないものですからね。幸い、私に味方してくれる人間も多いので、比較的やりやすいですよ」
「ま、そうでなきゃ、ここにお前を配置した意味がねぇよ。俺がお前にあんま肩入れしても、バランス悪くなっちまうからな」
「その辺は期待していませんよ。あなたはあなたのやるべきことを、やればいいんです」
 社長さんはそう言って笑いながら、腰を上げた。隆広なんかより、よっぽど上品な仕草だよ。こいつ、本当に東海林グループの会長かね?
「ところで、そちらの女性はあなたの新しい恋人ですか?」
 は!? 今、なんとおっしゃいました? あたしがこいつの恋人!?
「ばっ」
 言い掛けたところで、こいつの手が口を塞いできて、社長さんの誤解を解けなくなった。なに考えてんだ、こいつ!?
 社長さんは、ちょっと目を丸くしてから、首を傾げた。
「これまであなたが付き合ってきた女性とは、随分タイプが違うようですが?」
「そうじゃねぇよ。誰がこんなじゃじゃ馬!」
 じゃじゃ馬で悪かったわね!! 相手があんたじゃなかったら、もっとおしとやかに出来るわい!!
「どのような女性と付き合おうと、あなたの勝手ですが、あまりとっかえひっかえしていると、お祖父様が煩いでしょう」
「ふん、爺さんは何も言わねぇよ。煩いのは、周りの連中さ」
「まぁ、どうぞ。お掛け下さい」
 そう言って、ソファーに座るよう促された。
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