Surprise Present

「はぁ……」
 ホテルのバーラウンジで、夜景の見える窓際の席で頬杖をつきながら、私は一人溜め息をついた。カウンターを見ると、私の夫、篠宮愁介がシェーカーを振っている姿が見える。
 このホテルのオーナーなのにバーテンダーとして働いている彼は、多分変人と言って差し支えないんだろうと思う。昔、自分で自分を変人だと言ってたくらいだから。
 働いていると言っても、別にお給料をもらっている訳ではなくて、どちらかというと趣味に近かった。それは普通なら道楽と言われてしまうようなこと。でも、彼のバーテンダーとしての技術はプロ級で、噂を聞きつけた銀座の高級クラブからヘッドハンティングされたこともあるというから、やっぱり趣味と言った方がしっくりくる。それでも、ここのマスターに二日間つきっきりで指導されて、テストにも合格してようやく採用してもらったのだけれど。
 シェーカーの中身をグラスに注いでボーイに渡した彼は、麻の布を取り出してグラスを磨き始めた。バーテンダーってお酒を作るだけが仕事と思っていたら、結構色々とやることある。グラスを磨くのもその一つで、綺麗に磨かれたグラスは透明感が高く、それだけでバーの質が上がったように見える。もちろんここはリゾートホテルのバーラウンジだから、質が高いのは当然だけれど、ここだけ切り離して他所に持って行ったとしても、十分に高級バーとしてやっていけると思う。

 
 

「ふぅ……」
 また溜め息。空になったカクテルグラスの縁を指でなぞった。
 明日は彼の誕生日。毎年この時期になると、いつもプレゼントで頭を悩ませる。何しろ物欲がないから、何か『物』をプレゼントしても全く贈り甲斐がない。別に邪険にされる訳ではないし、喜んでもくれるけど、贈った方としてはいまいち張り合いがない感じがする。
 物欲がない、というと語弊があるかしら。望めば何でも手に入れることの出来る立場の人だからか、物に執着心がない、というのが正確な表現かもしれない。元々の性格も少しはあるだろうけど、高価すぎて手が届かなくて諦める、という経験はほとんどなかったと思う。
 逆に、『お金では買えないもの』にはとても苦労した。例えば夢。バーテンダーとして働くこともその一つで、彼がこの夢を実現するのに20年以上も時間が掛かってしまった。
 世界を牛耳る大財閥の総帥なんて、普通の人にとっては夢のように見えるけど、彼に言わせると、その組織に滅私奉公しているようなものだった。誰もが羨むような巨大な権力と無尽蔵の財力、大国の大統領にも匹敵する地位を持ちながら、何一つ自分の自由には出来ないのだから、その立場にいた愁介がどんなに窮屈に感じていたか。
 私も、彼の妻として『副総帥』なんてありがたくない肩書きをもらってしまって、彼の仕事の一端を担ったこともある。別に私が「やりたい」と言った訳ではなく、あまりにも総帥への面会を希望する人間が多過ぎて、でも断るには色んな面で支障が出る。そこで苦肉の策として、妻の私に肩書きを与えて、格好付けや好奇心で会いたい人間の自尊心と欲求を満足させていた。総帥の妻が副総帥になるなんて前例がなく、これには彼の先代だったセシル・フォスターさんも呆れていたとか。
 そもそも副総帥なんて人は元々いなくて、彼の代だけに作られた特殊なものだった。愁介と彼の秘書たちは、とにかく会うだけでいいと言っていたけれど、やっていくとそれだけでは済まなくなって、最終的にはかなり重要な交渉までやらされてしまった。それが彼の仕事をどれだけ減らすことになったのか。執務に忙殺される姿は特に変わりがなかったので、大した助けにはなっていなかったのかもしれない。
 結婚前に社長秘書の仕事をしていたことが、これの役に立ったのは言うまでもないことだった。こうなってみると一番最初に私に社長秘書の面接を斡旋したのは、これが狙いだったんじゃないかと勘繰ってしまいたくなる。もちろん、そんなことはあり得ないのだけど。
 愁介がどんな思いで総帥をやり続けてきたか、私は嫌というほど理解していた。だからこそ、彼の誕生日には私にしか贈れないことを、毎年頭を悩ませながらプレゼントしてきた。
 でも、その立場から解放されると、今度は何を贈っていいのか分からなくなってしまった。総帥を引退しても、彼自身の持つ財産は普通では計り知れないほど多い。現役の頃は、もらったお給料を使うこともなかったから、それが手付かずで丸ごと残っている。この金額が半端なくて、私たち二人が一生遊んで暮らしたとしても、まだお釣りがくるくらい。その中に、篠宮家の財産は入っていなかった。財閥としては彼に頼まれた篁さんによって解体されていて、今はそれぞれの会社が独立している。篠宮家の資産は、その各社に全て配分されていた。
 いずれ引退したら篠宮家に戻ると思っていた私には、これはちょっとした驚きだった。そこまで『家』を継ぐのが嫌だったなんて。なくても生きられる、というのは確かにそうだけど、息子の克己を含めて後々の篠宮の人間は色々と苦労しそうだわ。愁介なら「苦労しなくて人生と言えるか」なんて言うかもしれないけれど。
 まぁ、そのことは後に置いておくとしても、今差し当たって必要なのは、彼の誕生日プレゼントをどうするかよねぇ。
「はぁ……ここで悩んでいても始まらないわ」
 私は席を立って、バーラウンジを出た。愁介を見ると、出て行く私に気付いてちょっと手を上げているのが見えた。私も微笑んで手を振った。

 
 

 実を言うとプレゼントは決まっている。サプライズも含めて、これが一番だろうとは思うのだけれど、果たしてこれがプレゼントになるのかどうか……。
 マンションに帰って部屋着に着替えて、リビングのソファで彼の帰りを待つ間も、ずっと悩んでいた。
「ただいま。響子、帰ったぞ」
 頬を撫でる冷たい感触に、慌てて目を開ける。トレンチコートを着た彼が覗き込んでいた。
「あ、おかえりなさい。私、眠ってた?」
「いや、ウトウトはしてたけどな。そんなとこでそんな格好でいると風邪引くぞ」
「うん、愁介の帰りを待ってたの」
 怪訝な顔をして、脱いだコートをソファの背もたれに掛けている愁介を見上げた。時刻はもう深夜の1時。
「なんだ?」
「ふふ、今日は何日になりましたか?」
「11月28日だろ。……あ」
「まぁた忘れてたんでしょ。お誕生日おめでとう、愁介」
 バーテンダーの仕事に行く時は、ノーネクタイにジャケットを着ている彼に腕を伸ばして、抱き付く。少しだけ冷やりとしたけれど、すぐに体温で暖かくなった。力強い腕が背中に回って、彼の胸の中に引き寄せられた。
「そういや、すっかり忘れてたぜ」
「あなたは、自分の誕生日を忘れ過ぎです。私や克己のを忘れないのは、さすがだけど、自分のもちゃんと覚えていてほしいわ」
「この歳になると、もうジジイになっていくだけだからな」
「だから、48歳じゃまだそんな歳じゃないわよ。なんでそう自分を年寄りにしたがるの? 30 代と言っても通用するのに」
 外見じゃない、そう言いたそうに苦笑する彼の顔が近付いてくる。最初は軽いキス、でもすぐに濃厚なものに変わる。
「あのね」
 執拗な口付けになる前に、彼の唇に私の人差し指を当てた。こうすると、少しだけ『待った』を掛けてくれることを、最近発見した。
「愁介には悪いけど、今日からはしばらくセックスはなしね」
「なんでだ?」
 ああもう、そんなに不満そうに言って。求められるのは嫌じゃないけど、さすがにこれからは、ねぇ。
「実はね、ここに愁介へのプレゼントがあります」
 ちょっと彼から体を離して、私は自分のお腹の辺りを指差した、しばし呆然としている愁介。
「愁介?」
「プレゼントって、どういうことだ?」
「要するに、妊娠したってこと。まさかこの歳で、なんて私もビックリしたけど、生理が来なくなって2ヶ月よ。今日簡易キッドで検査して確かめたわ」
「…………」
「愁介?」
「だから、今日は一杯だけだったのか」
「うん、しばらくは飲めなくなっちゃうから、今年最後の飲みおさめと思って行ったのよ」
「ってことは、また10ヶ月……」
「まぁそうね。セックスは出来ないということです」
 愁介がガックリと首を落とす。こうなるだろうと予想はしていたけど、克己を妊娠した時と全く同じ反応なのは、笑っちゃうわ。
「嬉しくないの?」
「また生意気なのが出来るのかと思うとな」
「克己はあなたに似過ぎているものねぇ。でも予感だけどね、今度は女の子よ、きっと」
「その根拠は?」
「ふふ、女のカン。というより、母親のカンかしら」
 溜め息をつく愁介の唇にキスをして、もう一度抱き付いた。彼も優しく腰を抱いてくれる。
「愁介」
「なんだ?」
「前はエインズワースのお城にいたから、お医者様が常に待機していて、メイドたちもお世話してくれたけど、今は私たちだけよ。これから色々、大変になるわ。明日、産婦人科の病院を探さなきゃ」
「そうだな。……誰か呼ぶか? 俺が言えば、すぐにエインズワースから派遣されるぜ」
「ありがとう。でも今はいいわ。何か問題が起こったら、頼むことにする。何でも頼りにし過ぎるのは、考えものだから」
 もう総帥じゃなくなったんだから、自分でやっていかないとね。いざとなったら、私の母がこの日本にいるし。
 愁介の腕が背中に伸びてきて、キュッと抱きしめられた。
「愁介?」
「さっさと辞めると言っておきながら、なんだかんだと頼りにしてるな、俺は」
「それを、自覚しているのはいいことだと思うわよ。私も、言い方が生意気かしら?」
 おどけるように言うと、彼は穏やかな微笑を見せた。うわ、今更だけどやっぱりいい男だわ、愁介って。
「体、寒くねぇか。もうベッドに入った方がいいぜ」
「今はくっ付いているから、暖かいわよ」
「俺は風呂に入りたい。煙草臭ぇだろ」
 う、言われてみれば相当臭うわ。バーにいたんだから、煙草臭くなるのは当然よね。
「じゃあ、私は一足先にお布団に入ってます」
「寝ちまってもいいぜ。どうぜしばらくは出来ねぇしな」
「それはあなただけでしょ!」
 くつくつと笑いながらバスルームに向かう彼の背中を見送って、私は寝室に入った。湯たんぽを入れていたから、ベッドの中はぬっくい。キングサイズのダブルベッドは、片側が異様に冷たいけれど、お風呂上りの愁介には問題ないでしょう。
 すぐにウトウトし始めた私は、マットレスが沈み込むのを遠い意識の中で感じた。彼がベッドに入ったんだと分かったけれど、瞼が重くて目は開かない。本当に眠い時って、起きなきゃと思っても起きれないのよね。
 あ、頬に柔らかい感触。キス、したんだ。手も握られてる。ああ、でももうダメ。眠いの……。
「それにしても、赤ん坊が俺へのプレゼントかよ。どっちかってぇと、俺からのプレゼントじゃねぇのか? 別に俺は、お前からプレゼントなんかもらわなくたって、こうして一緒にいられるだけで、他は何もいらねぇんだけどな」
 遠くで、愁介が笑っているように感じた。
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