Act.1 お願い、悪い夢だと言って!...3

 隆広に肩を抱かれながら、上層階客室専用ラウンジにやってきた。
 こいつ、背が高いな。かなり高めのヒールがあるパンプスを履いたあたしの頭頂部が、やっと顎先に届くくらい。こいつにとってあたしの肩の位置って、手を置くのにちょうどいい高さなんじゃないの?
 ラウンジは低い敷居に囲まれた、開放感溢れるフロアだった。壁が全面ガラス張りで天井が高く、陽の光りだけで十分に明るい。入口で待機していたコンシェルジュが、隆広を見てちょっと姿勢を正した。
 それがあたしに、何だか違和感を与えた。
 お客が来ただけで、普通あんな反応を見せる? しかも、やけに緊張したような面持ちで。それにあたしに向けられた視線も、どことなく変だし。宿泊客のカップルが食事に来ただけで、こんな目はしないでしょ。
 もしかして隆広って、ここの経営者の息子とか? それなら、深夜にスウィートルームに泊まれたのも、こんなブランド服をフルコーディネートで揃えられたのも、あたしに向けられる視線の意味も頷ける。あり得ない話じゃないよね。
 ラウンジにはチラホラとお客の姿が見えた。そんなに多くないのは、この時間のせいだよね。でも、あたしらみたいな若いカップルってのはいない。みんなお金持ちそうな中高年カップルばかりだ。
 げっ!
 お客の中に知ってる顔を見付けてしまった。バイト先によく来るお得意様だ。あたしは指名されたことはないけど、ヘルプでついたことがある。店の中で顔を見られてもいるだろうし。
 あたしに気付かれたらヤバイ! 就活中にホステスやってるなんてこいつに知られたら、絶対に何かされる!! あのお客からは、なるべく遠くの席にしてもらうしかない。でも、どうやって?
 ぐるぐる考えを巡らせながら、隆広にくっついていた。いいアイデアは浮かばなかったけど、悩む必要なかったみたい。コンシェルジュの方が隆広に気を利かせたのか、かなり奥の方の席に案内してくれたから。
 椅子に座ると、お得意様がいる席は、まったく見えなくなった。
 ホッとしていると、ニヤニヤ笑ってる隆広と目が合った。もしかしてバレた!?
「なによ?」
「ふん、ここに着くまでの間、様子が変だったな。どうしたよ?」
 あ、知ってる顔があったとは気付いてないみたい。よかった。となると、ここはチャンスかも。
「あんたこそ、ここの経営者の息子かなんかでしょ。あたしみたいなの連れ込んでいいわけ?」
 ズバリ言ってやったら、ちょっと驚いた顔をした。やったね!
 心の中でほくそ笑んでいると、隆広はニヤッと笑って案内したコンシェルジュを呼んだ。若いそこそこイケメンの男は、何故か青ざめた表情で足早にやってきた。不思議に思って見ていると、予想外の言葉が出てきた。
「如何しましたか? オーナー」
「オーナー!?」
 信じられない単語を聞いて、つい腰を浮かせて大声出しちゃった。それまで所々で談笑していた声がピタッと止まる。
 ヤバッ! 慌てて口を押さえて席に着いた。み、見られなかったよね? メイクだってお店とは違うし、遠目だったら分からないかも。そのように祈った。
 隆広は、肩を揺らして笑ってる。こいつ、わざとコンシェルジュを呼んだんだ。嫌な奴!
 怪訝な顔のコンシェルジュに、何でもないことを告げて下がらせた。隆広はニヤニヤ笑いながらあたしを見ている。
「お前、面白ぇな。どうして経営者の息子なんて思ったんだ?」
「だって、入口にいたさっきの男が、あんたを見て緊張して姿勢を正してたし、あたしを見る目も何か意味深だったから。それにあんたの歳を考えたら、オーナーとは思わないわよ」
「ふうん」
 なによ、感心したような顔しちゃって。笑いたいなら素直に笑いなさいよ!
 惨めな思いはこれ以上したくなくて、嫌味たっぷりに言ってやったら、目を丸くされた。
「お前、なんだよそれ。俺は率直に感心したんだぜ。大抵の女は俺を見てボケッとしてるから、従業員の仕草や顔なんか見もしねぇ」
「そりゃ、あんたに惚れてればそうでしょ」
 なによ、自慢話のつもり?
「ふん、だからお前はそうじゃねぇってところが、面白ぇんだよ」
「誰があんたに惚れるのよ! あんなことしといて惚れる女がいたら、会ってみたいわ!」
 なるべく大声にならないように注意して、言ってやった。すると、右手の指を折り始めた。まさか、今までの女の数を数えているわけ?
「ここに連れてきたのは何人もいたが、お前みてぇなのは初めてだぜ」
「あ、そう。変わってて悪かったわね」
 右手の指が折り返して立ってることは、ちゃんと見てたわよ。どんだけ女を連れ込んだのさ!
 いちいち心の中で突っ込むのも疲れたから、窓の外を眺めることにした。みなとみらいの観覧車が見える。この辺りって、普通の都市とは景観がちょっと違って、近未来って感じがする。名前そのものだわね。
 ボーイがメニューを持ってきた。いつの間にか、グラスにお水が注がれている。ワイングラスみたいなでっかいグラス。あたしは気持ちを落ち着けようと思って、一気に半分くらい飲んだ。美味しいお水だ。
 メニューを眺めていると、名前を呼ばれた。睨み付けるように隆広を見ると、溜め息をつかれた。
「お前、もちっと愛想よくしろよ。美人が勿体ねぇ」
「大きなお世話! なによ?」
「ったく、可愛くねぇな。注文は俺に任せろ。美味いの食わせてやるよ」
 あたしはもう一度メニューに目を落とした。いくつか種類があって、色々チョイス出来るみたい。この中に嫌いな物はないし、アレルギーもないから、任せてみることにした。こいつのホテル自慢を見てやろうじゃないの!
 
 
 
 
 5分ほど待って出されてきたのは、温かいコーンスープに焼きたてのフランスパン、トロトロのプレーンオムレツにカリカリに焼かれたベーコン、そしてクリームチーズ・ドレッシングのサラダだった。
 ちょっと呆れたよ。あたしは強いからいいけどさ、記憶なくすほどお酒飲んだ人間に、翌朝こんなご飯を出すのか、こいつは。
「どうした? 食えよ」
 そう言いつつ、隆広はさっさとパンに手を出している。
「あのさ、あんた酒飲んだ人間に、いつもこんな料理食べさせるわけ?」
「あ? んな訳ねぇだろ。あれだけ飲んで二日酔いにならないお前に、遠慮なんかいるか?」
 くそぉ、またしても反論出来ない。あたしだって、自分のザル加減に呆れているわい! バイト先でも、これで重宝されているところが、ちょっぴしあるしなぁ。
 まぁ、ご飯に罪はないから食べることにした。いい匂いで、さっきからお腹の虫が鳴りっ放しなのよ!
 冷めない内に好きなコーンスープを口にした。むむっ! 唸りたくなるほど美味しい! クリームが濃厚で、コーンの味に深みがあるように感じる。コーンスープってこんな上品な味のものなの!?
 少しくらいは上品に食べようと思っていたのに、想像以上に美味しくて、あっという間に飲み終えちゃった。続けてフランスパンにも手を出した。焼きたてってこんなに軟らかいんだ。フランスパンって、硬いのしか知らなかった。咀嚼していると甘味が増してくるし、バターなんか付ける必要ないね。
 これは、オムレツとベーコンが楽しみだわ。その前にサラダを食べておこう。美容にもいいから、いつも繊維食品は先に食べるようにしている。
 ドレッシングのチーズが、妙に美味しい。酸味があるけどチーズの濃厚さもあって、レタスが甘く感じるよ。トマトもフルーティだし、たぶん野菜そのものもきっと質がいいんだ。
 美味いのを食わせてやる、というこいつの言い分は本当だった。なんか、こんなにこいつの自慢通りだと、腹が立つなぁ。
 オムレツは中身がトロッとしていて、玉子の味もしっかりしているし、ベーコンと一緒に食べると絶妙な塩加減でグッ! ビックリするくらい美味しい食べ物って、初めて食べたよ。お客さんとの同伴でご飯食べに行ったこともあるけど、こんなに驚くほどの美味しさとは出会っていなかった。
「ふん、そんなに美味いか」
 前方から自慢げな声が聞こえて、ホクホクした気分がブチ壊しになった。
「なによ、あんたが作ったわけじゃないでしょ」
「いちいち可愛くねぇ女だな。頬が緩んでたぜ。美味かったんだろ、素直になれよ」
 相手があんたじゃなかったら、素直になってるわい!
「大きなお世話! 食べてるんだから、静かに味わわせてよ」
「ちっ、素直なのはセックスの時だけかよ」
「ごふっ!」
 とんでもない言葉に、口に入れたオムレツを噴いちゃった。
「ちょっと、食事中でしょ! デリカシーってもんがないの?」
「お前みてぇな可愛くねぇ女に使うデリカシーなんか、持ち合わせてねぇよ」
 ムッカァ!! 笑いながら言うセリフじゃないよ! こいつ最低! イケメンでお金持ちでも、ろくでなし男だわ。
 せっかく美味しく食べていたのに、その後はデザートもちっとも美味しいと感じられなくなった。全ては、こいつのせいだ!
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