Act.1 お願い、悪い夢だと言って!...1

 う……ん……なんかアラームの音が聞こえる。
 うるさいなぁ、なによこの音……あっ! 携帯のアラームだ!!
 もう起きる時間なのか。まだ寝たりないあたしは、目を閉じたまま携帯電話を探した。肌触りのいいシーツの上を手探りしていく。おかしいな、いつも枕元に置いてあるのに。あ、あった!
 目を開けたくても瞼が重い。今日は確か何も予定はなかったはず。あたしは適当なボタンを押して、アラームの音を止めた。
 そのまま寝返りを打ってまどろもうとすると、顔の前に何かあるのを感じた。壁かな、と思ったけど何だか生々しい気配。なに、これ?
 パチッと目を開けると、目の前にあったのは……
「ぎゃあっ!!」
 なにこれ、なにこれ、人の顔ぉ!?
 ベッドの上を這いずりながら後退していくと、だんだんとそれの全体が見えてきた。
 お、お、男!? なんであたしのベッドで寝てるの!?
 眠っていたらしいその男は、あたしの悲鳴で顔をしかめた。そりゃ、あたしでも耳が痛くなるくらいの悲鳴だったもんね。
「なんだ、煩ぇぞ」
 髪の毛をかきあげながら、欠伸を隠さず、むっくり起き上がったその男の上半身は……裸!
 ええええ!?
 仰天した瞬間、後退していた手が空を切った。
「あだっ!!」
 思いっ切り背中から床に落っこちました。なんかフカフカしているから、痛くはなかった。しかも、勢いあまって足があたしの顔の横に。膝に挟まれる格好になって、動けないぃ!!
 視界には天井が見える。でも、あたしの部屋ってこんな天井だったっけ? しかも頭を挟んでいるあたしの足、この感触は生足よ? まさか、あたしも裸!?
 自分の体勢がよく分からなくてジタバタしていると、視界の隅に骨ばった素足が見えた。あの男が起きてきたの!? やだぁ、こんな体勢。
 なんとか起き上がりたいのに普段しない体勢だから、どうやったら力を入れられるのか分からない。いやだぁ、こんな姿を見られるなんて。泣きそうになっていると、足首が掴まれて体が浮き上がった。それから背中を支えられて、床の上にペタンを座らされる。
「あ、ありがとう」
 裸であたしのベッドに無断で寝てる奴にお礼を言うなんて嫌だったけど、助けられたのは事実だ。
 その男は素っ裸でベッドに腰掛ける。視線を上げると、意地悪く笑う男と目が合った。
「くっくっくっ、スゲェ格好だったな」
「あんたがあたしのベッドで寝ているからでしょ! しかも裸なんて、非常識よ!」
「お前のベッド? はははははっ!」
 男は唖然としてから、腹を抱えて大笑いした。ムカつく!!
「ちょっと、なにがおかしいのよ!!」
「お前、部屋をよく見てみろよ」
 まだ笑ってる。なによ、あたしが寝てたのに、あたしのベッドでないわけないじゃない!!
 でも、確かにさっき見えた天井は、あたしの部屋のじゃなかった。床もそう。あたしの部屋はフローリングだし、カーペットはまだ敷いてないし、敷いていてもこんなにフカフカじゃない。
 まさかここ、こいつの部屋だったりするの? 恐る恐る室内を見回した。
 ベージュの温かみのある壁紙に、アンティークっぽいエレガントなランプの灯り。ベッドはキングサイズのダブルベッドで、ヘッドボードには何やら豪華な彫刻が。サイドボードには、骨董品のような置時計があって、朝の7時を少し過ぎていた。
 ベッドの右側には大きな窓があって、カーテンは閉まった形跡がなかった。ぎゃっと思ったけど、見えるのは空ばかり。
 なにここ! 知らない部屋だ!
「どうやら、納得したようだな」
 笑い声はとっくに止んでいて、膝の上で頬杖をついた男がニヤニヤしながらあたしを見ていた。
「ここ、どこよ? まさか、あんたの部屋?」
「はっ、まさか! ゆきずりの女を易々と俺の部屋に入れるかよ。つか、これが男の部屋に見えるのか」
「ゆ、ゆきずり!?」
「覚えてねぇのか?」
 お、お、覚えてって……あっ! 思い出した!! 思い出して、頭を抱えたくなった。
 昨日、何社目になるか分からない面接を受けに行った帰り、どこかのバーに入って、凄いイケメンとお酒が強いとかで意気投合して飲みまくって飲みまくって……それから?
 お、思い出せない!!
 自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。あたしが一緒に寝てたこの男が、あのイケメン? 二人とも裸ってことは、つまり、セックスしちゃった!?
 うそぉっ!!
 頭を抱えたまま、ベッドに座る男を見た。髪はボッサボサだし、うっすらと髭が生えているけど、昨夜のイケメンの面影は確かにある。
 スッポンポンなのを全然気にしてないってことは、自分の体に自信があるってことよね。確かにそこらの男と比べたら、筋肉は程よく付いてるし、腹筋だって割れてるし、腕や足もマッチョじゃないけどガッシリしてる。
 知らない間にタバコなんか吸って。こっちはテンパってるのに、なに涼しい顔してんのよ!
「あの、つかぬことをお伺いしますが」
「なんだ、急にしおらしくなりやがって、気色悪ぃな」
「話の腰を折らないで! まさか、あたしたち、その」
 ズバリ言うのが怖くてゴニョゴニョ言い淀んでいたら、男はタバコを灰皿でもみ消しながら、ニヤッと笑った。
「セックスならしたぜ」
 やっぱりぃぃ!!
「途中までだがな」
「は? どういうこと?」
「ふん、ちょうどいい。昨夜の続きをやるか」
 訳分からないでいるあたしに向かって、そいつの腕が伸びてきた。慌てて逃げようと、立ち上がったところで腕を掴まれてしまい、思いっきり引っ張られた。体に感じた軽い衝撃の後、ベッドに押し倒される。
「きゃっ! なにすっんぅ!」
 抗議する声は男の唇で塞がれた。それからあっという間に気持ちよくされて、抵抗も出来なかった。
 男は驚くほどに上手くて、こんなに激しく抱かれたのは初めてだよ。
 
 
 
 
 顔にヒンヤリとした何かがあてがわれて、ハッと目を開けた。
 白いタオルのようなもので視界が覆われている。それがとても冷たくて、火照った顔に気持ちよかった。
「起きたか」
 溜め息をついたような声がして、顔のタオルを自分で避けると、あの男が見下ろしていた。
「あたし?」
「ヤッてる最中に、気絶しちまったんだよ。叩いても起きねぇから、しばらく放っておいた」
 髪の毛が濡れていて、うっすら生えていた髭もなくなっていた。この顔は確かに、昨夜のイケメンだわ。さっきは全裸だったのに、今はバスローブを着ている。
「それで、シャワーを浴びてたの」
「散々煽られて気を失ったんだ。起こすより休ませた方が、親切ってもんだろうが」
 非難のつもりで言ってやったら、肩をすくめてシレッと返された。そりゃまぁそうだけどさ。
 ゆっくり体を起こすと少し眩暈がして、でもすぐに治った。布団を引っ張って、大事なところを隠すのも忘れなかった。今更って目をされたけど、女の子にとっちゃ今更でも大事なことよ。
「もっと優しくしてくれればよかったのに。そうしたら、気絶なんてしなかった!」
「そりゃお前、昨夜の仕返しはしてやらねぇとな」
「仕返し?」
 意地悪く言われても、あたしにはバーで飲んだ後の記憶がないから、オウム返しに訊くしかなかった。男は呆れた顔でベッドに腰を降ろす。
「バーで呑み比べした後」
「呑み比べ!?」
「お前が言ったんだぜ。『あたしのお酒の強さを証明してあげる』っつって」
「うそ!?」
「俺はテキーラを一本空けても酔わねぇって言ってんのに、構わずマスターにそのテキーラをボトルで注文して、勝手に注いで勝手に飲み始めたんだ」
「そ、そんなことっ」
 思わず反論しちゃったけど、話を聞いていて何となくそんな記憶が蘇ってきた。
「あの、さ、その時、マスターは止めてた? よね?」
 恐る恐る訊いてみると、男はニヤッと笑ってタバコに手を伸ばした。
「思い出してきたな。俺は面白ぇと思って見てたが、マスターは青褪めてたぜ」
 う、そうだよね。それであたしが急性アルコール中毒なんかになっちゃったら、お店の責任問題にもなり兼ねないもの。
「えと……それから?」
「なんだ、いちいち言わねぇと思い出さねぇのか」
「悪かったわね! しょうがないじゃない、覚えてないんだから!」
 この男こそ、いちいち言い方が嫌味っぽいのよ! 顔も体も声もいいくせに、なんて意地の悪い奴なんだ!
 男はタバコの煙りと一緒に溜め息をついた。呆れたような視線がムカつく。でも、知らない方が嫌だから、大人しく聞くことにした。
「最初は快調だったが、3杯目辺りから言動が怪しくなってきた。5杯目を空けたところで、おしゃべりが止まって目が据わってきたから、マスターに支払いして迎えに来た車に乗って帰った」
「いくら払ったの? あたし、半分出すわよ」
 こういうお金の絡んだことは、しっかり清算しておかないとね。後でなにが起こるか分からないもん。
 男は、咥えタバコであたしに視線を繰れた。なによ、その呆れた目は!
「お前、その前にウィスキーをダブルで6杯飲んで、ウォッカをショットグラスで8杯飲んでたんだぞ」
「そ、そんなに!?」
 アルコール摂取の最高記録更新だわ。そりゃ、記憶もなくなるはずよ。
「いったいいくら」
「二人で三万七千円」
「さ、さんまんななせんえん!? 出すわよ、返すわよ、絶対返すわよ!!」
 折半したとして、一人壱万八千五百円か、しょうがないよね。社会勉強と思って手痛い出費を覚悟したのに、更に追い討ちを掛けられた。
「言っとくが、俺が飲んだのは精々一万円分だ」
「うぐっ、わ、分かった。ちゃんと二万七千円払うわよ!」
 今は持ってないけど、そのくらいのお金なら銀行で降ろせばいいし。頭の中で残高の計算をしていたら、くっくっと笑い声が聞こえた。
「な、なによ!?」
「俺が女に飲み代を払わせるような男に見えるかよ?」
「見えるから言ってんじゃない。自分が飲んだ分の金額なんか言っちゃってさ」
「お前が折半なんか考えるからだ」
 ギョッとした。なんであたしの考えてたことが分かるのよ!?
「金の計算してる奴ってのは、顔に出るんだよ。大体、自分の分を払うっつったら、ここの宿泊費をどうするつもりだ?」
「は? 宿泊費?」
「気付いてねぇのか。部屋ん中見りゃ、ここがどこか分かるだろうが」
 呆れて言われても、あたしの部屋じゃないことは分かるけどさ。そういえば、こいつも自分の部屋じゃないって言ってたっけ。
 きょとんとしていたら、「まぁいい、後で分かる」なんてボソッと言った。どういう意味よ!?
 不審満々な視線をくれてやったら、今度は辟易した顔で信じられないことを言った。
「車ん中で家を聞いても答えねぇし、挙句にスカートまくって膝に乗っかってきたから」
「ぎゃああ! 嘘でしょ!?」
「キスでなだめてたら俺もその気になって、ここに来た」
 マジで!? もういい、もう聞きたくない! どうせそれで、酔っ払った勢いでセックスして、目が覚めるまで一緒に寝てたんでしょ!?
 耳を塞いでそう訴えたら、男はやけに真剣な顔をして、耳を押さえた手を引き剥がした。
「なに言ってる。ここからが重要なんだよ」
「な、なんでよ?」
「部屋に着いてから服脱いで素っ裸になってベッドに上がり、お前から誘ってきた」
 ひえええええ!! なにやってんの、昨日のあたし!?
「まぁ、そのまま言う通りにするのも面白くねぇんで、お前が晒したそこをいじり倒してやったら、お前は悲鳴を上げて悦んでたぜ」
「う、う、うっ」
「嘘じゃねぇよ。で、俺が愉しむ段階になったら、お前は勝手に寝ちまったんだ。お陰で俺は自分で処理しなきゃならなかった」
「ぎゃーっ、すみませんんんっ!!」
 さっき言ってた仕返しってそれ!? そりゃ怒るはずだよ。誘っておいて寝ちゃうなんて、あたしってば、なんてことしちゃってたのさ!! っていうか、なんで自分から誘っちゃうのよ!!
「ふん、まぁいい。さっき散々泣かしてやったしな」
「うう、ごめんなさい」
 恥ずかしさの余り、布団を引っ張って顔を隠していたら、ポンポンと頭を撫でられた。それがやけに優しい感触で、思わず顔を上げて男をマジマジと見た。すぐにとんでもない奴だって、思い知ったけど。
「だが、まだ許したわけじゃねぇ。裸の女を前にして、俺に自分で処理させた報いは、きっちり晴らさねぇと気が済まねぇからな」
「ちょっ! なにやらせるつもりよ!?」
 まさか、さっきみたいなのをまたやる気!?
 警戒心をアピールしながら睨みつけてやったら、意地悪そうに笑っただけで、なにをさせるのかは教えてくれなかった。
 くそう、謝って損した。
「とりあえず風呂に入って来い。3つドアを隔てた向こうにある」
 なによ、その命令口調は! ムッとしてベッドの上から動かないでいたら、「そのまんまで外に出る気か」って呆れられた。
 くううっ! 尤もなことを言われて、反論が出来ない。しょうがないから、引っぺがしたシーツをずるずる引きずって、ベッドを降りた。
 男はまたタバコを吸い始めている。分煙禁煙って煩いこのご時世で、ヘビースモーカーかい!
「あんた、名前、なんていうの?」
「隆広」
 口にするまでに少し間があった。名字を教える気はないってことか。ま、当然だよね。
「あたしは咲弥子。一つ訊かせて」
「なんだ?」
「あたしが寝ちゃったって、そっちには関係ないじゃない。なんでしなかったの?」
「俺を見くびるなよ。そんなレイプみてぇなことが出来るか。大体、意識のねぇ体を抱いたって、面白くもねぇだろ」
 もしかしてこの男は、これでも紳士なのかも? なんて思ったあたしがバカだった。
「女は泣かせてナンボだぜ」
 前言撤回。やっぱりムカつく奴だ!
 シーツを体に巻いて、あたしは言われたドアを開けて部屋を出た。
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